私がブログ「一日の王」を開設したのは、2007年10月だった。
(それ以前の記事もあるが、それは後から付け加えたもの)
ブログをスタートさせて間もない2007年11月8日に、私は、
映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年11月3日公開)のレビュー(←クリック)を書いている。
レビューというにはお恥ずかしいほどの拙い文章であったが、
それから7ヶ月後の2008年6月14日に、コメントが入った。
コメントを書き込んで下さったのは、肉まんさん。
リンクからリンクしているうちに飛んできて、ブログを拝見させてもらいました。
とあるから、ネットサーフィンしているうちに「一日の王」に辿り着かれたのだろう。
(この日は、肉まんさんが「一日の王」を見て下さった記念すべき日……かな?)
コメントで、肉まんさんは書いている。
『ALWAYS 三丁目の夕日』はいい作品でしたね。
最初のはスクリーンで4回観て、続も2回観ました。
最初の映画を観て、私はまた映画にハマリだしたんです。
スクリーンで、
『ALWAYS 三丁目の夕日』を4回、
『ALWAYS 続・三丁目の夕日』を2回も見たとのこと。
これはスゴイこと。
昔の映画館は入れ替えなしだったので、
一度映画館に入れば、一日何回でも見ることができた。
入れ替え制になってからは、
同じ映画を見に何回も映画館に通う人は稀だ。
それなのに肉まんさんは何度も映画館に足を運んだという。
それほどの吸引力をもった作品であったのだ。
肉まんさんは、コメントをこう続ける。
2年前から年間だいたいスクリーンで30本くらい観てます。
映画の素晴らしさを教えてくれたのは、私はやはりこの『三丁目の夕日』でしたね。
涙が知らず知らずに、とめどなく出たいい作品でした。
かく言う私も、肉まんさんほどではないが、
「正・続」それぞれ二度映画館で見ている。
そして私もかなりの量の涙を流している。(笑)
私にとっても、この『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズは、特別の作品であったのだ。
その『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズの第3弾
『ALWAYS 三丁目の夕日'64』が公開された。
公開日(2012年1月21日)の昨日は仕事だったので、
今日(1月22日)映画館へ駆けつけた。
ここで、ざっとおさらいをしておくと、
第1弾の『ALWAYS 三丁目の夕日』は、
昭和33年(1958年)の春から年末までを、
第2弾の『ALWAYS 続・三丁目の夕日』は、
前作の終了時点から4ヵ月後の昭和34年(1959年)春を、
東京の下町を舞台として描いている。
そして今回の第3弾『ALWAYS 三丁目の夕日'64』は、
タイトルにあるように、続編から5年後の1964年(昭和39年)。
1964年(昭和39年)といえば、東京オリンピックが開催された年。
焼け野原だった東京が復興し、高度成長期のピークを迎え、
戦後日本の最も輝いていた時代といえる。
小説家の茶川竜之介はヒロミと結婚し、
高校生になった古行淳之介と3人で仲良く生活している。
ヒロミは身重で、もうすぐ家族が一人増える様子。
茶川は「冒険少年ブック」の看板作家として連載を続けているが、
相変わらず生活は苦しく、
ヒロミが一杯飲み屋「やまふじ」を営みながら暮らしを支えている。
一方、鈴木則文とその妻・トモエ、一人息子の一平、住み込みで働く星野六子が暮らす鈴木オートは、順調に事業を拡大し、店構えも立派になり、カラーテレビも買うことができた。
いつもはここからストーリーのさわりを書くのだが、
今回は何も書かずにおこうと思う。
先入観なしで見てもらいたいからだ。
だから写真もストーリーが判るものは載せない。
それでは何も判らないではないか……と仰る方に、一言だけ、
「六ちゃん(堀北真希)と淳之介(須賀健太)が巣立つ話」
とだけヒントを与えておこう。
血のつながりはないけれど、鈴木家と茶川家で、それぞれ家族同然に暮らしてきた二人が、どのようにして巣立っていくのか……
もう、私なんか、最初から最後まで、ずっと泣いていたような気がする。
3.11はクランクイン後だったそうだが、
「家族の絆」の重要性がクローズアップされている今の日本にあって、
この作品が持つ意味は、ことに大きく感じられる。
何もない焼け野原から立ち直った日本、
東京オリンピックで世界に復興をアピールした日本を描きながらも、
発展や出世や金儲けとは対極にあるもの、
家族や友人との絆の大切さを描く。
単なるノスタルジーに終わらず、
未来への警鐘も忘れてはいない。
本当によくできた物語だと思う。
第一作と第二作は、
原作漫画(西岸良平『三丁目の夕日』)をベースにしているのに対し、
三作目となる今回は、原作から離れた映画オリジナルの物語。
特に脚本(古沢良太・山崎貴)が素晴らしいと思った。
監督の山崎貴はもちろん、第一作から脚本に携わっている古沢良太のホンが際立っている。
【古沢 良太】(1973年8月6日生まれ)38歳。
脚本家、戯曲家、イラストレーター。
2002年、『アシ!』で第2回テレビ朝日21世紀新人シナリオ大賞を受賞しデビュー。
『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)
『キサラギ』(2007年)※原作兼任
『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年)
『釣りキチ三平』(2009年)
『60歳のラブレター』(2009年)
『探偵はBARにいる』(2011年)
『ALWAYS 三丁目の夕日'64』(2012年)
作品数は少ないものの、印象深い作品ばかりである。
TVドラマ『ゴンゾウ 伝説の刑事』、『相棒』シリーズ、『鈴木先生』などの脚本も手掛けていて、その実力は実証済み。
この作品に関わっている主要スタッフは、
映画の設定年代の1964年という時代を知らない人ばかり。
監督の山崎貴は、1964年生まれ。
脚本の古沢良太は、1973年生まれ。
音楽の佐藤直紀は、1970年生まれ。
あの時代を知らない人たちが創りだした世界に、
あの時代を生きた我々が違和感なく入り込んでいける不思議。
今回の作品は、2D、3D、どちらでも鑑賞できるようになっているが、
私は2Dで見てきた。
映像が目立ち過ぎてストーリーに入り込めないかも……と心配したためだが、
次回は3Dで見ようかと思っている。(また見るのかよ~)
上映時間は142分であったが、
長さをまったく感じなかった。
もっとあの空間にいたいと思った。
『ALWAYS 続・三丁目の夕日』のレビューにも書いているけれど、
薬師丸ひろ子と小雪が出ているという理由だけで、
7年前に『ALWAYS 三丁目の夕日』という映画を見た。
そして、5年前に『ALWAYS 続・三丁目の夕日』を見た。
『ALWAYS 三丁目の夕日'64』における
薬師丸ひろ子、
小雪、
どちらも本当に素敵だった。
また、いつの日か、二人に逢えるのだろうか……
できれば、あの二人に、
そして三丁目のみんなに、
もう一度逢えれば……と思っている。
……逢いに行きたいと思っている。
(それ以前の記事もあるが、それは後から付け加えたもの)
ブログをスタートさせて間もない2007年11月8日に、私は、
映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年11月3日公開)のレビュー(←クリック)を書いている。
レビューというにはお恥ずかしいほどの拙い文章であったが、
それから7ヶ月後の2008年6月14日に、コメントが入った。
コメントを書き込んで下さったのは、肉まんさん。
リンクからリンクしているうちに飛んできて、ブログを拝見させてもらいました。
とあるから、ネットサーフィンしているうちに「一日の王」に辿り着かれたのだろう。
(この日は、肉まんさんが「一日の王」を見て下さった記念すべき日……かな?)
コメントで、肉まんさんは書いている。
『ALWAYS 三丁目の夕日』はいい作品でしたね。
最初のはスクリーンで4回観て、続も2回観ました。
最初の映画を観て、私はまた映画にハマリだしたんです。
スクリーンで、
『ALWAYS 三丁目の夕日』を4回、
『ALWAYS 続・三丁目の夕日』を2回も見たとのこと。
これはスゴイこと。
昔の映画館は入れ替えなしだったので、
一度映画館に入れば、一日何回でも見ることができた。
入れ替え制になってからは、
同じ映画を見に何回も映画館に通う人は稀だ。
それなのに肉まんさんは何度も映画館に足を運んだという。
それほどの吸引力をもった作品であったのだ。
肉まんさんは、コメントをこう続ける。
2年前から年間だいたいスクリーンで30本くらい観てます。
映画の素晴らしさを教えてくれたのは、私はやはりこの『三丁目の夕日』でしたね。
涙が知らず知らずに、とめどなく出たいい作品でした。
かく言う私も、肉まんさんほどではないが、
「正・続」それぞれ二度映画館で見ている。
そして私もかなりの量の涙を流している。(笑)
私にとっても、この『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズは、特別の作品であったのだ。
その『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズの第3弾
『ALWAYS 三丁目の夕日'64』が公開された。
公開日(2012年1月21日)の昨日は仕事だったので、
今日(1月22日)映画館へ駆けつけた。
ここで、ざっとおさらいをしておくと、
第1弾の『ALWAYS 三丁目の夕日』は、
昭和33年(1958年)の春から年末までを、
第2弾の『ALWAYS 続・三丁目の夕日』は、
前作の終了時点から4ヵ月後の昭和34年(1959年)春を、
東京の下町を舞台として描いている。
そして今回の第3弾『ALWAYS 三丁目の夕日'64』は、
タイトルにあるように、続編から5年後の1964年(昭和39年)。
1964年(昭和39年)といえば、東京オリンピックが開催された年。
焼け野原だった東京が復興し、高度成長期のピークを迎え、
戦後日本の最も輝いていた時代といえる。
小説家の茶川竜之介はヒロミと結婚し、
高校生になった古行淳之介と3人で仲良く生活している。
ヒロミは身重で、もうすぐ家族が一人増える様子。
茶川は「冒険少年ブック」の看板作家として連載を続けているが、
相変わらず生活は苦しく、
ヒロミが一杯飲み屋「やまふじ」を営みながら暮らしを支えている。
一方、鈴木則文とその妻・トモエ、一人息子の一平、住み込みで働く星野六子が暮らす鈴木オートは、順調に事業を拡大し、店構えも立派になり、カラーテレビも買うことができた。
いつもはここからストーリーのさわりを書くのだが、
今回は何も書かずにおこうと思う。
先入観なしで見てもらいたいからだ。
だから写真もストーリーが判るものは載せない。
それでは何も判らないではないか……と仰る方に、一言だけ、
「六ちゃん(堀北真希)と淳之介(須賀健太)が巣立つ話」
とだけヒントを与えておこう。
血のつながりはないけれど、鈴木家と茶川家で、それぞれ家族同然に暮らしてきた二人が、どのようにして巣立っていくのか……
もう、私なんか、最初から最後まで、ずっと泣いていたような気がする。
3.11はクランクイン後だったそうだが、
「家族の絆」の重要性がクローズアップされている今の日本にあって、
この作品が持つ意味は、ことに大きく感じられる。
何もない焼け野原から立ち直った日本、
東京オリンピックで世界に復興をアピールした日本を描きながらも、
発展や出世や金儲けとは対極にあるもの、
家族や友人との絆の大切さを描く。
単なるノスタルジーに終わらず、
未来への警鐘も忘れてはいない。
本当によくできた物語だと思う。
第一作と第二作は、
原作漫画(西岸良平『三丁目の夕日』)をベースにしているのに対し、
三作目となる今回は、原作から離れた映画オリジナルの物語。
特に脚本(古沢良太・山崎貴)が素晴らしいと思った。
監督の山崎貴はもちろん、第一作から脚本に携わっている古沢良太のホンが際立っている。
【古沢 良太】(1973年8月6日生まれ)38歳。
脚本家、戯曲家、イラストレーター。
2002年、『アシ!』で第2回テレビ朝日21世紀新人シナリオ大賞を受賞しデビュー。
『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)
『キサラギ』(2007年)※原作兼任
『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年)
『釣りキチ三平』(2009年)
『60歳のラブレター』(2009年)
『探偵はBARにいる』(2011年)
『ALWAYS 三丁目の夕日'64』(2012年)
作品数は少ないものの、印象深い作品ばかりである。
TVドラマ『ゴンゾウ 伝説の刑事』、『相棒』シリーズ、『鈴木先生』などの脚本も手掛けていて、その実力は実証済み。
この作品に関わっている主要スタッフは、
映画の設定年代の1964年という時代を知らない人ばかり。
監督の山崎貴は、1964年生まれ。
脚本の古沢良太は、1973年生まれ。
音楽の佐藤直紀は、1970年生まれ。
あの時代を知らない人たちが創りだした世界に、
あの時代を生きた我々が違和感なく入り込んでいける不思議。
今回の作品は、2D、3D、どちらでも鑑賞できるようになっているが、
私は2Dで見てきた。
映像が目立ち過ぎてストーリーに入り込めないかも……と心配したためだが、
次回は3Dで見ようかと思っている。(また見るのかよ~)
上映時間は142分であったが、
長さをまったく感じなかった。
もっとあの空間にいたいと思った。
『ALWAYS 続・三丁目の夕日』のレビューにも書いているけれど、
薬師丸ひろ子と小雪が出ているという理由だけで、
7年前に『ALWAYS 三丁目の夕日』という映画を見た。
そして、5年前に『ALWAYS 続・三丁目の夕日』を見た。
『ALWAYS 三丁目の夕日'64』における
薬師丸ひろ子、
小雪、
どちらも本当に素敵だった。
また、いつの日か、二人に逢えるのだろうか……
できれば、あの二人に、
そして三丁目のみんなに、
もう一度逢えれば……と思っている。
……逢いに行きたいと思っている。