MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『張込み(1958)』

2014-05-31 22:35:31 | goo映画レビュー

原題:『張込み』
監督:野村芳太郎
脚本:橋本忍
撮影:井上晴二
出演:大木実/宮口精二/高峰秀子/田村高広/菅井きん/浦辺粂子/小田切みき
1958年/日本

一週間程度の張込みでは解決しない問題について

 作品冒頭において警視庁捜査第一課刑事の下岡雄次柚木隆男が、容疑者の石井を追うために鹿児島行きの列車に飛び乗るシーンからオープニングのタイトルバックが映し出されるまでの異様な長尺さと、ラストにおいても逮捕した石井を連れて下岡と柚木が最終の東京行きの列車が、改札口の明かりが消された後に出発するまでの執拗に長いシーンが印象的で、要するに本作は刑事ものというジャンルを超えた、人間の業そのものを映し出すことを試みているように見える。
 両刑事が張り込む先は、石井の元恋人で、現在は佐賀の銀行員の横川仙太郎の妻のさだ子である。後妻だったさだ子を監視していた柚木には、さだ子が幸せそうには見えなかったため、石井と再会した際に、嬉しそうにはしゃいでいるさだ子を目撃した時にはたいそう驚いたのであるが、それは柚木自身にも他人事ではなかったからである。柚木には高倉弓子という恋人がいたのであるが、下岡の妻の満子の口ききで、風呂屋の娘の信子との好条件の縁談話が持ち上がっていたからである。
 さだ子を見ているうちに柚木は「資産」よりも「愛」を選択することを決心するのであるが、性別の違いや銀行員と日雇いと刑事という立場の違いなど勘案するとすぐに納得できるようなオチではない。


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『恋の画集』

2014-05-30 00:09:11 | goo映画レビュー

原題:『恋の画集』
監督:野村芳太郎
脚本:野村芳太郎/山田洋次
撮影:川又昂
出演:川津祐介/桑野みゆき/佐野周二/藤間紫/鳳八千代/加藤嘉/三井弘次/炎加世子
1961年/日本

『青春残酷物語』に対する「回答」としての『恋の画集』

 本作はいわゆる「三方一両損」の話をさらに複雑にしたような傑作コメディ作品であるのだが、個人的に気になることは川津祐介と桑野みゆきが前年の1960年に大島渚監督の『青春残酷物語』にもダブル主演していることである。
 その後、「松竹ヌーヴェルヴァーグ」の旗手となる大島渚は『日本の夜と霧』の上映中止の抗議の意味も込めて松竹を退社してしまう。そんな時に制作された作品が『恋の画集』なのである。私には本作が、野村芳太郎監督というよりも、その後の松竹を支えることになる山田洋次監督の、『青春残酷物語』に対する「回答(皮肉?)」のように思えてならないのであるが、そのことに関する議論を私は寡聞にして知らない。『青春残酷物語』と『恋の画集』の二本立てを是非観てみたい。


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『角帽三羽烏』

2014-05-29 21:44:49 | goo映画レビュー

原題:『角帽三羽烏』
監督:野村芳太郎
脚本:野村芳太郎/光畑碩郎
撮影:井上晴二
出演:高橋貞二/川喜多雄二/大木実/小山明子/野添ひとみ/中川弘子/小林トシ子
1956年/日本

 「三羽烏」を凌駕する女性たちの活躍について

 城北大学の落第チャンピオンと呼ばれ、既に2度落第している矢沢治夫は、金銭的援助を兼ねて友人の浅野六郎に家庭教師をしてもらっているのであるが、六郎もそれほど優秀ではないために、成績が向上することがない。治夫は父の治作の会社の融資先の令嬢との見合いを頼まれるのであるが、治夫は絵の展覧会でよく見かける「名無しの権兵衛」と名乗る素性が分からない女性に夢中だった。
 一方、残りの
三羽烏の一人である大西健太郎は大学代表の駅伝選手のアンカーとして何故か「97」の背番号を付けて活動しており、健太郎は下宿先の娘の高松明子と付き合っているのであるが、一緒に下宿している六郎が健太郎とのあからさまな食事の量の違いを妬んで「明子は健太郎の実家が北海道に持つ広大な土地を狙っているのではないか」と健太郎に話していたことを耳にした明子と言い争いをしてしまう。
 この2組のカップルに「特出(=特別出演)」として関わってくるのが、鹿島春子である。明子と喧嘩をしてしまい、北海道からガールフレンドをチェックしに来る祖母の花子に取り繕うために、春子は健太郎に「一日だけの恋人」になってもらうことを頼まれ、さらに見合いに気が乗らない兄の治夫のために、妹の矢沢木の実に見合い場所で恋人を演じるように頼まれる。
 どちらも「恋人」としては失敗してしまうのであるが、結果的に、健太郎と明子は花子のお墨付きをもらう。花子と健吉を羽田から見送り、健太郎と明子、六郎と木の実が去った後に、治夫と春子が一緒に去ろうとしてBGMも終わろうとしていた時に、「名無しの権兵衛」の杉村みどりがいつものようにペットを連れて治夫を待っていた。治夫とみどりが一緒に去った後に、残された春子は港内を一人さまよい、最後に「特出」だった春子が閉めたドアには「角帽三羽烏 終」のタイトルバックが書かれており、メタフィクショナルに終わる。
 遊園地のジェットコースターのシーンや、駅伝大会の早回し、あるいはロゴなどのポップなセンスが光り、ジャン=リュック・ゴダール監督の『女は女である』を想起させるが、『女は女である』は1961年公開で、本作の方が5年早い。いずれDVD化されれば傑作として評価されるであろう。


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『オー!ファーザー』

2014-05-28 22:34:09 | goo映画レビュー

原題:『オー!ファーザー』
監督:藤井道人
脚本:藤井道人
撮影:福本淳
出演:岡田将生/忽那汐里/佐野史郎/河原雅彦/宮川大輔/村上淳/柄本明
2013年/日本

母親不在による「楽園」について

 サスペンスとして観るならば、あまりにも都合が良過ぎるストーリー展開でスリルを感じることはない。主人公の高校生の由紀夫と父親と称して現れる悟、勲、葵、鷹の関係は、結局、最後まで母親が現れないのであるから親子というよりも友人である。その結果、本作は女性が存在しないことによる「ホモソーシャル」が描かれることになる。由紀夫と4人の父親は年が離れており、4人の父親の性格はバラバラであるが、みんな子供のように無邪気に遊べる理由は、「母親」が存在しないためであり、それで作られた「楽園」に物足りなさを感じるとするならば、それが夢物語でしかないからであろう。由紀夫が多恵子に冷たい理由も「楽園」が壊されないようにするためのように思われる。


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選抜総選挙「同情票」の行方

2014-05-28 00:06:21 | Weblog

ノコギリ男に立ち向かったのは20歳フリーター 素手で凶器つかむ(日刊スポーツ) - goo ニュース
指原莉乃「交流失いたくない」 AKB握手会事件に心境吐露(ORICON STYLE) - goo ニュース

 本来ならば車イスが必要な体調だったようなのだが、川栄李奈も入山杏奈もファンに

心配をかけないようにと病院を出る際には歩いて対応しており、正反対のキャラクターでも

プロとしての自覚は共有していることが分かる。ところで選抜総選挙は予定通り実施される

ようなのであるが、今回の2人に対する「同情票」はどのように扱われるのであろうか 

2人が突然10位以内に入ってきたら明らかに大量の「同情票」を得たことになるはず

であるが、それとも運営側が上手く「配慮」するのであろうか こんなことが気になる

理由は1月22日に放送された日本テレビの「AKBINGO」の「ラッキーガールランキング

2014」において178人中、川栄李奈は16位、入山杏奈は72位で、決して悪い方では

ないからである。


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『ミスターGO!』

2014-05-27 22:31:18 | goo映画レビュー

原題:『Mr.GO』
監督:キム・ヨンファ
脚本:キム・ヨンファ
撮影:チョン・デソン/パク・ヒョンチョル
出演:シュー・チャオ/ソン・ドンイル/キム・ガンウ/オダギリジョー
2013年/韓国

どうしても韓国のコメディー映画に慣れない理由について 

 主人公のゴリラであるリンリン(後のミスターGO)が韓国プロ野球のトゥサン・ベアーズに入団してバッターとして活躍するシーンそのものはCGが駆使されて全く違和感を感じることはなく、中国ロンパサーカス団から借金返済を名目に韓国の球界に入団させられて、あわよくば日本の球団に高値で取引しようとする自国への皮肉も織り込まれているのではあるが、キム・ヨンファ監督の前作『国家代表!?』(2009年)同様にコメディーとしての部分を見ると演出が上手くいっているとは思えない。
 ところでよく分からなかったシーンがあり、主人公のウェイウェイがテレビで借金取りたちとサーカスにいたゴリラのゼロズの様子を見た後に、急にウェイウェイがリンリンに不信感を抱くようになったことで、実はウェイウェイは「ゴリラ語」を理解していないことが判明するものの、彼女の微妙な心の変化が上手く捉えられていないように思うのであるが、結局、吹き替えで観賞したために、出演者たちが中国語かハングルか「ゴリラ語」か何語で会話しているのか分からなかったことも本作の理解の妨げになったのかもしれない。


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アレクサンドリアの聖カタリナ

2014-05-27 00:42:40 | 美術

 Bunkamuraザ・ミュージアムにおいて「ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館 

華麗なる貴族コレクション」が開催されていた。個人的に気になった作品は上の写真の

ベルゴニョーネ(Bergognone)の1510年頃の「アレクサンドリアの聖カタリナ

(Saint Catherine of Alexandria)」の左下に描かれた男の顔である。おそらく

この男はカタリナに結婚を申し込んで断られたローマ皇帝のマクセンティウス

(Marcus Aurelius Valerius Maxentius)だと思われるが、どうしてこのように

精密な肖像画として描かれ隅に置かれているのか、実に奇妙な構図である。

あまりにも奇妙なことと、カタリナの顔と比較して筆致が違うことも勘案すると、

男の顔は後から描き加えられたようにも見えるのであるが、そこらへんは

当然エックス線検査などで既に確認しているのだろうね。


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『ニューヨーク 冬物語』

2014-05-26 22:56:11 | goo映画レビュー

原題:『Winter's Tale』
監督:アキヴァ・ゴールズマン
脚本:アキヴァ・ゴールズマン
撮影:キャレブ・デシャネル
出演:コリン・ファレル/ジェシカ・ブラウン・フィンドレイ/ジェニファー・コネリー
2014年/アメリカ

心に響かない「City of Justice」について

 主人公のピーター・レイクの父親は1895年にマンハッタンに移住しようとした際に、健康診断の結果、「肺結核(phthisis)」と診断されて妻と共に移住を拒否され、仕方が無く赤ん坊だった息子のピーターを小型ボートに乗せて密入国させる。
 肺結核と診断された父親の背中に書かれた「P」は「phthisis」の「P」であり、その「P」は息子の「ピーター(Peter)」に受け継がれ、その後ピーターを育て、袂を分かつパーリー・ソームズ(Pearly Soames)の「P」とも呼応し、「Pの物語」として語られるはずだったと思うが、突然現れる白い馬によって本作はファンタジーと化す。もちろんファンタジーならばファンタジーでかまわないのであるが、パーリーが率いるギャング団からピーターが逃げ出した理由が明確にならず、ベバリー・ペンとアビー・ゲームリーの関係もよく分からず、 ウィル・スミスが演じる判事(ルシファー)の役割も不明で、ウィリアム・シェイクスピアの『冬物語(The Winter's Tale)』とリンクすることもなく、要するに物語に深みが全く感じられないのである。興行的に大失敗した理由が納得できる作品ではある。


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「パパラッチ」を生んだ国

2014-05-25 00:49:31 | Weblog

宇多田の“厳戒挙式”に地元紙は「がっかり」報道(デイリースポーツ) - goo ニュース

 宇多田ヒカルとイタリア人のバーテンダーのフランチェスコ・カリアンノの結婚式に

ついて「ガゼッタ・デル・メゾジョルノ」「ヌォーヴォ・コティディアーノ」の両地元紙

は「ポリニャーノの地元民は、日本人の花嫁を心からお祝いしたいという気持ちで

教会前に集まったのに対し、このような対応でがっかりさせられた」、「挙式後の

ライスシャワーでは、招待客を使った壁で二人を一般人の視界から封じようとした」と

不満たらたらの報道ぶりであるが、宇多田にしてみればただ夫の故郷で結婚式を

挙げたいだけで、自分たちをただで撮らせて売り上げ部数を伸ばすことに貢献する

義理などはないのだから、宇多田の気持ちは分からなくはない。それにしても

現在でも宇多田ヒカルにそれほどニュースバリューがあるのだろうか


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『青天の霹靂』

2014-05-25 00:40:59 | goo映画レビュー

原題:『青天の霹靂』
監督:劇団ひとり
脚本:劇団ひとり/橋部敦子
撮影:山田康介
出演:大泉洋/劇団ひとり/柴咲コウ/笹野高史/風間杜夫
2014年/日本

ハンディカメラが多用される意図について

 ラストにおいて主人公の轟晴夫が現代に戻ってきた際に、警察から電話をもらい、死体が父親のものではなかったことが判明し、実の父親が現れる。10年振りに再会した轟正太郎は「お前、誰かに似てきたなあ」と晴夫に言うのであるが、それは40年前に一緒に舞台に立っていたペペのことであろう。それに対して晴夫が「あんなこと言うんじゃなかったよ」と返答した際の、あんなこととは40年前に晴夫が父親に言った「ありがとな」であろう。おそらく正太郎は晴夫が小学4年生の時に女の子からもらったチョコレートを見てペペを思い出し、未来が変わったのであり、それは今後2人が再び組んで売れる予感をもたらす。
 このようにタイムパラドックスは上手く処理されているのであるが、気になるのは多用されているハンディカメラによる画面の微かなブレである。何故固定カメラで撮影しなかったのか、演出の意図がよく分からなかった。


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