冒頭の古いフィルムによるストーリーの出だしにセンスを感じたのだが、その後のストーリー展開が上手くない。確かにパディントンを初めとするブラウン一家とミリセント・クライドとの善悪の対決は分かりやすく、ミリセントを演じたニコール・キッドマンも悪のヒロインとして魅力的だったが、よくよく考えてみるならば、父親のモンゴメリー・クライドが南米ペルーのジャングルで新種のクマを発見したということは何もパディントンをはく製にして証明する必要は無く、生きたまま父親が所属していた「地理学者組合」に連れていけばいいのであり、むしろ「地理学者組合」のメンバーたちこそが自分たちの判断ミスを隠蔽するためにパディントンを抹殺するべきなのである。 しかし実はそもそもそのような話ではなく、モンゴメリーとミリセントはたまたま親子だっただけで、本当はミリセントは剥製師(taxidermist)としてロンドン自然史博物館に珍しいクマの剥製を飾りたいだけのサイコパスなのかもしれず、それならば親子という設定が物語の理解を妨げてしまっていると思うのである。 しかしもしかしたら『テッド』(セス・マクファーレン監督 2012年)の観すぎで、クマが主人公の作品に関して筆者の感覚が麻痺している可能性は否定しない。 ところでテーマ曲として久しぶりにグウェン・ステファニー(Gwen Stefani)がファレル・ウィリアムス(Pharrell Williams)と組んで「シャイン(Shine)」という佳曲を歌っている。その、スコット・マッケンジー(Scott McKenzie)の「花のサンフランシスコ(San Francisco (Be Sure to Wear Flowers in Your Hair) )」のような出だしで始まる曲の和訳をしておきたい。