ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~
2009年/日本
中心的な役割としての声
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
さすが根岸吉太郎監督作品だけあって映像自体は申し分がないのだが、さすが太宰治原作だけあって物語は、つまらない男に振り回される哀れな妻の結局夢も希望も見出せない救いのないものだった。
だから私にはこの作品には‘見所’というものは無いと思うのだが、‘見所’が無いにもかかわらず私の評価が悪くない理由は、この作品には‘見所’が無いにもかかわらず‘聞き所’があるためである。5人のメインキャラクターの声を比較してみたい。
主人公の大谷と妻の佐知の声を真ん中に置くとすると、佐知を惑わす岡田の声は大谷の声よりも高く、大谷を惑わす秋子の声は佐知の声よりも高い。それはまるで2人の気持ちを煽っているように聞こえる。そして窮地に立たされる大谷と佐知を助けるのは、2人の声よりも低い声をして彼らを支える弁護士の辻である。物語が荒れている割にこの5人の声のトーンがぶれないのは、声に彼らの役割が委ねられているからである。これだけの映像表現上のテクニックが用いられてこそ、始末におえない男の物語も観られるようになると思う。
ATOM<日本語吹替版>
2009年/アメリカ
プロパガンダ映画
総合 0点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
今年は『DRAGONBALL EVOLUTION』(ジェームズ・ウォン監督)というとんでもない代物をお金を払って観てしまったから、この作品も観ることを躊躇っていたのだが、結局今、観てしまったことを心底後悔している。
勿論、画質のクオリティーに文句のつけようはないのだが、ストーリーは『DRAGONBALL EVOLUTION』と張り合えるほどメチャクチャだと思う。原作では伝馬博士が事故死してロボットになった息子を捨てた理由はロボットは人間のように成長しないということだった。それは理屈として理解出来る。しかしこの作品のテンマ博士がアトムを捨てる理由は出来が悪いということではなく‘何となく違う’という訳の分からないものである。そういうことになるという予想は優秀な科学者なのだから事前に気がつくはずである。そのテンマ博士がどうしてアトムを受け入れる気持ちになったのかも説明不足でよく分からない。‘利用価値’で受け入れたのであるのならば、テンマ博士はストーン大統領(大統領でありながら学習能力が全く無い)と同類であり、そんな怪しい人物に認められたいがためにアトムは、ラストで新たに出現した敵の素性を調べもしないで戦ってしまうという事態になってしまう。そこにはロボットと人間の共生を目指していた‘心優しい科学の子’の面影は微塵もなくなっている。
『DRAGONBALL EVOLUTION』にしても『ATOM』にしてもこれでは世界に向けて日本の漫画はつまらないという‘プロパガンダ映画’にしかなっていない。こんなことを放っておいていいのだろうか? というよりもそのようなことに原作者たちが‘利用価値’があるために加担してしまっていいのであろうか? 勿論、手塚治虫本人は許さないとは思うが。
新型インフル ワクチン接種回数「政務官がねじ曲げた」 自民、集中審議求める(産経新聞) - goo ニュース
これは確かに前厚労副大臣の大村秀章自民党衆院議員が「(19日の)会議の
メンバーの人選など、決定過程があまりに不透明。大事な問題が個人の恣意的な
考えでねじ曲げられてはたまらない」という主張は納得できる。ワクチンといえども
副作用は必ずあるのだから一回と二回では人体に対する影響は全く違うものに
なるはずである。「16日の会議前に役人から『1回接種の結論になりそう』と急に
言われた。データが不十分なので、『すぐに結論は出さないように』と伝えたが、
そのままマスコミに流れていた」と反論している足立信也厚労政務官(医療担当)は
成人(18歳以上)は原則1回とするWHOの方針を無視するのであろうか
「最も悪影響を与えたセレブ」はM・サイラス=調査(トムソンロイター) - goo ニュース
最も悪影響を与えた“セレブ”としてマイリー・サイラスが選ばれていることに最初
違和感を感じたのだが、調べてみるとマイリー・サイラスはただのアイドル歌手では
なくて、父親はビリー・レイ・サイラスというカントリー歌手だが、祖父のロン・サイラス
はケンタッキー州選出の民主党の国会議員ということで納得した。しかし悪影響を
与えるといってもまだ16歳の女の子にティーンエイジャーの手本になる事を求める
のは酷であろう。私にはマイリー・サイラスに一つだけ違和感がある。それは彼女の
地声である。歌声は気にならないのであるが、彼女の喋っている声はおばさんの
ような若さを感じないダミ声である。何故なのかは勿論知らない。
股間に金貨!内田裕也69歳衝撃ヌード披露(スポーツニッポン) - goo ニュース
日本のロックを考える時に内田裕也という存在は無視できないであろう。先日矢沢
永吉が日本テレビの「NEWS ZERO」に出演した時に日本のロックミュージシャンで
60歳を越えて“現役”なのは自分だけだと豪語していた。その時矢沢の頭の中には
間違いなく内田裕也がいたはずである。しかし内田裕也をロック歌手として考える時
彼のヒット曲が全く思いつかない。しかし元々ロックという音楽は反体制として存在
しているはずなのだから、ロックの曲がヒットすることはありえないのであり、ヒット
しないことがかっこよかったはずなのだが、ヒットしないということは相手にされない
というジレンマを生み出した。ヒット曲がないまま今日まで生き残っている内田裕也
はそういう意味で“ロック”という存在ではあるし、ロック歌手の矢沢永吉が“ロック”
だったことは一度たりともない。だから今の(昔から?)ロックはあくまでも外見の
“かっこよさ”を売りにするファッションと同様の産業化したロックだけなのであり、
内田裕也という存在は奇跡だと思ってしまうのである。
「まるでヒトラー・ユーゲント」=谷垣氏、議場での民主声援やゆ(時事通信) - goo ニュース
また残念な人が自民党の総裁になってしまった。谷垣禎一総裁は民主党議員が
衆院本会議場で演説に合わせ声援を送る様子を、ナチス党の青少年組織ヒトラー・
ユーゲントになぞらえて「ヒトラー・ユーゲントがヒトラーの演説に賛成しているような
印象を受けた」と皮肉ったのだが、まだネガティヴキャンペーンの癖が直っていない
どころか完全に的外れである。ヒトラー・ユーゲントはヒトラーの巧みな演説に煽ら
れてヒトラーに声援を送ったのに対して、民主党議員は鳩山首相の拙い演説を
フォローするように声援を送っていたわけだから、同じ声援でもその性質は対照的
なものであることが谷垣には見分けがつかないのである。自民党の前途は厳しい。
天皇陛下のお言葉、従来と同じ表現 臨時国会開会式(朝日新聞) - goo ニュース
鳩山由紀夫首相は24日夜、岡田外相が国会の開会式での天皇陛下のお言葉の
見直しを検討するよう宮内庁に求めたことについて、「陛下のお気持ちを推し量る事
はできない。コメントすべきでなかった」と批判し、宮内庁の風岡典之次長は26日の
定例会見で「お言葉」について「同じ表現であっても、陛下は毎回お気持ちを込めて
述べられている」と話した。このことはあまり話題になっていないが、要するに年配
の人間ほど天皇陛下の言葉を恐れているということだと思う。つまり国会の開会式
で天皇陛下が誰も予期しないことを述べた場合に、それを無視して国会を始める
ことはできないのであり、いまだに天皇陛下の“お言葉”は開会式を閉会式にして
しまえるほどの威力があるのであろう。私には実感できないけれど。
悩みに悩んで…菊池 涙のメジャー断念(スポーツニッポン) - goo ニュース
ある関係者によると「菊池雄星がメジャーに行けば、花巻東は日本中を敵に回す」
らしい。学校や関係者には大リーグ行きを批判する投書も届き、インターネット上
では菊池を中傷する書き込みもあったそうだ。これでは“亡命”の覚悟でもなければ
菊池はメジャーに行くことができないということになる。いまどき自分の仕事先を好き
に選べないというのは異常事態だ。いくら“2軍”で実績を積み重ねても正当に評価
することは難しい。森本貴幸のように菊池雄星がサッカー選手だったら誰も何も
文句を言わなかったはずなのにこの逆差別は理解に苦しむ。つまり今後本気で
メジャーを目指す野球選手はなるべく目立たないようにしなければならないのだ。
米高官「最も厄介なのは中国ではなく日本」 米紙報道(朝日新聞) - goo ニュース
米紙ワシントン・ポストが1面で、米軍普天間飛行場の移設問題をはじめとする
鳩山政権の日米同盟への対応について、米国務省高官が「いま最も厄介なのは
中国ではなく日本」と述べたと伝えた上で、日米関係について米主要紙が1面で
報じること自体が少ないだけに、米の懸念の強さが浮き彫りになったそうであるが、
勿論米国務省高官が本気で中国よりも日本の方が厄介などと思っているはずは
ない。そう言っておけばその発言はすぐに日本で報道されて日本の世論を操作
できるという思惑からのハッタリである。ハッタリでなければアメリカの情報収集力
が落ちているというよりも混乱しているのであろう。そこで気になることはハリウッド
映画がいまだに日本と中国の描き分けをきちんとできていないことである。
宅八郎氏書類送検…「ブッ殺すは私の芸風」(読売新聞) - goo ニュース
宅八郎という人を私はよくは知らないのであるが、“ブッ殺す”が芸風であるという
コメントが私にはよく理解できない。「危害を加えるつもりはなかった」というのである
ならば、“ブッ殺す”という意味は具体的にどういうことを指すのであろうか?ただの
ハッタリではないのだろうから、殺すことまではしないまでもいわゆるストーカーの
ような付きまといの嫌がらせのようなことを企んでいたのであるならば、“芸風”で
済ませることのできない問題であろう。彼は些細なことを大袈裟にしてわざと問題を
起こして世間の注目を集めたがる傾向があるような気がする。自分自身がアイドル
になりたいのであろうが、彼の“芸風”はもはや冗談で済ませてもらえる時代では
なくなっていると思う。ところで彼は今、結局何の評論家なのだろうか