一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

徒歩日本縦断(1995年)の思い出・第10回「雄冬」 ……トンネルの連続……

2012年05月20日 | 徒歩日本縦断(1995年)の思い出
「雄冬」という地名に馴染みのある方は少ないと思う。
どこにあるかさえ知っている人は稀なのではないだろうか?
雄冬……
北海道の留萌・増毛から日本海沿いに南下した場所に位置し、
暑寒別の山々が海に沈みこむ海岸線には、
高さ100メートルを越す断崖が連なり、
陸上交通といえば、
かつては獣道にも劣るような細い山道を数十kmも行くより他はなかった。
ここへの交通は、
一日一往復していた増毛~雄冬間の定期航路しか交通手段がなく、
その上、時化で休航することも多く、
故に、雄冬集落は、長い間「陸の孤島」と呼ばれていた。
国道231号線の浜益から雄冬の国道が開通し、
全通の悲願が適ったのが1981年11月10日。
これで「陸の孤島」から解放されると思いきや、
1981年12月19日に、国道上の雄冬岬トンネルで大規模な崩落事故が発生。
国道は通行不能。
雄冬集落は再び「陸の孤島」へ逆戻りすることになる。
復旧工事が完了し、
雄冬岬トンネルが再度開通したのは1984年5月15日。
それでも冬季の増毛~雄冬の通行止めは依然続き、
この区間、および国道231号全区間が、一年を通して通行可能となったのは、
1992年10月22日のことであった。

その「雄冬」を私が知ったのは、
前回紹介した『駅 STATION』という映画によってであった。
主人公の英次(高倉健)の故郷が「雄冬」だったからだ。
英次は故郷の雄冬に帰ろうと、連絡船の出る増毛駅に降りる。
船の欠航で所在無い英次は、
女手ひとつで切り盛りする桐子(倍賞千恵子)の店に入る。
テレビでは八代亜紀の「舟唄」が流れている……
と、映画の話はこのあたりで止めにして、(笑)
そういうワケで、雄冬は、
増毛と共に、私が訪れたいと思っていた町(集落)のひとつであったのだ。

先程も述べたように、
この区間、および国道231号全区間が、一年を通して通行可能となったのは、
1992年10月22日のことである。
私がここを通ったのは1995年8月なので、
全面通年開通になって、わずか3年後のことであったのだ。

しかしながら、断崖絶壁が続く海岸線に道を通したので、
当然のことながら、国道231号線は、
トンネル(それもおそろしく長いトンネル)が連続する道となった。


増毛を出て、
最初に出くわすのが、大別苅トンネルである。
竣工が1992年なので、このトンネルの完成が、
すなわち国道231号線の通年開通になったものと思われる。


大別苅トンネルの長さは1992m。
約2kmあるので、通過には30分ちかくかかる。


トンネル内を通過するときには、
このような格好で歩いた。(笑)


別に怪しい者ではありません。(爆)
車の排気ガスなどでトンネル内の空気が汚いので、それ故のマスク着用。
それに、ザックなどに反射鏡・反射板を取り付け、
車に人の存在を知らせつつ、交通事故に遭わないように気をつけた。

トンネルを抜けると、またトンネル。


トンネルとトンネルの間では、海が見え、気持ちが和む。
マスクを取り、深呼吸。(笑)
再びトンネルに入って行く。


雄冬の集落が見えてきた。


雄冬には、立派なバス停があった。
この日のねぐらはここに決定。(笑)
寝る場所が決まると、ホッとする。


雄冬は夕陽の名所らしく、素晴らしい夕陽を拝むことができた。
私の徒歩日本縦断は、日本海側を歩いたので、夕陽の名所がたくさんあったが、
私がこれまで見た夕陽のナンバーワンは、ここ雄冬の夕陽である。


翌日、朝早くに出発。


再びトンネル地獄(笑)へと入って行く。


トンネルを出ると、またトンネル。(笑)
トンネルとトンネルの間に見える海が、唯一の楽しみ。


これは、ガマタトンネル。
竣工は1981年と、この国道231号線では古い方(かな?)
トンネルの長さは2060m。
ここも、通過するには30分ちかくかかる。(笑)


こうして、いくつものトンネルを抜け、
浜益村(2005年に石狩市へ編入され、現在は石狩市の地域自治区「浜益区」)へと入って行った。
この浜益村では、嬉しい出会いがいくつかあったが、
それは、また、次回で……

この記事についてブログを書く
« 登吾留山 ……シライトソウに逢... | トップ | 黒髪山系・隠居岳 ……ワクワク... »