ザ・スピリット
2008年/アメリカ
最先端で懐かしい映像
総合 60点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
申し訳程度のマスクからしてやる気のなさそうな主人公スピリット。面白い‘ヒーローもの’を観たければ『ダークナイト』を観ればいいというほどの開き直ったくらいの全く弾けない物語に、しかしそうなってしまうのも仕方が無いと同情することもできなくもないということをここに記しておきたい。
スピリットは絶えず‘死’の甘い誘惑に脅かされている。しかし本当は彼は脅かされているのではなくて、ヒーローのような報われない仕事を辞めて魅惑的な‘死’の胸に飛び込んで楽になりたいのである。それでもスピリットが死なずに戦い続ける理由は、自分を育ててくれた彼の街に対して恩義を感じているからであろう。だからこの作品を‘ヒーローもの’として観るならば確実に裏切られた気分になってしまうのであるが、意味の無い戦いを嫌々している哀れな男の物語として観るならば少しは面白くなるかというとやっぱり面白くはない。そもそも同情しに観にいくわけではないし。
しかしこの作品から漂ってくる懐かしさは何なのかと考えているうちに思い出した。このテイストは明らかに日本のプログラムピクチャーの旗手、鈴木清順作品のものと同質のものである。そのように考えてこの作品を観ると面白くなるかというとそれでもやっぱり面白くならない理由は、鈴木清順監督作品もまた日本においてさえカルト扱いされているからであろう。
大人になりたくなかったマイケルと一緒に大人になった私たち――ニュースな英語(gooニュース・ニュースな英語) - goo ニュース
今回のマイケル・ジャルソン死亡報道で私がどうしても気になることがある。それは
マイケルが“薬物依存症”だったということである。確かに“薬物依存症”であったの
かもしれないが、マイケルの“薬物依存症”という場合、それはいわゆる“セックス・
ドラッグ&ロックンロール”の“ドラッグ”ではなくて、あくまでも怪我などの体の痛みを
和らげるために必要な“ドラッグ”だったということである。治療として必要とされて
いた“ドラッグ”の過剰摂取であるのならば、それはマイケルの責任ではなくて、
主治医の責任である事は間違いない。私は今度のマイケルの死は医療事故という
可能性があると考える。何れマイケル・ジャクソンについては書いてみたいと思う。
愛を読むひと
2008年/アメリカ=ドイツ
‘朗読者’を越えて
総合 100点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
今、私の手元にあるこの作品のパンフレットにはこのように書いてある。「突然終わった年上の女性との恋。20年後、彼はなぜ、本を朗読し、彼女に‘声’を送り続けたのか? 少年の日の恋が、無償の愛へと変わるまで。」私にはこの作品が、若い頃、性の手ほどきを受けた主人公マイケルが、そのお礼で無償の愛をその相手であるハンナに施したようには思えない。そのことを書いておきたいと思う。
勿論ハンナが自分が文盲であることを恥じていたことは確かで、それは車掌をしていたハンナがその仕事ぶりを認められて事務職に昇進したとたんに自分が文盲であることがばれることを恐れて家出をしたことで分かるし、アウシュヴィッツでの出来事の罪を全て引き受けてしまうのも同じ理由によるものであろう。
ではマイケルはどのような理由でハンナが文盲であることを公表しなかったのだろうか? ただハンナが文盲であることを隠したがっていることに共感したからだろうか? それにしてはその後のマイケルのハンナに対する態度は奇妙なものではないだろうか?
ところでアウシュヴィッツの悲劇の原因は何なのだろうか? 勿論様々な要因が考えられるのだが、その一つとして‘ユダヤ人の物語’の盲信があったことは間違いない。ハンナは‘物語’を聴くことが大好きで、マイケルは‘物語’を読むことが大好きだった。私はマイケルは文盲であることを隠したがっているハンナに共感したのではなくて、やはりハンナに罪を償ってもらいたかったのだと思う。そして‘朗読者’としてアウシュヴィッツの悲劇を決して他人事として片付けることができないマイケルもハンナと一緒に罪を背負うことを決意したのだと思う。
マイケルはただハンナに自分が朗読したテープを送り続ける。やがてハンナはテープと本を照らし合わせながら文字を覚えていく。マイケルはハンナから送られてくるようになった手紙に返信しないことで、更にハンナに文章を書かせるようにさせる。そしてついにハンナは‘ユダヤ人の物語’の盲信から抜け出し、自分の言葉で綴ることで罪を懺悔できるようになる。しかしハンナはそれを綴ったことで自分の犯した罪の大きさを改めて実感し、そのあまりの大きさに心が耐え切れず自死してしまうのである。私はマイケルはハンナがこのように自殺する可能性があることが分かっていたと思う。分かっていたからマイケルのハンナに対する行動は終始煮え切らないものになったのであろう。
マイケルはハンナの意思を継いで、当然許される訳はないのであるが、イラーナ・マーターに謝罪しに行き、ラストシーンでは自分の娘に自分の言葉で自分の過去を語ることで‘朗読者’であった自分に決別するのである。
これほど慎み深い懺悔を私は見たことが無い。
「思い違いでは」東国原知事の総裁候補発言に自民反発(読売新聞) - goo ニュース
この何度も襲ってくる嫌な既視感はいつまで経っても衆議院を解散しない麻生太郎
のせいである事は間違いない。東国原宮崎県知事の「自民党は血液を入れ替える
覚悟が必要だ」と発言した事に対して、伊吹文明は「輸血は血液型が合わないもの
をしたら頓死する」と返した。伊吹は皮肉ったつもりでいるのだろうが、それならば
伊吹に訊いてみたい。伊吹はいつまで自分自身が“自民党の血液型”気取りで
いられると思っているのかと。東国原のみならず日本国民の多くが、自民党は
白血病の患者のように悪い血液を総取替えするべきだと感じているのである。
そして伊吹が良い血液か悪い血液かは今度の選挙で明らかになるであろう。
劔岳 点の記
2009年/日本
‘人跡未踏’の困難さ
総合 70点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
映画の宣伝のためにテレビ番組に出演していた時の木村大作監督の、全く空気を読む気配のない破天荒な言動を目にしてしまっていたので、この作品もかなり‘荒れている’と思って覚悟して観に行ったのだが、意外と堅実に撮られていたので肩透かしを食らったような感じが残ってしまった。
この作品が観客に強烈な印象を残せていないとするならば、吹雪や雪崩のシーンや人物造形の問題という以上に(黒澤明監督『デルス・ウザーラ』と比較してみると面白い)、陸軍測量手の柴崎芳太郎や宇治長次郎が率いる測量隊がついに剱岳山頂に登頂した時に彼らが登頂した剱岳を自分たち自身が遠くから見て確認することができないことにあると思う。だから自分たちが剱岳山頂に登頂しているシーンを見ることができない彼らは、頂上に既に存在した千年前の修験者の痕跡を見つけて唖然としたり、自分たちの登頂後に登った日本山岳会の会員の姿を自分たちとダブらせるという歪んだ方法で自分たちの業績を確認するしかないのであり、そのストレートに伝わってこない感動がこの作品を観る観客の感動の仕方になってしまうのであろう。
しかし歪んだ方法であっても、感動できるのは同じ道を進もうとする人たちがいるからである。もしも柴崎芳太郎や宇治長次郎がいなかったら修験者の偉業は誰にも知られずに終わっていた。つまり感動というものは実は歪んだ方法によってのみ伝わるようなものなのである。
“若者撃退音”設置の公園に少年たむろ、トイレ壊される(読売新聞) - goo ニュース
この高周波の不快音(モスキート音)発生装置は“諸刃の剣”だと思う。そもそも
このモスキート音は若者がたむろする場所に流すことで若者がたむろしないように
する目的のものである。しかし残念なことに若者がたむろしなくなればその場所が
安全になるかというとそういう訳にはいかない。何故ならモスキート音を聞くことで
若者はたむろはしなくなるが、不快な音を聞かされた若者が癇癪を起こして今回の
ようにそばにある器物を破損することは十分に考えられる。つまりモスキート音が
若者の心に余計な火をつけてしまうのである。だから本当に有効なモスキート音
とは、聞いた瞬間に体が動かなくなるレベルでなければ意味を成さないと思う。
「総理・総裁は命懸け」…小渕さん、東国原知事に不快感(読売新聞) - goo ニュース
これだから2世議員はダメだと言われてしまう見本のような小渕優子の発言である。
そもそも“総裁のイス”を軽くしてしまっているのは誰なのか小渕は考えた事がある
のだろうか? “総裁のイス”を弄んで限りなく軽くしているのは麻生本人であり、
簡単に放り投げてしまった福田康夫、安倍晋三2人の元首相である。自分は総裁
であった父親のことを良く知っているから、軽々しく総裁を目指すということを口に
することは許さないという発言には、逆に小渕は総裁など目指すことなく政治家
同士仲良くやっていきたいという甘さが丸出しなので、命も掛けられない体たらくさ
に私はほとほと呆れてしまうのである。
トランスフォーマー/リベンジ
2009年/アメリカ
‘オマージュ’の塊
総合 100点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
『ターミネーター4』などの最近のSFアクション作品はやたらと登場人物の内面を掘り下げてしまい、全体のトーンが暗く重くなる傾向にある。この作品も‘リベンジ’という言葉が原題にも使われているので、『ターミネーター4』レベルのものかと判断してたいして期待もせずに観に行ったが、良い意味で期待を裏切られた。
まずはそれぞれのキャラクターのほぼデタラメ同然の‘トランスフォーム’振りに感心してしまった。その‘トランスフォーム’のデタラメさはキャラクターだけに留まらず、この作品自体が『ターミネーター』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『ナショナル・トレジャー』や『2001年宇宙の旅』など他作品に‘トランスフォーム’る有様であり、更には作品のジャンルも越えて‘西部劇’のようにも‘トランスフォーム’るデタラメ振りである。つまりこの作品はこれまで制作された作品の‘オマージュ’の塊なのだと思う。最後のピラミッドのシーンは1933年にエンパイア・ステート・ビルディングの頂上に登ったキングコングへのオマージュではないだろうか? あえて内面に深入りすることなく、ただ表面を滑走し快走していく映像で久しぶりに素直にエンターテイメントを楽しめた。しかしこれで続編のハードルを思いっきり上げてしまったが大丈夫なのか?
ゲルマニウムブレスレット「疲労和らぐ」根拠なし(読売新聞) - goo ニュース
いったいゲルマニウムが人体の血行を良くするというような、何の科学的な根拠が
ない迷信が何故このように広まっているのだろうか? 例えば磁気ネックレスという
ようなものであるならば、磁気によって鉄が動くことが見て分かるから体にも同様の
作用があるような気がしてしまうのは理解出来るが(勿論磁気作用も科学的な根拠
はない)、このゲルマニウムの不可思議な認知度はどこ由来なのかが分からない。
私の想像では誰か有名人がゲルマニウムのブレスレットをしていたことがきっかけ
になっていると思うのだが、それが誰かが分からない。それともこの語感が体に
効きそうな感じを与えるのだろうか?ゲルマニウムにそれほどの力があるのならば
体に良いことよりも先に体に害を及ぼさないのかどうかを考えるべきであろう。
衆院選出馬要請に東国原知事「自民総裁候補にするなら」(読売新聞) - goo ニュース
しかし自民党議員は喋れば喋るほど自身のバカを露呈してしまうことにいまだに
気がついていない。例えば今回の東国原宮崎県知事の発言に対して、松浪健四郎
は「東国原君、顔を洗ってくれたまえ」と述べ、笹川尭は「あほらしい」「のぼせない
方がいいよ」と吐き捨てるように言っていた。おかしくないだろうか? そもそも事の
始まりは古賀の東国原に対する次期衆議院選挙の自民党からの出馬の依頼から
である。つまり自分たちから頼んでいるのに気に食わないことを言われたからと
いって、その相手を貶すようなことを言うことが礼儀に適ったことだろうか? この
場合は丁重に断ることが大人の対応であろう。好い年をして礼儀も知らないバカ
どもが与党で偉そうにのさばっているからナメられるのである。