パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々
2009年/アメリカ
正確さの代償
総合 50点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
『コララインとボタンの魔女』が傑作であったがために、このギリシア神話をモチーフとした『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』にもけっこう期待したのであるが、残念な結果に終わってしまった。
オリンポスの入り口がエンパイア・ステート・ビルディングの天辺にあるとか、黄泉の国の入り口がハリウッドサインのそばにあるとかいう瑣末なことを問題にするつもりは私にはない。ただ物語の根本的な問題としてヘルメスの息子であるルークの稲妻を盗んだ動機を(原作と変えて)神々の‘世代交代’にしてしまったことが物語の説得力を失わせてしまっていると思う。ゼウスやポセイドンなどの‘本物’の神々とルークなどの半神がどのように‘世代交代’できるとルークは考えていたのか詳しい説明はなされていない。それに稲妻を盗まれたのであるならばゼウスは海の神のポセイドンの息子のパーシー・ジャクソンではなくて、‘窃盗の神’であるヘルメスの息子であるルークをまず最初に疑うはずなのである。余りにもギリシア神話に忠実に物語を展開させたが故に、却って墓穴を掘ってしまっている。結果的に私はパーシー・ジャクソンの活躍よりも、その陰で不遇な立場に立たされている人妻(パーシー・ジャクソンの母親のサリー・ジャクソン、あるいはメドゥーサに石にされた老齢の女性)の方に目がいってしまった。
しかし日本人にとってこの作品が貴重な意味を持つとするならば、私たちが中学校の英語の授業で最初に学ぶ英語の文章である「This is a pen」をおそらく初めてネイティブの普通の(正確に言うと普通ではないが)日常会話の中で聞くことができる点にある。どれだけ私たちはこの日を待ったことか。
親友への曲で木村カエラがベストソング賞(日刊スポーツ) - goo ニュース
木村カエラの「Butterfly」という曲をテレビで木村カエラ以上に歌っている男がいる。
まずはその歌詞を書き起こしてみる。「Butterfly 今日は今までの どんな君より
美しいって馬鹿野郎!!」。木村カエラの「Butterfly」は親友の結婚祝いのために
つくられた曲だが、ビートたけしのものまねでこの男が歌う「Butterfly」は明らかに
実は心の底では結婚を妬んでいる友人たちの本音が歌われており、“反Butterfly”
というべきものである。爆笑問題の太田光は「反Butterfly」を「笑っていいとも!」の
オープニングのコーナーで気に入っているようで最近よく歌っている。木村カエラの
感想を聞いてみたい。
女子フィギュアの色々な涙 団体戦なら金では?という嬉しさ(gooニュース・ひまだね英語) - goo ニュース
確かに難易度の高いジャンプを試みたエフゲニー・プルシェンコ/浅田真央が共に
銀メダルで、難易度の高いジャンプを避けてノーミスによる完璧な演技を披露した
エバン・ライサチェク/キム・ヨナが共に金メダルであったが、キム・ヨナが完璧な
演技をした時点でショートプログラムの得点差からキム・ヨナが金メダルを獲得する
ことは決まってしまったと思う。浅田真央に誤算があったとするならば、トリプル
アクセルを2回成功させた後に自分の体力がどれくらい残っているのか把握できて
いなかった事が、後半の奇妙なミスを生んでしまったのだろう。浅田真央はジャンプ
と演技の間の着氷を工夫して滑らかな演技を見せなければキム・ヨナには勝てない
ように感じた。
石原都知事「銅メダルで狂喜する、こんな馬鹿な国ない」(朝日新聞) - goo ニュース
ますますこの人の発言の“ポンコツ度”が増しているように感じる。「銅(メダル)を
取って狂喜する、こんな馬鹿な国はないよ」と石原慎太郎は述べたそうである。
“こんな馬鹿な国”というのが日本を指すのであるならば、明らかに誤解している。
私が知る限り、テレビでも新聞でも銅メダルで“狂喜”している様子は感じられない。
もちろん試合を見ている時は“狂喜”しているが、銅メダルで“狂喜”している人は
一人もいないと思う。「国家という重いものを背負わない人間が速く走れるわけが
ない、高く跳べるわけない。いい成績を出せるわけがない」と石原慎太郎は東京
マラソンの関連式典のあいさつで述べたそうである。だったら何故東京で都民参加
のマラソンなどするのだろうか? 結局石原慎太郎は政治的に利用するだけで、
スポーツを心の底から楽しむ事ができない質なのだと思う。
確か去年は2009年だったはずである。何故このような当たり前のことを確認する
必要があるのかというならば、昨年1年間に発売された作品の売上額が最も多い
ミュージシャンに贈られる「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」に洋楽部門でビートルズが
選ばれたからである。22日の「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングのゲスト
に泉谷しげるが出演していた時にタモリが「最近のミュージシャンは音を作り過ぎる」
と批判していた。機材が格段によくなったから仕方がないのであるが、結局いくら
音をクリーンアップしても楽曲自体に魅力がなければ売れないということが今回の
ゴールドディスク大賞の結果なのだと思うが、シンプルにすることは却って難しく
なっているのかもしれない。邦楽部門に関してはよく分からない。
コララインとボタンの魔女3D<日本語吹替版>
2009年/アメリカ
‘古い井戸’を探す理由
総合 100点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
子供向けのアニメーション作品だと勘繰っていたせいで、観終わった後、この作品の内容がよく飲み込めなかった。最大の疑問は何故コララインは何でも願いが叶う夢のような‘別の’世界へ留まることを拒んだのかである。何でも願いが叶うのであるならば目をボタンにするという条件くらい受け入れればいいことではないのか? 何故ならばコララインが目をボタンにするということは、コララインがワイビーからもらったコララインと瓜二つの人形のようになるということと同じだからであり、コララインが自分と瓜二つの人形を(勿論コララインに反抗しないから)粗末に扱うことはないからである。いくら幸せではあっても人形ではなく人間でありたいというコララインの気持ちは理解できないことはない。それは原作にいない、映画のオリジナルキャラクターであるワイビーという存在にヒントが隠されている。ワイビーは彼の祖母に‘ワイボーン( Wyborne = Why Born?=何故生まれたの?)’と呼ばれているが、それならばワイビーは‘Wybie = Why Be?=何故存在するの?’と解釈できるはずである。つまりこの作品は人間の‘実存’を問うという、見た目とは裏腹の重いテーマを扱っているがために最初私にはよく分からなかったのである。
このように解釈するならば作品の冒頭でコララインが古い井戸を探していた理由も理解できる。井戸とは英語で‘well’だが、言うまでもなく‘well’には‘幸福’という意味もある。両親に構ってもらえないコララインは最初は‘古い幸福’を探していたのだが、ラストでコララインが‘別のママ’の手と2つの世界を繋ぐカギを‘古い井戸’の底へ葬るという意味は、人形のようなままでいれば味わえるような‘古い幸福’を葬るということで、コララインは新しい門出をワイビーの祖母も招いて祝うことにするのである。
R―1ぐらんぷり、あべこうじが優勝(読売新聞) - goo ニュース
今回のR-1ぐらんぷり2010の結果は誰もが納得できるものだったと思う。ただ
不思議なことに決勝に残った3人は3人ともに一回目のネタの方が良かった気が
する。今回最も問題だったことは陣内孝則が的確に指摘していたが、審査員の
板尾創路の審査の仕方である。板尾はネタの出来の善し悪しではなく、自分の
個人的な趣味に合うかどうかで点数をつけていたように思う。シュールなネタを
好んで高得点をつけていたようだが、好き嫌いの点数の落差が大きいために、
板尾創路の点数によって一回目の順位が決まるような形になってしまっていた。
今回結果的にあべこうじがグランプリを受賞したから良かったが、板尾創路は
明らかに審査員に向いていない。
goo注目ワードピックアップ・・・最近よく耳にしますが…若者の〇〇離れは本当?(goo注目ワード) - goo ニュース
最近よく耳にする“若者の○○離れ”は主に2つの原因があると思う。1つは言う
までもなく経済的な問題で、金銭面で余裕のない若者たちにとっては当然お金が
かかり、どうしても必要とはしない車や旅行から離れる事になるだろうし、事故など
起こして賠償金など払わされることのないように安全運転に努めることになる。
2つ目はやはり携帯電話によって時間の使い方が劇的に変化したからであろう。
いままでテレビや本に使っていた時間が携帯電話に取られている事は間違いない
だろうし、お金がないことも手伝って若者は確実に携帯電話を唯一の娯楽として
今後“引きこもる”ような傾向になっていくと思う。
ダライ・ラマ14世がウッズを一喝(日刊スポーツ) - goo ニュース
ダライ・ラマ14世という人はチベット仏教の最高指導者らしいのだが、彼の言動など
を見ていると私にはどうしても日本の居酒屋でよく見かける普通のおじさんのように
しか見えない。ダライ・ラマ14世はタイガー・ウッズのことを知らなかったようで、彼の
一連の騒動について説明を聞いた後に、大量不倫スキャンダルについて「仏教でも
他の宗教でも、自己鍛錬が重要だ」とコメントしているのであるが、言うまでもなく
タイガー・ウッズは誰よりも自己鍛錬をした結果、世界的なスーパースターになって
いる訳で、ダライ・ラマ14世のコメントはチベット仏教の最高指導者という肩書きに
釣り合わない余りにも平凡なものだから、おまえこそ肩書きに釣り合うようにもっと
自己鍛錬しろと言いたくなってしまうわけである。
恋するベーカリー
2009年/アメリカ
世代と文化のギャップについて
総合 60点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
メリル・ストリープが演じるベーカリー店の経営をしている主人公のジェーンが10年前に別れた元夫のジェイクと不倫をしてしまうという物語から、てっきり『マンマ・ミーア!』と『ジュリー&ジュリア』の良い流れを汲むような作品だと思って観賞した。しかし『マンマ・ミーア!』のように歌い上げることもなければ『ジュリー&ジュリア』のように‘食(=パン)’に拘るわけでもない。その結果観客は生々しい‘老いらくの恋’を見せられることになってしまう。メリル・ストリープと同世代の人たちには共感を得られるかもしれないが、若い人たちは‘両親の秘め事’など見たいとは思わないだろう。
それに私などは、去年覚醒剤で大騒ぎした国で生まれ育っているためか、‘葉っぱ’でハイになっている主人公たちがバカ騒ぎしているシーンを、お酒で酔っ払って羽目を外しているような感じで見ることができなかった。文化の違いを痛感してしまい、自分の理解力の限界を感じてしまった。まさに It's complicated!