MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『フィフティ・シェイズ・ダーカー』

2017-06-30 00:55:32 | goo映画レビュー

原題:『Fifty Shades Darker』
監督:ジェームズ・フォーリー
脚本:ナイアル・レオナルド
撮影:ジョン・シュワルツマン
出演:ダコタ・ジョンソン/ジェイミー・ドーナン/リタ・オラ/キム・ベイシンガー
2017年/アメリカ

更に深みにはまる「愛」について

 「ダーカー(Darker)」というタイトルの意味(=さらに暗く)に相応しいシーンを取り上げたい。主人公のアナ・スティールが恋人のクリスチャン・グレイと一緒に暮らすために引っ越す準備で家に戻ってきた際に、クリスチャンの「服従者」だったレイラ・ウィリアムズが拳銃を持ってアナを待っていた。
 アナとレイラが対峙していた時に、クリスチャンが現われ、ゆっくりとレイラが持っていた拳銃を取り上げるとレイラはすっかり大人しくなってクリスチャンの前に跪く。それを目の当たりにした時、勤めている出版社で要職を任されたばかりのアナは改めて「愛(love)」と「服従(submissive)」の違いは何なのか分からなくなるのであるが、その答えは来年公開予定の最終章『フィフティ・シェイズ・フリード』まで待たなければならない。


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『サイレント・ランニング』

2017-06-29 21:22:01 | goo映画レビュー

原題:『Silent Running』
監督:ダグラス・トランブル
脚本:デリック・ウォシュバーン/マイケル・チミノ/スティーブン・ボッコ
撮影:チャールズ・F・ウェラー
出演:ブルース・ダーン/クリフ・ポッツ/ロン・リフキン/ジェシー・ヴィント
1972年/アメリカ

SF版アメリカン・ニューシネマについて

 地球上で絶滅しかけていた植物を宇宙船のドームに乗せて保護する使命を帯びた4人の若い乗組員は何故か理由を明らかにされることのないままドームを爆破して地球に帰還する命令を受けるのだが、乗組員の一人であるフリーマン・ローウェルは元々他の3人とは仲が良くなく、例えば、3人が人工の食べ物を食する中でフリーマンは一人で自然に取れた食べ物を摂取しており、結局、仲間のジョン・キーナンと格闘して殺してしまいアンディ・ウルフとマーティ・バーカーが搭乗していたドームを切り離すことで残りのドームを守ろうとする。
 だからと言ってフリーマンにしっかりとした計画があるわけではなく、たまたま土星の輪への正面衝突を免れて宇宙船は生き残るのであるが、地球から迎えに来た宇宙船に発見されて逃げられなくなったフリーマンはドームをドローンに託して切り離し自分が乗った宇宙船を爆破するのである。
 当時はよくわからなかったが、今観なおしてみると主題歌をジョーン・バエズが担っている本作がベトナム戦争を背景としたフラワーチルドレンの反抗と、内紛による挫折を描いたものであることが分かる。以下、和訳。

「Rejoice in the Sun(Silent Running)」 Joan Baez 日本語訳

野原にいる子供たちは
太陽の陽を浴びながら元気よく駆け回っている
あなたの子供は森のように
太陽の陽を浴びて元気よく育つ
太陽の陽の中で彼らの無邪気さが宿命を帯びている

太陽に陽の中
あなたのそばに子供たちを集めなさい
太陽に陽の中
彼らが愛するものは全て死に至ることを
その理由も合わせて伝えなさい

手遅れではないことを彼らに伝えなさい
地道に耕していけばいい
収穫すれば太陽に陽の中で喜びを得られると伝えなさい

Silent Running - (1972) - Rejoice In The Sun Scene (1/10) | Movieclips


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知性主義と反知性主義に挟まれて

2017-06-28 23:21:25 | Weblog

【訃報】蓮實重臣氏=音楽家
このハゲ!豊田議員さらに深まる恐怖の“パワハラ無間地獄” ミスは秘書のせい、家族にも魔の手…他事務所では“天使”の顔
絶叫暴言・暴行の豊田議員に宮根キャスター「ミュージカル調じゃなくてエロ詩吟」
麻生財務相の「あれ女ですよ」発言、小倉智昭氏が「そんなに問題にすることかな?」

 秘書への暴言、暴行問題で自民党に離党届を提出した豊田真由子衆院議員は桜蔭中学、高等学校から東京大学へ進学し、厚生省へ入省後、国費留学生としてハーバード大学大学院へ留学して修士号を取得したらしい。そこまで優秀だと一般市民は誰もがバカに見えても仕方がないのかもしれない(ちなみに宮根誠司は豊田真由子衆院議員のミュージカル調の暴言をエロ詩吟と評したが、本人は『ラ・ラ・ランド』のエマ・ストーンのつもりだったと思う。)。
 このことと関連して気になったことは音楽家の蓮実重臣が49歳の若さでS状結腸がんで亡くなったことである。重臣の父親は言わずと知れた蓮實重彦で、元東大総長だった人である。去年、小説『伯爵夫人』で第29回三島由紀夫賞を受賞した際に、「バカな質問は止めていただけますか」と終始記者会見で不機嫌だったことで一般的にも多少知られた人である。重彦の父親は蓮實重康は日本美術史学者で京都大学教授だったのだが、重臣は東京大学にも京都大学にも進学せず、何故か東京外国語大学卒業で、だからと言って言語学者になるわけではなくミュージシャンになっている。重臣の音楽を聴いたことはないが、重彦の教え子たちである映画監督の黒沢清や青山真治の作品に参加していないということでその実力は推し量れるだろう。
 何が言いたいのかというと、遠慮のない的確な批評で相手を徹底的にコテンパンに叩きのめすことで知られる重彦の下で育つことに伴うストレスは相当なものではなかったのかということである。もちろん豊田真由子のような暴言は受けなかったではあろうが、例え褒められたとしても父親が息子に気を使って褒めていることくらいは分かるだろうから、どちらにしてもやはりストレスは避けられず40年以上続いた過度のストレスが結果的に寿命を縮めたのではないだろうか。

 ところで「学歴だけ見たら一点の非もつけようのないほど立派だったけど。あれ女性ですよ女性。男と書き間違えているんじゃないか」と述べた麻生太郎副総理兼財務相に対して、フジテレビ系情報番組「とくダネ!」で小倉智昭は「男と書き間違えているんじゃないか、という言葉があるということは、豊田さんがあのような行為を行ったことを受けて、それ全体を受けて『あれ』と受け止めたんじゃないかな。女性なんですから、それはないでしょ…と。僕はそういう風に受け止めた」「これはでも女性差別ではなくて、女性の方が普通は穏やかでってことだから。悪いことじゃないと思うんだよね。女性はそんなに暴行ふるったり、暴言吐いたり普通はしないでしょ、ってことと受け止めたら、女性がそんなに問題にすることかな? と僕は思った」と発言している。
 しかしわかりやすく麻生の真意を書き加えるならば「学歴だけ見たら一点の非もつけようのないほど立派だったけど、(いくら学歴が立派でも所詮)あれ女性ですよ女性。(しかし勇ましさだけを見るならば)男と書き間違えているんじゃないか」となるはずで、はやりいつもの麻生のバカ発言なのである。


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アルチンボルドの「法律家」

2017-06-27 00:28:50 | 美術

果物や野菜組み合わせたら肖像画 アルチンボルド展開幕

 上野の国立西洋美術館では「アルチンボルド展」が催されている。ジュゼッペ・アルチンボルド

(Giuseppe Arcimboldo)の「法律家(The Jurist)」は1566年に制作された作品である。

本作を見て日本人ならば誰もが思い浮かべる絵は歌川国芳の「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ」

(1847年)であろう。

 「法律家」は鳥と魚で人間の顔が形成されているが、国芳の作品では人間の体で形成されている

だけの違いである。影響というよりも変わり者はどこにでもいるということだと思う。

 ところで英語版のウィキペディアではモデルをドイツ人のウルリヒ・ツァジウス(Ulrich Zasius)

としているのだが、ウルリヒ・ツァジウスは1461年生まれ、1536年に亡くなっているから

1566年に制作された作品と時代が合っていない。だから本作のモデルは彼の息子である

ヨハン・ウルリヒ・ツァジウス(Johann Ulrich Zasius)の方であろう。


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ソール・ライター、孤独なナビ派

2017-06-26 00:27:16 | 美術

 東京の渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムでは「ソール・ライター展」が催されていた。

ニューヨークにある国際写真センターの副館長であるポリーヌ・ヴェルマール(Pauline Vermare)が

「ソール・ライターはニューヨークのナビ派であった。(Saul Leiter was the New York Nabi.)」と

評するように、写真家であるソール・ライターのカラー写真はナビ派の画風にエドワード・ホッパー

(Edward Hopper)の作風を付け加えた感じである。

 それは「無視されることは偉大な特権である。」「幸せの秘訣は何も起こらないことだ。」という

ライター自身の言説が彼の作風を決定づけ、期限切れのフィルム(expired Kodachrome film)を

駆使して晩年に名声を得ることになるのだが、そんなライターをアメリカのフォトグラファーの

ヘンリー・ウルフ(Henry Wolf)は「ソール、君は機会を逸することに長けている。

(Saul, you have a talent for avoiding opportunities.)」と評している。

 ソール・ライターは結婚していないようであるが、ソームズ・バントリー(Soames Bantry)と

いう画家と彼女が亡くなる2002年まで交際していたようである。


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「魔法の扇風機」の威力について

2017-06-25 22:08:42 | 邦楽

【MV】ドリアン少年(Short ver.) / NMB48[公式]

暴挙か快挙か…須藤凜々花の「結婚宣言」識者はこう見た
NMB48須藤凜々花の結婚発表に秋元康氏「切ない」総選挙野外開催の意図も語る
欅坂が厳戒握手会…平手は欠席 なぜ果物ナイフ男が金属探知機通過?
「欅坂」発煙筒の男「殺そうと思った」アイドルの名前あげ供述 握手会一時騒然…ナイフ所持容疑で逮捕

 須藤凛々花の「怪しさ」は以前から感じていた。2016年10月26日に放送された「AKB48のオールナイトニッポン」においてNMB48のメンバーである山本彩と白間美瑠と共に出演していた須藤凛々花は小学校4年生頃に作った自作曲を披露したのである。「魔法の扇風機」というタイトルの歌詞を書きおこしてみたい。

「魔法の扇風機」須藤凛々花

ヤなことも悲しいことも
全て吹き飛ばしてくれる
だけど大人は言うよ
そこに指を突っ込んではいけないと
でもこの衝動は抑えきれない
いつか入れたい人差し指

 自身でキーボードを弾きながら歌ったこの曲は明らかにオナニーについての歌なのであるが、隠しきれないほど性欲の強い女の子がアイドルをしていることに違和感を持ったのである。「人を好きになって、恋愛禁止ルールで我慢できる恋愛は恋愛じゃないと思った」その恋愛を須藤以外の多くの他のメンバーは我慢してアイドル活動に貴重な青春を捧げているのである。ストイックに生きることを強いられるアイドルとして一流になれない人が、ましてや哲学者になどなれるのだろうか。フリードリヒ・ニーチェの哲学とは「知識」ではなく「生き様」だったはずなのだが、まさか言い訳の道具として「哲学」が使われるとは思わなかった。これならばエッセイに何気なくアルトゥル・ショーペンハウアーの「女について」を引用する乃木坂46の齋藤飛鳥の方がよっぽど哲学者然りであろう。

 秋元康に無断で結婚発表することなどあり得るのだろうか。信じられん。肝心なところはスタッフに責任を転嫁するところなども安倍晋三首相にそっくりである。

 ところで日刊ゲンダイに掲載されたアイドル評論家の中森明夫のコメントは納得しがたいものだった。

「そもそもAKBとは何かを考えてほしい。既成の概念にとらわれない壮大なアイドルの実験場だったはずなんです。それがCDを買わせて人気投票を行う総選挙も批判の的だったのが9回目を迎えて当たり前の行事になってしまった。そして指原1強にうんざりしていた閉塞感。それを須藤がぶち壊したことで爽快な風が吹いたのです。ドーム球場でやる野球はそれはそれで快適ですが、天候と同じく予定調和ではなく、思い通りにいかないからこそ人生は面白い。賛否両論、激論を喚起した須藤の行為こそが、これぞAKBという痛快な出来事なのです」

 AKB48が「壮大なアイドルの実験場」というのは分かるのだが、この「実験場」で莫大な利益を得ているのは秋元康を初めとする運営側で、試行錯誤しながらより良質のビジネスモデルを築いていけるだけであって、現場にいるアイドルは「モルモット」でしかなく、グループを卒業した後のサポートもなく実質「使い捨て」というのが現状であろう。2017年6月22日の毎日新聞でも中森明夫はコメントしている。

「彼女の衝撃的な発言で、興味がない層も『アイドル、結婚とは何か』を話題にした。息苦しさが漂う現代社会に風穴を開けてくれたとさえ思う。既成概念を崩してきたのがAKB。」

 「(AKB48に)興味がない層も『アイドル、結婚とは何か』を話題にした」のは確かだが、ただそれだけのことで彼女たちを応援する人が増えるわけではなく彼女たちの待遇が良くなるわけでもない。そもそもアイドルの既成概念を崩すということは信用を失うということにつながるのではないのか。アイドルでいることが「息苦しい」のであるならば辞めればいいだけの話なのであって、例えば私たちが小島瑠璃子や岡田結実や広瀬すずが男性と交際していようが突然結婚発表しようが文句を言わないのは彼女たちには実力があってアイドルとしてファンからお金を徴収している訳ではないからである。

 中森明夫という人は文学者になり損ねたどうも胡散臭い人なのだが、詳細についてはロマン優光の『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』(コア新書)に譲る。


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安倍晋三と秋元康と「奇策」

2017-06-24 18:59:00 | 邦楽

欅坂46 『不協和音』

欅坂46さん『不協和音』の歌詞
フチョウワオン
words by アキモトヤスシ
music by バグベア
Performed by ケヤキザカフォーティーシックス

 最近欅坂46の「不協和音」を聴いていると安倍晋三首相を思い出してしまう。そう考えると例えば、6月15日に「共謀罪」の趣旨を含む改正組織的犯罪処罰法を成立させる際に、参院法務委員会を通さずに「中間報告」という奇策で成立させたことと、6月17日の「AKB48 49thシングル選抜総選挙」においてどう考えても恋愛スキャンダルであるにも関わらず、敢えて「結婚」という奇策を使うことで須藤凜々花を批判しにくくさせるところなどそっくりではないだろうか。そもそも2012年12月の衆議院総選挙の最後の街頭演説を安倍首相は秋葉原で行なっているのである。
 国民であれファンであれどうせすぐに忘れるだろうと安倍晋三も秋元康もナメてかかっているのであろうし、実際そのような傾向はなきにしもあらずなのだが、安倍内閣もAKB48グループもどこまでもつのか見ものではある。


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『めがみさま』

2017-06-23 00:12:30 | goo映画レビュー

原題:『めがみさま』
監督:宮岡太郎
脚本:大月もも
撮影:根岸憲一
出演:松井玲奈/新川優愛/廣瀬智紀/梅舟惟永/尾美としのり/鈴木ちなみ/筒井真理子
2017年/日本

自己啓発セミナーの「めがみさま」の正体について

 主人公の佐倉理華は医療事務員として働いているのであるが、2人の同僚から虐めを受けており、家では世間体を異常に気にする母親の市絵からのプレッシャーで精神安定剤のエチゾラムを手放すことができない。
 作品の冒頭で理華と市絵が一緒に食事をしている最中に、子供の泣き声が聞こえてきて、市絵が怒りだす。これを伏線として家出をした理華がセラピストのラブとレストランで食事をしている際に、泣いている子供に対して怒っていた男性客に対して理華が子供を庇うために怒りを発することで、母親に対しての反抗を遂げるのである。
 自分の人生を自ら切り開いたように感じた理華だったが、雑誌記者の三坂あゆみの取材を通して自分が好きなように生きるというラブの教えに疑問を抱くようになる。そんな時に、ラブの命令で邪魔になった三坂を殺すことになってしまった理華が運転する車で三坂を運んでいる最中に、車から飛び出た三坂が対向車に轢かれて死んでしまう。考え方は違っていても三坂は理華と同じ精神安定剤を服用しているのだから「同士」ではあったのである。
 失意のうちに実家に戻った理華に対して市絵は歓迎するどころか詰難したため怒り狂った理華は市絵の首を絞めて殺そうとしてしまい、その罪悪感も手伝ってついにはラブに刺されることで「自殺」に至るのである。
 最初は理華とラブの関係に違和感満載なのであるが、オチには納得できる。三坂が取材していた政治家の名前が「舛坂洋一郎」というのは面白かった。


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『笑う招き猫』

2017-06-22 00:09:04 | goo映画レビュー

原題:『笑う招き猫』
監督:飯塚健
脚本:飯塚健
撮影:山崎裕典
出演:清水富美加/松井玲奈/落合モトキ/荒井敦史/浜野謙太/前野朋哉/岩松了/戸田恵子
2017年/日本

女性が模索する「男」の生き様について

 2016年12月23日、結成5年目の女性漫才コンビ「アカコとヒトミ」の高城ヒトミと本田アカコは共に27歳の東京学院大学の同級生で、ライブ前でカラオケボックスで練習中にいつもの大喧嘩になり、ヒトミは飛び出していく。どちらかと言えばヒトミが「女役」でアカコが「男役」のように見える。それはアカコがわざわざヒトミの実家に行って漫才を一緒にやらせて欲しいと頼んだからでもあろう。
 中学生の上杉慎太は同級生の安達泉にそそのかされてヒトミの自転車を盗もうとするのであるが、未遂に終わる。上杉の話を聞いた2人は友人の蔵前慎吾と大島洋次を連れて夜の学校に忍び込み、泉の机を校庭に投げ落とす。あるいは同級生の和田栄はかつての輝きを失い今は年下の上司である三上のご機嫌をうかがう生活なのであるが、酒場で2人は奮起を促す。漫才コンビ「きんぴら」は初の単独ライブでナーバスになっており、客席から聞こえた携帯電話の音で緊張の糸が切れてしまい舞台から降りてしまうのであるが、そこをシークレットゲストで出演予定だった「アカコとヒトミ」がつなげる。2人の担当マネージャーで「アカコとヒトミ」を事務所に入れてくれた永吉悟は母親の介護で事務所を辞めてしまう。
 どうも物語の全体的な印象は女性を主人公とした意図とは裏腹に様々な世代の「男」の生き方の模索のように見える。だから「女役」のヒトミが辞めると言ってもすぐにコンビは復活するが、「男役」のアカコがヒトミの男関係に難をつけ辞めると言い出すとなかなか関係が修復しないのであろう。ようやくコンビが復活し、2018年1月のライブの漫才は清水富美加と松井玲奈の勘の良さもあって素晴らしいものだった。
 意外と浜野謙太と前野朋哉の区別が付きにくいと感じたのは私だけだろうか?


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『フリー・ファイヤー』

2017-06-21 21:31:29 | goo映画レビュー

原題:『Free Fire』
監督:ベン・ウィートリー
脚本:エイミー・ジャンプ/ベン・ウィートリー
撮影:ローリー・ローズ
出演:ブリー・ラーソン/シャルト・コプリー/キリアン・マーフィー/アーミー・ハマー/サム・ライリー
2016年/イギリス

登場人物が多すぎるギャング映画について

 場末の倉庫でライフル銃の取り引きを画策した2組のギャングが全く取引とは関係ないところでこじれて敵味方も厭わない銃撃戦に展開してしまうのであるが、この「密室劇」はさしずめクエンティン・タランティーノ監督の『レザボア・ドッグス』(1992年)を彷彿とさせる。
 銃を運んできたトラックから流れている曲は、ジョン・デンバーの「緑の風のアニー(Annie's Song)」である。まずは和訳してみたい。

「Annie's Song」 John Denver 日本語訳

君はまるで森の中の夜のように
春の山脈のように
雨の中の散歩のように
砂漠の中の嵐のように
ぼんやりした青い海洋のように
僕の五感を満たしてくれる
君は僕の五感を満足させてくれるから
もう一度僕を満足させてくれよ

僕に君を愛させて欲しい
僕の人生を君に捧げさせて欲しい
僕を君の笑い声に浸して欲しい
君の腕の中で死なせて欲しい
君のすぐそばで横たわらせて欲しい
いつも君と一緒にいさせて欲しい
僕に君を愛させて欲しい
もう一度僕を愛して欲しいんだ

君はまるで森の中の夜のように
春の山脈のように
雨の中の散歩のように
砂漠の中の嵐のように
ぼんやりした青い海洋のように
僕の五感を満たしてくれる
君は僕の五感を満足させてくれるから
もう一度僕を満足させてくれよ

 この曲はデンバーが当時の妻のアニーに捧げた曲なのであるが、2人はその後離婚しており、このような曲にまつわる経緯が本作においても不吉さを予感させるのである。
 しかし例えば、『レザボア・ドッグス』ではマドンナに関する面白話が披露されるのであるが、本作においてジョン・デンバーに関する面白話をしようとするオードは披露する前にジャスティンに銃殺されてしまうようにダイアローグの面白さに関しては『レザボア・ドッグス』にはかなわないように思う。


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