一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

『6days 遭難者たち』(安田夏菜)……女子高校生3人の遭難を描いた児童文学……

2024年11月01日 | 読書・音楽・美術・その他芸術
 

先日、図書館に行った折、
新着図書コーナーで、“ジャケ買い”ならぬ“ジャケ借り”をした。
装幀が、遭難事故の新聞記事のようだったので、
中身を確かめもせずに、表紙だけを見て、
〈山での遭難事故を扱ったドキュメントだろう……〉
と、勝手に思った次第。


日頃、羽根田治さんの「ドキュメント山岳遭難シリーズ」などを愛読していたので、
同じ類いの本だと思ったのだ。
帰宅して、読もうとしたら、
それは、なんと、遭難を題材にした小説で、しかも、
漢字にフリガナが振られていることや、語り口の平明さから、児童文学のように思われた。
調べてみると、はたして、著者・安田夏菜さんの肩書きは児童文学作家だった。


【安田夏菜】(ヤスダ・カナ)
兵庫県西宮市生まれ。大阪教育大学卒業。『あしたも、さんかく』で第54回講談社児童文学新人賞に佳作入選(出版にあたり『あしたも、さんかく 毎日が落語日和』と改題)。第5回上方落語台本募集で入賞した創作落語が、天満天神繁昌亭にて口演される。『むこう岸』で第59回日本児童文学者協会賞、貧困ジャーナリズム大賞2019特別賞を受賞。国際推薦児童図書目録「ホワイト・レイブンズ」選定。『セカイを科学せよ!』が第68回読書感想文全国コンクール課題図書となる。ほかの著書に、『ケロニャンヌ』『レイさんといた夏』『おしごとのおはなし お笑い芸人 なんでやねーん!』(以上、講談社)、『あの日とおなじ空』(文研出版)など。日本児童文学者協会会員。


今年(2024年)の5月、NHKで『むこう岸』というTVドラマが放送されたのだが、


そのドラマを観て感動させられていた私は、
〈安田夏菜さんはあのドラマの原作者だったのか……〉
と思い、
あのドラマの原作者の新作ならばぜひ読みたいと思った。
これまで児童文学の類いはあまり読んでいなかったが、
題材が山岳遭難ということで、
興味津々で読み始めたのだった。



主な登場人物は、同じ高校に通う3人の女子高校生だ。

高校1年生(15歳)の坂本美玖は、登山部に入部したものの、
体力には自信があったが、「読図」「天気図」「止血法」などの勉強がイヤで退部する。
そのとき、登山部顧問の富樫公平から、
「坂本さん、入部するとき、槍ヶ岳に登りたいって言ってたよな」
と問われ、
「はい」
と答えると、
「ぜって̶、登んないでね。一生、山には登んないほうがいいよ̶」
と嫌味を言われる。
美玖は、小声で、
「人の勝手じゃん。登山部やめたって、槍ヶ岳には登るから!」
と毒づくのだった。


槍ヶ岳に登ることは、祖父との約束だった。
祖父は、元富山県警の警察官で、山岳警備隊の一員として活躍していた。
美玖が小学2年生のときに、祖父と一緒に北アルプスの山に登り、
疲れて歩けなくなった美玖を、祖父は抱っこして軽々と山道を登ってくれた。
じいちゃんは強い人だった。
だが、翌年、祖父は脳梗塞になり、命は助かったが、手足が不自由になった。
もう山には登れなくなった。
家でぼんやり過ごすうちに、認知症の症状も出てきて、
じいちゃんはもう昔のじいちゃんではなくなった。
いるのは、不安げに目をキョトキョトさせ、おなじことばかり言っている、おしっこ臭い老人だった。
中学3年生になって、高校受験をしているとき、
「美玖、槍ヶ岳に一緒に登ろうな。いい山やぞ」
と何度も繰り返す祖父に、
「うるさ̶い! なんべんおなじこと言ったら気がすむの? バッカみたい」
とキレた。
祖父が行方不明になったのは、その日の夕方で、見つかったのは、翌朝だった。
家から10数キロも離れた、国道にかかった歩道橋の階段から転げ落ち、息絶えていた。
78歳だった。
美玖は後悔した。
嘘でも「一緒に登ろうね」と言ってやればよかった。
現実が重すぎて逃げ出したかった。
だから、登山部のポスターを見たとき、これだって即決したのだ。
だが、登山部に入部したのに、まさか机に向かって勉強させられるとは思わず、
4ヶ月もせずに退部してしまった。


シングルマザーに育てられた河合亜里沙は、
美玖とおない年で、小中高も同じで、同じマンションに住んでいる。
だが、美玖とは小6と中1のときにクラスが同じだっただけで、
特に仲が良いわけではない。
亜里沙が中3の夏休みのこと、
母親の胸に「良性のできもの」が見つかり、
「乳がんになったら大変だから、念のため」と入院して切除手術を受ける。
母は明るいし、どんなに寄りかかっても受け止めてくれる存在。
だが、ある日、母が伯母さんと会話しているのを偶然聴いてしまい、
母が本当は「乳がん」であったことを知る。
早期の乳がんは生存率90%らしいが、亜里沙はショックを受ける。
不安で夜も寝付けない。
スマホで占いサイトに、自分の名前や生年月日などを入力すると、
パッと結果画面が表示された。
そこには二つのラッキーアイテムが書かれてあった。
「ひとつは、山。山に登ってみましょう。大自然の波動があなたの不安を消し去るでしょう。もうひとつは、キラキラ光るものです。常に身につけてください。きっとあなたに幸運をもたらします」
引き出しを探すと、コンパクトミラーが出てきた。
フェイクジュエリーがついてキラキラしている。
これを持ち歩くことにする。
あとは山だ。
「あの子、登山部じゃなかったっけ」
と、坂本美玖のことを思い出す。
すがる思いで話を持ちかけると、
美玖はあっさり乗ってきてくれた。
そして登山計画を立てて、メッセージで送ってくれたのだ。


当初、登山に行くのは美玖と亜里沙だけだったが、メンバーがもうひとり増える。
亜里沙のクラスメイト、川上由真だ。
亜里沙が由真もん(くまモンに似ているから)に登山のことを話すと、
「へー、いいなあ、登山」
と、うらやましげな声を出した。
「あたしも一緒に連れてってくんない? 山の上でさ、コーヒー淹れて飲むの憧れなんだよね。それに……大自然の中で、無になってみたいし」
由真には双子の妹たちがいるのだが、異父姉妹。
世間にはよくある話で、母と父は離婚して、
そのあと母が今のパパさんと再婚して、妹たちが生まれたのだ。
母が父と別れたのは小5の秋で、
翌年、小6の冬に母は今のパパさんと再婚して、中1の冬には双子の妹たちが生まれた。
2歳半になった妹たちは、キッズモデル並みに可愛く、
そこに40歳なのに30歳に見られる母と、小柄で童顔のパパさんが加わると、
仲良しのウサギの家族みたいだ。
そのウサギさん一家の中で、私だけがクマ。笑える。
中3の秋、隣のクラスの女子が、朝、校門の前でふらっとしゃがみこんだ。
あわてて駆け寄り、助け起こそうと腕を引っ張ったとき、
その子の手首に、何本もの平行に走った傷跡を見つける。
リスカの跡だってすぐにわかった。
よく自分で自分の皮膚を切ったりできるね、と思いながら、その傷跡がどうしてだかくっきり目の奥に焼きついて、忘れられなくて、
気がついたらその夜、カッターで自分の腕の内側を薄く切っていた。



「亡くなった山好きの祖父との後悔を胸に抱く美玖」
「大好きな母の乳がん再発におびえる亜里沙」
「再婚し、幸せな家族の中で孤独を感じる由真」

と、3行で片付けようと思えば片付けられるにもかかわらず、
3人の背景をある程度詳しく記したのは、
この小説が単なる遭難の物語ではなく、
3人の女子高校生の青春物語、成長物語にもなっているからだ。
私は、このレビューのサブタイトルを、
……女子高校生3人の遭難を描いた児童文学……
としているが、
児童文学にとどまらない、大人の鑑賞にも耐えうる青春小説でもあるのだ。
そこが素晴らしい。


美玖が立てた登山計画は、
〇行き先・鎌月岳(標高1712m)
〇日程・8月17日
4:30出発。(美玖の兄が自家用車で送る)
7:00ロープウエイの駅着
7:30登山口着
10:30頂上着
(昼飯&休憩)
12:30下山開始(行きと同じルート)
15:00頃、ロープウエイの駅着
公共交通機関を乗り継ぎ、
19:00頃帰宅

鎌月岳は標高1712mだが、
麓からロープウエイが通っていて、標高900m付近まで歩かずに行ける。
なので、実際に登るのは800mほどなのだ。
ロープウエイの駅に予定よりも早く着いたので、始発のロープウエイに乗れ、
6:45にはもう鎌月岳の登山口に到着した。
登山口に設置された箱に、美玖が登山届を投函する。
そして、出発。
登山経験があるのは美玖だけ。
山頂への最後の登り、階段状の登山道で、
「もう、無理」
と、亜里沙が弱音を吐く。
「リュック、貸して。あたしが持ってあげる」
と、由真がリュックを受け取り、自分の右肩にぶら下げる。
由真は意外と体力があるようだ。
そして、ついに、鎌月岳山頂に到着する。
360度の展望。群青色の空。
3人は感動する。
記念写真を撮り、その後、ランチにする。
おにぎりやパンを食べ、コーヒーを淹れて飲む。
順調に時間は経過していた。
「あー、まだ11時過ぎじゃん」
腕時計を見ながら、美玖がつぶやく。
「予定よりずうっと早いよ。このままだと1時半ごろには、ロープウエイに乗れちゃうかも」
「そんなに早く帰っちゃうの?」
亜里沙が眉をひそめる。
「せっかく来たのに、もったいない気がしてきた」
スマホをいじっていた亜里沙が、
「……あ、こんなところがあるみたい」
と、来た道とは反対側の下山道にある津ヶ原温泉に、立ち寄り湯があることを知らせる。
「ちょっと古い情報だけど、この温泉からロープウエイの駅まで、送迎バスが出てるみたい。だからこの温泉目指して、下りてみるのはどう?」
「いいじゃん」
「行こう行こう、そこに寄って帰ろう」
「登山計画は変わるけど、悪くないね」
と、美玖もうなずく。
温泉方面への下山道は、行きとは違い、あまり整備されていなかった。
しばらく下りると、大きな石がごつごつと露出した道に変わり、やがて林道になった。
「あれ?」
先頭の美玖が立ち止まった。
「これ、どっちに行くんだろ」
山道が二股になっていた。
美玖がスマホを取り出し、地図アプリを見ようとするが、
地図をダウンロードしていないことに気づく。
ダウンロードしようとしても、電波が弱く、何回やってもタイムアウトになってしまう。
美玖は、
「こっちみたいな気がする」
と分かれ道の右の方を指さす。
道沿いの杉の木の幹にピンクのテープが巻かれていたからだ。
「登山部の先輩が『ピンテ』って呼んでたやつだ。こっちが正しい道ですって示す、道標だよ」
「ほんとだー。美玖ちゃんが言うならまちがいないね。私、美玖ちゃんについてくから」
亜里沙と由真が言い、右の下山道に足を踏み入れるのだった……



結論から言うと、
右の道は間違いであり、3人は遭難し、6日間も山の中を彷徨い続けることになる。
そして、3人が行こうとしていた温泉はとっくの昔に閉館しており、
そもそも存在していなかったのだ。
日帰り登山だからと、3人は、非常食も持たず、防寒着も持たず、ヘッドランプやエマージェンシーシートも持っていなかった。(美玖だけがヘッドランプのみ持っていた)
スマホは圏外で、やがてバッテリー切れ。
野宿するも、水が尽き、食料も尽き、体調を崩し、低体温症になり、熱も出て、怪我もする。
そして幻覚も見るようになる。
羽根田治さんの「ドキュメント山岳遭難シリーズ」を読んでいるような悲惨な物語が展開する。
女子高校生が遭遇するには、あまりに過酷な、過酷すぎる展開に、慄然となる。
小学生、中学生、高校生が読んだら、「山は恐い」と印象づけられる恐れもある。
そのことに関して、著者の安田夏菜さんは、あとがきで、

ここまで読んで、「山って恐ろしい」と感じてしまった読者さんも多いのではないかと思います。まだ山に登ったことのない人たちに、怖いイメージばかり与えてしまったかもしれません。けれども山には、得もいわれぬ魅力があります。こういう危険があると知っていても、それでも登らずにいられないほどの。
(中略)
代わり映えしない毎日の中、心が重たくなっているあなた。こんな物語を書いておいて、こんなことを言うのもなんですが、一度山に登ってみませんか? きちんと計画を立てて、装備を万全にして。

巻末には、
山岳遭難アドバイザー羽根田治さんのコラム、
「遭難を防ぐための五か条」も掲載されており、
登山の入門書の役割も果たしている。






本書に冒頭には、植村直己さんの、
「冒険とは、死を覚悟して、そして生きて帰ることである」
という言葉が掲げてある。


植村直己さん自身は、アラスカの山に冬季単独登頂したあとに消息を絶って、
いまだに帰ってきていないが、
この植村さんの言葉が、この物語のラストに大きく関わってくる。
大きな意味合いを持ってくる。
子供たちや孫たちにもぜひ読ませたい一冊だ。

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