MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『宇宙人王(ワン)さんとの遭遇』

2015-08-31 00:36:54 | goo映画レビュー

原題:『L'arrivo di Wang』
監督:アントニオ・マネッティ/マルコ・マネッティ
脚本:アントニオ・マネッティ/マルコ・マネッティ
撮影:アレッサンドロ・キオド
出演:エンニオ・ファンタスティキーニ/フランチェスカ・クティカ/リ・ヤング
2011年/イタリア

その造形からして悪意を感じる作品について

 世界で一番多くの人々が話しているからという理由で宇宙人が中国語を選んで学習したり、イタリアの秘密警察に拷問されたという理由で「中国人」が国際人権救援機構のアムネスティ・インターナショナルに救援を要請しようとするところなど中国に対する強烈なアイロニーが描かれているが、ラストの宇宙人のセリフは中国語ではなくイタリア語の方が相応しかったことは間違いない。


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『サンダーバード Are Go』

2015-08-30 00:08:24 | goo映画レビュー

 今年、『サンダーバード』のリメイク版である『サンダーバード ARE GO』が製作され、日本でもNHKで放送が始まり、同時に旧作も放映されていたので久しぶりに観たのであるが、こんな単純な話だったのかと唖然とした。例えば、「宇宙放送局の危機(Ricochet)」という話では、何と大型の無人ロケットを男女2人のスタッフで打ち上げているのである。あるいは「ジェット“モグラ号”の活躍(Pit of Peril)」にしても穴に落ちて遭難した500トンもある軍の装甲車をバージルとゴードンの2人の兄弟で引き揚げようとしているのである。ストーリーも単純でただ現場に行って救助の様子が描かれているだけで、それでも子供の頃は楽しく観ていたのである。
 ところで新作の『サンダーバード ARE GO』はどうかというと、マリオネットの代わりにコンピュータグラフィックスの使用によって人物の動きが格段に良くなったのだが、マリオネットのぎこちなさが人間味を出していたのであり、コンピュータグラフィックスによりトレーシー兄弟たちはスーパーマン顔負けの超人のような行動力を発揮してしまっている。
 因みにタイトルの「Thunderbirds Are Go!」の「Go」は動詞ではなく形容詞で「(ロケット打ち上げなどのシステムが)用意ができて、準備万端」という意味である。子供の頃、日本語のテーマ曲を「サンバ~ダ~ド~」と歌って笑われたことがあったが、多少英語が分かる今はさすがにそのような間違いはしなくなった。


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『ガタカ』

2015-08-29 00:55:54 | goo映画レビュー

原題:『Gattaca』
監督:アンドリュー・ニコル
脚本:アンドリュー・ニコル
撮影:スワヴォミール・イジャック
出演:イーサン・ホーク/ジュード・ロウ/ローレン・ディーン/ユマ・サーマン
1997年/アメリカ

「適正者」と「不適正者」が見る同じ「悪夢」について

 本作の主人公は2人いる。近未来において遺伝子工学の進歩によって自然出産で生まれたにも関わらず心臓が弱く遺伝子的に劣った「不適正者」として生きなければならないヴィンセント・フリーマンと、それでも宇宙飛行士になりたいというヴィンセントのために自身の血液や体液や体毛のサンプルを提供する契約を交わした、遺伝子操作で生まれた最強の「適正者」のジェローム・ユージーン・モローである。
 対照的な2人を繋ぐものは、本人たちは気がついていないようだが「水泳」である。ヴィンセントの「失敗」を反省して、ヴィンセントの両親は弟のアントン・フリーマンを遺伝子操作によって「適正者」として産み、アントンは優秀で完璧な人間として成長する。決して弟に負けているとは思わないヴィンセントはアントンと遠泳で競い合い、何度も負けた末にようやく気力でヴィンセントはアントンに勝つのである。一方、「適正者」であるユージーンは優秀であることが宿命づけられているのであるが、スーパースターの水泳選手でありながらなかなか一番になることができず、思い悩んだあげくに自殺を試みるも失敗してしまい車イスの生活を余儀なくされる。要するに「不適正者」のみならず「適正者」でさえその重圧に耐えられない世界になってしまっているのである。
 だからヴィンセントが「ユージーン」として息苦しい地球を「脱出」した後に、いまや半身不随の「不適正者」であるユージーンが戦いの象徴である銀メダル(写真下)と共に自分自身を焼身自殺で「消して」しまうことが「適正者」しか一人前の人間として見なされない世界におけるごく自然な反応に見えてしまうのである。これほどの傑作が興行的に大失敗したとは信じられない話である。


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『ビッグゲーム 大統領と少年ハンター』

2015-08-28 00:16:29 | goo映画レビュー

原題:『Big Game』
監督:ヤルマリ・ヘランダー
脚本:ヤルマリ・ヘランダー/ペトリ・ジョキランタ
撮影:ミカ・オラスマ
出演:サミュエル・L・ジャクソン/オンニ・トンミラ/レイ・スティーヴンソン
2014年/フィンランド・イギリス・ドイツ

小国による「ハリウッド映画」製作の難しさについて

 例えば、川に流されて湖に至ったアメリカ大統領のウィリアム・アラン・ムーアと地元の13歳の少年のオスカリが湖に半分沈んだエアフォースワンの尾翼を見上げるシーンは『猿の惑星』(フランクリン・J・シャフナー監督 1968年)のラストシーンを想起させたり、続篇を匂わすオチも悪くはないが、このような大きな話(=ビッグゲーム)で上映時間が90分というのはいかにも短すぎる。
 しかし例え上映時間90分であっても本作はフィンランド映画史上最もお金がかかった作品で、その割には収益は予算の半分程度であるため続篇はなさそうである。


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『at Home アットホーム』

2015-08-27 00:00:07 | goo映画レビュー

原題:『at Home アットホーム』
監督:蝶野博
脚本:安倍照雄
撮影:木村信也
出演:竹野内豊/松雪泰子/坂口健太郎/池田優斗/黒島結菜/國村隼/村本大輔/板尾創路
2014年/日本

「盗んできた家族」のまとめ方について

 例えば、主人公の一人で結婚詐欺師の森山皐月がターゲットの不動産王の息子のミツルと一緒に観に行った映画が『過去のない男』(アキ・カウリスマキ監督 2002年)とシャーロット・ランプリング主演の『まぼろし』(フランソワ・オゾン監督 2000年)というのは、騙し合うことになるミツルと皐月の暗示として上手く機能しているように見えるのだが、疑似家族こそ「本物」の家族になるという本作のメッセージは、ストーリー展開が都合が良すぎて上手くまとまり過ぎているように感じる。「俺が盗んできた家族は、誰にも奪わせない。」という気概が誰に向かって言われているものなのかよく分からない。
 評判が良いのかどうかよく分からないが、個人的にはミツルを演じた村本大輔の、あるいは皐月の実の夫を演じた千原せいじの演技にも違和感があった。しかし主役の竹野内豊にしても松雪泰子にしても役者としては一流であっても、例えば、大泉洋や綾瀬はるかのように映画の宣伝までそつなくこなす俳優ではないために、『この国の空』(荒井晴彦監督 2015年)同様に製作に関わっている吉本興業所属の芸人を話題作りのために出演させたように見える。大量の映画が製作されるようになった現代の俳優にとってなかなか難しい問題の一つだと思う。


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『この国の空』

2015-08-26 00:49:25 | goo映画レビュー

原題:『この国の空』
監督:荒井晴彦
脚本:荒井晴彦
撮影:川上皓市
出演:二階堂ふみ/長谷川博己/工藤夕貴/富田靖子/利重剛/石橋蓮司/奥田瑛二
2015年/日本

「不倫」=「戦争」の強引さについて

 男たちが戦争に従事している間の女性たちの生活が丁寧に描かれているとは思うが、主人公の里子と隣に住む市毛との不倫が終戦後に里子にとっての終わらない「戦争」になるとはどうしても思えない。それは戦争時は周りに男たちがいなくなりたまたまメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を弾くような市毛がいたから里子は憧れから恋愛感情を抱いただけであり、男たちが戦場から戻ってくるならば、妻子のある病弱の市毛よりも独身で元気な若い男はたくさんいるはずで、19歳の若い里子の気持ちはそちらに移ってしまう可能性は大いにありうるからである。
 娘と市毛の交際に反対していた里子の母親が夜中に里子がトマトを洗う際の自宅の庭の井戸で水をくみ上げる音に気がつかないことも不自然で、「戦争」と「不倫」を強引に結び付けたきらいがあるが、もしも結びつけるならば市毛の妻との「戦争」になるはずで、そうなると市毛の妻が一度も画面に現われないのは「不倫戦争」のストーリーとして弱いのではないだろうか。


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『日本のいちばん長い日』

2015-08-25 00:21:12 | goo映画レビュー

原題:『日本のいちばん長い日』 英題:『THE EMPEROR IN AUGUST』
監督:原田眞人
脚本:原田眞人
撮影:柴主高秀
出演:役所広司/本木雅弘/松坂桃李/堤真一/山崎努/神野三鈴/蓮佛美沙子/キムラ緑子
2015年/日本

 「声」を巡る真意について

 本作のメインストーリーとなる、玉音放送の録音盤を巡る畑中健二陸軍少佐を中心とした血気盛んな若手たちと政府軍との攻防は『日本のいちばん長い日』(岡本喜八監督 1967年)で既に描かれており、そうなると本作は「生き残った」日本国民に届く天皇陛下の「録音された声」と、主人公で「切腹したために」阿南惟幾陸軍大臣に届かなかった、戦死した次男に関する阿南綾子の電話を通してではない「生の声」の対照性にこだわるべきだと思われる。その「真意」を探ろうとすれば出来なくもないであろうが、必ずしもエンターテイメントとして成功しているとは思えない。
 しかし断固として終戦に反対してクーデターを試みる若い軍人たちの狂気の相貌は上手く描かれており、最後に鈴木貫太郎首相の孫娘が祖父の「鉛の弾と金の玉」の自慢話を真面目にしているところなどは面白かったのだが、エンディングの呆気なさには面食らった。


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『泣いてたまるか ラッパの善さん』

2015-08-24 00:08:29 | goo映画レビュー

原題:『泣いてたまるか ラッパの善さん』
監督:中川晴之助
脚本:野村芳太郎
撮影:森隆吉
出演:渥美清/左幸子/小山明子/イーデス・ハンソン/穂積隆信/戸浦六宏/武智豊子/江幡高志
1966年/日本

「サブストーリー」の重要性について

 タクシー会社「西風交通」の大蔵営業所の事故処理係を務めていた主人公の山口善作が、やがて新聞で出稼ぎ労働者の行方不明者として顔が出てしまい、周囲に正体がバレてしまうまでの物語が描かれているのであるが、そのメインストーリーとは別に、同じアパートに住む腕っぷしの強い男に喧嘩を売り、犬の葬式をさせられた後に犬に追いかけられ、巨大なカステラを食べ、街をさまよい、粉袋を被り、家族が住む山形に帰ったのにすぐに突き飛ばされて追い出される様子を以下のように辿っていくと間違いなく渥美清はチャールズ・チャップリンを演じさせられているのである。それが脚本を担った野村芳太郎によるものなのか監督の中川晴之助の演出なのかよく分からないが、『泣いてたまるか』のシリーズ第一回目としてかなり力を入れていたことは分かる。

 


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『雲霧仁左衛門』

2015-08-23 00:39:42 | goo映画レビュー

原題:『雲霧仁左衛門』
監督:五社英雄
脚本:池上金男
撮影:酒井忠/小杉正雄
出演:仲代達矢/七代目市川染五郎/岩下志麻/松坂慶子/あおい輝彦/長門裕之/宍戸錠/丹波哲郎
1978年/日本

映画監督の「観点」の違いについて

 『ええじゃないか』(今村昌平監督 1981年)同様に本作もストーリーを細かく追って観ていくと登場人物の多さと160分という上映時間の長さに疲れてしまうだろうが、かと言って『ええじゃないか』同様に「マクロ」な観点から観たところで映画の醍醐味が味わえる訳ではない原因は、池波正太郎の長編小説をまとめることで精一杯で、アクションシーンを得意としていたテレビディレクター出身の五社英雄監督自身に「マクロ」な視点が欠落しているからであろう。
 一番の問題点は当初、自分たちを罠に陥れた尾張徳川家に復讐しようという兄の辻蔵之助の誘いに乗らずに泥棒稼業に徹していた主人公の雲霧仁左衛門が、蔵之助が仁左衛門の代わりに出頭して打ち首になったことで心変わりして復讐を果たすのであるが、その2人の心情の変化が上手く描かれていないと思うのである。
 しかしこの後、本作においてもその一端を垣間見ることができるのであるが、五社英雄監督は『鬼龍院花子の生涯』(1982年)あたりから女性をメインとした作品で独特の地位を確立する。


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『ええじゃないか』

2015-08-22 00:35:32 | goo映画レビュー

原題:『ええじゃないか』
監督:今村昌平
脚本:今村昌平/宮本研
撮影:姫田真佐久
出演:泉谷しげる/桃井かおり/緒形拳/露口茂/草刈正雄/火野正平/田中裕子/倍賞美津子
1981年/日本

「メリケン・ニューシネマ」について

 確かにストーリーを細かく追って観ていくとその繁雑さに嫌気が差してしまうかもしれないが、本作はそのような「ミクロ」な視点よりも全体を通して「マクロ」な観点で観賞するべきで、作品の前半の室内や薄暗いシーンの多さを経て、民衆が一致結束して建物を壊し、太陽の下、大勢で「ええじゃないか、ええじゃないか」という声に合わせて踊り出すクライマックスはカタルシスを得られることは間違いないと思うが、それはもちろん映画館で観賞した場合の話である。
 慶応二年、6年ぶりにアメリカ国籍を取って帰国してきた主人公の源次が幕府と薩摩・長州連合の政争に巻き込まれ、散々都合よく利用されたあげく、捨てられた腹いせに仲間と団結して反旗を翻すも、呆気なく銃撃を受け、「世直し」に失敗し、「自由の国」に戻る希望が叶わないまま絶命する源次の物語は最初から挫折を運命づけられた「アメリカン・ニューシネマ」を彷彿させるのである。


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