MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ウルトラセブン 超兵器R1号』

2016-07-31 00:20:59 | goo映画レビュー

原題:『ウルトラセブン 超兵器R1号』
監督:鈴木俊継
脚本:若槻文三
撮影:永井仙吉
出演:中山昭二/森次浩司/菱見百合子/石井伊吉/阿知波信介/古谷敏/佐原健二
1968年/日本

 子供向け作品の評価の難しさについて その2

 本作においては主人公のモロボシ・ダンの、過剰なミサイル開発に対する「それは血を吐きながら続ける悲しいマラソンですよ」というセリフが有名だが、それよりも個人的に気になったセリフは、ギエロン星獣を倒した後、「隊員たちは異常ないか?」というタケナカ参謀の問いに対して、キリヤマ・カオル隊長が「ダン隊員だけが多量の放射能を浴びておりましたので、今消毒してメディカルセンターで休ませております」というもので、当然のことながら身体に浴びた放射能は「消毒」して取れるものではない。
 そんなことを考えている時にたまたま『モスラ対ゴジラ』(本多猪四郎監督 1964年 脚本は関沢新一)を観ていて、新聞記者の酒井市郎とカメラマンの中西純子が現場で拾った虹色に光る肉片のような物体が放射能を発していることが分かり、2人は研究室のカプセルに入って短時間で「洗浄」するのである。
 時代を勘案するにしても放射能に対する対応の仕方があまりにも無知だと思うのだが、それとも子供向けの作品のためにこのような「設定」にしているのかよく分からない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ファミリー・ジャンブル』

2016-07-30 00:42:54 | goo映画レビュー

原題:『La Mia Famiglia a Soqquadro』 英題:『My Family Jumble』
監督:マックス・ナルダリ
脚本:マックス・ナルダリ/ファウスト・ペトロンツィオ
撮影:ペッぺ・ガッロ
出演:ガブリエーレ・カプリオ/マルコ・コッチ/ピアンカ・ナッピ/エリザベッタ・ベッリー二
2016年/イタリア
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2016

子供向け作品の評価の難しさについて

 仲の良い両親を持つ11歳の主人公のマルティーノは教育熱心な母親により無理をしてインターナショナルスクールに通いだしたのが運の尽きで、夏休みを海外で過ごしている他のクラスメイトに比べて、国内から出ることがなかった自分の境遇に引け目を感じてしまうのであるが、そんなクラスメイトの両親がかなりの率で離婚していることを知ったマルティーノは、自分の両親も離婚させることで最新のスマホを買ってもらえるような自身の「境遇」を引き上げようと試みる。
 例えば、主人公と同年代の子供と一緒に家族で観賞する作品としてならば文句はないのであるが、テレビドラマとしてならともかく映画としての醍醐味は全く感じられない。それでも「Stars in the Sky」のような挿入歌にはセンスの良さを感じるのであるが、本作のサウンドトラックに関する情報が今の時点で全く無いので仕方がない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『アンダー・ヘヴン』

2016-07-29 00:42:28 | goo映画レビュー

原題:『Asman Aldynda』 英題:『Under Heaven』
監督:ダルミラ・チレプベルゲノワ
脚本:ダルミラ・チレプベルゲノワ
撮影:アクジョル・ベクボロトフ
出演:アンワル・オスモナリエフ/ヌルジキト・カナエフ/タアライカン・アバゾア
2015年/キルギス
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2016

「お地蔵さん」を彫る意義について

 「カインとアベル」という聖書の物語の現代版として中央アジアのキルギスの石切り場を舞台としている本作において、私の関心は反抗的な兄のケリムと思慮深い弟のアマンの関係ではなく、この兄弟に翻弄される少女のサルタナットの方にある。
 ケリムからプレゼントされた赤いハイヒールを履いてサルタナットは2人に黙って村を後にしてしまうのであるが、これは『オズの魔法使(The Wizard of Oz)』(ヴィクター・フレミング監督 1939年)の主人公のドロシー・ゲイルを彷彿とさせる。逆に言うならばサルタナットに愛想を尽かされたケリムとアマンは、案山子やブリキ男やライオンのようにドロシーと共に旅に連れて行ってもらえなかったのであり、サルタナットが「Over The Rainbow(虹を超えて)」より良い場所を目指している間に、ケリムとアマンは「Under Heaven(天国の下)」で地獄を見るのである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『暗黒街』

2016-07-28 00:06:01 | goo映画レビュー

原題:『Suburra』
監督:ステファノ・ソッリマ
脚本:ジャンカルロ・デ・カタルド/カルロ・ボニーニ/サンドロ・ペトラッリャ/ステファノ・ルッリ
撮影:パオロ・カルネーラ
出演:ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ/エリオ・ジェルマ―ノ/クラウディオ・アメンドラ
2015年/イタリア・フランス
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2016

「V」の文字にこだわるストーリーについて

 ローマ郊外にあるオスティアという港町をラスベガスのように開発しようと目論む「サムライ」と呼ばれる男が率いるマフィアと、大物政治家のフィリッポ・マルグラディが裏で組んで企んでいたのだが、議会で土地開発のための法案を通そうと奔走していたフィリッポがストレス発散のためいつものようにホテルに部屋を取り、娼婦を呼んでドラッグパーティーをしていた際に、オーバードーズで未成年の娼婦を死なせてしまい、何故かもう一人の娼婦であるサブリナに全てを託して帰ってしまう。サブリナは知り合いの地元のギャング「アナクレーティ家」兄弟のアルベルトを呼んで死体の処理を頼んだところから権力闘争が始まる。
 マンフレディ・アナクレーティに父親の借金のかたに「ヴィラ(Villa)」を取り上げられていたセバスチアーノ、「サムライ」の仲間であるアウレリアーノ・アダミのガールフレンドである「ヴィオラ(Viola)」、そして「ヴァチカン(Vatican)」のローマ教皇の辞意など「V」が目立つことだけは指摘しておきたい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ニュー・クラスメイト』

2016-07-27 00:09:15 | goo映画レビュー

原題:『Nil Battey Sannata』 英題:『The New Classmate』
監督:アシュヴィニ―・アイヤル・ティワーリー
脚本:アシュヴィニ―・アイヤル・ティワーリー/ニ―ラジ・シン/プランジャル・チョウドリー
撮影:ゲイヴミック・U・アリー
出演:スワラ―・バースカル/リヤー・シュクラー/ラトナー・パータク・シャー
2015年/インド
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2016

大スターと大統領の「ウケ」の違いについて

 シングルマザーとして働いているチャンダの娘は10年生になるアペークチャ―(=アップ―)だが、なかなか勉強に身が入らず成績が伸びないのはどうやら端から人生に悲観しているようで、将来はメイドになるつもりでいたから、驚いたチャンダが取った行動が「新入生」として娘と同じ学校に通うことだった。
 発想は良いと思うが、ストーリー展開に新味は無く、一つ気になったことはラストで大学を優秀な成績で卒業したアップ―が行政府の仕事に就く際に、上司になる人々からインタビューされるのであるが、何故この仕事を選んだのかという問いに「メイドになることが嫌だったから」と笑顔で答えたことに違和感を持った。私たちの感覚からすればメイドであっても立派な仕事だと思うからなのだが、カースト制度があるインドの人々の切実なる声として聞くならば、そのような感情も理解できなくはない。
 チャンダが轢かれそうになった車に乗っていた高官の豪邸を訪ねた際に、ここには誰が住んでいるのかと尋ねたチャンダに対する護衛の答えが、日本語字幕では「有名なスターだ」となっていたが、英語の字幕では「ジョージ・ブッシュだ」と違って訳されており、どちらが正しいのか分からない。 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『アヒルからの贈り物』

2016-07-26 00:13:10 | goo映画レビュー

原題:『Les Oiseaux de Passage』 英題:『Birds of Passage』
監督:オリヴィエ・ランジェ
脚本:オリヴィエ・ランジェ/イヴ・ランジェ
撮影:ミネア・ポペスク
出演:クラリス・デュロスキ/レア・ワルニ/アラン・エロウ/ミリエム・アケディウー
2015年/ベルギー
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2016 脚本賞

小さな「渡り鳥たち」について

 10歳の誕生日に主人公のキャシ―は離れて暮らす父親からアヒルの卵を贈られる。アヒルは最初に見た者を母親と認識すると教えられていたが、孵ったアヒルが最初に見た者はキャシ―ではなく彼女の家に遊びに来ていたマルゴーだったことから問題が起こる。
 キャシ―はマルゴーにヒナを譲ろうとするが、車イスで生活を送っているマルゴーには難しく、2人はヒナが幸せに暮らせるという「鳥の楽園(Paradis des Oiseaux)」と呼ばれる島を目指して旅をする。
 地元から200キロも離れたベルギーのエノー州のソワニ―行政区の「ブレイン・ル・コント(Braine-le-Comte)」にたどり着いた2人は「鳥の楽園」と呼ばれる「ヴィレル湖(Lake Virelles)」にある島まで舟を漕いでいき、ヒナはようやく2人の元から泳いで離れていく。もちろんそれはヒナの自立と同時に2人の女の子の自立をも暗示しているはずである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『タンナ』

2016-07-25 00:09:15 | goo映画レビュー

原題:『Tanna』
監督:ベントレー・ディーン/マーティン・バトラー
脚本:ベントレー・ディーン/マーティン・バトラー/ジョン・コリー
撮影:ベントレー・ディーン
出演:ムンガウ・ダイン/マリエ・ワワ/マルセリン・ロフィト/チーフ・チャーリー・カーラ
2015年/オーストラリア・バヌアツ
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2016 監督賞

キリスト教に対する部族の受け止め方について

 バヌアツ共和国のタンナ島に暮らす主人公のワワはヤケル村の族長の孫のダインに恋をするが、部族間の争いを鎮めるために、「Kastum(慣習)」により敵対するイメジン族に嫁がされることになり、2人は駆け落ちし、キリスト教信者たちが暮らす土地にたどり着くが、彼らの「気持ち悪さ」に再びジャングルの中に潜むことになり、彼らの悲恋を踏まえて部族の慣習は1987年に見直されることになり、その一連の物語がワワの妹のセリムに目撃されている演出が良い。
 例えば、ロバート・フラハティ(Robert Flaherty)の『モアナ(Moana)』(1926年)や『アラン(Man of Aran)』(1934年)のような傑作のドキュメンタリータッチのフィクションを想起させる。
 エンドクレジットによれば「Peacemaking Tribe」や「Witness Tribe」などもいたようだが、違いが分からなかった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『朝日が昇るまで』

2016-07-24 19:25:40 | goo映画レビュー

原題:『Distancias Cortas』 英題:『Walking Distance』
監督:アレハンドロ・グスマン・アルバレス
脚本:イツェル・ララ
撮影:ディアナ・ガライ・ビニャス
出演:ルカ・オルテガ/マウリシオ・イサク/ホエル・フィゲロア/マルタ・クラウディア・モレノ
2015年/メキシコ
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2016 最優秀作品賞

「オタク」の限界について

 主人公のフェディリコ・サンチェスは200キロを超える肥満体質のためになかなか外に出かけることもままならず、自宅に引きこもった生活を送っており、定期的に妹のロサウラと夫のラモンが訪ねてきて身の回りの世話をしてくれていた。
 ある時、ラモンが旅先で撮った写真をフェディリコに見せてくれて2人は盛り上がったのであるが、ロサウラは全く興味を示さない。その後、昔撮った写真を探しているうちにフェディリコは未現像のフィルムを見つけ、どうしても見たいという一心でカメラ店まで出かける。たまたま店番をしていた店長の息子のパウロの計らいで安い値段で現像してもらい、さらに写真を撮りたくなったフェディリコはデジカメを売ってもらい、旅行に行く決心をする。
 しかし訪れた旅行会社ではフェディリコを見た担当の女性からツアーは全て予約が埋まっているという理由で断られてしまう。帰りがけにフェディリコは心臓発作で倒れて救急車で運ばれてしまうが、その直前に撮っていた少年たちの写真を見たラモンとパウロが感動して、ロサウラの反対を押し切って3人で車で旅行することになるのである。
 パウロが『Death Note』ならぬ『Death List』というマンガを読んでいたり、フェディリコが書いた「デス・リスト」の上位には亡くなった母親の担当医や昔の勤め先の女性の名前などがあり、全体的に女っ気がないところなど本作は「オタク」の物語と言っていいと思う。だから最後まで女性と良い関係が築けないまま終わった点は、結局、閉じこもった殻から抜け出せないおたくの限界を感じるのである。
 それにしてもパウロがフェディリコに貸したカメラがニコンF3で『植物図鑑 運命の恋、ひろいました』(三木康一郎監督 2016年)や『夏美のホタル』(廣木隆一監督 2016年)でもニコンが使われていたから世界的な流行なんだと納得した。

 なんと本作が最優秀作品賞を獲ったらしい。それならば『見栄を張る』(藤村明世監督 2016年)の方が断然クオリティーが高いことは既に書いた通りなのだが、日本映画が最優秀作品賞の対象外ならばせめて『幸せを追いかけて』(イングヴィル・スヴェー・フリッケ監督 2015年)の方だと思う。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『幸せを追いかけて』

2016-07-23 00:34:37 | goo映画レビュー

原題:『Kvinner i for Store Herreskjorter』 英題:『Women in Oversized Men's Shirts』
監督:イングヴィル・スヴェー・フリッケ
脚本:イングヴィル・スヴェー・フリッケ/グンヒル・オイエハウグ
撮影:マリアンネ・バッケ
出演:インガ・イブスドッテル・リッレオース/ヘンリエッテ・ステーンストルップ/ハルヴァルド・ホルメン
2015年/ノルウェー
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2016

「クリシェ」から逃れるために

 主人公の23歳の女子大生のシグリ・オウガと42歳のパフォーマンス・アーティストのトリーネ・ヨングと23歳で処女作を出版して以来40年も作品を発表しておらず、今は倉庫の商品管理に携わっているアグネス・カルバッテンの3人の生き様が描かれている。シグリも自作の詩をライブで朗読しているので3人に共通していることは「表現者」という点にある。
 3人はそれぞれクリシェという陳腐な決まり文句に陥らないように独自の表現方法を探している。それ故にアグネスは書けなくなってしまったのであろうが、それは3人に限らず監督自身が目指しているものであろう。
 例えば、シグリが恋に落ちてしまう詩人のコーレ・トリブレの新作は『KOM』というタイトルの私小説でいわゆる英語の「COME」である。日本語では「行く」という意味になるので分かりにくいのであるが、シグリがコーレと性交し「イク」時と、トリーネが出産時に「イク」時を「KOM」を介して繋げているのである。
 やがてトリーネはマスターベーションのパフォーマンスの代わりに「母乳出し」のパフォーマンスを披露することになり、アグネスは、彼女が出版した唯一の小説を手掛かりに自分の実の母親を探し出した、養子に貰われていた息子と再会を果たすのであるが、まだ若いシグリは相変わらずコーレに対するこだわりから抜けられず、恋人でミュージシャンのヴァンダに対するメッセージを自分に対するものと勘違いしてコーレに会いに行ってしまうのである。しかし観客には既に分かっているようにヴァンダに全く頭が上がらない不甲斐ないコーレを見たシグリは自分が詩人という「クリシェ」に囚われていることにようやく気付き、再びゴッホの「ひまわり」を目指すことになるのである。
 それにしてもノルウェーの首都オスロにある「アストルップ・ファーンリ現代美術館」やハンス・ニールセン・ハウゲというノルウェーの信徒伝道者やノルウェーの作家のヘンリック・イプセンの『ヨーン・ガブリエル・ボルクマン』という戯曲、さらにノルウェーのロックバンド「ハイセカイト(Highasakite)」など、本作を面白がるには私のノルウェーに対する知識は致命的に足りない。ポール・ゴーギャンの墓に小便をかけたアーティストとは誰なのか?


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『アウト・オブ・マイ・ハンド』

2016-07-22 00:05:31 | goo映画レビュー

原題:『アウト・オブ・マイ・ハンド(Out of My Hand)』
監督:福永壮志
脚本:福永壮志/ドナリ・ブラクストン
撮影:村上涼/オーウェン・ドノヴァン
出演:ビショップ・ブレイ/ゼノビア・テイラー/デューク・マーフィー・デニス
2015年/アメリカ
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2016

逡巡する主人公とブレる「真面目さ」について

 主人公のシスコの心情がいまいち理解できない。シスコは西アフリカのリベリア共和国のゴム農場で働いている。日が出ていないうちからランタンを灯して農場に向かい、ラテックスを採集しており、労働組合がストライキを始めて、組合側の意見に従い仕事を放棄していたのに、他の従業員たちはすぐに仕事に復帰してしまい妻にも言い訳ができず、ついに家族を残してニューヨークに向かいタクシーの運転手として働きだす。
 ここまでシスコが真面目な男であることはわかる。ある晩、シスコは同郷の男を乗せるのだが、何故か余計に貰った多額の乗車料金を受け取ることを拒否してしまう。しかし何故タクシー運転手が「チップ」を拒否するのかがよく分からない。あるいはかつて内戦で共に戦っていたジェイコブと出会い、昔のことを思い出したくなかったシスコはジェイコブを無視するつもりだったが、その日の晩、マリアという女がジェイコブの下から逃げてきたと言って助けを求めに来る。最初は断っていたシスコは妻子がありながらマリアと一晩ベッドを共にしてしまい、翌朝になってジェイコブがシスコの家を訪ねてきてシスコは彼らに騙されていたことに気がつくのである。別の晩に、シスコを見つけて近寄って来たジェイコブが車に轢かれたのを見ても救急車を呼ぶこともせず、その場から逃げ出してしまい、どうもシスコの「真面目さ」がブレるのである。
 ラストでシスコはタクシーのタイヤを交換している。おそらくシスコはそこでかつて息子が「自分が履いているサンダルはお父さんが作ったの?」と嬉しそうに訊ねていた問いを思い出しているはずで、確かにサンダルの原料となるゴムは自分が採集しているが、サンダルそのものを作っている訳ではないから答えに逡巡していた。今、シスコは自分が採集していたゴムで出来たタイヤを使っているのだが、息子のように素直に喜べないのは何故なのか再び逡巡するのである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする