一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

南谷真鈴『冒険の書』 ……国内最年少で7大陸最高峰を制覇した美しき女性……

2017年01月31日 | 読書・音楽・美術・その他芸術


国内最年少(19歳5ヶ月)で7大陸最高峰を制覇した、
逞しくも美しき女性が書いたワクワクするような冒険の書である。


私は、以前、このブログで、次のように記している。

三浦雄一郎さんの「世界最高齢でのエベレスト登頂」や、
栗城史多さんの「世界七大陸最高峰の単独無酸素登頂に挑戦」や、
イモトアヤコさんの「エベレスト登頂への挑戦」などがTV放送されると、
その度に「どう思うか?」と訊いてくる友人がいるのだが、
私はいつも「関心がない」と答えている。
なぜなら、登山という行為は、
あくまでも「個人的」なものだと思うからだ。

人によっては、
「大名行列のような登山」とか、
「無酸素が評価されるのはエベレストだけ」とか、
「ガイドに登らせてもらって、ヘリで下山するって、それって登山?」
などと揶揄するような意見を吐く人もいるが、
私は、そんなことすら思わなくて、
とにかく関心がないのだ。
登山は、
自分で計画し、
自分の実力で、
自分のお金を使って、
登るものだと思っている。
だから、それ以外の登山には興味がないし、
「関心がない」としか答えようがないのだ。


このように、
三浦雄一郎さん、栗城史多さん、イモトアヤコさんなどの登山には無関心であったが、
数年前、山と渓谷社の雑誌で南谷真鈴さんの連載記事を読んでからは、
彼女の挑戦には関心を持っていたし、注目していた。
スポンサーはつけていたようだが、
すべて自分で交渉し、自分の力だけで挑戦していたからだ。
それに、なんといっても、若くて、賢くて、美しい。(コラコラ)


【著者プロフィール】
南谷真鈴(みなみや・まりん)
1996年12月20日、神奈川県生まれ。
幼少時から約12年間海外で生活。
2011~13年に香港の山々をあらかた登り、ネパール、チベットの山々も経験。
英国エディンバラ公国際アワード受賞。
2016年5月、日本人最年少で世界最高峰エベレスト登頂、
同年7月、デナリに登頂し、日本人最年少でセブンサミッターとなった。
現在、早稲田大学政治経済学部に在学中。



ちなみに、七大陸最高峰とは、
アジア大陸:エベレスト(ネパール・中華人民共和国、8,848m)
ヨーロッパ大陸:エルブルス山(ロシア連邦、5,642m)
北アメリカ大陸:デナリ(アメリカ合衆国、6,194m)
南アメリカ大陸:アコンカグア(アルゼンチン、6,959m)
アフリカ大陸:キリマンジャロ(タンザニア、5,895m)
オーストラリア大陸:コジオスコ(オーストラリア、2,228m)
南極大陸:ヴィンソン・マシフ(南極半島付近、4,892m)

のこと。


12歳の時に、ネパールの女性登山家、ニムヂマ・シェルパさんについての新聞記事を読んでインスピレーションを受け、登山を始める。
父親の仕事の関係で香港にいた時は、香港にあるすべての山を登り、
いつの日かエベレストに登ることを決意する。

南米大陸最高峰アコンカグアに向けて具体的なプランニングを始めたのは17歳、
2014年の夏だった。
南谷真鈴さんは高校3年生。
見据えていたゴールのエベレストへ向けて、高所順応のステップとして、
7000m峰(正確には6959m)のアコンカグアを選択。
この頃はまだ七大陸最高峰など考えていなかった。
学校の授業が終わると登山に関連する企業にメールして、
遠征サポートのお願いをするようになるが、
両親には相談しなかった。
自分がやると決めたことだから、全部自分の力でやりたかったのだ。
もしもアコンカグアで何かあったら、
もう二度と山には行かせてくれないと想像していたので、
両親には絶対に頼らないという強い意思を持っていた。
メーカーやマスコミなど、いろいろな会社を回り、
本書の出版元である山と渓谷社にも、その時初めて訪ねている。
「エベレストにチャレンジするので、私の記事を書いてくれませんか?」
と、直談判しているのだ。
そんな高校生の計画に、最初に共感してくれ、必要な登山用具をサポートしてくれたのが、
老舗登山メーカーのMILLET(ミレー)だった。
遠征資金は、彼女の新聞記事を読んだという人の寄付で、
すべての費用をカバーすることができたという。
寄付をしてくれたのは、まったく知らない人で、
「山が好きなんだけれど、体が不自由で自分は登れないから、あなたに代わりに登ってほしい。そして、その写真と経験を分けてほしい」
と話されたそうだ。
受験勉強をしながら、アコンカグアへのトレーニングも毎日やった。
そして、誰の見送りもなく、たった一人で出発。
現地で行動を共にするクライマーたちと合流し、
2015年1月、見事、登頂する。


それから2年弱の間に、
ものすごいスピードで、次々とセブンサミッツを含む山々を登るのだ。


【南谷真鈴さんの登頂記録】
2015年
1月、アコンカグア登頂
7月、キリマンジャロ登頂
8月、モンブラン登頂
10月、マナスル登頂
12月、コジオスコ登頂
12月、ヴィンソン・マシフ登頂
2016年
1月、南極点到達
2月、カルステンツ・ピラミッド登頂
3月、エルブルス登頂
5月、エベレスト登頂(日本人最年少)
7月、デナリ登頂





この間、すべてが順調だったわけではない。
2015年3月に、
八ヶ岳にある標高2805mの阿弥陀岳で、下山途中に滑落。
行方不明となりニュースにもなったが、奇跡的に生還している。


むくつけき男たちから、
「ここは小娘が来るような場所じゃない」
と言われたり、
エベレストでは、7300mのC3で、テントに一人でいる時に、
パーソナルシェルパから襲われそうになったりもした。

私は眠っていましたが、なにか音がするなと思って目を開くと、なんとそいつが半裸で、私のシュラフを開けようとしているではないですか! 「Oh my god!」高所での悪夢じゃないと気づき、リーダーの名前を何度も叫んだのですが、寝ていて誰も来てくれない。薄い酸素に息も絶え絶え、テントから出れば7300mの暗闇、急勾配を転がり落ちてしまうかも……!? もう頭の中は真っ白で、倒れそうになりましたが、「だてにジムで鍛えているんじゃないぞ!」と怒りが爆発。きっちり相手をブロックして撃退し、テントの外へと追いやりました。


様々な苦難を乗り越え、
南谷真鈴は、ついに、国内最年少で7大陸最高峰を制覇する。


最終章の「これからのこと」で、
彼女は、これからやりたいことを、いくつか書いている。

①「探検家グランドスラム」の達成
「探検家グランドスラム」とは、七大陸最高峰と、南極点・北極点を踏破することで、
七大陸最高峰と、南極点到達は達成しているので、残りは北極点のみ。
②人力オンリーのヨットで、世界一周をすること。
③自分の将来の家族形成
④自分のキャリアの追求
⑤人間として地球や世の中に貢献すること


それぞれの具体的な内容は、本書を読んでもらうとして、
彼女のしっかりとした考えに、私はすっかり感心してしまった。
7大陸最高峰の制覇が最終目標ではなく、
単なる通過点でしかなかったのだ。
7大陸最高峰制覇以降のことも、しっかり見据えていたのだ。


〈20歳の頃に、これほどまでに自分の人生を考えていただろうか……〉
自分に問うてみたが、
思わず笑ってしまうほどに、なんにも考えていなかった。
本書を読んで、
彼女の成したこと、これから成そうとすることは、本当に素晴らしいと思った。

南谷真鈴さんは、『冒険の書』の最後を、
次のような言葉で締めくくっている。

私のエベレストとセブンサミッツは、自分の可能性を追求し、知る術でした。どんな世界や人が待っているのか、経験して実感するために7つの大陸に行って山々に登った。17歳から自分の熱意で貫いてできた自己実現の一種でもありました。セブンサミッツでは、自分の世界観が人との関わりで広がったと思えます。多くのさまざまな人に出会って話をして、励まされました。次のセイリングプロジェクトは自然と自分との対峙と共存です。山で学んだ大切なことの本質を、今度は自然との力で拡げていきたい。そして、得るものが人々の夢の実現にも貢献できるようにしたいと思います。
私がメッセージとして心から伝えたいのは、自分の前にある壁を障害と見ないでほしいということです。本当に不可能なことはない。どんな高い山でもきっと越えられるのですから。


これからも、彼女は、どんな高い壁も、山も、軽々と越えていくに違いないし、
このメッセージを受け取った若者たちが、
様々なことにチャレンジしてくれることにも期待したい。
若く、美しい冒険家・南谷真鈴さんが、
今後、どのような活躍を見せてくれるのかを、楽しみに待ちたいと思う。
〈いや、待つだけではなく、中高年世代の私も、何かにチャレンジしなくっちゃ!〉
そんな気持ちにさせてくれた一冊であった。

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