以前、「人生の一日」(1)で、
……私の人生の中では私が主人公なのだと再認識する……
とのサブタイトルを付して、
世の中なんて、ぜんぶワタシの背景だ。
という、『毎日読みたい365日の広告コピー』という本の中にあるコピーを紹介し、
さらに、
あなたは教えてくれた 小さな物語でも
自分の人生の中では 誰もがみな主人公
時折思い出の中で
あなたは支えてください
私の人生の中では
私が主人公だと
という、さだまさしの「主人公」という曲の歌詞も紹介した。
故に、
「私の人生の中では私が主人公なのだ」と再認識したのであるが、
先日、古い私の手帳を読んでいたら、
次のような言葉を書き写していた。
どんな人だってその人の人生という舞台では主役である。そして自分の人生に登場する他人はみなそれぞれの場所で自分の人生の傍役(わきやく)のつもりでいる。
だが胸に手をあてて一寸、考えてみると自分の人生では主役の我々も他人の人生では傍役になっている。
いい傍役だったろうか?
遠藤周作の『生きる勇気が湧いてくる本』という本の中の言葉である。
当然のことながら、物語は主役だけでは成り立たない。
いい傍役がいれば、それだけ人生という物語も豊かになる。
自分が主役だからと言って、まわりの人を粗略に扱うのは“いい主役”とは言えない。
また、自分の人生と同じように、人には人の人生があり、
その人の人生では、その人が主役であり、自分は傍役である。
「自分の人生では自分が主役である」ということには気づけたが、
「他人の人生においては自分は傍役である」ということにまでは考えが至らなかった。
そのことに、遥か昔に気づき、メモしていたのに、
今まで忘れていたこともショックであった。(笑)
今、あらためて己に問う。
「私は、他人の人生において、いい傍役であったろうか……」と。