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このブログ「一日の王」に、
カテゴリー「徒歩日本縦断(1995年)の思い出」を設けて、
2012年から2013年にかけて、(北海道区間のことを)16回連載したが、
以降は面倒になって、中断したままの状態になっていた。
〈このままではいかん!〉
と思ってはいたが、ズルズルと年月ばかりが経ってしまった。
徒歩日本縦断(1995年)から30年、
節目となる今年(2025年)は、なんとか続きを書きたい。
だが、70歳になって耄碌ジイさんになった私の記憶は定かではなくなってきている。(笑)
そこで、当時、旅と同時並行で地元紙(佐賀新聞)に連載していた紀行文、
「ふらふらぶらぶら 日本縦断の旅」を元にして、
カテゴリー「徒歩日本縦断(1995年)の思い出」を再開させたいと思う。
写真多めの、手抜き記事になるとは思うが、(コラコラ)
時間があるときにでも読んで頂けたらと思う。
では、始めよう。
「ふらふらぶらぶら 日本縦断の旅」➀宗谷岬から留萌へ
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(※新聞掲載時よりも、漢数字を算用数字にしたり、改行を多くして読みやすくしています)
8月8日、午前10時、
ぼくは日本最北端の宗谷岬を出発した。
鹿児島県・佐多岬までの、いつ到着するかわからない徒歩日本縦断のはじまりである。
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初日は稚内までの27キロを歩いた。
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その後、オロロンラインと呼ばれている日本海側を南下、
一週間後の現在(8月15日)留萌市にいる。
この間、すべてが順調だったわけではない。
晴れの日がなく、とにかく雨の日が多かった。
トラックなどの跳ね返す水飛沫を浴びながら、気分的にも落ち込む日が続いた。
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足はマメだらけで、それがつぶれて皮がはがれ、
その弱い皮膚から血が噴き出し、激痛が走った。
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20キロにもおよぶザックの重みにひざの関節も痛み、
〈もうこれが限界ではないか〉
と、これまで何度やめようと思ったことか。
しかし、その度に、
すれ違うオートバイのライダーやサイクリスト、
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また出会った地元の人々の応援に励まされ、
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何とかここまで歩いて来ることができたというのが実情である。
「徒歩日本縦断」と「小説を書くこと」が、ぼくの若いころからの夢であった。
「小説」の方は3年前から書き始め、「佐賀県文学賞」をはじめ、いくつかの賞をいただき、
夢が実現しつつある。
残るは「徒歩日本縦断」だけだった。
ぼくも昨年40歳になり、近年は急速に体力の衰えを自覚しはじめていた。
走れば足がもつれ、坂道や階段を歩けば息が切れる。
実行するなら今しかない。
会社は̶̶、
生活は̶̶、
世間体は̶̶、
と、マイナス要素を並べたて、
自分に言い訳ばかりしていては何もできない。
とにかくやってみよう。
せっかく生まれてきたのだから、やりたいことをやらないでどうする。
̶̶で、今回の旅となった次第です。
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当然反対すると思った妻も子供たちも賛成し応援してくれています。
どこまで体力が続くかわかりませんが、旅を続けている限り、
随時、旅先での出来事をリポートします。
現在進行形の旅の報告です。
はたして一週間後、ぼくはどこにいるのだろうか?
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【蛇足】
徒歩日本縦断に出るとき、配偶者に、
「済まないが、帰って来るまでこれで生活していてくれ」
と言って100万円を渡し、出発したのだが、
旅から帰ってすぐに賞金100万円の文学賞募集に応募して、
(運よく受賞できて)100万円をすぐに回収することができた。
(今気づいたのだが)その文学賞の募集要項が、私の紀行文の上に掲載されていたのだ。
今は亡き、
笹沢左保(2002年10月21日死去、享年71歳)
夏樹静子(2016年3月19日死去、享年77歳)
森村誠一(2023年7月24日死去、享年90歳)
の3氏が選考委員であった。
私は今年(2025年)の夏に71歳になるのだが、
それが笹沢左保氏の亡くなった年齢であることに深い感慨をおぼえるのである。
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※「ふらふらぶらぶら 日本縦断の旅」➀~⑫
(タイトルをクリックするとレポが読めます)
➀宗谷岬から留萌へ
➁留萌から長万部へ
③長万部から函館、青森へ
④秋田から象潟、鳥海山へ
⑤「良寛」ゆかりの地を巡る
⑥天の橋立、城崎温泉へ
⑦余部鉄橋、松江、出雲へ
⑧萩と、仙崎と、金子みすゞ
⑨八代大花火、球磨川星花火
⑩佐多岬に到着、そして
⑪沖縄本島縦断
⑫日本最南端・波照間島にて