ミッション:8ミニッツ
2011年/アメリカ
愛の‘甘さ’について
総合 70点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
シカゴ行きの列車の席で目覚めた主人公のコルター・スティーヴンスは、どうやら軍事ヘリコプターの操縦士としてアフガニスタンで従軍していた際に、殉職したことに気がつかなかったようで、自分の席の前に座って気さくに話しかけてくるクリスティーナ・ウォーレンに戸惑う。トイレの鏡で自分の顔を確認して、自分が別人となっていることに驚くが、‘包囲された城’と呼ばれる薄暗い密室におけるコリーン・グッドウィン大尉とのやり取りで少しずつ自分が置かれている立場が分かってくる。「ソースコード」というラトレッジ博士が開発中の極秘実験によって、いわゆる‘死に体’である教師のショーン・フェントレスの意識内に潜入して車内を捜査し、爆弾犯を特定する任務を託されたコルターは8分間のミッションを繰り返す内にデレク・フロストを犯人として突き止めて、与えられた役割を果たすのであるが、クリスティーナを初めとする乗客全員を救出したいという思いに囚われる。起こってしまった出来事は変えられないとグッドウィンに諭されるが、一か八か試みたいコルターは最後の‘跳躍’で生命維持装置を切るようにグッドウィンに求める。
コルターは今まで収集した情報をフルに活用して、8分間でデレク・フロストに手錠をかけて、警察に電話をし、仲違いしていた父親にコルターの友人を装って彼の息子の死を悼み、コメディアンを鼓舞して車内を沸かせて、クリスティーナに愛を告白してキスをしたと同時に、グッドウィンはコルターの生命維持装置を切る。
グッドウィンがコルターから受け取ったメールのシーンで分かるように、ラトレッジ博士がまだコルターに実験を施す前に時が戻っている。コルターの目論見は成功したのである。
物理学や量子力学など難しいことを考える必要はない。ダンカン・ジョーンズ監督の意図は意外と単純で、タイムパラドックスを克服できるものは愛だけだということだと思うが、致命的な欠陥がある。コルターは一人だけ救い出すことが出来なかった。教師のショーン・フェントレスである。だから「Everything is going to be OK.」とはならず、コルターの愛の甘さが、愛によるタイムパラドックスの克服ということに説得力を欠いてしまっているのではあるが、よくここまでタイムパラドックスを上手くまとめたという意味ではそれ相応に評価していいと思う。
田原俊彦「俺はビッグ」発言は捏造!? 名誉回復へ(R25) - goo ニュース
田原俊彦の「俺はビッグ発言」に関して、少なくともファンの間ではいつもの冗談として
受け取られていたと思うが、あのような編集のされ方では誤解されても仕方がない。
「俺はビッグ発言」は1994年2月17日の記者会見において発せられている。田原は
1994年3月1日にジャニーズ事務所から独立している。私の想像では田原がジャニーズ
から独立することは既に2月の時点で決まっていたはずだから、後ろ楯を失った田原は
マスコミが攻撃しやすい格好の材料となってしまったのだと思う。まさかこのバッシングに
辞められてしまったジャニーズ事務所が関わっているということは無いとは思うが
山岡氏が「ノーズロ」答弁、官房長官から注意(読売新聞) - goo ニュース
良いように解釈するならば、山岡賢次国家公安委員長は答弁の相手が高木美智代
という女性だったことから分かりやすい例えのつもりで無防備という意味の“ノーズロ”を
使ったとみられるが、山岡は男だから知らないのであろうが、今の女性はズロースなど
使用していないし、使用している人たちはほとんどが高齢者で、それも大人用オムツの
上に履いているのだから、例えズロースを履かなくても“無防備”とはならない。高木美智代
は「こんな下品な国家公安委員長が弱者を守る責任者でいいのか」と怒り心頭のようで
あるが、ほとんどの男性の国会議員は品位に欠けて女性を蔑視しているから仕方がない。
スマグラー おまえの未来を運べ
2011年/日本
主人公の‘情熱’の行方
総合 60点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
主人公の砧涼介の境遇は『カイジ』と類似しているのであるが、『スマグラー』はいわゆるスタイリッシュな‘任侠もの’である。様々な暴力シーンのオンパレードを目撃することになるが、ジョーとジジイ、背骨と内蔵、警官Aと警官Bなど男同士のカップルは明らかに同性愛を暗示しており、やがて張福儀の介入で背骨と内蔵は泥沼の三角関係に陥り、だからそのようなヤクザの男色に辟易した田沼ちはるは夫の田沼春治の殺しを依頼したはずなのである。
問題は主人公である砧涼介の立場である。結局、砧涼介には‘相棒’が見つからなかったために娑婆に戻されたはずであるが、そもそも砧涼介にそのような資質があったのであろうか? 砧涼介がスマグラーに関わるきっかけとなった出来事は、パチンコの攻略方法を知りたいがために強いられた暴力なのであるが、彼が暴力を振るうシーンは何故か描かれていないために、クライマックスの、オムツを履いた河島精二の‘チャイルドプレイ’において非情な拷問に屈することなく突然、背骨のように暴力を振るえるようになり、河島を伸してしまうシーンに説得力が無い。砧涼介には男性に対する‘激情’が感じられないからである。だからと言って砧涼介に芝居に対する熱い情熱も感じられず、主人公の成長物語として中途半端になってしまっていると思う。
別の女性の結婚阻止が目的だった…派遣社員殺害(読売新聞) - goo ニュース
これほど訳の分らない事件も珍しい。殺人容疑で逮捕された住田紘一は、「以前に交際
していた女性が結婚すると知り、事件を起こして結婚相手の男性の犯行に見せかけ、阻止
しよう」と思って、当時付き合っていたはずの同僚を殺害したということである。以前に交際
していたのであるならば、今その女性が結婚しようがどうしようが関係ないはずだし、その上
その男性と面識のある女性を拉致・監禁しようと思って、たまたま最初に出会ったのが
当時付き合っていたはずの女性なのであるが、顔見知りなのだからすぐにバレるという事を
考えもせずに抵抗されてパニックになり殺害したというのだから、全く救いのない話である。
小沢一郎氏会見での「諍い」に関する読売新聞の記事に反論する【週刊・上杉隆】
10月20日の自由報道協会主催の小沢一郎会見における読売新聞社会部記者の
恒次徹の“ルール無視”を百歩譲って認めたとしても、結局、恒次徹は小沢一郎から
犯罪の決め手となる決定的な証拠となる発言を引き出せていないのだからルールを
無視した甲斐も無かったことになる。恒次徹は「政治資金収支報告書に誤りがあって、
それを国民の側が判断することが大事だという風におっしゃっているわけですから、その
判断を誤らせるような虚偽記入があった場合は、もし汚職とか横領とか脱税とかいうことが
なくても、これは実質的な犯罪と言えるんじゃないでしょうか」と小沢一郎に相変わらず同じ
質問をしている。当然小沢は「実質的犯罪が伴わない場合は、今まですべて収支報告書の
修正ですまされてきたという風に申し上げてきた」と言い、「私どもは虚偽記載しているとは
思っていないんですよ。だけど、例えば仮にそれが明白に虚偽記載、いわゆる間違った
報告書だったと、計算であれ、書く場所であれ、何であれ、その時はみんな修正報告で全部
今までは通っているわけです」と同じように答えるしかない。つまり恒次と小沢の間には
“虚偽”という言葉に温度差があり、恒次は小沢が故意に記入を偽った実質的犯罪と考えて
いるが、小沢は虚偽記入は意図したものではないという形式上の間違いだと考えている。
“小沢問題”はいつもこのやりとりの繰り返しである。恒次は新聞を読んでいないと思う。
カウボーイ&エイリアン
2011年/アメリカ
エイリアン弱体化問題
総合 30点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
1873年のアリゾナ州、とある街を牛耳る実業家のウッドロウ・ダラーハイド大佐の実の息子であるパーシーはいわゆるバカ息子で、他方両親を失ったネイティヴアメリカンを養子として引き取っていたのであるが、そのナット・コロラドは片腕として優秀だった。主人公のジェイク・ロネガンは仲間を裏切り、強奪した金貨を独り占めして女と共に逃げようとした矢先にエイリアンに襲われた。当初、敵対していたダラーハイドとロネガンはエイリアンにさらわれた街の住人たちを救うためにタッグを組むのであるが、ロネガンが裏切った仲間たちと遭遇してしまう。さらにはネイティヴアメリカンのアパッチ族に拉致されたりもするのであるが、最終的にはエイリアンを倒すことで共闘することになる。
このようにストーリーを追っていけば極めて真っ当な西部劇のように思える。確かに過去の西部劇の名作を研究しただけのことはある。本作がアメリカでヒットした理由は、敵対していた者たちが同じ目的のために団結するという馴染み深い物語のためであろうが、ここにエイリアンを絡ませた途端に物語が浅くなってしまった。例えば、ダラーハイドがナット・コロラドを養子にした経緯は語りだけで済ませてしまっているし、ジェイク・ロネガンと仲間たちの関係も深く描かれることはないため、仲間を裏切った理由も分らない。エラは異星人であるが、何故襲われて、どのような経緯で地球にやって来たのか分らないために、ラストで自ら自爆する想いが伝わってこない。
一番不可思議なことはエイリアンが弱過ぎることである。ジェイク・ロネガンが手術台のような場所に寝かされていて、気がついて脱出しようとした時に、何故かエイリアンは一人しかいなくて、更に台から逃げようとした際に、何故かジェイクの左腕に武器が装着されてしまうという‘ご都合主義’は一体何なのであろうか? 地球に来ていたエイリアンたちはいわゆる‘第一陣’であるのだから、最初の母船が爆破されても次々と襲ってくるエイリアンたちに襲われて、カウボーイたちは皆殺しの憂き目に会うはずなのであるが、ラストがハッピーエンドになることには無理がある。
『世界侵略:ロサンゼルス決戦』(ジョナサン・リーベスマン監督)にも感じたことであるが、エイリアンの弱体化はストーリー展開の上でも深刻な問題になっていると思う。
注意され逆ギレ 犯罪見たらどうする? 冷静に「抑止」か「通報」判断(産経新聞) - goo ニュース
酔っ払い警官6人、電車内で逆上がり 注意されて暴行か(朝日新聞) - goo ニュース
犯罪を目にしてしまって注意出来る人は本当に奇特な人だと思う。「電車内など公共の
場のトラブルは50代以上で、仕事を失ったり孤独を抱えていたりと、社会に対して不満を
抱いている人が一定数おり、怒りを“爆発”させる機会をうかがっている人が起こすケースが
多い」と法政大学文学部の越智啓太教授は指摘している。しかし先日、車内のつり革で
懸垂をしたり、逆上がりしていた酔っ払いの6人の男たちを注意した男性乗客が彼らに頭を
叩かれた事件があったのだが、全員大阪府警の警官であった上に、2人は生活経済課所属
であり本来なら酔っ払いを注意する立場にいるのだから呆れる。しかし叩かれたと訴えたと
してもどうせ警察内で事件はもみ消されてしまうのだから、踏んだり蹴ったりでしかない。
キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー
2011年/アメリカ
未完成のヒーロー物語
総合 70点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
『ランゴ』(ゴア・ヴァービンスキー監督 2011年)を観ても分かるように、1776年に独立宣言をした、当時新興国だったアメリカは歴史も無く、自分自身でアイデンティティーを築いていくしかなかった。西部開拓時代はランゴのように個々に模索していけば良かったのであるが、国際的にアメリカ合衆国としての地位が確立し、さらに揺るぎないものにするために現れたヒーローが名前の通りキャプテン・アメリカなのである。
だから当初のキャプテン・アメリカが、いわゆるヒーローとして派手に活躍することなく、アメリカ人の戦意高揚としてのマスコットキャラクターとして、ランゴが砂漠の中で遭遇した‘西部の精霊(Spirit of the West)’と同じ役割を担うことが興味深い。個人に見えていた‘精霊’を‘キャプテン・アメリカ’として誰にでも見えるようにすることで国威発揚を画策したのである。
キャプテン・アメリカは最強の兵士とヒーローの中間的なキャラクターであるためなのか、物語自体は地味に感じるが、『アベンジャーズ』においてキャプテン・アメリカに与えられる役割を暗示しているのだと思う。そして70年後、キャプテン・アメリカは自国アメリカのことだけを考えるだけではヒーローは務まらないことを思い知るであろう。
タクシー運転手の男性死亡 横須賀線の転落事故(朝日新聞) - goo ニュース
個人的にはタクシーを利用する機会などは数年に一度くらいのものであるが、今回の
東京都品川区で24日夜に、タクシーがJR横須賀線の線路に転落して列車と衝突した事故
で死亡したタクシー運転手の年齢が74歳ということに驚いた。乗客を現場付近で降ろそうと
して会話をした後、右カーブを曲がりきれずに線路に転落したらしく、現場にブレーキ痕は
ないということから高齢者のドライバーがついしてしまうブレーキとアクセルの踏み間違いの
ように感じる。タクシー運転手の定年は75歳ということである。出来れば高齢者の運転する
タクシーに乗りたくはないと思うが、何歳のドライバーが運転しているのか乗ってみるまで
分らないし、一度停めてから断るのも申し訳ないし、どうすればいいのだろうか