MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

「メンバー」と「キス」の取り扱いについて

2018-04-30 19:12:20 | Weblog

山口達也わいせつ容疑でジャニーズ「お酒を飲んでキスをしてしまい…」「和解」
TOKIO山口達也の強制わいせつ なぜNHKが“スクープ”したのか
フジが山口達也ニュースで「現場にもう1人男性」誤報→即日謝罪の不可解
辛坊治郎アナ 「山口メンバー」と呼称する理由を解説…視聴者の違和感に答える
“山口メンバー”に違和感「ひねって考えた結果」…報道アナが解説「ソロだったら」
山口達也、不起訴でも謹慎1年か 元SMAP稲垣は5カ月活動自粛
デヴィ夫人、山口達也の問題に持論展開「キスくらいで無期限謹慎なんて厳しすぎ、騒ぎすぎ」
高橋裕樹弁護士、TOKIO山口メンバーに「キス以上の行為あったのでは」
本当にキスだけか TOKIO山口達也の書類送検“厳重処分”の意味
松ちゃん、「山口達也メンバー」報道に「気持ちの悪い言葉」と不快感
松本人志「アホか。何がハニトラだ」 山口達也の行動に疑問「高校生に電話聞く?」

 山口達也が所属するジャニーズ事務所は事実を認めた上で「お酒を飲んで、被害者の方のお気持ちを考えずにキスをしてしまいましたことを本当に申し訳なく思っております。被害者の方には誠心誠意謝罪し、和解させていただきました」と発表したコメントは「キス」を強調するが故に、それでは何故「厳重処分」付きの書類送検をされたのかがますます謎として浮き上がって来る。まるで中学生同士の痴話喧嘩に対する謝罪文である。

 「TOKIO、山口達也氏の件」とのタイトルでブログで、「たかがキス位で無期限謹慎なんて厳しすぎ、騒ぎすぎでしょう!」と主張し、続けて「山口達也氏のTOKIOの仲間の方達は、“許されない行為”と言っているけれど、本当にそうでしょうか。泥酔男性のKiss位で? この女の子達は山口達也氏の所だから行ったんでしょう。17歳位の女の子達は夜酔った男性の所へは行かない方がよいでしょうね」と指摘し、さらに「Kissされたら、トイレに行ってうがいして『ちょっと失礼』と言って2人で帰ってくれば良かったわけじゃないですか。母親に電話して警察まで呼ぶなんて。そして事をここまで大きく広げるなんて、関係者、スポンサー方に与えた損害は億単位、計り知れません。みんな何を考えているのでしょうね」と持論を展開したデヴィ夫人はもともとホステスだったのだから、普通の女子高校生の気持ちが分からないというよりも、まだまだバラエティー番組に出演したいが故のジャニーズ事務所という大手芸能事務所に対する恩の押し売りなのであろう。

 辛坊治郎の解説を聞いてもやはり「メンバー」という呼称に違和感が残るのは、私が知る限りではこのような呼称を使われた人たちが2001年の稲垣吾郎や2009年の草彅剛などジャニーズ事務所所属のタレント以外に使われたことがないからである。


(2018年4月29日付毎日新聞)


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意欲を失うアイドルについて

2018-04-29 01:46:27 | 邦楽

【MV】バンドワゴン/ラストアイドル

ラストアイドルファミリー、吉崎綾・古賀哉子・王林、6月末で卒業発表【コメント全文】

 当初、この企画を知った時は、ついに秋元康がそれまでのノウハウを活かして究極のアイドルグループをつくろうと本気になり、だから「ラストアイドル」は7人という少人数で挑むのだと思ったのだが、番組を見ている内に敗者たちが別グループを結成したりして、結局は4グループが新たに加わり総勢25人となる。
 セカンドシーズンでメインだった「ラストアイドル」は「表題曲争奪バトル」で敗れる。相手は「シュークリームロケッツ」で楽曲は秋元康が提供した「君のAchoo!」だった。たぶん秋元康は敢えて手を抜いたトリッキーな楽曲を作ったつもりだったはずなのだが、優勝してしまうのである。つまりこの時秋元はかつて名を馳せた音楽プロデューサーたちに対して圧倒的な力の差を見せたのである。
 グループ名というのは売れる上ではかなり重要な要素だと思うのだけれど「ラストアイドル」はグループ名を「LaLuce」に変えられてしまい、さらにサードシーズンでは新たな12人が加わり「ファミリー」が増殖していくことで、「LaLuce」はレギュラー番組を失ってしまい、サードシーズンで披露された表題曲「愛しか武器がない」も貰えなかったのである。
 つまり「ラストアイドル」はこれまでのAKB48や坂道グループと変わらない商法で、運営にはアイドルを見出そうとはしても育成しようという気が感じられず、一方で乃木坂46の新曲『シンクロニシティ』やそのカップリング曲(『Against』『新しい世界』『スカウトマン』『トキトキメキメキ』)の良さを知ったならば、「地下」と「地上」の境界線上にいるアイドルの吉崎綾や古賀哉子がアイドル活動に対する意欲を失った理由はわかる。

ラストアイドル「君のAchoo!」MV

乃木坂46 『トキトキメキメキ』Short Ver.


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オディロン・ルドンの影響力

2018-04-28 20:49:30 | 美術

 現在、東京の三菱一号館美術館では「ルドン - 秘密の花園」が催されている。

オディロン・ルドン(Odilon Redon)という画家は不思議な人で、世代的には印象派の

画家たちと同期となるのだが、印象派の画家たちの作風を否定するかのごとく版画による

モノクロの奇妙な作風を発表する。


(『ドムシ―男爵夫人の肖像(Portrait de Mme. de Domecy)』1900年)

 代表作とされているものが奇妙な作品ばかりであるが故に誤解されているよう

なのだが、ルドンは描写が下手というわけではなく、上の作品を見ても、あるいは

本展の中で『日本風の花瓶(Fleurs dans un Vase Japonais)』(1908年)の、

他の花瓶の絵と比べて陰影をもちいて緻密に描かれている花瓶の描写を見ても

画家としての腕の確かさは疑う余地はない。

 ルドンの作品は1890年頃、ルドンが50歳になった頃からカラフルになるのだが、

それは印象派の画家たちのような光学的な観点によるものではなく、むしろ素材や

筆致の工夫による原点回帰のように見える。ルドンの関心は光学的なものよりも生物学や

文学などに向かったのである。つまり存在しないものに光学は無意味であり、やがて

象徴派と呼ばれるようになるのだが、ルドンの作品は後のアンリ・マティス

(Henri Matisse)やワシリー・カンディンスキー(Vassily Kandinsky)や

ジョアン・ミロ(Joan Miró)などスタイルを越えて多大な影響を与えていると思う。


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17世紀スペイン人画家の風景画について

2018-04-27 00:34:38 | 美術

 現在、国立西洋美術館で催されている「プラド美術館展」は、「芸術」「知識」「神話」

「宮廷」「風景」「静物」「宗教」と7つのブロックに分けて展示されている。ベラスケス

の時代(1600年代)のスペインの画家は風景に対して全く興味を示さない。例えば、

ディエゴ・ベラスケス(Diego Rodríguez de Silva y Velázquez)の代表作で今回の

目玉作品とされている『王太子バルタザール・カルロス騎馬像(Prince Baltasar Carlos

on Horseback)』(1635年頃)は「風景」のコーナーに展示されているのだが、

中央に描かれている人物像は文句のつけようがないものの、背景は必ずしも褒められたもの

ではない。「風景」のコーナーで感心させられる作品は『城のある港湾風景(Port with

Castel)』(1601年頃)のパウル・ブリル(Paul Bril)はフランドル人、

『聖セラビアの埋葬のある風景(Landscape with Entombment of Saint Serapia)』

(1639年頃)のクロード・ロラン(Claude Lorrain)はフランス人、『祈る隠遁者

(Praying Hermit)』(1637ー38年頃)のジャン・ルメール(Jean Lemaire)も

フランス人なのである。

 それはともかくとしてもビセンテ・カルドゥーチョ(Vicente Carducho)に帰属と

される『巨大な男性頭部(Colossal Male Head)』(1634年頃)からデニス・

ファン・アルスロート(Denis van Alsloot)の『ブリュッセルのオメガング もしくは

鸚鵡の祝祭:職業組合の行列(The Ommegang in Brussels : Procession of Guilds)』

(1616年)までマクロとミクロの振り幅はもはやモダンアート並みである。


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「偶像を破壊する聖ベネディクトゥス」

2018-04-26 23:30:14 | 美術

 現在、国立西洋美術館で催されている『プラド美術館展』で、ファン・アンドレス・リシ

(Rizi, Fray Juan Andrés)の『偶像を破壊する聖ベネディクトゥス(Saint Benedict Destroying Idols)』

(1662年以前)が展示してあるのだが、よく見ると偶像を破壊しているのは

聖ベネディクトゥスではなく大蛇の方で、聖ベネディクトゥスは右手に持った十字架を

かざしてその大蛇を退治しているのではないだろうか。実際に、聖ベネディクトゥスは

左手に聖母マリアの肖像画を持っているのだから、偶像を破壊する動機がないのである。

しかし原題も同じだから謎である。


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夏目家の舌禍の傾向について

2018-04-25 00:22:43 | 美術

 木島櫻谷の『寒月』が大正元年の第6回の文展で日本画の部で最高賞を獲ったにも関わらず、当時朝日新聞の記者だった夏目漱石が10月24日付批評欄「文展と芸術」で「木島櫻谷氏は去年沢山の鹿を並べて二等賞を取った人である。あの鹿は色といい眼付といい、今思い出しても気持ち悪くなる鹿である。今年の『寒月』も不愉快な点に於いては決してあの鹿に劣るまいと思う。屏風に月と竹と夫から狐だかなんだかの動物が一匹いる。其月は寒いでしょうと云っている。竹は夜でしょうと云っている。所が動物はいえ昼間ですと答えている。兎に角屏風にするよりも写真屋の背景にした方が適当な絵である」と酷評したのは有名な話で、2018年3月11日に放送されたNHKの「日曜美術館 孤高の画家 木島櫻谷」で漱石の孫の夏目房之介が「ひどい言われようなので大変申し訳無いなと。一言ここで謝っておかなければならないかなという気がするくらい、ひどい書かれよう」と語っていた。

 しかしそう語る夏目房之介でさえ同じ過ちを犯しているのである。「『あしたのジョー』と梶原一騎の奇跡」(斎藤貴男著 朝日文庫 2016.12.30)から引用する

「漫画評論家を兼任する漫画家の夏目房之介は、『消えた魔球 - 熱血スポーツ漫画はいかにして燃えつきたか』の中で、永島(慎二)が゛青春漫画の巨匠゛の異名をとり、『漫画家残酷物語』『フーテン』などの一連の作品で一種神格化された存在であったことを紹介した後、自らも絵を描く人らしく、こう指摘している。
〈川崎のぼるは貸本劇画的なGペン的誇張を、梶原劇画の事大主義と重ねあわせて極端なシュワルツネッガー的肉体の線を生み出して、成功した。ちばてつやは粘りに粘るこだわりの中で、梶原劇画の骨格にちばドラマの肉づけをして名作をものにした。
 いずれも梶原原作との格闘を通して自分の新しい絵のスタイルを生み出している。
 しかし水島の『柔道一直線』における線は、文字どおり一直線でほとんど変化がない。言ってしまえば、やる気がないんじゃないかとも思える入れ込みのない線のまんまなのである〉
〈『柔道一直線』の画を永島慎二が描いていたと言うと、「えーっ」と言う同世代人は多い。無理もないので、こうやって(永島の他の作品の絵を)並べてみるとちょっと同じ描き手によるものとは思えないかもしれない。
 『柔道一直線』での永島は、必死に少年漫画のパターン化された描き方をなぞることで、ともするとゆれ動きそうな自分の線をおさえようとしていたように見える。
 永島青春漫画の線には、重さがあまりない。強いこだわりはあるが、重力的ではないのだ。だから、ふわふわと浮き漂うような当時の青年の心象風景や都市の郷愁を描けたのである。(中略)青春漫画を描くときの永島の線はペンの先にこだわりがあって読む者の視線の滞在時間を長くするが、『柔道一直線』の線にはそれがない。そのかわりに無機的な流線でスベリを良くしているようなところがある。重さもないから、余計柔道のワザもうわすべりしているように見える〉」(p.61-62)

 この意見に対する永島慎二本人の発言を引用してみる。

「夏目さんという人の文章は僕も読みましたが、あれは誤解です。僕の線をわかってくれていない。やる気がないとか、手を抜いたなんてとんでもない話です。僕は内面で何があっても、始めてしまえばギンギンになって描きます。実際、途中まではノリにノッて、入れ込んで描いていました」(p.65)

 つまり漱石に限らず、夏目家は「絵」に関して舌禍をしがちなのである。


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『女は二度決断する』

2018-04-24 00:47:13 | goo映画レビュー

原題:『Aus Dem Nichts』 英題:『In The Fade』
監督:ファティ・アキン
脚本:ファティ・アキン/ハーク・ボーム
撮影:ライナー・クラウスマン
出演:ダイアン・クルーガー/デニス・モシット/ヨハネス・クリシュ/ウルリッヒ・トゥクル
2017年/ドイツ・フランス

ドイツの「ヤクザ」事情について

 作品冒頭のシーンは主人公のカティヤと夫となるクルド人のヌーリ・セケルチの結婚式なのだが、獄中である。おそらく麻薬密売で捕まったのであろうヌーリとカティヤは「クスリ」繋がりで知り合ったのである。どうもドイツの文化に疎いためによく分からないのだが、カティヤの体には「サムライ」を含めたタトゥーがたくさん彫られており、カティヤが「かたぎ」のようには見えない。そうなると本作は極右テロにより37歳の夫と6歳のロッコという息子を失った女性の復讐譚というよりも、「ヤクザ」同士のテロの連鎖が描かれているように見えるのである。
 ちなみに原題は「ゼロから/無から」という意味で、英題は「ブレーキの効きが悪くなる」という意味で、カティヤの行動を主観と客観から捉えていると思う。
 クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ(Queen of the Stone Age)の「ザ・ブロンズ(The Bronze)」を和訳しておきたい。

「The Bronze」 Queen of the Stone Age 日本語訳

僕は朝に起きる物事の元で待っている
僕は長い間ためらっている
君は僕の手からそれを奪って自分のものにできる
頼むからそうしてくれ
無駄なものは何もない
一気にフィンガーファックでぶちのめせ

僕はハイウェイで完全に道に迷った
進むべき方向がもはやない
毎日はっとしては思いを巡らす
僕はどこから始めるべきだったのか?

君は理解を深めれば深めるほど
自分の立ち位置が分かってくる

Queen of the Stone Age - The Bronze (In the Fade - Original Motion Picture Soundtrack)


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『彼女がその名を知らない鳥たち』

2018-04-23 00:13:53 | goo映画レビュー

原題:『彼女がその名を知らない鳥たち』
監督:白石和彌
脚本:浅野妙子
撮影:灰原隆裕
出演:蒼井優/阿部サダヲ/松坂桃李/村川絵梨/赤堀雅秋/赤澤ムック/中嶋しゅう/竹野内豊
2017年/日本

本物の「クソ野郎と美しき世界」について

 ミステリーという性格上、詳細には触れられないが、主人公の北原十和子の「同居人」である佐野陣治を阿部サダヲに、「愛人」の黒崎俊一を竹野内豊、水島真を松坂桃李に演じさせるというキャスティングが絶妙だと思う。
 どうしても「イケメン」に目が行ってしまう十和子は黒崎と別れてから5年目にしてデパートに勤務している水島と知り合うのであるが、ピロートークで水島が披露した「タクラマカン(タッキリマカン)砂漠」の物語は、近所の書店でたまたま立ち読みしただけの急ごしらえの情報で、プレゼントされた腕時計が中国製の三千円のものであることを偶然知ってから、水島の愛に疑問を抱くようになる。
 一方で佐野陣治は50歳くらいの冴えない現場作業員で北原十和子は15歳年下だから35歳くらいであろうが、2人はあくまでも「同居人」であり、だから体の関係はなく、陣治は十和子の自慰の手伝いはしても抱くことはないのであるが故に、ラストで陣治の十和子に対する愛の深さを思い知らされるのである。
 監督の白石和彌と同時に脚本の浅野妙子の最高作だと思う。


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『スイス・アーミー・マン』

2018-04-22 20:41:20 | goo映画レビュー

原題:『Swiss Army Man』
監督:ダニエル・シャイナート/ダニエル・クワン
脚本:ダニエル・シャイナート/ダニエル・クワン
撮影:ラーキン・サイプル
出演:ポール・ダノ/ダニエル・ラドクリフ/メアリー・エリザベス・ウィンステッド
2016年/アメリカ

「現実」のオタクのえげつなさについて

 「オタク」を主人公としたアニメーションならば、例えば、『中二病でも恋がしたい!』(石原立也監督)や、広い意味でならば『クレヨンしんちゃん』も含まれるとおもうのだが、実写として描かれるとこれほど気持ちが悪いものになるのかと驚いた次第なのだが、それはあくまでも作品のクオリティーではなく、2017年7月13日から15日の3日間で起こった奇妙な出来事に対してである。
 主人公のハンクは死体であるメニ―を「友人」としてネクロフィリアのように慕い、いつも乗っているバスで見かけただけの既婚者で幼い娘もいるサラ・ジョンソンに片思いをするというこじらせ振りはもはや救いようがないレベルなのだが、自分自身の不気味さをハンク自身は自覚しているようで、ラストは自分の「妄想」に対して開き直ったような感じである。個人的には見てはいけないものを見てしまったような後味の悪さである。
 ところでエンディングテーマとして流れる「コットン・アイ・ジョー(Cotton Eye Joe)」は有名なフォークソングで、歌詞の解釈は多岐にわたるようなのだが、まずは本編で使用された歌詞を和訳してみる。

「Cotton Eye Joe」 Andy Hull & Robert McDowell ft. Daniel Radcliffe 日本語訳

もしもコットン・アイ・ジョーの居る隙がなかったならば
僕はとっくの昔に結婚していただろう
君はどこから来たんだ?
君はどこへ行ったのか?
君はどこから来たんだ、コットン・アイ・ジョー?
もしもコットン・アイ・ジョーの居る隙がなかったならば
僕はとっくの昔に結婚していたはずなのに

 本作のストーリーを鑑みるならば、コットン・アイ・ジョーとはダニエル・ラドクリフが演じたメニ―になるのだが、元々の意味は奴隷としてアメリカに連れてこられた黒人を指しているようで、黒い顔に白い目が目立つために「綿のような目」と呼ばれているのである。真偽はともかくそんな黒人たちが梅毒を持ち込んだために「僕」は結婚できなかったという恨み節なのである。

Cotton Eye Joe - Swiss Army Man Soundtrack (Official Video)


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『ゲット・アウト』

2018-04-21 01:43:16 | goo映画レビュー

原題:『Get Out』
監督:ジョーダン・ピール
脚本:ジョーダン・ピール
撮影:トビー・オリヴァー
出演:ダニエル・カルーヤ/アリソン・ウィリアムズ/ブラッドリー・ウィットフォード
2017年/アメリカ

「監禁もの」の今後の課題について

 『ベルリン・シンドローム』(ケイト・ショートランド監督 2016年)同様に本作も監禁の物語なのだが、本作は第90回アカデミー賞の脚本賞を獲っている。
 確かに精神分析の観点から見るならば、例えば、主人公の黒人である写真家のクリス・ワシントンが恋人の白人女性であるローズ・アーミテージが運転する車で彼女の実家に帰省の途中で、鹿を轢いてしまうのであるが、それはクリスが11歳の頃に交通事故で亡くした母親のことを思い出させる。
 車の中でも外に捨てられてしまったようにクリスはローズにタバコを禁じられているのだが、実家についてからもクリスはタバコを吸いたくて仕方がない。しかし例えばタバコが吸いたくなった時に、クリスのコップに使用人のジョージナが飲み物を注ぎすぎたり、真夜中にローズが眠っている隙に、庭でタバコを吸おうとすると庭の管理人のウォルターがクリスに向かって走ってきたりと妨害されてしまい、その直後、そのようなクリスのコンプレックスにつけ込んでローズの母親のミッシーが催眠術をかけてクリスは囚われてしまうのである。
 しかし『ベルリン・シンドローム』同様に後半になるとストーリーが雑になってくる。部屋にあった鹿の頭の剥製を武器に脳神経外科医のディーン・アーミテージを殺す時、クリスの、母親に対するコンプレックスの克服を暗示させるところは上手いと思うのだが、クリスがまだ手術台にいないまま開頭手術をディーンが一人でしてしまうところには違和感を持つし、助手が息子のジェレミーかいないのも、パーティーの招待客の人数を思うと不思議で、つまり「監禁もの」は被害者が脱出しなければ成り立たない物語なのであり、例えアカデミー賞の脚本賞を獲った作品であってもどうしても後半になってストーリーが緩んでしまうところに今後の課題が残るのである。


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