一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『来る』……黒木華、小松菜奈のイメージを破壊する中島哲也監督の衝撃作……

2018年12月10日 | 映画


『嫌われ松子の一生』『告白』『渇き。』などで有名な、
中島哲也監督の最新作である。
原作は、
「第22回日本ホラー大賞」で大賞に輝いた澤村伊智の小説『ぼぎわんが、来る』。
主要キャストは、
岡田准一、黒木華、小松菜奈、松たか子、妻夫木聡の5人。


で、この映画『来る』を見ようと思った理由は、二つ。
①中島哲也監督作品だから。
②私の好きな黒木華、小松菜奈、松たか子の三人が出演していたから。

本作『来る』の存在は、
『恋は雨上がりのように』(2018年5月25日)のレビューを書く際に、
小松菜奈のことを調べている段階で知った。
当初、2019年の公開予定となっていたが、
その後、今年(2018年)12月7日公開に早まった。
そして、公開初日の12月7日(金)に、
会社の帰りに映画館に駆けつけたのだった。



恋人の香奈(黒木華)との結婚式を終え、


幸せな新婚生活を送る田原秀樹(妻夫木聡)。


その秀樹の会社に謎の来訪者が現れ、
取り次いだ後輩・高梨(太賀)に、
「知紗さんの件で」
との伝言を残していく。


知紗とは、妊娠した香奈が名づけたばかりの娘の名前で、
来訪者がその名を知っていたことに、秀樹は戦慄を覚える。
そして、来訪者が誰かわからぬまま、取り次いだ高梨が謎の死を遂げる。


それから2年、
秀樹の周囲で不可解な出来事が次々と起こり、
不安になった秀樹は、
親友で民俗学者の津田大吾(青木崇高)に相談し、


オカルトライター・野崎(岡田准一)を紹介してもらう。


その野崎は、
霊媒師の血をひくキャバ嬢・真琴(小松菜奈)とともに調査を始めるのだが、
田原家に憑いている「何か」は想像をはるかに超えて強力なモノだった。


どんどんエスカレートする霊的攻撃に、死傷者が続出。
得体の知れない強大な力を感じた真琴は、
迫り来る謎の存在にカタをつけるため、
国内一の霊媒師で真琴の姉・琴子(松たか子)に連絡をする。


現状把握をした琴子は、


自分ひとりの力では難しいと判断。
琴子の呼びかけで、
日本中の霊媒師が田原家に集結し、
かつてない規模の「祓いの儀式」が始まろうとしていた……




『告白』(2010年6月5日公開)のときにも、
『渇き。』(2014年6月27日公開)のときのも感じたことではあるが、
本作『来る』は、やはり(いろんな意味で)とんでもない作品である。
その“とんでもなさ”は、
私のような“すれっからし”には実に魅力的なのだが、
そうではない純粋無垢な鑑賞者には、刺激が強過ぎて、
そのストーリーの解り難さも手伝って、
「Yahoo!映画」のユーザーレビュー等を読むと、案の定、

「よくわからん」
「全てが中途半端」
「内容がクレージーでした!」
「この映画、いったい何をしたかったのか?」
「ホラー映画としての怖さを感じなかった」
「作中、やたらとBGMをかけているが、ただやかましいだけ」
「原作好きは見ない方がいい」
「頑張って演技している実力派女優たちが可哀想でなりません!」
「嫌な気分だけが残った」
「これホラー映画じゃないよ」
「一体この作品で何がしたかったのか、俺には分かりませんでした」


などの酷評のレビューが散見された。
ただ、絶賛するレビューも同じくらいあるので、
平均点は、中くらいの点数(5点満点の3点くらい)で推移しており、
非凡な作品なのに、平凡な点数しかついていない。
『告白』『渇き。』同様、本作も面白いと思った私は、
この平凡な点数に(なぜか)危機感を抱き、
こうして急いでレビューを書こうとしている次第。(コラコラ)

『来る』を鑑賞して、私が真っ先に思い出したのは、
韓国映画の『哭声/コクソン』という作品だった。(レビューはコチラから)


物語の構図が似ており、
難解さにおいては、『来る』よりも上回っている。
だが、この『哭声/コクソン』は韓国で大ヒットしたのだ。
『哭声/コクソン』に出演した國村隼は、次のように語っている。

エンターテインメントの形にはいろいろあるけれど、これは「翻弄されることを楽しむ」映画でしょうね。わからないことを楽しむ。繰り広げられるいろんなことは、どうしようもなく謎めいていて「なんでやろう?」と気になる。でも、彼はそれに対する答えを明確にはくれない。(笑)でも、そうやっているうちに、だんだん、そのことを楽しんでいるという。それもエンターテインメントのひとつの形だと思います。
『哭声』がエンターテインメントの新しい形だと思うのは、そんな楽しみ方をできる映画というのはあまりないし、ひょっとしたら初めてなのかもしれないと思えるからです。カテゴライズしにくいというか、できない映画なんじゃないかなと思いますね。
(『キネマ旬報』2017年3月上旬号)

翻弄されることを楽しむ、
わからないことを楽しむ、
それもエンターテインメントのひとつの形……とは、なんと深い言葉だろうか。
私は、『哭声/コクソン』のレビュー(2017年03月18日の記事)で次のように書いた。

この『哭声/コクソン』は、
韓国では昨年(2016年)の5月12日に公開されているが、
観客動員数約700万人という大ヒットを記録。
『この世界の片隅に』が166万人(2017年2月19日時点)、
『シン・ゴジラ』でさえ560万人だったことを考えると、
日本の人口の半分以下である韓国で、
観客動員数約700万人というのが、いかに凄い数字かがわかるだろう。

たぶん、何度見ても、どのように見ても、謎が残る映画である。
このような映画が、日本で作られることはあまり考えられないし、
ましてや、大ヒットすることは、もっと考えられない。
このような映画体験は、韓国映画ならでは……といえるだろう。


そうは書いたが、
日本の映画鑑賞者にも、できれば多くの人に楽しんでもらいたい。
翻弄されることを楽しみ、
わからないことさえも楽しんでもらいたいのだ。
その良い機会が、中島哲也監督の最新作『来る』だと思うからだ。



ここからは、
私の好きな3人の女優(黒木華、小松菜奈、松たか子)について語りたい。

田原秀樹(妻夫木聡)の妻・香奈を演じた黒木華。


山田洋次監督作品『小さいおうち』(2014年)で、
第64回ベルリン国際映画祭最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞し、
その山田洋次監督から、
「日本一割烹着の似合う女優」
と絶賛され、
以降、「昭和的」「純日本的」「大和撫子」などの形容詞と共に、
温かみや素朴さを感じる“和風美人”というイメージの女優として知られるようになった。
だが、本作『来る』では、そのイメージは微塵も感じられない。


ネタバレになるので詳しくは書けないが、
〈私の黒木華に何をさせるんだ!〉
と、全国の黒木華ファンが絶叫するようなシーンが待ち受けているのだ。


中島哲也監督は、山田洋次監督が作った黒木華のイメージを壊してしまうことを意図していたのではないだろうか……と疑ってしまうほどに、彼女を破壊している。


私としては、これまであまり見たことのない黒木華を見ることができて嬉しかったが、
彼女自身は大変だったのではないかと推測する。


黒木華は語る。

よく「声を張らなくていい」とか「滑舌が良すぎる」と言われましたね。私の声は通りやすいので、舞台の時は役に立つんですけど、映像だとセリフのように聞こえてしまうのかなと悩んで、家に帰って凹んでいました(笑)。(『キネマ旬報』2018年12月上旬号)

舞台っぽい芝居をしていることを注意されたというエピソードひとつとってみても、
お行儀の好い山田洋次監督的な(松竹映画的な)演技をさせないようにした中島哲也監督の企み(?)が見えたような気がする……とは、私の穿ち過ぎか?



霊媒師の血をひくキャバ嬢・真琴を演じた小松菜奈。


今回の撮影中、
最も中島哲也監督から“愛の鞭”を受けたのは、小松菜奈であったらしい。


小松菜奈演ずる真琴の登場するシーンからして、
私にはかなりショッキングであった。
これは、私が小松菜奈のファンであるために感じたことだったかもしれないが、
あんな風に彼女を登場させるとは、
やはり中島哲也監督の企みを感じる。


メイキング映像を見たときに、
中島哲也監督が小松菜奈に、
「そんな演技しかできないのは、青春映画ばかり出ていた所為ではないか?」
と辛辣な言葉を投げかけていたのが印象に残っているが、
『渇き。』で小松菜奈を見出した監督としては、
それ以降の彼女の出演作に不満を持っていたのかもしれない。
それ故の厳しい演技指導であったのだろう。


小松菜奈は語る。

岡田さんや妻夫木さんも、「菜奈ちゃんばかり言われて大変だったね」と気づかってくださったんですけど、私としてはそんなふうに思ったことはなかったんです。中島監督がおっしゃていることは、客観的に見ても正しいんです。むしろ、監督のおっしゃることや求めていることに寄せることで、真琴という人物をより魅力的に見せられるのなら、何でもするという気持ちでした。それに……監督はそんなことはないとおっしゃるかもしれませんが(笑)、親からの愛情に近いものを感じました。たぶん監督は、他の出演者がそうそうたる方々なので、私のことを配してくださったんだと思います。(『キネマ旬報』2018年12月上旬号)

『渇き。』で中島監督に見いだされて4年。
ひとかどの女優になった小松菜奈は、本作『来る』で、
中島監督に成長した姿を見せ、見事に“恩返し”をしているように私は思った。



日本最強の霊媒師で、真琴の姉・琴子を演じた松たか子。


キャラクター設定、容姿のインパクトが凄まじかった。


存在感だけで言えば、主演の岡田准一を上回っており、
松たか子が主演と言ってもなんら不思議ではないと思えるほどであった。


中島哲也監督と松たか子は、
『告白』(2010年6月5日)以来、8年ぶりのタッグであるが、
話し方や無表情といったキャラ設定はちょっと似ているような気がした。


松たか子は語る。

今回も中島さんには、いろいろな人に会わせてもらい、未知なる次元に連れていってもらいました。何より、こんな面白い映画に声をかけていただいて、心から感謝しています。(『キネマ旬報』2018年12月上旬号)


松たか子が言うように、
本作『来る』は面白い映画である。
ことに、終盤、
松たか子演ずる琴子が中心となって日本中の霊媒師が集まって祈祷するシーンは、
さながらライブ会場のようで、この映画の最大の見せ場になっている。
ステージ上には、韓国の祈祷師らしき人物もいて、
そういう意味でも『哭声/コクソン』の終盤のシーンを思い起こさせる。

たぶん、多くの人が、「よくわからない」と思う映画であるが、
時代を変えてきたのは、常に、「よくわからない」問題作、衝撃作であった。
その「わからなさ」を楽しむことができないうちは、
いつまでたっても日本には『殺人の追憶』級の傑作は生まれないのではないか……

黒木華、小松菜奈、松たか子のイメージを破壊する中島哲也監督の衝撃作を、
映画館で、ぜひぜひ。

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