スティーヴ・ウィンウッド(Steve Winwood)が1980年の暮にリリースしたアルバム
『アーク・オブ・ア・ダイヴァー(Arc Of A Diver)』は傑作と言っても良いと思うが、
アルバムのタイトルにもなっている「アーク・オブ・ア・ダイヴァー」は詞の内容は
うまく汲み取れていないように思う。それは「ダイバー(Diver)」を潜水夫と捉えて
いるためで、確かに日本では1980年頃にはマイナーではあったが、オリンピックで
少しずつ知られるようになり、今では「ダイビング選手(Diver)」で通じるようになった。
その上、この曲の歌詞は詞の区切りとメロディーの区切りがバラバラな点も解釈を
難しくしている。以下、「アーク・オブ・ア・ダイバー」の和訳。
「Arc Of A Diver」 Steve Winwood 日本語訳
彼女が僕を甘美さに浸らせていることを明かすわけにはいかない
夢を分かち合うために僕には恋人が必要なんだ
この控えめな表現は全く着飾ることはなく
僕の目は何も隠し事をしていない
でも嫉妬に悩む夜
彼女が隠していたあらゆる「琴線」のために
僕は耳を塞がなければならず
僕は電話で自分の愛情を言い換える必要があるんだ
(つまり)僕はもう滑らかにピアノを弾くことはない
今回、もしも雲が聴いていないならば
僕は空に向かって歌うだろう
例え、目が眩んだとしても
僕は太陽に向かって叫ぶだろう
僕は月でも見つめようと思う
だって君と一緒ならば僕はより強くいられるのだから
ダイビング選手が滑らかに弧を描くように
僕の心は空に浮いている
昼でも夜でも目覚めれば
僕は君を近くに感じる
(ダイビング後に着水する)息づくような温かい水が僕をここで助けてくれる
でも嫉妬に悩む夜
彼女が隠していたあらゆる「琴線」のために
僕は耳を塞がなければならず
僕は電話で自分の愛情を言い換える必要があるんだ
今回、もしも雲が聴いていないならば
僕は空に向かって歌うだろう
例え、目が眩んだとしても
僕は太陽に向かって叫ぶだろう
僕は月でも見つめようと思う
だって君と一緒ならば僕はより強くいられるのだから
でも嫉妬に悩む夜
彼女が隠していたあらゆる「琴線」のために
僕は耳を塞がなければならず
僕は電話で自分の愛情を言い換える必要があるんだ
今回、もしも雲が聴いていないならば
僕は空に向かって歌うだろう
例え、目が眩んだとしても
僕は太陽に向かって叫ぶだろう
僕は月でも見つめようと思う
だって君と一緒ならば僕はより強くいられるのだから
無駄の無い変化に富んだ音楽が街に大量に流れた
僕はそれを聞くけれども
君と一緒に僕は行かなければならなかった
だって僕のロックンロールはますます成長し
ビートが鳴り続けているのだから
ダイビング選手が滑らかに弧を描くように
僕の心は空に浮いている
昼でも夜でも目覚めれば
僕は君を近くに感じる
息づくような温かい水が僕をここで助けてくれる
でも嫉妬に悩む夜
彼女が隠していたあらゆる「琴線」のために
僕は耳を塞がなければならず
僕は電話で自分の愛情を言い換える必要があるんだ
恋人よ、君と一緒ならば僕たちは未来に踏み込めるだろう
恋人よ、君と一緒ならば僕たちは過去を恥じることはないだろう
僕達の水晶時計が止まるまで僕達は埋め合わせをするために今日という日を抱きしめよう
昨日までの埋め合わせをするために僕たちは今日という日をいとおしもう
昨日までの
僕たちの水晶時計が止まるまで
最後のフレーズの解釈も難しい。「We'll hold today to ransom 'til our quartz clock stop」
で「僕たちの水晶時計が止まるまで僕たちは埋め合わせをするために今日という日を
抱きしめよう」と解釈することで、自分たちの人生が終わるまで協力しあっていこうと
いう意味にとり、次に、「We'll hold today to ransom until yesterday」と文章を捉え、
「昨日までの埋め合わせをするために僕たちは今日という日を抱きしめよう」と意味が
変わり、これまでの自分たちの人生を修正していくという意味に変わるのである。これは
その前の未来と過去に関するフレーズと対応しており、その後、「until yesterday」と
「'til our quartz clock stop」を繰り返し文意を変えることでスティーヴ・ウィンウッドは
詩的テクニックの冴えを見せるのである。