MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ムーンライティング』

2015-01-31 00:03:13 | goo映画レビュー

原題:『Moonlighting』
監督:イエジー・スコリモフスキ
脚本:イエジー・スコリモフスキ
撮影:トニー・ピアース・ロバーツ
出演:ジェレミー・アイアンズ/ユージーン・リピンスキ/イジー・スタニスラフ
1982年/イギリス

 「真剣さ」と「悪ふざけ」の境界線が曖昧な映画監督について

 1981年12月5日。主人公のノヴァクと3人のポーランド人たちはワルシャワからロンドンに到着する。車の取り引きを目的に一ヵ月滞在するというのが表向きの滞在目的だったが、実はロンドンにある「ボス」の別宅を改修することが目的だった。
 仕事は順調にはかどっているように見えたが、12月13日、ポーランド全土に戒厳令が発令さたことをノヴァクは店先のテレビで知り、翌日の新聞でも確認するのであるが、3人には伝えないまま仕事を続けさせる。実はノヴァクは「連帯(独立自主管理労働組合)」が好きではなく、街角に貼ってある「連帯」のポスターを破り捨てている。
 やがてポーランドから持って来ていた資金が枯渇してしまい、食料だけでも確保するためにノヴァクはレシートを使って食料をスーパーから盗むことを思いつくのであるが、ついに女性マネージャーに見つかってしまい、店長と3人でノヴァクは、自分の自転車が盗まれたために向かいの家から盗んで使っている自転車まで連れていく。しかし「幸運」にもノヴァクが盗んでいた食料は浮浪者に盗まれており、証拠不十分でお咎めなしとなる。
 さらにネクタイなども盗みながら資金を稼いでいたノヴァクと3人のポーランド人たちは、深夜にスーパーのカートの上に荷物を乗せて運んでいる。てっきり一ヵ月が過ぎてようやく仕事を終えて帰国の途につくのかと思いきや、日付は1982年12月5日でなんと一年経ってしまっているのであり、なおかつ相変わらずノヴァクと3人は「スポットライト」ではなく「月の光」の下で喧嘩をしている。
 因みに「火曜日」とされる1982年12月5日は、正確には火曜日ではなく日曜日で、これが何かの意図があるのか、あるいはいつものスコリモフスキ監督の「悪ふざけ」なのかどうかはよく分からない。ノヴァクは妻のアンナと「ボス」と一緒に「ティナ・ターナー」のコンサートに行った時のことを語っているが、本作の制作時期がほんの少しズレていたら、「U2」のコンサートだったかもしれない。


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『シャウト』

2015-01-30 00:04:14 | goo映画レビュー

原題:『The Shout』
監督:イエジー・スコリモフスキ
脚本:イエジー・スコリモフスキ/マイケル・オースティン
撮影:マイク・モロイ
出演:アラン・ベイツ/スザンナ・ヨーク/ジョン・ハート/ティム・カリー
1978年/イギリス

 偶然の落雷が「超能力」とされることが作品を傑作にする可能性について

 精神病院で開催されるクリケット大会にロバート・グレイブスは選手の一人からスコアラーを担当しているクロスリーを手伝うように頼まれる。クロスリーは「危険な奴」だと教えられるのであるが、クロスリーの方も奴らは同じ話を繰り返すだけだとロバートに語る通り、確かにクリケット大会に参加している選手たちは些細な物音に興奮したりしており、どちらが病院の患者なのかは謎とされる。
 さらにクロスリーが語る実体験も奇妙な話で、彼は18年間もオーストラリア先住民と暮らし、そこで結婚し子供も儲けるのであるが殺してしまったと語る。教会でオルガンを弾いていた前衛音楽家のアンソニーとレイチェルのフィールディング夫妻と知り合うのであるが、それはクロスリーがアンソニーが乗っていた自転車をパンクさせたことをきっかけにした計画的なものだった。
 上手く家に入り込んだクロスリーは叫ぶことで人を殺せることを砂丘に連れて行ったアンソニーに証明して見せて、やがてレイチェルと関係を持つようになるのであるが、クロスリーの能力を知っているアンソニーはクロスリーを追い出すことができない。
 しかし砂丘で叫んだことで亡くなった羊飼いの少年の殺人容疑で逮捕しにきた警官たちに向かって叫ぶクロスリーと、クリケット大会を中止に追い込んだ雷雨の中で、クロスリーが入っていた「スコアラー小屋」を見舞った落雷のシーンが交錯し、レイチェルが家に戻って来た時には、既にクロスリーとアンソニーとロバート(?)は亡くなっており、クロスリーが「超能力者」だったのか、あるいは患者だったのか監視官だったのか全て不明なままなのである。
 クロスリーの叫びを聞いたアンソニーが気を失って砂丘から転げ落ちるシーンは、『バリエラ』(1966年)の主人公がスキーのジャンプ台の頂からトランクで滑り落ちるシーンと類似し、冒頭でアンソニーとレイチェルが一緒に鏡を運び出すシーンは、『出発』(1967年)においてマルクとミシェルが質屋に鏡を運び入れるシーンと類似し、クロスリーが干してあるレイチェルのストッキングの匂いを嗅ぐシーンは、やがて『アンナと過ごした4日間』(2008年)のメインテーマにつながるのだから、ベースとなる素材となるものは意外と変わらないものである。
 因みに、本作にインスパイアされてティアーズ・フォー・フィアーズ(Tears for Fears)か「シャウト(Shout)」(1984年)を作ったように見えるのは、ミュージックヴィデオのロケーションが本作と似ていることや、ティアーズ・フォー・フィアーズが男性のデュオだからだと思う。クロスリーを演じたアラン・ベイツとローランド・オーザバル(下写真手前の男性)の髪型が妙に似ている。


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『出発(1967)』

2015-01-29 00:21:42 | goo映画レビュー

原題:『Le départ』
監督:イエジー・スコリモフスキ
脚本:イエジー・スコリモフスキ/アンジェイ・コステンコ
撮影:ウィリー・クラン
出演:ジャン=ピエール・レオ/カトリーヌ・デュポール/ジャクリーン・ビル
1967年/ベルギー

イノセンスの喪失と夢の終わりについて

 本作のテーマは基本的にイエジー・スコリモフスキ監督の前作『バリエラ』(1966年)の「イノセンスの喪失」を踏襲しているように思う。『バリエラ』がアート系であるのに対して、本作はより大衆的でポップな演出になってはいるが、ストーリーはそれほど分かり良いものではない。
 主人公で美容師見習いの19歳のマルクはラリーに出場したいがために、同僚の友人にインド王「マハラジャ」を演じさせて自動車販売店からポルシェをだまし取るのであるが、2人は前日の深夜に勤め先の美容院店主が所有しているポルシェを乗り回しており、それがバレないように走行距離のメーターまで操作して元に戻している。しかし実際に大使館までポルシェを運転していたのは販売店のディーラーであり、ディーラーが後部座席に座っていたマルクに初めてにしては運転が上手いと褒めているのはおかしいのである。更に、店主のポルシェのナンバープレートが「1833」であり、マルクがだまし取った後に、販売店のポルシェのナンバープレートの「6379」を取らないままその上に「1833」のプレートを付けることはレースに出る車の取扱い方として明らかに間違っていると思う。しかしそれは主演のジャン=ピエール・レオも分かっており、イエジー・スコリモフスキ監督に「気にするなよ。ゴダールは繋ぎなんかどうでもいいと言っていたよ」と親切心で言ったようだが、スコリモフスキ監督は「俺は映画大学を卒業しているのだからどうでもよくはない」と言ったそうである。約20日間で撮り上げたようだからよくまとめた方だとは思う。
 マルクは客の一人であるマダムからポルシェを購入する資金を出すと言われるのであるが、自分が欲しいのは「911S」型だということで何故かその申し出を断ってしまう。マルクはミシェルを乗せて店主のポルシェに乗ってレース会場に行くのであるが、その前夜、宿泊していたホテルの部屋で、2人はミシェルの幼少からのスライド写真を見る。しかしモデルをしてテレビ出演のための宣材写真まで撮っていながらミシェルは何故か夢を諦めてしまい、最後のスライド写真は燃えてしまう。
 翌朝、ミシェルが目覚めると既にレースが始まっている時間だったが、マルクは部屋にいた。ベッドに寝ているミシェル(しかし金髪の彼女は本当にミシェルだったろうか?)は裸になっていた。それまでわざわざ床に寝ていたマルクがミシェルの方を振り向いた時、マルクの「ネガ」が燃える。その時、子供じみた「レース」は終わり、マルクは「大人」になり、イノセンスを喪失するのである。
 モンテ・ヘルマン監督の『断絶(Two-Lane Blacktop)』(1971年)のラストで同様のシーンが再現されることになるのであるが、映画を壊そうとして映画に嫌われたモンテ・ヘルマンと、映画に愛されることになるイエジー・スコリモフスキのその後の対照的なキャリアをどのように捉えればいいのだろうか?


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『バリエラ』

2015-01-28 00:05:19 | goo映画レビュー

原題:『Bariera』
監督:イエジー・スコリモフスキ
脚本:イエジー・スコリモフスキ
撮影:ヤン・ラスコフスキ
出演:ヤン・ノヴィツキ/ヨアンナ・シュツェルビツ/タデウシュ・ウォムニツキ/マリア・マリツカ
1966年/ポーランド

人波に流されながらも人生を模索する「子供たち」について

 なかなかストーリーを追うことが難しい作品であるが、大まかに書き連ねてみる。
 冒頭は電気コードで両手を背後で縛られたまま、順番に医学生4人が目の前のマッチ箱を口でくわえるゲームに興じている。ようやく勝者が決まり、本作の主人公となる彼は豚の貯金箱を持って一人で寮を出る。父親に会いにいくのであるが、彼は車イスに乗っている。何故か見知らぬ男たちが次々と2人の前を通り過ぎていくのであるが、父親は息子に手紙を持たせて、ある女性の元を訪ねさせる。最初、主人公は清掃員と勘違いされるのだが、手紙を見て、主人公にサーベルを持たせる。結婚することを決意した主人公は右から左に人波に流されていくのであるが、信号で立ち止まると何故か主人公の目の前を車イスに乗った父親(=「老い」の暗喩)が通り過ぎていき、信号が変わると再び主人公は人波に流されていく。
 主人公は偶然、路面電車の女性車掌に出会い、2人は仕事の合間を縫って出かけると、スキーのジャンプ台の頂上から主人公はトランクに乗って滑り落ちて転倒したりしているのであるが、やがて主人公はライラックの花の中にうずもれてしまう。
 そのうち、主人公となかなか会えなくなった女性車掌が休みをもらうために、自分と代わって仕事をしてくれる人を探すのであるが、なかなか見つからない。彼女も左から右に人波に流されていくのであるが、信号で立ち止まると何故か担架で運ばれる主人公(?)(=「病気」や「怪我」の暗喩)が通り過ぎていき、信号が変わると再び女性車掌は人波に流されていく。
 そして路面電車を運転している女性車掌の目の前に主人公が現れる。彼は電車のフロントガラスにしがみ付いており、停まった勢いで電車から落ちるのであるが、女性車掌は笑顔で「風邪をひくわよ」と声をかけて作品は終わる。
 子供が「お金」と「武器」を持って大人になるまでの「寓話」が描かれていると思うが、はたして2人が「大人」になれたのかどうかは微妙である。


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歌詞の「深読み」について

2015-01-27 00:33:36 | 邦楽

凜として時雨、歌詞変更は人質事件配慮?(日刊スポーツ) - goo ニュース
KAT-TUN、人質事件配慮で曲目変更(日刊スポーツ) - goo ニュース

 23日に放送されたテレビ朝日系の音楽番組「ミュージックステーション」で、イスラム

過激派組織「イスラム国」が日本人2人を人質に取った事件に配慮してアーティストの曲目

や歌詞が当初の予定から一部変更されたようなのであるが、そこまで気にすることかどうか

疑問が残る。3人組のロックバンド「凛(りん)として時雨」が「Who What Who What」を

披露した際に、「血だらけの自由」を「幻の自由」に、「諸刃(もろは)のナイフ」を「諸刃の

フェイク」に変更したというのであるが、歌詞のテロップが流れなかったために、私には

そもそも彼らが何を歌っていたのかさっぱり聞き取れなかった。この報道が無ければ敢えて

CDに歌詞を掲載しない洋楽アーティストの類かと思ったくらいだ。男性アイドルグループ

「KAT―TUN」の新曲「Dead or Alive」は「死ぬか生きるかの」とか「生死を問わず」

といった意味があるために、カップリング曲の「WHITE LOVERS」に変更されたようだが、

この時期音楽番組を見ている人でそこまで気にする人はいないように思う。その上、

「WHITE LOVERS」をそのまま訳せば「白人の恋人たち」となりそれは逆にイスラムに

敵対する意味にも取られかねず、さらに「KAT―TUN」は翌日深夜のTBSの『COUNT

DOWN TV』では新曲を歌っており、何が基準になっているのかさっぱり分からない。


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誰の声紋分析が正しいのか?

2015-01-26 00:05:50 | Weblog

イスラム国殺害脅迫 画像の声紋「99・9%後藤さん本人」 専門家分析「妻への言及部分では動揺」(産経新聞) - goo ニュース

 音響研究所の鈴木松美所長に拠るならば、湯川遥菜さんを殺害したとする画像の音声は

「99・9%、後藤さん本人の声だ」としているのであるが、同じ日本音響研究所の鈴木創

社長に拠るならば、全くの別人だと断定されている。同じ機材を使って鑑定されているはず

なのであるが、一体、どっちが正しいのだろうか。そもそも現在、日本音響研究所は誰が

仕切っているのかよく分からない。おそらく名字からして松美と創は親子だろうし、父親が

息子に分析の仕方を教えたのだろうから、正反対の結果が出てしまう事が不思議である。


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『アゲイン 28年目の甲子園』

2015-01-25 00:23:01 | goo映画レビュー

原題:『アゲイン 28年目の甲子園』
監督:大森寿美男
脚本:大森寿美男
撮影:佐光朗
出演:中井貴一/波瑠/柳葉敏郎/和久井映見/門脇麦/西岡徳馬/堀内敬子
2015年/日本

理解されずに使用されるハンディーカメラについて

 主人公の坂町晴彦の娘で日大芸術学部に通っている沙奈美と最後で「和解」する場面は余りにも急な気がするが、ストーリーそのものは悪いわけではない。野球を題材にした作品として『バンクーバーの朝日』(石井裕也監督 2014年)も上映されているが、これくらいベタなストーリー展開の方が盛り上がるのである。ただ気になるところはカメラワークで、例えば、久しぶりに娘が住んでいるアパートを訪ねた際に、晴彦と沙奈美が対面するシーンにおけるハンディーカメラの不安定な画面は確かに2人の深層心理を表したものとして有効だと思うが、同じ川越学院高校野球部の元チームメイトの松川典夫の娘の美枝が坂町を訪ねてきたシーンも、何故かハンディーカメラによる不安定な画面で、演出意図がはっきりしていないところが残念に思う。


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『バンクーバーの朝日』

2015-01-24 00:08:11 | goo映画レビュー

原題:『バンクーバーの朝日』
監督:石井裕也
脚本:奥寺佐渡子
撮影:近藤龍人
出演:妻夫木聡/亀梨和也/勝地涼/上地雄輔/池松壮亮/佐藤浩市/高畑充希/宮崎あおい
2014年/日本

 野球に興味がなさそうな映画監督と脚本家の作品について

 野球を題材とした作品とあってかなり期待して観に行ったが、日系二世が中心となって結成された「ASAHI」とカナダ人中心の「Mt. Pleasant」のゲームのシーンは決勝戦も含めて全く盛り上がらない。たまたまバットにボールが当たって生まれたセーフティバントの作戦が「Brain Ball」として有名になったことは事実としても、真夜中のレジー笠原とロイ永西によるボールを使わない「シャドー」バント練習はどう考えてもおかしな話で、素振りのようにバントの練習が成り立つのか疑問が残る。
 クライマックスでロイが三塁に強烈な打球を放ち、レジーが逆転サヨナラのホームインをするのであるが、何故か他のメンバーと共に喜び合うこともなく、まるで勝ったらカナダ人に殺されるかのような不安な表情を見せるのであるが、そのような話だったのだろうか?
 字幕にも問題があると思った。エミー笠原がメンバーたちを励まそうと友人に教えてもらった「Take Me Out to the Ball Game(私を野球に連れてって)」を歌うのであるが、何故か字幕が付けられていない。字幕があったとしても、例えば、ロイが相手投手と乱闘騒ぎを起こした直後、勤務先の監督官から「残念だ」と言われているのだが、彼が言う「It's a shame」は寧ろ「恥を知れ」というニュアンスだったと思う。このような微妙なニュアンスのズレが気になったのだが、誰が字幕を担当したのか分からなかった。
 ちなみに「There are four seasons. Winter, summer, fall & baseball(4つの季節がある。冬、夏、秋とベースボール)」という店に貼ってあるポスターのキャッチフレーズは意味ではなく、冬と夏の単語の語尾を「er」で、秋とベースボールの単語の語尾を「all」で合わせて韻を踏んだところが面白いのである。


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『サンバ』

2015-01-23 00:29:49 | goo映画レビュー

原題:『Samba』
監督:エリック・トレダノ/オリヴィエ・ナカシュ
脚本:エリック・トレダノ/オリヴィエ・ナカシュ
撮影:ステファーヌ・フォンテーヌ
出演:オマール・シー/シャルロット・ゲンズブール/タハール・ラヒム
2014年/フランス

「アイデンティティ」のあり方について

 冒頭のシーンから気になる。主人公のサンバ・シセがホテルの皿洗いの仕事を終えて帰宅しようとパリメトロ2号線で電車が来るのを待っているのであるが、パリにいるはずのサンバが座っている向かって右側に見える駅の名前は「ローマ」で、左側にはイタリアの映画監督のピエル・パオロ・パゾリーニの「ローマ」と題した回顧展のポスターが貼られており、一瞬サンバがどこにいるのか分からなくなる。
 このように本作がテーマとしていることはアイデンティティであり、実際、アフリカのセネガル出身のサンバは滞在許可証の失効で国外退去命令が出されることで、自分の「アイデンティティ」を喪失する危機を迎えるのであるが、サンバのサポートを担うことになった、移民支援協会ボランティアのアリスでさえも仕事上のストレスから、仕事中に携帯電話をかけていた同僚に激怒し、その携帯電話を取り上げて殴るという失態を犯し、「燃え尽き症候群」として休職中の身で、睡眠導入剤が手放せない状態だった。つまり母国に住んでいるフランス人だからといって自分の「アイデンティティ」が保障されているわけではないのである。
 サンバの「アイデンティティ」はサンバのおじのラモーナの滞在許可証や偽造IDを経て、不法滞在移民収容センターで知り合ったコンゴ人のジョナスが出所する際に受け取った、政治難民として取得した10年の滞在許可証を手に入れることで保障され、コックとしてフランスで働くことになる。その滞在許可証に貼られていた小さな顔写真はかろうじて本人が黒人であることだけが保障されているだけだからである。一方、サンバと知り合ったことで物事の多面を見られるようになったアリスも元の職に復帰することになる(アリスを見た同僚たちが一斉に携帯電話を隠したことは言うまでもない)。つまり「アイデンティティ」とは本来一つに決まったものではなく、絶えず流動する中でその都度確認しながら享受するものなのである。
 奇しくもテーマは『真夜中の五分前』(行定勲監督 2014年)と同じであるが、「アイデンティティ」を巡るストーリー展開は本作の方が断然面白い。


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『真夜中の五分前』

2015-01-22 00:30:28 | goo映画レビュー

原題:『真夜中の五分前』
監督:行定勲
脚本:堀泉杏
撮影:中山光一
出演:三浦春馬/リウ・シーシー/チャン・シャオチュアン
2014年/日本・中国

物語が凝りすぎて訳が分からなくなったサスペンスについて

 話は姉のルオランと妹のルーメイの一卵性双生児の幼少の頃の出来事から語られる。ルーメイが庭で遊んでいたルオランに服を変えようと誘って服を着替えた直後に、母親から窓ガラスを割った犯人扱いされてルオランは連れていかれ、その2人を背後からルーメイが見つめているのである。
 主人公の良(リョウ)は中国の上海の時計店で修理士として働いている。通っているプールでリョウはルオランと出会い、女優としてデビューしたばかりの妹のルーメイが映画プロデューサーのレオン・ティエンルンと婚約したお祝いのプレゼントを選んでくれるようにルオランはリョウに頼む。リョウは悩んだ末に自分で制作した時計を選ぶのであるが、時計を贈ることは死を連想させるために中国ではありえないことをリョウは後で知らされる。
 ルオランはルーメイと一卵性双生児であるが故に、例えば、選ぶ服も似てしまうため、自分のアイデンティティの不確かさに悩んでいる。一方、リョウは恋人を亡くしており、5分時計を遅らせて合わせることが好きだった彼女のクセを踏襲している。
 ここまでの伏線の張り方は良いのだが、その展開の仕方からストーリーは迷走し始める。ルオランとルーメイの2人が旅行先のモーリシャスで事故に遭い、ルーメイは助かったものの、ルオランは亡くなってしまうのである。その1年後に、リョウは結婚したルーメイとレオンに再会するのであるが、レオンはルーメイが実はルオランなのではないかと疑っている。
 確かにルオランは泳げるがルーメイは「金づち」であるからなのだが、分かりにくい点として、5分時計を遅らせて合わせることが好きだったリョウの彼女のクセをルオランが踏襲しているのかどうか不確かで、伏線としては活きていないことと、映画館前でルーメイのファンに囲まれていたルオランを助けたレオン自身がルオランをルーメイと間違えて服をプレゼントしていることで、当初、ルーメイはポルトガルの詩人であるフェルナンド・ペソア(Fernando Pessoa)の詩を引き合いに出し、人は他人の中に自分自身を見つけるだけなのだとして慰めていたのであるが、やがてルーメイ自身が自分がルーメイなのかルオランなのか分からなくなってしまい、これでは答えのない問題を解かされているようなもので、サスペンスにもミステリーにもなっていない小難しい作品になってしまっていると思う。


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