MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『猿の惑星 新世紀(ライジング)』

2014-10-31 00:22:31 | goo映画レビュー

原題:『Dawn of the Planet of the Apes』
監督:マット・リーヴス
脚本:リック・ジャッファ/アマンダ・シルヴァー/マーク・ボンバック
撮影:マイケル・セレシン
出演:アンディ・サーキス/ジェイソン・クラーク/ゲイリー・オールドマン/ケリー・ラッセル
2014年/アメリカ

徹底的に「擬人化」を目指した作品について

 前作『猿の惑星:創世記』(ルパート・ワイアット監督 2011年)でシーザー率いる猿軍団は、人間のような愚かな真似はしないと確信を持っていたはずで、だから最初に「サルはサルを殺さない」というスローガンを掲げ、それを「お手並み拝見」として観るのが私たち観客の立場となる。
 作品前半はサルだけのコミュニケーションだけで上手くいっていたものの、人間と関わるようになってから、特にシーザーとコバとの間で摩擦が生じ、サル同士の争いが起こるのであるが、やはり言葉を習得したことは大いに関係があるだろう。しかしその言葉のおかげでシーザーと息子のブルーアイズがお互いを理解しあえたこともまた事実なのである。
 結局、最後は猿山ならぬ鉄の塔のてっぺんでシーザーとコバとの一対一の決闘によりどっちの意見を尊重するのか決めるところなどは、いかにもサルらしくはあるが、それならばまだ多少なりとも話し合いの余地を残す人間同士の方がまともではなかったのかとシーザーたちにツッコミを入れたくなる。この徹底した「擬人化」はなかなかアイロニーの効いたものである。


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『フランシス・ハ』

2014-10-30 00:13:31 | goo映画レビュー

原題:『FRANCES HA』
監督:ノア・バームバック
脚本:ノア・バームバック/グレタ・ガーウィグ
撮影:サム・レビ
出演:グレタ・ガーウィグ/ミッキー・サムナー/アダム・ドライバー/マイケル・ゼゲン
2012年/アメリカ

独立独歩の大人としての「ハ」について

 ダンスカンパニーに所属している主人公のフランシスは、いつか舞台に立つことを夢見ながら練習に励んでおり、だからボーイフレンドから一緒に住もうという誘いも断るのであるが、なかなか舞台に上がるチャンスはもらえず、舞台監督からは事務職を勧められる有様で、そんな時にルームメイトのソフィがボーイフレンドと暮らすために同居の解消を言われる。このように出だしからフランシスはタイミングに恵まれない。気がついたら27歳のフランシスはいつまでも夢を見ていられないことは分かったものの、やることなすことギクシャクしてしまう。
 ところがそのような失敗の経験が却って功を奏したのか、フランシスはモダンダンスの振付師として頭角を現し、やがて自分名義で一人暮らしを始めるのである。その時、フランシスがポストに付けるネームプレートが長すぎて短くした結果、名字「ハラディー(Halladay)」の後半が抜けて「フランシス・ハ(Frances Ha)」となってしまうのであるが、これは他の「フランシス」ではなく、かと言って「ハラディー家」にも頼らない独立独歩の大人になったという暗示であろう。
 『汚れた血』(レオス・カラックス監督 1986年)のドニ・ラヴァンが演じる主人公のアレックスがデヴィッド・ボウイの「モダン・ラヴ(Modern Love)」が流れる中を全力疾走するシーンのパロディーは、男性の代わりに女性を、左から右に走るドニに対して、フランシスを右から左に走らせ、ドニの長めの走行に対して短めにまとめた捻りが秀逸であるが、ホット・チョコレート(Hot Chocolate)の1978年のヒット曲「Every 1's a Winner」も無視するわけにはいかない。以下、和訳。

「Every 1's a Winner」 Hot Chocolate 日本語訳

君が僕にしてくれたことが信じられなかった
君のあり方が信じられなかった
君が僕のところに来てくれた日を僕は毎日感謝する
だって君がスターだということを僕は信じているのだから

誰もが勝者であることは真実
君と愛し合うことはとてもスリリング
誰もが勝者であることは嘘ではない
君が満足し損なうなんてありえない
だからもう一度やろう

僕に何が起こっていたのかなんて説明のしようがない
ただ君が一度触れるだけで僕は炎と化す
それがどれほど素晴らしいことか
君と僕が好きでしていることがどれも同じだなんてびっくりするよ

誰もが勝者であることは真実
君と愛し合うことはとてもスリリング
誰もが勝者であることは嘘ではない
君が満足し損なうなんてありえない
だからもう一度やろう

誰もが勝者であることは真実
君と愛し合うことはとてもスリリング
誰もが勝者であることは嘘ではない
君が満足し損なうなんてありえない
だからもう一度やろう


(走るフランシス)


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『ルパン三世』

2014-10-29 00:08:41 | goo映画レビュー

原題:『ルパン三世』
監督:北村龍平
脚本:水島力也
撮影:古谷巧
出演:小栗旬/玉山鉄二/綾野剛/黒木メイサ/浅野忠信/ジェリー・イェン/キム・ジュン
2014年/日本

リップシンクのズレがもたらす「リアリティー」について

 『ルパン三世』の実写化といえば、1974年の『ルパン三世 念力珍作戦』(坪島孝監督)が挙げられるのであるが、そのタイトルからも分かるように、『念力珍作戦』は端から原作を無視して制作されたのだから、本作こそが実質初の『ルパン三世』の実写化といえるだろう。
 某映画評論家が100点満点中3点としたのは「三世」にかけた捻りの無いつまらないシャレとして無視するとしても、アニメーションからの実写化作品の中では健闘している方だと思う。例えば、演出というよりも偶然によるものであろうが、登場人物が外国語を話している部分で、リップシンクがズレている時があるのだが、皮肉なことにそのズレによって作品のリアリティーを失わせ「アニメ化」することで、却って作り込んだイメージそのものに説得力を持たせているように見えるのである。意外とそのような些細な偶然で作品の価値が大きく変わったりするから映画は面白い。


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『消えた画 クメール・ルージュの真実』

2014-10-28 00:42:05 | goo映画レビュー

原題:『L'IMAGE MANQUANTE』 英題:『THE MISSING PICTURE』
監督:リティ・パニュ
撮影:プリュム・メザ
2013年/カンボジア・フランス

相手によって選ばれる「イメージ」について

 『アクト・オブ・キリング』(ジョシュア・オッペンハイマー監督 2012年)の登場人物たちがハリウッド映画を目指した結果、それをも凌駕する大虐殺を引き起こしたのだとするならば、本作で使用されている残された記録映像は余りにもチープなように見える。「革命とはイメージである」ということをポル・ポトは十分に認識していたはずで、だからクメール・ルージュにとって都合の悪い映像は処分しており、自分たちに不都合な映像を撮ったとして専属のカメラマンまでも処刑されてしまったのである。しかし残された記録映像は、例えば、大勢の農民たちが手分けをして土を運んでいるものなどは国民が一所懸命に働いている様子をアピールしたかったようであるが、長い列をなす蟻のように働かされているように見える。その上、ポル・ポト政権によって製作された娯楽映画は、わざわざ大根役者たちを揃えたような驚くべきレベルの低さで、知識人たちから粛清していった結果がこの有様なのである。
 これらの残された記録映像を検証する際に、ハリウッド映画のスタイルを持ち込んでも「議論」がかみ合うことはないはずで、だからリティ・パニュ監督はクレー人形を利用したように思う。いわば本作は悪夢の「セサミストリート」なのである。
 アプローチの方法は素晴らしいと思うが、最初と中程と最後に挿入される波の映像の意図がよく分からなかった。


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『アクト・オブ・キリング』

2014-10-27 00:14:34 | goo映画レビュー

原題:『The Act of Killing』
監督:ジョシュア・オッペンハイマー/クリスティーヌ・シン/匿名者
撮影:カルロス・アロンゴ=デ・モンティス/ラース・スクリー
出演:アンワル・コンゴ/ヘルマン・コト/アディ・ズルカドリ/イブラヒム・シニク
2012年/イギリス・デンマーク・ノルウェー

 「ハリウッド映画」を超えた結果について

 1965年インドネシアで起こった「9月30日事件」の加害者たちに当時の様子を再現してもらったという本作の主人公となったアンワル・コンゴは自分でも1000人は殺していると豪語している。もちろん本人は正義のために共産主義者たちを殺したことを誇りに思っているのである。
 試行錯誤の末に針金を首に巻いて殺すことが一番殺しやすいことが分かり、実際にやって見せたりするのであるが、映画撮影の初日あたりに政府の要人が激励に訪れた際に、彼らの尋常ではないシュプレヒコールを聞いて恐怖を感じ、「正しく」叫ぶように注意を促す。次に小さな村に住む女性や子供たちを虐殺するシーンを撮るのであるが、撮影が終わってもなかなか泣き止まない子供たちや失神してしまった女性を見たあたりからアンワルは自分の行動に疑問を抱くようになる。どのような経緯があったのか分からないが、アンワルが取り調べられる共産主義者の役を演じて、同志のヘルマン・コトがアンワルの首に針金を巻いて殺そうとするシーンが撮られると、アンワルは気分が悪くなって止めてしまう。そして後にそのシーンを2人の孫と一緒にテレビで見ようとするのであるが、自分の悲惨な姿を見たアンワルはようやく殺された側の人間の気持ちが理解できるようになった。ラストにおいて再び針金を首に巻いて人を殺した現場を訪れたアンワルは何度もえずく。年老いて急にそれまで持っていた価値観が完全に崩壊する人の姿を私たちは目撃することになる。
 しかし疑問が湧かないことはない。例えば、アンワルは子供の頃から今まで喧嘩などで一度も負けたことがないのだろうか? 普通は誰もが百戦錬磨の中でも形勢が不利な経験もしており、負けた人間の気持ちも分かるからアンワルの仲間たちは精神科を受診していたりするのである。何よりも価値観がひっくり返ってしまったアンワルがその後どうなったのか知りたいのであるが、おそらく続編の『The Look of Silence』(2014年)で描かれているのであろう。
 戦闘中はアンワルたちはハリウッド俳優を気取って人を殺していたようであるが、名前を挙げられたジョン・ウェインやマーロン・ブランドは既に亡くなっているから仕方がないが、アル・パチーノには本作の感想を訊いてみたいものである。
 もしも本当にこのドキュメンタリーで描かれている「本作」が完成するならば、アレハンドロ・ホドロフスキーばりの奇抜で斬新な作品になるように思うのだが、いつか観られるのだろうか?


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橋下徹市長vs.桜井誠会長の意義

2014-10-26 00:39:13 | Weblog

橋下市長VS在特会 「市長の態度悪い」「頑張れ」市役所に電話等が殺到(産経新聞) - goo ニュース
橋下大阪市長と在特会会長が「罵り合い」10分間の不毛なバトル(全文書き起こし)(弁護士ドットコム) - goo ニュース

 ヘイトスピーチ(憎悪表現)問題をめぐる、大阪市の橋下徹市長と「在日特権を許さない

市民の会」(在特会)の桜井誠会長の「話し合い」は罵り合いになってしまったが、

個人的には今回の罵り合いは橋下市長の作戦勝ちだったと思う。橋下市長の態度の

悪さに対して桜井会長が批判するのであるが、橋下市長は反発するだけで、態度を

改めることはない。これは桜井会長が朝鮮人を批判したからといって、反発こそすれ

制度が変更されることはないことのアナロジーであり、要するにヘイトスピーチなど

実質は無意味で、自分たちの品格の無さを露呈するだけなのである。だから橋下市長が

「今度の統一地方選挙でおまえ訴えたらいいじゃないか」と言う通り、地方議会議員に

なって制度を変えればいいのであるが、桜井会長は「わたし、政治に興味ないので」と

逃げている。政治に興味がないというよりも立候補しても当選する自信がないのであろう。

同時に自分の意見は日本では「マイノリティー」であることを証明してしまう。

今回、2006年8月7日のテレビ朝日の『スーパーモーニング』で亀田史郎に仕掛けた

やくみつるを思い出させた。品の悪さを敢えて披瀝できる政治家など橋下市長くらいだから

今回の「対談」は成果があったと思うのであるが、残念なことに橋下市長本人も含めて

誰もこれが在特会に対する皮肉であることに気がついていない。


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『ファーナス 訣別の朝』

2014-10-25 00:00:08 | goo映画レビュー

原題:『OUT OF THE FURNACE』
監督:スコット・クーパー
脚本:スコット・クーパー/ブラッド・インゲルスビー
撮影:マサノブ・タカヤナギ
出演:クリスチャン・ベイル/ウディ・ハレルソン/ケイシー・アフレック/ゾーイ・サルダナ
2013年/アメリカ

「厳しい試練の外」の厳しい試練について

 時代はバラク・オバマが民主党の大統領候補として推されようとしている頃、作品冒頭は、ハーラン・デグローがドライブイン・シアターで食あたりを起こした自分をバカにした恋人に暴行を働いて、それを止めに入った男性に対しても暴行を働き、そのまま一人で車に乗って帰ってしまうシーンから始まる(ちなみに上映されていた作品は2008年の北村龍平監督の『ミッドナイト・ミートトレイン(Midnight Meat Train)』である)。それは後のハーランの容赦しない悪徳を想像させるものであるが、寧ろこの伏線はラストシーンにつながっているように見える。
 4回もイラクに兵士として派遣され、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を患っていた弟のロドニー・ベイズ・ジュニアがハーランたちに殺されたことで復讐を決意した兄のラッセル・ベイズは、おびき出したハーランを一発で仕留めることはせずに、片脚を撃ち、肩を撃ったあとに、警官のウェズリー・バーンズの目の前で逃げるハーランをライフルで撃ち殺してしまうのである。
 つまり警官がいてもいなくても犯罪は起こってしまい、なおかつラストショットでラッセルは食卓でくつろいでいるのだから、刑事訴追さえされていないのである。一体、イラクとアメリカの何が違うのかと考えさせられる作品である。
 ちなみに原題の「OUT OF THE FURNACE」とは「溶鉱炉の外で」という意味であるが、「厳しい試練の外で」という意味も含み、つまりイラクの外のアメリカでも同様の試練があるという意味にもとれるのである。


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「レット・イット・ゴー」と「ケ・セラ・セラ」の意味

2014-10-24 00:08:32 | 洋楽歌詞和訳

米誌が選ぶ史上最高の映画主題歌 「Let It Go」など20曲(映画.com) - goo ニュース
Doris Dayさん『Whatever Will Be,Will Be(Que Sera,Sera)』の歌詞

 『アナと雪の女王』の主題歌である「Let It Go」を「ありのままの」と訳したことで

思い出すことは、ドリス・デイが歌った「ケ・セラ・セラ(Que sera sera)」(1956年)を

ペギー葉山が歌った日本語ヴァージョンでは「なるようになる」と訳されたことである。

改めて「レット・イット・ゴー」を解釈するならば、何でも凍らせてしまう魔法を

持って苦しんでいた王女エルサが、もはや抑えきれない悪の力を解放することで

自らの自由を得るというものだった。だから「ありのままの」という訳は間違いでは

ないのであるが、そこに至るまでのエルサの心の葛藤が抜けてしまっているのである。

「ケ・セラ・セラ(英語では「Whatever Will Be, Will Be」)」を正確に訳すと

「何事にしても起こるべきことは必ず起こる」となり、これは人がどのようにあがいても

起こるべきことは起こってしまうという意味で、「なるようになる」という訳も

間違ってはいないのであるが、ここでも心の葛藤が抜けてしまっているのである。

ここに日本文化の甘さを見るかおおらかさを見るかは人それぞれではあるが、

50年以上経っても変わらない日本文化の体質は無視しようがない。(ちなみに

「ケ・セラ・セラ」の詳細は鹿島茂著『悪の引用句辞典』中公新書「ファブリーニ伯爵」参照)


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『近キョリ恋愛』

2014-10-23 00:09:33 | goo映画レビュー

原題:『近キョリ恋愛』
監督:熊澤尚人
脚本:まなべゆきこ
撮影:柳田裕男
出演:山下智久/小松菜奈/小瀧望/山本美月/水川あさみ/新井浩文
2014年/日本

「能面」同士の主人公のラブストーリーについて

 主人公の櫻井ハルカを演じる山下智久と枢木ゆにを演じる小松菜奈の、感情をほとんど表に出さない「能面」同士のラブストーリーは、女子中高生向けの作品としては画期的ではないだろうか。だから最後で海岸で櫻井の胸に飛び込もうとする時にようやく見せるゆにの笑顔こそが本作の一番の見せどころで、それまでの長い伏線が報われるのである。
 小松菜奈は『渇き。』(中島哲也監督 2014年)でも分かるようにその「能面」は演技だとしても、『あしたのジョー』(曽利文彦監督 2011年)で演じた矢吹丈と変わらない山下智久のクールさをどのように評価してよいものか言葉が見つからない。
 そんな山下智久が器物損壊の疑いで書類送検されることで本作が上映中止になるのかと思って早めに観に行っていたのであるがどうやら杞憂だったようだ。
山下智久 事件をナマ謝罪…仮装イベント中止に(デイリースポーツ) - goo ニュース
山下智久、舞台あいさつでトラブルをファンに謝罪(ORICON STYLE) - goo ニュース
器物損壊山P「自分の立場をわきまえて」(日刊スポーツ) - goo ニュース


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『ゴッドタン キス我慢選手権 THE MOVIE 2 サイキック・ラブ』

2014-10-22 00:04:09 | goo映画レビュー

原題:『ゴッドタン キス我慢選手権 THE MOVIE 2 サイキック・ラブ』
監督:佐久間宣行
脚本:佐久間宣行/森ハヤシ
撮影:風間誠
出演:劇団ひとり/福士誠治/中尾明慶/柄本時生/上原亜衣/近藤芳正/伊藤英明
2014年/日本

 「命がけ」だからこそ生まれるアドリブについて

 ラストシーンにおいて、主人公の川島省吾は脳がむき出しになって配線でつながれている自分自身の頭をモニターで見せられる。つまり今の自分は自分の脳が創り出している幻想で、それは見世物として流れていると近藤芳正に告げられるのである。
 自分の「命がけ」の行動が見世物でしかないという事実に愕然とする川島省吾ではあるが、だからこそアドリブというものが「生きる」というアイロニーが上手く描かれているように思う。
 「生涯最高のキスだった。これ以上気持ちいいキスは二度とできないと思う。」という川島省吾のキスの相手が誰だったのかということは言わずにおこう。森山直太朗の「五線譜を飛行機にして」という主題歌が無駄に良いとしても、良いのだから良いとして、相変わらずの劇団ひとりの天才にはうならされる。私が「ヨルタモリ」に期待していたことはこのようなアドリブだったと思う。そしてアドリブとは若さの特権なのかもしれないと思い至るのである。


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