MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ピーナッツ』

2017-03-31 00:10:36 | goo映画レビュー

原題:『ピーナッツ』
監督:内村光良
脚本:内村光良/益子昌一
撮影:谷川創平
出演:内村光良/三村マサカズ/大竹一樹/ゴルゴ松本/レッド吉田/ふかわりょう/佐藤めぐみ
2006年/日本

体を動かすことが大好きな映画監督について

 2年ほど前に『愛の水球歌』という小説でデビューし、2作目の『たかが草野球』という実体験を元にした小説を上梓したものの、その後はスランプに陥り一年ほど小説が書けないまま、恋人の宮島百合子との関係もギクシャクしだした主人公で40歳になる秋吉光一は地元に戻るのであるが、10年前には賑わっていた商店街は再開発の候補地になっていた。
 その再開発中止か立ち退きかを賭けて秋吉率いる草野球チーム「ピーナッツ」は再開発業者がスポンサーをしている社会人野球チーム「東和ニュータウンズ」と試合をすることになるのであるが、やはり「東和」には勝てない理由は、映画業界という観点から考えてみれば分かりやすいと思う。
 しかしこの経験のおかげで秋吉は『されど野球~あれから10年~』という小説を執筆することができ、さらにカーリングやクリケットなど興味の幅を広げていくところなどは、『金メダル男』(2016年)に至るまで内村監督の作風の変わらなさを表している。ジャッキー・チェンを崇拝しているように、内村監督はストーリーよりも自分たち自ら演じるアクションを活写することが好きなのだと思う。


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『キングコング:髑髏島の巨神』

2017-03-30 01:49:45 | goo映画レビュー

原題:『Kong: Skull Island』
監督:ジョーダン・ヴォート=ロバーツ
脚本:ダン・ギルロイ/マックス・ボレンスタイン/デレク・コノリー
撮影:ラリー・フォン
出演:トム・ヒドルストン/サミュエル・L・ジャクソン/ジョン・グッドマン/ブリー・ラーソン
2017年/アメリカ

「類似」を有効利用する作品について

 アメリカ空軍の兵士であるハンク・マーロウが飛行機の墜落が原因でパラシュートで髑髏島に降り立ったのは1944年で、ハンクが熱烈に応援していたシカゴ・カブス(Chicago Cubs)が優勝したのは翌年の1945年であるため、ハンクは知らないはずである。
 時は流れヴェトナム戦争末期の1973年、パリ協定が1月に結ばれアメリカ軍は3月まで撤退を完了しているのだが、その最中髑髏島へ調査に入った遠征隊がハンクを発見し、ハンクは何とか帰郷できた際に、家に着いた時に乗っていた車が「シカゴ・カブ(Chicago Cab)」というところが洒落ている。
 ハンクはリビングでカブスの試合を喜んで観ているのは、1973年のナショナルリーグ東地区でカブスは前半は首位だったからであろうが、後半になって負けが混んで5位に終わったのである。これがハンクの人生の雲行きの怪しさを暗示しているのかどうかは続編を観なければ分からない。
 ところでプレストン・パッカード中佐(サミュエル・L・ジャクソン)が何故あれほどコングを倒すことに拘りを見せたのか勘案するならば、「類似」による近親憎悪だったように思う。


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『パッセンジャー』

2017-03-29 02:38:18 | goo映画レビュー

原題:『Passengers』
監督:モルテン・ティルドゥム
脚本:ジョン・スペイツ
撮影:ロドリゴ・プリエト
出演:ジェニファー・ローレンス/クリス・プラット/マイケル・シーン/アンディ・ガルシア
2016年/アメリカ

「意味」は正確なのに「見た目」が大雑把な作品について

 120年がかりの人類移住プロジェクトを担った宇宙船アヴァロン号には258人のクルーと5000人の移住者が冬眠状態で乗っていたのであるが、乗客の一人である主人公でエンジニアのジム・プレストンが隕石の衝突による宇宙船の故障で一人だけ目覚めてしまう。
 アンドロイドのバーテンダーであるアーサーだけを話し相手に一年を過ごしたものの、寂しさを紛らわせるには限界があった。その時、ジムの傍で眠っていたオーロラ・レーンの存在を知ってしまったジムはオーロラを目覚めさせてしまう。新しい居住地となる惑星の到着するまで約90年かかるためオーロラの目覚めは「死」を意味することは、もちろんジムには分かっているのであるが、それ以上に寂しさが勝ってしまう。
 本作の見どころは「忖度」しないアーサーがオーロラに真実を告げるところで、愛していた男が自分を「殺した」ことを知った時のオーロラの気持ちは察して余りある。しかし話はそれで終わらない。クルーの一人であるガス・マンキューゾも目覚めたことで、宇宙船の故障の深刻さが露呈し、ガスが病気で亡くなった後に、ジムとオーロラは2人で宇宙船の故障を修理しなければならなくなる。そこで男気を発揮するジムに再び愛情を感じたオーロラは宇宙船の中で人生を全うすることになる。
 これはSF映画を装った不条理劇であろう。類似した作品である『サイレント・ランニング』(ダグラス・トランブル監督 1972年)や『オデッセイ』(リドリー・スコット監督 2015年)同様に本作も主人公が植物を育てようとするところが興味深い。
 何度も書いているが、和風レストランが中華風に見えるところに難があるのだが、壁に書かれている「幸せ遠征」と「起死回生」という日本語は、常識ではありえないとしてもストーリーには合っており、言葉は詳しく調べているようなのに何故いつまで経っても肝心のビジュアルが正確に描かれないのか不思議なのである。


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『コスメティックウォーズ』

2017-03-28 00:40:49 | goo映画レビュー

原題:『コスメティックウォーズ』
監督:鈴木浩介
脚本:清水有生
撮影:唐沢悟
出演:大政絢/渡部豪太/奥菜恵/井上正大/柊子/松本若菜/尚玄/森岡豊/高岡早紀
2017年/日本

老舗化粧品会社のPRとしての作品について

 主人公の24歳の三沢茜が課される冒頭の「訓練」とその後の実際の活動のギャップに不安を感じるものの、最後まで観るならば意外とよくまとまった物語だった。
 2016年2月頃に、実在する老舗の化粧品会社「株式会社アルビオン」へ産業スパイとして新入社員を装い潜入した茜は厳しい研修を乗り切って半年後には銀座三越の販売員として好成績を上げ、9月には本社の商品開発部へ異動となるのであるが、彼女の昇進は同じ使命を帯びている峰岸百合恵のサポートが大いに貢献していた。
 商品開発部には研究員の45歳の中野渡千香が勤めているのであるが、中野渡はかつて研修中に茜のメイクを貶した女性だった。しかしワークホリックだった中野渡は3年前に自分で運転していた交通事故で助手席に乗っていた高校生の娘の桃子を亡くし、実は桃子は茜と瓜二つだったのである。
 データだけでは再現できないものを仮に「愛」とするならば、本作は愛の物語ではあるのだろうが、全く映画としての「グルーブ」を感じることはなく、テレビドラマのような感じである。しかしテレビドラマとして観るならば一年後の最後のオチも含めて悪くはないものの、高岡早紀の存在感に大政絢が霞んでしまっている。


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『アサシンクリード』

2017-03-27 01:34:17 | goo映画レビュー

原題:『Assasin's Creed』
監督:ジャスティン・カーゼル
脚本:マイケル・レスリー/アダム・クーパー/ビル・コラージュ
撮影:アダム・アーカポー
出演:マイケル・ファスベンダー/マリオン・コティヤール/ジェレミー・アイアンズ/アリアン・ラベド
2016年/アメリカ・フランス・イギリス・香港・台湾・カナダ・マルタ

ヴィデオゲームの原案と続編の狭間に置かれた作品について

 やはりヴィデオゲームを原案としているためなのか、どうもストーリーに粗が目立つ。例えば、主人公のカラム・リンチは死刑囚だったのであるが、リンチの祖先であるアサシン教団のDNAのおかげで高度な身体能力を駆使してルネサンス期のスペインに赴きテンプル騎士団たちと「エデンの果実」を巡り死闘を繰り広げるのである。
 ところがラストでリンチの才能を開花させて「エデンの果実」の在りかを見つけたアブステルゴ財団のCEОのアラン・リッキンと娘のソフィア・リッキン博士たちは施設内で起こった反乱に乗じて、その処理を警備団に任せてヘリコプターに乗って逃げてしまうのであるが、あれほど身体能力の高いリンチを生きたまま残してしまったら復讐されることは目に見えているはずで、ストーリーに説得力が無いのである。これがヴィデオゲームを原案にしたせいなのか、続編制作を前提にした甘さなのかは微妙なところではある。
 母親を父親に殺害された過去を持つカラム・リンチの孤独な戦いに付きまとう寂寥感が、『マトリックス』(ラナ・ウォシャウスキー/リリー・ウォシャウスキー監督)を想起させるほど良かっただけに惜しいと思うのである。


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「Imitation Of Life」 R.E.M. 和訳

2017-03-26 21:50:38 | 洋楽歌詞和訳

R.E.M. - Imitation Of Life (Official Music Video)

 『村上ソングズ』(村上春樹・和田誠共著 中央公論新社 2007.12.10)の中で村上春樹がR.E.M.の「Imitation of Life」を和訳しているのを最近になって知った。まずは村上の和訳を引用してみたい。

「人生のイミテーション」

謎かけゲーム、小洒落たトリック
ウォーター・ヒヤシンス、詩人の物言い
みんな人生のイミテーション
凍った池の鯉と同じ
鉢の金魚と同じ
君の泣く声なんて聞きたくないね

サトウキビは甘くて美味く
それはシナモン、それはハリウッド
大丈夫、ほんとの君は誰にも見えないさ

君は最高のものを求めている
世界がこれまで見たことないようなものを
君はそれを手に入れ、身につけた
金曜日のファッション・ショーの
片隅でびくついている女の子みたいに
背伸びしているところを巧みに隠して

サトウキビは甘くて美味く
それはシナモン、それはハリウッド
大丈夫、ほんとの君は誰にも見えないさ

泣いている君の姿は誰にも見えない

サトウキビは甘くて美味く
それは凍てつく雨、それはほんとの君
大丈夫、泣いている君の姿は誰にも見えない

サトウキビも
レモネードも
ハリケーンも、僕は怖くないね
大丈夫、泣いている君の姿は誰にも見えない
かみなりだって
津波だって
雪崩だって、僕は怖くないね
大丈夫、泣いている君の姿は誰にも見えない

サトウキビは甘くて美味く
それがほんとの君、それが違う姿の君
大丈夫、泣いている君の姿は誰にも見えない

(リフレイン)

 この曲に関する村上の感想も全文引用してみる。

 R.E.M. は長いあいだ僕のいちばん愛好するロック・バンドだったし、今でもそうだ。僕がこのバンドを好きになった理由は、ひとことで言えば「腹持ちの良さ」だと思う。このバンドの作り出す音楽には常にしっかりとした「核(コア)」のようなものがあり、たとえ微妙にスタイルが変化していっても、そのコアが変質したり移動したりすることはない。その音楽はいつも背筋がしっかりとして、聴き終えると「何かしっかりしたものを食べたな」というような不思議な実感がある。強い力で握られたおむすびを食べたときのように。新しいCDが出るたびに買って、聴き続けているけれど、がっかりしたという記憶がほとんどない。
 彼らの音楽は、多くのインディ出身オルタナ系バンドの音楽がそうであるように、歌詞の内容がファジーというか、意味を正確には把握しがたいところがある。いくぶん難解で、いくぶん思わせぶりである。「歌詞なんて、適当に言葉をかさねて流れていればそれでいいじゃないか」という感覚的なところもある。はっきり言えば不親切な歌詞だ。こんな風に言い切ってしまっていいかどうかわからないけれど、アメリカ人のオーディエンスにだって、彼らが何を歌っているのかよく理解できていないのではあるまいか。リーダーのマイケル・スタイプも、おそらくは意図的に、自分たちの歌っている歌のリリックを明文化しないという突き放した態度を近年までずっと貫いてきた。だからこの人たちがいったいどういう内容の歌を歌っているのか、僕にも長いあいだよくわからなかった。
 これは、考えてみれば、歌詞の内容をより具体的に、より先鋭的にしていくラップ・ミュージックとは実に対照的なスタンスのように見える。言い換えれば、アメリカ中産階級の白人の若者には、このような抽象的な、比喩的な、示唆的な言語様式でしか自らの世界を語ることができないということなのだろうか。
 でもありがたいことに(というべきだろう)最近の彼らのCDには、やっと歌詞が掲載されるようになった。というわけで、僕の好きな「人生のイミテーション」の訳詞をここにお届けすることができたわけだ。僕がハワイに滞在していたときに、この曲がヒットしていて、車のラジオでよく聴いた。
 Thats sugarcane that tasted good
 Thats cinnamon thats hollywood
というリフの部分が好きで、いつもラジオに合わせて合唱していた。意味のよくわからないままに。そうか、こういう全体の意味だったんだ、と今ではわかったけど。(p20-25)

 「僕は怖くないね/大丈夫、泣いている君の姿は誰にも見えない」という部分のオリジナル歌詞は「I'm not afraid. C'mon c'mon no one can see me cry」だから「泣いている僕の姿は誰にも見えない」が正しいのであるが、このような些末な間違いはここではどうでもいい(その後、村上春樹翻訳ライブラリーとして2010年11月に再版されたのであるが、驚くべきことにここのフレーズの翻訳は直されていなかった。本人や編集者が気づかなくてもかなりの読者を抱えているはずなのに誰も村上に指摘しないのであろうか? おそらく村上春樹の作品を好むような読者はロックに興味が無いのであろう)。

 『村上ソングズ』の中でこの曲だけが2000年代のもので妙に浮いているように思う。村上は初期の頃からR.E.M.が好きだったようで、だから「Losing My Religion」でもよかったはずなのだが、何故「Imitation of Life」を選んだのか勘案するならば、村上が以下の文章を目にしたからではないのかと思う。

 「本書のタイトルに含まれている『ポップ・スキル』という耳慣れない言葉は、アメリカのロックバンド『R.E.M.』がニ〇〇一年にリリースしたアルバム『Reveal』から引用したものである。この言葉が登場するヒットチューン『Imitation Of Life』は、タイトル通り、日常のまがいもの性を指摘したとおぼしき楽曲である。ただし、彼らの歌の常として、きわめてアンビギュアスで難解な歌詞であるため、私の引用が正確である自信はない。何か特殊な意味のある慣用句であるならご教示願いたいが、ここでは単純に、解離がさまざまな表現領域で多用され、まさにポップ表現のための技術(スキル)として無意識的に導入されつつある状況一般を指して用いた。」(『解離のポップ・スキル』 斎藤環著 勁草書房 p.342 2004.1.15)

 斎藤が村上の熱心な読者であると同時に、村上も斎藤の熱心な読者のように思える理由は、斎藤とおぼしきキャラクターが村上の小説の中に登場するからで、斎藤が村上の「Imitation Of Life」の訳詞に満足しているのかどうか寡聞にして知らないが、村上も斎藤も意味を把握しきれていないように思う。確かに「意味(meaning)」を捉えることはなかなか難しいのであるが、歌詞を書く以上は何がしかの「意図(intention)」はあるのである。だからここでは敢えて大胆に意訳してみたい。

「Imitation of Life」 R.E.M. 日本語訳

「シャレード」というジェスチャーゲームは予期しないスキルを必要とする
ホテイアオイが詩人によって名付けられたように
人生とは模倣そのものなのだ

凍った池にいる鯉のように
金魚鉢の中の金魚のように
僕は君の泣き声を聞きたくはない

美味しかったサトウキビもあるし
シナモンにしろハリウッドにしろ
誰も試してみようとする君の姿なんか見ることはできないのだから
恥ずかしがらずにやってみろよ

君は最高のものを求めている
この上なく最高のものを(=the greatest thing since bread came sliced)
君は全てを手に入れるとそれを整理した
金曜日のファッションショーのように
片隅で凍えているティーンエイジャーのように
君は試みていないように見えるように試みている

美味しかったサトウキビもあるし
シナモンにしろハリウッドにしろ
誰も試してみようとする君の姿なんか見ることはできないのだから
恥ずかしがらずにやってみろよ

泣いている君を誰も見ることはできないんだ

美味しかったサトウキビもあるし
凍り混じりの雨
あれは君ができたはずのもの
泣いている君を誰も見ることはできないのだから
失敗を恐れずにやってみろよ

このサトウキビ
このレモネード
このハリケーン
僕は恐れてはいない
泣いている僕を誰も見ることはできないのだから
失敗を恐れずにやってみるよ
この稲妻を伴った嵐
この大津波
この雪崩
僕は恐れてはいない
泣いている僕を誰も見ることはできないのだから
失敗を恐れずにやってみるよ

美味しかったサトウキビもあるし
あれが本来の君で
あれは君ができたはずのもの
泣いている君を誰も見ることはできないのだから
失敗を恐れずにやってみろよ

美味しかったサトウキビもあるし
あれが本来の君で
あれは君ができたはずのもの
泣いている君を誰も見ることはできないのだから
失敗を恐れずにやってみろよ

 MVの中でヴォーカルのマイケル・スタイプが実践しているジェスチャーゲームというのは不思議なゲームで、回答者が出題者と同じような動きができることで成り立つもので、他のゲームとは異なり自分が出来ると想像もしていなかった「予期しないスキル(pop skill)」という特殊な技術を必要とするから、既に人類の歴史の中で示されていないものがないほど私たちの人生は、そのものがまるで「イミテーション・ゲーム」だという趣旨と捉える。
 例えば、サトウキビを最初に口にした人がいて、その人が美味しいと思ったから人間はサトウキビを食すようになり、それはシナモンも同様である。またはハリウッドで大成功した人がいるから、野心を持つ若者たちがハリウッドを目指すのであり、その時、記憶に残るものはサトウキビやシナモンやハリウッドであって試した本人ではないし、失敗して不味いものを口にしたなら「詩人」に名前を与えられることなく誰も気にとめたりしないのである。あるいは自然災害に遭遇しても、泣いているということは生きている証拠であり、生存者は生存している限り誰もが復興を遂げているのだから失敗を恐れるなという人生賛歌なのである。


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『誰のせいでもない』

2017-03-25 01:56:23 | goo映画レビュー

原題:『Every Thing Will Be Fine』
監督:ヴィム・ヴェンダース
脚本:ビョルン・オラフ・ヨハンセン
撮影:ブノア・デビエ
出演:ジェームズ・フランコ/レイチェル・マクアダムス/シャルロット・ゲンズブール
2015年/ドイツ・フランス・カナダ・ノルウェー・スウェーデン・アメリカ

さすらわされる主人公のについて

 久しぶりにヴィム・ヴェンダース監督作品を観てみたら、主人公が相変わらず「さすらう男性」だったことで、初期の作品から全く変わっていないことに驚いた。聞いた話ではヴェンダースはノルウェーの作家であるビョルン・オラフ・ヨハンセンのオリジナル脚本をノルウェー語から英語にわざわざ書き換えて撮るほど気にいったようで、要するにヴェンダースは「さすらう男」が好きなのである。
 主人公のトーマス・エルダンは『Nowhere Man』や『Luck』などの小説を発表している作家なのであるが、どうもトーマスの感情が掴み切れない理由として、そもそも自分が運転していた車で子供を轢いたことに体感で気が付かないのだろうかと疑問を持ってしまうからである。亡くなったニコラスという子供とクリストファーという2人の息子を持つケイトも不思議な存在で、おそらくフォークナーの小説でも読んでいたのだろうが、読書に夢中になって子供から目を離していたから事故が起こったのであるが、下の息子を亡くした後でも風景画を描くことに夢中になってまだ幼いクリストファーから目を離しているのである。
 トーマスの元カノであるサラと喧嘩をしていた原因もよく分からないし、トーマスが結婚したアンが、遊園地で事故に遭遇した際の怪我人に対するトーマスの対処の冷静さに文句を言う理由も、自動車事故から11年後にトーマスの前に現われる16歳のクリストファーの振る舞いの奇矯さも理解しにくく、原題「Every Thing Will Be Fine(全ては上手くいく)」の真意がよく分からなかったのであるが、子供に対するトーマスの「距離感」が描かれていると捉えるならば、ニコラスを死なせてしまい、サラとの間には子供が出来ず、アンの連れ子であるミナに翻弄され、大きくなったクリストファーには「寝小便」をされ、実子がいないにも関わらず子供たちと関わらざるを得ない男の新手の「さすらい」が物悲しくはあるし、もう少し「母親」の方も頑張ってくれというトーマスの心の叫び声が聞こえなくはない。


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『傷だらけの天使 欲ぼけおやじにネムの木を』

2017-03-24 01:00:10 | goo映画レビュー

原題:『傷だらけの天使 欲ぼけおやじにネムの木を』
監督:工藤栄一
脚本:宮内婦貴子
撮影:田端金重
出演:萩原健一/水谷豊/岸田森/内田朝雄/武藤章生/下川清子/亀渕友春/根岸一正/笠井うらら
1975年/日本

「欲ぼけおやじ」の正体について

 辰巳五郎が小暮修と乾亨に依頼した仕事は辰巳から土地成金の億万長者である松本吉次郎が相続税対策のために作った架空名義の裏預金の預け先をつきとめることだったのだが、2人の息子も一人娘も吉次郎が3億円を預けた銀行も口座番号も分からない原因は、吉次郎が「恍惚の人」になってしまい戦時下のラバウルの幻影と戯れている有様で、手掛かりが全く掴めないでいたからである。
 しかし実は吉次郎はボケた振りをしていただけで、「愛光ホーム」という老人ホームに入所すると有り金を全て払って一人だけ庭付きの特別な個室にお手伝いを伴って住むことになり、他の高齢者たちが食堂で不味い料理を食べさせられる中でステーキを食べ、家族が一緒に写っている写真を焼いて家族との縁も断ってしまい、修と亨は住み込みで家政婦をしていた花枝と共になすすべがなく花枝は田舎に帰ってしまうのである。
 花枝と亨が出会ったきっかけは、バス停でバスを待っていた時に、割り込んできた男に花枝が文句を言って、何故か代わりに亨が殴られることになったことだった。その後も修と亨は吉次郎の財産を狙う男たちから何度も殴られることになる。 
 そこで気になることは修と亨が観にいった映画が『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971年)である。

 上の写真を見ても分かるように、実在する映画なのであるが、岡本喜八監督作品であるこの作品の監督名は「岡田和彦」という名前になっており、脚本を担った新藤兼人の名前は「宮野悌治」となっている。製作は「吉田新生」となっており、出演者は「小林正幸、仲田矢代、野村剛、伊東雄三、原田享、三好幸子」と何故か架空の名前になっているのである。
 穿った見方をするならば修も亨も興奮して観賞していたこの作品は「本作」よりも実際には戦況が酷かった光景が描かれていたように感じる。1975年には沖縄国際海洋博覧会が開催されている。かつて空軍のパイロットとして従軍していた松本吉次郎は天照大神を信奉しているし、彼には2人の息子と一人娘がいるのである。以上のことを勘案するならば、これは一般市民が犠牲になっても自分だけは利益を得ているという天皇(当時は皇太子)批判と捉えられてもおかしくない。これがテレビドラマとして放送されたことに驚くと共にまだ表現に自由が保障されていたことに懐かしささえ覚える。
 ようやく『傷だらけの天使』全26話を見終わったのであるが、議論に値する作品は神代辰巳によって演出された2作品と本作の3作品くらいだった。基本的にセリフが聞き取りづらいところに難がある。


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『ダゲレオタイプの女』

2017-03-23 21:29:35 | goo映画レビュー

原題:『La Femme de la Plaque Argentique』
監督:黒沢清
脚本:黒沢清
撮影:アレクシ・カヴィルシーヌ
出演:タハール・ラヒム/コンスタンス・ルソー/オリヴィエ・グルメ/マチュー・アマルリック
2016年/フランス・ベルギー・日本

再び2時間を超える作品を撮ってしまった映画監督について

 前作『クリーピー 偽りの隣人』の出来がとても良く、映像作品に「ダゲレオタイプ」という写真を敢えてテーマに選んだことでかなり期待して観に行ったのであるが、正直がっかりした。
 主人公のジャンは本人いわく写真に関しては素人と言っていたはずなのだが、そのような青年を雇う側である写真家のステファンが何故気に入ったのかその理由がよく分からない。ジャンを選んだのは前任者のルイだと思うが、後に分かるようにステファンは気難しい芸術家肌の写真家で、その気難しさが後の悲劇につながるのだから、ここの描写は大事だと思うのである。
 彼らが虜になるダゲレオタイプの写真が上手くジャンの行動と絡んでいない点にも不満が残る。それよりも娘のマリーが育てていた自宅の植物園の植物が現像で使う水銀の影響で枯れていく様子や、ステファンの所有する自宅の抵当権や、ステファンが撮影のために妻のドゥーニーズやマリーに密かに使用していた筋弛緩剤などに焦点が移ってしまい、肝心のダゲレオタイプの写真と「幻影」の関係が御座なりになっているのである。
 ステファンの狂気はまだ理解できるものの、ジャンが急に狂いだすところも不自然に見えるのが俳優の能力の問題でないのだとするならば、やはり日本人が西洋人に芝居をつけることの限界ではないのだろうか。せっかく西洋人がキャスティングされているのに『クリーピー』で描かれた古典映画の「批評」が見られなかったのが惜しい。あるいは脚本を黒沢単独で担ったことにもストーリーを単調にしてしまった要因なのかもしれない。


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『モアナと伝説の海』

2017-03-22 00:23:56 | goo映画レビュー

原題:『Moana』
監督:ロン・クレメンツ/ジョン・マスカー
脚本:ジャレド・ブッシュ
出演:アウリィ・カルバーリョ/ドゥエイン・ジョンソン/テムエラ・モリソン/レイチェル・ハウス
2016年/アメリカ

 もはや現実を超えた「水の流れ」の美しさについて

 例えば、『SING/シング』(ガース・ジェニングス監督 2016年)同様に幼いモアナを海に誘う波の「柔らかさ」や、ラストの「グリーン」の鮮やかさなど映像に関しては文句のつけようがないのであるが、クライマックスにおいて一度はモアナを見放したマウイが戻って来てモアナを手助けするようになった動機がいまいちよく分からなかった。
 一番最後でひっくり返っているヤシガニのタマトヨが「僕がセバスチャンだったらアリエルは助けてくれるのに」と嘆いているのだが、これは同じ監督によって制作された『リトル・マーメイド(The Little Mermaid)』(1989年)のキャラクターで、セバスチャンとはジャマイカガニなのだが、これはカニの種類の問題ではなく、あくまでも性格の問題ではあろう。


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