一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『審判』で使われた「アルビノーニのアダージョ」について

2020年05月07日 | 映画

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※映画の結末に触れています。


「私の好きな映画音楽」の第3弾は、
『審判』(1963年)で使われた「アルビノーニのアダージョ」。

『審判』は、
フランツ・カフカの小説『審判』を映画化したもので、


監督は、『市民ケーン』のオーソン・ウェルズ。


アントワーヌ・チュダルと協力を得てオーソン・ウェルズ自身が脚色、
エドモン・リシャールが撮影を、
ジャン・ルドリュが音楽を担当している。
出演者は、
『サイコ』のアンソニー・パーキンス、
『エヴァの匂い』のジャンヌ・モロー、
『ボッカチオ'70』のロミー・シュナイダーなど。
弁護士役でオーソン・ウェルズも出演している。



ジョゼフ・K(アンソニー・パーキンス)は、
ある朝突然検察官と刑事に寝込みを襲われた。


「罪は何か?」Kは訊いたが検察官にも判らない。
刑事たちと共に、彼の会社の同僚までが来て、
隣室の踊り子・バーストナーの部屋で、Kの一挙一動を監視していた。


検察官は何事かメモして帰った。
踊り子バーストナー(ジャンヌ・モロー)が帰宅すると、
Kはさっき自分が逮捕されたことを話し、
同僚たちの非礼を詫びようとするが、


「あなたには聖人さえ目が眩む」と言い、
バーストナーについキスをしてしまう。


Kが会社へ行くと、そこには巨大な部屋に大勢の社員がいた。


Kは、この会社の副部長だった。


アパートへ帰ると、
足の不自由な知り合いの老女が追い出されて引っ越していくのに出くわす。
彼女は、Kの責任だと言わぬばかりに憤慨している。


夜、着替えてコンサートを聴きに音楽堂へ行くと、


例の検察官に呼びだされ、すぐに尋問委員会へ出頭するようにと地図を渡された。


大群衆がつめかけた法廷で、


予審判事は開口一番「君はペンキ屋だな!」と言った。


あまりの馬鹿らしい間違いにKは法廷を飛び出した。
法廷の廊下は自分の会社に通じていた。


Kの会社へ伯父のマックスが訪ねてきて、


不可解な容疑をはらすため友人の弁護士に頼んだらと、
弁護士(オーソン・ウェルズ)のもとへ連れていく。


レニ(ロミー・シュナイダー)という水かきのある娘にかしずかれる弁護士は、


「何とかコネを通じて取計らってやろう」と答えたが、
そこには弁護士のコネを待って何ヶ月もたのみこんでいる老人がいた。


そのうち弁護士は役所にコネのあるテイトレリという肖像画家をKに教えた。
テイトレリは階段の頂上にある鳥篭のようなアトリエに住んでいた。


Kが上っていくと無数の少女がついてきてKをもみくちゃにした。


テイトレリからは余りいい返事はもらえなかった。
Kは外へ出た。
そこは裁判所の廊下だった。




Kはひた走りに走った。


地下道を通って出たところは大伽藍だった。


説教壇から声があり、
「お前の罪は明白だ」「宗教もそれを救えない」
という。


Kは大伽藍を出た。
私服の警官が寄りそってきて無理矢理Kを荒野へ連れ出す。






Kを穴に追い込みナイフをつきつける。


「殺すならお前たちが殺せ!」


Kは笑う。


二人の私服が穴から出ていき、Kにダイナマイトのようなものに火をつけて投げ込んだ。


彼にはそれが何であるかわからない。
大爆発が起り、やがてそこにキノコ状の雲が拡がっていった……




まあ、こうして「あらすじ」を書いても、
「何が何だか……?」なのであるが、(笑)
「シュルレアリスム文学」「不条理文学」などと呼ばれるカフカの独特な世界観を、
オーソン・ウェルズ監督が抜群の映像センスで近未来風に幻惑的に描いており、
そこにオルガンと弦楽器が奏でるバロック音楽の切なく感傷的な旋律がうまく合致し、
『審判』を稀にみる傑作に仕上げている。



「アルビノーニのアダージョ」というくらいだから、
アルビノーニが作曲した「アダージョ」だと思いがちだが、
実は、違う。

18世紀イタリアの作曲家トマゾ・アルビノーニ(1671年~1751年)の作品のほとんどは、
第二次世界大戦中のドレスデン空襲の際に失われてしまっていた。


1945年、イタリアの音楽学者レモ・ジャゾットは、
ドレスデン国立図書館の廃墟の中で散逸した文献を整理中、
偶然にアルビノーニのトリオ・ソナタを発見。


この緩徐楽章の断片からオルガンと弦楽合奏用にメロディーを「復元」し、
1958年に、「アルビノーニによる2つの主題のアイデア、通奏低音に基づく弦楽とオルガンのためのアダージョ ト短調」のタイトルで、楽譜が出版された。
この曲が発表された当時は、空前のバロック音楽ブームで、
イタリアでは、イ・ムジチ合奏団がヴィヴァルディの「四季」を録音して爆発的な人気を博していた。
そんなブームのさなかに登場したアルビノーニの「アダージョ」は、
忘れ去られた作曲家アルビノーニの再発見だとして、
センセーショナルな話題となった。
1962年、オーソン・ウェルズ監督の映画『審判』(1963年日本公開)でこの曲が使われると、映画のヒットと共に、この曲も大ヒット。
多くの演奏家たちが競い合うようにこの曲を取り上げ、
巨匠カラヤンも1969年に「アダージョ」を録音するなど、
以後、この曲は、映画やテレビなどで繰り返し使われ、
クラシック音楽の中でも指折りの人気曲となっていく。
人気の一方で、研究者たちが発表当初から投げかけてきたのは、
「アダージョの元の作者は、本当にアルビノーニなのか?」
という疑問。
この曲に、原作となるアルビノーニの素材はまったく含まれておらず、
この曲を世に出したジャゾットは「自筆譜の断片を発見した」と言っているものの、
その証拠を示そうとはせず、
研究者たちがドレスデンの図書館を調べても、ジャゾットの説明を裏付ける記録は見つからなかったことから、
「ジャゾット自身が作曲したのではないか……」
という疑惑が生じていたのだ。
「編曲・復元であって作曲ではない」とジャゾットは主張していたが、
1998年に87歳で亡くなる数年前には、
「私は、アルビノーニを忘却の淵から救いたかった。アルビノーニが書いた音楽を実際に聴けば、彼への関心が高まるだろうと思い、この曲を作りました。それは、私自身の純粋な楽しみでもあったのです……」
とのコメントを残すなどしたことから、
今では、「レモ・ジャゾットによる完全な創作」とされている。
偽物であってもこの曲が名曲であることに変わりはなく、
「アルビノーニのアダージョ」として、今も広く親しまれている。



「アルビノーニのアダージョ」は、
映画『審判』の他にも、
『紅い太陽』(1970年)
『ローラーボール』(1975年)
『ジェラシー』(1980年)
『誓い』(1981年)
『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(2017年)
などで使われ、
日本映画でも、
『剱岳 点の記』(2009年)
『ソロモンの偽証 前篇・事件』(2015年)
などで使われていた。

『剱岳 点の記』では、
ありえない場面でこの曲が使われており失笑ものだったが、


『ソロモンの偽証 前篇・事件』では、
前篇のエンドロールのときに流されており、
後篇への期待を抱かせるに十分な雰囲気を作り出していた。


最も「アルビノーニのアダージョ」を効果的に使っていたのは、
『マンチェスター・バイ・ザ・シー』だ。
そのレビューで、私は次のように記している。

現在と過去を交互に映し出し、
その謎に迫っていく序盤は、
私の好きなミステリー作家トマス・H・クックの作品を思わせる。
割と早い段階で、この謎は判るのだが、
その“過去の悲劇”が映し出されるシーンには、
(私の好きな曲)アルビノーニのアダージョが流れ、
主人公であるリー・チャンドラー(ケイシー・アフレック)と、
その妻であるランディ(ミシェル・ウィリアムズ)の心が壊れる瞬間が映像化されている。
アルビノーニのアダージョは9分ほどの曲であるが、
この曲が終わる頃に、
リーに起こった“過去の悲劇”が、(それは妻であるランディの悲劇でもあるだが)
見る者にすべて判るようになっている。
このシーンは秀逸で、
見る者にも“心の砕ける音”が聞こえるかのようであった。
(全文はコチラから)



このように、様々な映画で使われてきた「アルビノーニのアダージョ」であるが、
この曲が最もハマっていたのは、やはり『審判』だったように思う。
近未来的な映像と、バロックの調べが融合し、
それまで見たことのない世界を創り上げていた。
途中、ジャズ調の「アルビノーニのアダージョ」も挿入されるなど、


この曲が、その後、
クラシック音楽の枠にとどまらず、
ポピュラー音楽に転用されたり、
BGMや映像作品の伴奏音楽として利用されるようになったのは、
映画『審判』によるところ大である。
『審判』は、「アルビノーニのアダージョ」が使われた映画の、
“最初”にして“ベスト”であったと言えよう。
本編の方も機会がありましたら、ぜひぜひ。

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