
古典と呼ばれる「山の名著」ではなく、
一般的な登山愛好家にとっての「山の名著」を紹介するブックレビューの7回目は、
市毛良枝さんの『73歳、ひとり楽しむ山歩き』(2024年2月、KADOKAWA刊)


市毛良枝さんの本は、
一般的な登山愛好家にとっての「山の名著」を紹介するブックレビューの第1回で、
『山なんて嫌いだった』をすでに紹介している。
昨年(2024年)刊行された本書『73歳、ひとり楽しむ山歩き』も、
「歳を重ねるほど、景色は美しくなる」
という帯のキャッチコピーが良かったし、
私も70代の大台に乗り、
市毛良枝さんが70代の山歩きをどんな風に楽しんでおられるのか興味があった。

【市毛良枝】
俳優。1950年9月6日生まれ。静岡県出身。
文学座附属演劇研究所、俳優小劇場養成所を経て、1971年にドラマ『冬の華』でデビュー。
以後、テレビ、映画、舞台、講演と幅広く活躍。
40歳から始めた登山を趣味とし、
93年にはキリマンジャロ、後にヒマラヤの山々にも登っている。
環境問題にも関心を持ち、98年に環境庁(現・環境省)の環境カウンセラーに登録。
また特定非営利活動法人日本トレッキング協会の理事を務めている。
著書に『山なんて嫌いだった』(山と溪谷社)などがある。

【目次】
CHAPTER 1 山で出会った道
69歳、大自然の中を貫く
世界一美しい散歩道、ミルフォードトラック
40歳のはじめの一歩
白く美しい燕岳
自分らしくなれる場所
私たちの道標のような人
CHAPTER 2 山は文化だった
「山と溪谷」と私
歩くことで紡がれた物語
室堂山ですれ違っただけの人
幻のジャンダルムデート
CHAPTER 3「自分の山をやりなさい」
『山なんて嫌いだった』
エベレスト街道の21日間
帰国した薄汚い女
ヒマラヤの山頂に立つ
念願の「自分の山」をやれた夏
CHAPTER 4 登れなくても自然があった
やりたい山に出会った矢先
母「絶対に南極へ行く」
小さな自然が元気にしてくれる
自然に親しむトレイル・カルチャー
加藤則芳さんが遺した道
CHAPTER 5 自分のために道を歩く
自分でシナリオを書きながら登っている
還暦から歌手になる
田部井さんとの最後の山
歩かれなくなった道は消える
足裏で聞く枯葉の音

本書についてあれこれ語るよりも、
印象に残った文章を書き写してみようと思う。
「次に行きたい山は?」ともよく聞かれるが、「行けるところならどこの山でも行ってみたい」としか言えない。愛想のないことおびただしいが、誰かのために登るわけではないので、まあいいかとやり過ごしている。
大切なのは、自分が何をして、どう感じたかでしかない。味わう登山が好きで、誰かに話すためでもない。心のおもむくままにただそこに存在したいだけ。(4~5頁)
日頃、俳優というちょっと特殊な仕事をしているから、きっと荷物も自分で持たないだろう、身の回りのことも人がやってくれるような生活をしているのでは、と思われているのではないか、などと身構えていた。特別な人間と思われないように、そうではないことを知ってもらわなければと、どこか肩肘張っていたような気がするけれど、誰ひとり、何ひとつ特別扱いなどせず、人としてごく自然に仲間に入れてくれた。
そのことが本当に心地よく、この歳になって新しい友人ができたことも幸せであり、いまもお付き合いが続いていることが何よりも嬉しい。(48頁)
なぜか御来光を見た日は雨が降ると言われるそうだが、その通りに早いうちから雨になり、シトシト降り続く中での山行も経験できた。雨すらも楽しいとしか思えなかった。
その中で何が一番楽しかったかといえば、ちょっと意外なことだった。
急に晴れてきた時などに、「ちょっと休憩!」と声がかかり、カッパを脱いだり、脱いだものを次に出しやすいように手早くしまう。そんな何ということもない当たり前のことを手際よくやるのが楽しかった。
ちょっと変わっていると思う。でも、これも山好きになったポイントのひとつだ。ささやかな工夫が山行の心地よさにつながる。人が人であるためにできる限りの努力をする。敵うことのない大自然のもとで精一杯の努力をしている人間がいじらしくもあり、愛おしく思えた。(50頁)
自然は容赦なく待たせるし、なんの忖度もしてくれない。人間はただひたすら待つしかない。あるがままを受け入れて、その場にいさせてもらうしかない存在である。
でも、だからこそ感じられる喜びは、都会での便利さから得られる喜びの何倍か大きいことをこの初めての山旅で本能的に悟った。
自分に合った楽しさってこういうものだと、40歳にして初めて知った。(54頁)
「8000メートルの山も一歩一歩なのよ」
「裏山の楽しさとエベレストの楽しさは同じ」
「やりたいと思ったことはやろうとさえすれば必ずできる」。
(田部井淳子さんの)こういう言葉たちにどんどん背中を押され、10数年たった時、レベルは遥か下であっても、同じことを思い、同じようなことをやっている自分を見つけて嬉しかった。(64頁)
山は人の原点を教えてくれる場所だと思う。(85頁)
ひとりで深く入る山。できるだけ自然のまま、あるがままの姿を確認できる山。そんなものに強く惹かれる。(85頁)
理想のリーダーとは、気分がコロコロ変わらないこと、できるだけ否定的な考え方をしない常に明るく前向きな人。決断は早く的確に。楽しい気持ちを共有できる人。そういうものをすべて備えた田部井淳子さんのような人を言うと思う。(152頁)
何に対しても慣れるということがないというか、熟練の境地になれない。これは山も仕事も同じだった。
たとえ同じ山に登っても、同じことは一度もないから、その都度新たに立ち向かえる。ある意味毎回初めてと同じこと。おかげでいつまでも新鮮に感動できるのがまた嬉しい。(227頁)
山は自分でシナリオを書きながら登っている。出会う人、出会う自然を肌で感じ、目に入るすべてのものから受けることを紡いでひとつのストーリーを描きながら登る。(229頁)
自然からの豊かな贈り物を受け取り、味わいながら歩くのが、私の登山だ。毎回違い、同じ山でも同じことはまずない。そのたびに味わいが違い飽きることもない。(278頁)
学びは究極の遊びです。(278頁)

(市毛良枝さんにとって)久しぶりの本ということで、
『73歳、ひとり楽しむ山歩き』には、山のことだけではなく、
海、船、ダンス、コンサート、介護、病院、劇場、舞台……などなど、
内容は多岐にわたっている。
なので、『山なんて嫌いだった』よりは若干まとまりがないようにもみえる。
だが、初心者であった頃よりは山への思いはより深くなり、
自分の山をやることへのこだわりは一層強くなっている。
そういう意味では、
CHAPTER 3「自分の山をやりなさい」の
テントを担いでの南アルプス単独縦走のレポ、
「念願の『自分の山』をやれた夏」は読み応えがある。

「年齢を気にしないと言っても、60歳を越える頃から別れは格段に増えた」(273頁)
と、著者自身が語るように、多くの人との別れも記してある。
田部井淳子さん
ジャック・T・モイヤーさん
宮田八郎さん
木村道成さん
加藤則芳さん
そして、母親……
人間は生きものであり、自然の一部である。
亡くなった人たちは、皆、自然の一部として生きている人であった。
田部井淳子さんの配偶者であった田部井政伸さんの、
「人間が残せるのは、その人が生きた時間だけ」
という言葉が身に沁みた。
俳優業や介護で中断しながらも、市毛良枝さんが30年間山を歩き続けて見つけたのは、
「山の中で見るものはすべてが美しい」
「歳を重ねるほど、景色は美しくなる」
ということだった。

私も、『73歳、ひとり楽しむ山歩き』ならぬ、
「70歳、ひとり楽しむ山歩き」を実践していきたいと思っている。
