MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

「Train Of Thought」 Cher 和訳

2018-02-28 00:55:19 | 洋楽歌詞和訳

Cher - Train Of Thought (Audio)

 NHK-BSプレミアムの「笑う洋楽展」ではジーン・ピットニ―(Gene Pitney)の

「トレイン・オブ・ソート(Train of Thought)」が流れていたのであるが、この曲は

そもそもシェール(Cher)が1974年にリリースしてヒットさせた曲なのである。

「train」を「(思考の)つらなり」と「列車」に上手くかけた歌詞が素晴らしいと思う。

以下、和訳。

「Train of Thought」 Cher 日本語訳

あなたが眠っている時に呟いた名前は
私の名前ではなかった
私は再びあなたが私を騙しているという現実を
やっぱり直視しなければならないのね
私の怒りは込み上げ始めて
怒りの蒸気が頭から吹き上げ始める
あなたがついてきた嘘を思い出すと
怒りの車輪の回転がますます速くなっていく

そんな思考のつらなりが遅れることなくやって来るけれど
レールを外れるから私は正気を失う
だってあなたの私の扱い方は
私を狂わせるようなものなのだから
私を見捨てないとあなたは言うべきなのよ
お願いだからこの列車(=思考の流れ)を止めて欲しいの

余計な藁を加えたために
ラクダの背中(=蒸気機関車)が暴走を始める
一縷の光明を失った時
女性は訳がわからなくなるのよ
機関車の来る音が聞こえると
拳銃の引き金に指をかける
どれほどあなたを愛していたのか考えながら
私は銃口を向けるのよ

そんな思考のつらなりが遅れることなくやって来るけれど
レールを外れるから私は正気を失う
あなたは最後には私を抱きしめて
「説明させてくれよ」と言う
私のことで気分を害さないで欲しい
私はただこの列車を止めなければならなかったのよ

降りなければならない
降りなければならない
「思考のつらなり」から降りなければならない
降りなければならない
降りなければならない
「思考のつらなり」から降りなければならない


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『ネイビーシールズ ナチスの金塊を奪還せよ!』

2018-02-27 00:51:44 | goo映画レビュー

原題:『Renegades』
監督:スティーヴン・クォーレ
脚本:リュック・ベッソン/リチャード・ウェンク
撮影:ブライアン・ピアソン
出演:サリバン・ステイプルトン/チャーリー・ビューリー/シルヴィア・フークス/J・K・シモンズ
2017年/フランス・ドイツ

「裏切り者」としてのリュック・ベッソンについて

 作品冒頭のシーンは1944年にナチスが美術館の絵画を強奪するもので、てっきりこれらの作品を1995年にアメリカのネイビーシールズのメンバーたちがボスニアのサラエヴォから奪い返すのかと思いきや、彼らが奪還を目論んだものは金塊だった。
 しかしこの作品のイメージの流れを辿っていくと、最初に「絵画」が映された後に、次は水中に沈んだ「札」と「絵画」がボロボロに崩れるもので、地上ではお荷物だった金塊が水中では浮力で楽に運べる財宝となる。しかし最後は結局それは「小切手」に変わり「紙」に戻るのである。
 このように説話論的に捉えるならば、本作のクライマックスは27トンもある金塊を水中から地上に持ち上げる瞬間になるはずなのであるが、肝心なシーンが丁寧に描かれていない。ここで疑問なのは彼らが使用していたヘリコプターで27トンもの重さの金塊を持ち上げられるのかということである。どうやら史上最大の貨物容積を持つ「Mi-26」と呼ばれる8枚翼のヘリコプターでさえ20トンまでしか持ち上げられずその上ロシア製である。
 決してつまらない作品ではないのだが、良いところまで作り上げながらこのような些末のいい加減さや、あるいは5歳で亡くなったペトロヴィッチの息子のネタなども活かしきれずリュック・ベッソン原作作品の甘さに思えてならないのである。


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『戦狼/ウルフ・オブ・ウォー』

2018-02-26 00:54:41 | goo映画レビュー

原題:『Wolf Warrior 2 战狼2
監督:ウー・ジン
脚本:ウー・ジン/リウ・イー/ドン・クン
撮影:ピーター・ニョール
出演:ウー・ジン/ユー・ナン/フランク・グリロ/セリーナ・ジェイド/ウー・ガン/チャン・ハン
2017年/中国

強すぎる愛国心でブレる演出について

 『ウルフ・オブ・ウォー ネイビー・シールズ傭兵部隊 vs PLA特殊部隊』(ウー・ジン監督 2015年)の続編で、本作を挟んで3部作になるらしいので、ストーリーに関しては評価のしようがないのであるが、大まかに要約すると「戦狼」と呼ばれる特殊部隊に所属していた主人公のレン・フェンが除隊後に中国船舶を海賊から守る警備兵として活動していたのが、アフリカの内戦に巻き込まれた中国人たちを救うために戦闘地域に向かうのである。
 そこで出会った医師のレイチェル・スミスと共に活躍するレンの縦横無尽のアクションが炸裂するのであるが、愛国心が強すぎるあまり、例えば、レンたちが敵たちに囲まれて絶体絶命に追い込まれた際に、GPSを頼りに海上にいる中国艦船がミサイルを撃ち込むのであるが、これは仲間をも誤爆してしまうあり得ないミッションであろうし、最後にレンと敵方のトップであるビッグ・ダディーの一騎打ちで間違いなく止めを刺されたレンが息を吹き返してビッグ・ダディーを殺してしまうところも都合が良すぎると思う。
 しかしアフリカの内戦にアジア人が巻き込まれるという設定は斬新だし、本作の中国での大ヒットが『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』(ライアン・ジョンソン監督 2017年)の興行的不振に一役買っていることは間違いないであろう。


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『偽大学生』

2018-02-25 00:32:14 | goo映画レビュー

原題:『偽大学生』
監督:増村保造
脚本:白坂依志夫
撮影:村井博
出演:若尾文子/藤巻潤/ジェリー藤尾/船越英二/中村伸郎/伊丹一三/村瀬幸子
1960年/日本

実存主義者の「妄想」について

 主人公で浪人生の大津彦一は今年も大学入試に落ちてしまい、既に4浪している身としては試験に落ちたとは言いだしにくく、下宿先の夫婦や故郷で暮す母親には合格したことにして、東都大学の学生服を着て喫茶店で読書に耽っていたところ、東都大学の歴史研究会のリーダーの空谷と知り合い、歴史研究会のメンバーに空谷が警察に連れていかれたことを伝えに行ったことを縁に大津も研究会に参加することになる。
 空谷の釈放を求める運動にも参加した大津は警察ともみ合いになって捕まった他の学生と共に警察へ連れていかれるのだが、大津が偽の大学生であることを知っていた警察は大津をすぐに釈放してしまう。
 木田靖男など他の学生が3日間留置所に入れられていたのに、大津だけがすぐに釈放されたことに疑いを持った木田たちが学生簿を調べて大津が偽の大学生であることを突き止める。警察のスパイと疑われた大津は木田たちに研究会が使っている部屋に監禁され厳しい取り調べをすることになる。警察のスパイであるならば大津を利用しようと目論んでいたのである。大津はただ母親に大学の入試に失敗したと言えなかったために大学生の振りをしていたのであるが、大津の返事の曖昧さが却って疑惑を強めることになる。大津のみならず木田たちもめんどくさい事態に陥るのではあるが、監禁してしまった以上双方後には引けなくなってしまうのである。
 木田と高木睦子の監視を隙をついて大津は縄を噛み切って脱出するのであるが、今度は逃走中の大津を見つけた警察の取り調べで署内に「監禁」されてしまう。
 大津が逃げたことを知った他の学生と共に、木田や睦子は大津の痕跡を消すために証拠になるものを全て燃やし、歴史研究会の部屋も娯楽施設に変えてしまったため、大津が警察署員と現場検証に来た時には跡形もなく、法廷においても歴史研究会の顧問の国恭介助教授の助けで学生たちは全員無罪を勝ち取るのである。
 木田たちが保釈祝いをしているところに大津と彼の母親が現われ、2人で今回の件について懺悔するのであるが、睦子だけは納得していない。睦子は大津の肩を持つのであるが、大津は自分が東都大学の正規の学生であると言い出し、大津の掛け声で全員での万歳三唱の後にそのまま精神病院へと送られる。
 精神病院で大津は「保守、倒せ」と繰り返し叫びながら室内を歩き回っており、それを窓越しに観察している医師たちに「ニュータイプのクレイジー(意訳)」だと笑われているのであるが、ここに本作のアイロニーがある。つまり最高学府で勉学に励んでいる学生と精神病院に入る患者とは紙一重であることをほのめかしているのである。

 ところで本作は原作者の大江健三郎の許諾が得られず、DVD化も放映さえされていないらしい。何故なのかを考えてみたい。
 本作の原作である『偽証の時』の初出は「文学界」1957年10月号らしいのだが、何故か文庫にも入っておらず、『大江健三郎全作品1』(新潮社 1966.6.25)で読める。『偽証の時』は名前は明らかにならないのだが、本作の高木睦子の目線でストーリーが展開し、冒頭は木田と睦子が偽大学生を監禁している場面から始まる。つまりそれまで本作で描かれているような偽大学生の描写は無いのである。
 『偽証の時』のテーマはタイトル通りに、最高学府の学生や教授が悪知恵の「偽証」による牽強付会により「弱者」を自分たちの都合の良いように扱い、その上、「弱者」も仲間と認められたいがあまり彼らに迎合してしまう傾向に警鐘を打っているのである。
 『偽証の時』はあくまでも実存主義によるリアリズムであったはずで、それを象徴するフレーズとして「私の掌の傷は黒ずんで汚い色のかさぶたがこびりついているだけになっていた。(p.92)」とあるように睦子が大津に咬まれて負傷した手の描写がその後もかなり細かく描かれているのである。ところが本作では睦子は手に怪我をしたと訴えても彼女の手には傷一つない。それどころかこの監禁事件が紙面で明らかになった日付は昭和35年5月7日で、裁判は6月に開かれており、検事の言葉によれば先々月の13日から15日にかけて大津は監禁されていたのだから大津は4月13日から15日にかけて監禁されていたことになる。そこから5月7日まで時間が無駄に経過している理由がよく分からず、どうも本作では実は監禁事件とは大津の妄想だったのではないのかという含みを持たせているのである。
 実存主義者の大江健三郎としては「妄想」で終わらせることに抵抗があったのだと思うのだが、大江は本作に対してソフト化も放映も認めず、『偽証の時』という短編も単行本、文庫本共に収録させておらず、まるで自分の「妄想」として最初から何も存在しなかったかのように振る舞ってしまっているところが興味深いのである。


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『地下街の弾痕』

2018-02-24 01:11:37 | goo映画レビュー

原題:『地下街の弾痕』
監督:森一生
脚本:柳川真一
撮影:石本秀雄
出演:二本柳寛/京マチ子/志村喬/伊達三郎/近衛敏明/高田稔/菅井一郎/大友柳太朗
1949年/日本

日本版「ネオレアリズモ」作品について

 大阪梅田の地下街で男が何者かに銃殺される。その男は金子みち子の夫で事件を担当することになる刑事の皆川駿二のかつての恋人だった。みち子は薬問屋の御曹司だった金子を選んで結婚したのであるが、転職先の会社は素性がよく分からない会社で、みち子は「TAKASHIMAYA」というダンスホールで働いていた(「高島屋」という店名にコンプレックスが表されている)。みち子の兄の関口一作は新聞記者で皆川の友人だった。
 金子が所持していた「T・K」と刺繍が入れられていた特別仕立てのネクタイを手掛かりに捜査していたら貴金属販売会社の社長の古賀泰三に行き当たったのであるが、古賀は盗まれたと主張する。
 やがて容疑者として金子と同じ会社で働いていた勝見誠吾を探し出し、捜査主任の藤本裕造の秘書だった五十嵐たね子が「多田」という男を通じて密輸団に情報をリークしていたことも判明し、事件が解決する流れができる。
 本作は『裸の町(The Naked City)』(ジュールズ・ダッシン監督 1948年)などのセミドキュメンタリー・タッチに影響を受けたと言われているのだが、貨物列車の襲撃シーンや、大阪府警全面協力による出陣式から現場の神戸に向かう白バイやジープの部隊の隊列と密輸団とのクライマックスの大規模な対決はむしろ例えばロベルト・ロッセリーニ監督作品のようなイタリアのネオレアリズモの影響が濃いように思う。フランスのヌーヴェル・ヴァーグの影響を受けた日本映画は数あれど、イタリアのネオレアリズモの影響を受けている日本の作品というのは珍しいのではないだろうか。もう日本の警察がこれほど映画に協力してくれることはないだろうから、貴重な(最後の?)日本版「ネオレアリズモ」映画である。


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『スリー・ビルボード』

2018-02-23 00:27:02 | goo映画レビュー

原題:『Three Billboards Outside Ebbing, Missouri』
監督:マーティン・マクドナー
脚本:マーティン・マクドナー
撮影:ベン・デイヴィス
出演:フランシス・マクドーマンド/ウディ・ハレルソン/サム・ロックウェル
2017年/アメリカ

微妙なすれ違いの「可能性」について

 主人公のミルドレッド・ヘイズは娘で高校生だったアンジェラ・ヘイズが殺害されて7カ月経っても犯人が捕まらないことに苛立って使われていない3枚の広告看板で地元の警察署長を名指しで訴えたことからストーリーが展開するのではあるが、そもそもアンジェラが殺された遠因を作ったのは母親であるミルドレッドとの売り言葉に買い言葉であった。
 一見するならば同じテーマを扱っている『リバーズ・エッジ』(行定勲監督 2018年)との大きな違いは人間関係の微妙なすれ違いが必ずしも悪い方向へは進まないところである。例えば、ミルドレッドに批判されたビル・ウィロビー署長は末期の癌を患っていたのだが、最後まで捜査を諦めていなかったどころか、匿名でミルドレッドへ看板の維持費として5000ドル寄付していたし、部下のジェイソン・ディクソン巡査へ自殺する前に励ましの手紙を残していたことで自分に大火傷を負わせたミルドレッドを咎めることもなかった。あるいはレストランでミルドレッドに暴言を吐かれた小人症のジェームズが反論しなかったおかげでミルドレッドは自分の広告看板に火を放った元夫のチャーリーを責めずにすんだのである。
 ただ気になる点としてチャーリーの再婚相手がまだ19歳の女の子だったり、ウィロビー署長の妻も意外と若く、多少のロリコン感があるとしても本作の評価に影響はないとは思う。


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『リバーズ・エッジ』

2018-02-22 00:28:46 | goo映画レビュー

原題:『リバーズ・エッジ』
監督:行定勲
脚本:瀬戸山美咲
撮影:槇憲治
出演:二階堂ふみ/吉沢亮/上杉柊平/SUMIRE/土居志央梨/森川葵
2018年/日本

「生き生き」としたインタビューと「死の魅惑」の関係について

 主人公で女子高生の若草ハルナは観音崎と付き合っているのであるが、観音崎たちにイジメられ、高校に隣接する使われなくなった校舎のロッカーに裸で閉じ込められていた山田一郎を助けたことをきっかけに話しをするようになる。
 山田は田島カンナと付き合っているのであるが、山田は自分が同性愛者だということを隠すために付き合っているだけで、カンナはそのことを知らないために、山田と親しくしているハルナのことを快く思っていない。
 観音崎はハルナがいながら抑えきれない性欲を処理するために小山ルミを呼び出しては避妊もせずに薬物を使用しながらセックスをしているのであるが、妊娠してしまい、観音崎に手術費用を払ってもらおうとしたら、口論になり首を絞められ気絶してしまう。殺してしまったと思った観音崎は山田と共にルミの「死体」を埋めるために準備をしに行っている間に、ルミが目覚めて家に帰るのであるが、今度はルミの部屋で日記を読んでいた姉と口論になり姉にカッターナイフで滅多切りされて殺されはしなかったのだが、流産してしまうのである。
 同じ高校に通っている吉川こずえはモデルとして活躍しているのであるが、摂食障害に悩まされている。ハルナと山田とこずえは河原に残された白骨化した死体を共有する。「死」が3人の絆を作っているのである。
 嫉妬により山田とハルナが密かに学校で飼っている子猫を殺した後に、ハルナの住んでいるマンションに放火しようとして自分にも火をつけてしまったカンナはマンションからゴミの集積所に火だるまで落ちて亡くなるのだが、それを目撃した山田は興奮している。
 このような微妙なすれ違いの連続が人々を破滅に追いやり、ハルナが引っ越す前夜、山田がプレゼントとしたウィリアム・ギブスン(William Gibson)の『愛する人(みっつの頭のための声)(The Beloved (Voices for Three Heads))』という詩集の詩を唱和して終わる。
 ギブスンの詩は効果的だと思われるのだが、演出の趣旨がいまいち分からないのが、ストーリーの間に挟まれる登場人物のインタビュー映像である。彼らをインタビューしているのが誰なのかも分からないし、カットを変えて撮られているということはそのインタビューの映像そのものが「生」ではなく「演出」が施されているという意味になる。この「生き生き」としたインタビュー映像と「死の魅惑」というテーマが上手くかみ合っていないのではないだろうか。


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『愛の渇き』

2018-02-21 00:35:42 | goo映画レビュー

原題:『愛の渇き』
監督:蔵原惟繕
脚本:蔵原惟繕/藤田繁矢(藤田敏八)
撮影:間宮義雄
出演:浅丘ルリ子/山内明/楠侑子/小園蓉子/中村伸郎/志波順香/岩間隆之/石立鉄男
1967年/日本

「美」が崩壊させるモラルについて

 三島由紀夫の小説を原作とした本作は主人公の悦子が亡き夫の父親である杉本弥吉を初めとする家族と一緒に暮らしていた。悦子は弥吉と関係を持っていたのだが、同時にまだ若い園丁の三郎も気になる存在だった。
 そんな時に女中の美代が三郎の子供を身ごもり、結婚を決意し母親を連れてくるために三郎を故郷に帰らせている間に、悦子は美代に中絶手術させる。ショックを受けた美代が女中を辞めて故郷に帰った後に、三郎が帰ってきたのだが、母親を同伴させてくることもなくいなくなった美代のことを訊ねることもなかった。
 三郎の心情が分からない悦子は感情を爆発させるのだが、その際に見せた、焚火で火傷した掌はまるでキリストの聖痕のようである。

 そして自分を苦しめる三郎を弥吉が持ってきた斧で殺害した後に、悦子は三郎の死体を土に埋めるのであるが、

このシーンを見て、これは美しい男(テレンス・スタンプ)が家にやって来てから家族全員がタガが外れたようにそれぞれ欲望の赴くままに行動し始めるピエル・パオロ・パゾリーニ監督の『テオレマ』と同じだと感じたのである。ところが本作の公開が1967年2月であるのに対して、『テオレマ』の公開は1968年9月で、ということは偶然テーマが被ったのでないならば本作の方が『テオレマ』の元ネタになったのである。


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『誘う女』

2018-02-20 21:01:19 | goo映画レビュー

原題:『To Die For』
監督:ガス・ヴァン・サント
脚本:バック・ヘンリー
撮影:エリック・アラン・エドワーズ
出演:ニコール・キッドマン/マット・ディロン/ホアキン・フェニックス/ケイシー・アフレック
1995年/アメリカ・イギリス・カナダ

「魔女の活動期」の終焉について

 主人公のスザーン・ストーンのようにテレビにレギュラーで出演するほどの有名人になるためには手段を選ばない人はいるのだろうが、まさか自分が結婚したイタリアンレストランを経営していたラリー・マレットの家族が、まるで映画『ゴッドファーザー』(フランシス・フォード・コッポラ監督 1972年)で描かれているように本物のイタリアンマフィアとつながっているとは露程も想像していなかったというアイロニーが描かれていると思う。
 エンドロールにドノヴァン(Donovan)の「魔女の季節(Season of the Witch)」が流れていたのだが、邦題の「季節(season)」というのが今更気になった。これは正確を期すならば「活動期」と訳すべきであろう。以下、和訳してみる。

「Season of the Witch」Donovan 日本語訳

自分の部屋から外を見ると
色々な景色がある
自分の部屋から眺めると
数え切れないほど様々な人々がいる
奇妙なことだ
とても奇妙なことだ

君は色々とかなりおかしなものを拾い上げるに違いない
君は色々とかなりおかしな人と遭遇するに違いない
君は色々とかなり不思議なことに出くわすに違いない
魔女の活動期に入ったに違いないんだ
魔女の活動期に入ったに違いない
魔女の活動期に入ったに違いないんだ

自分の肩越しから
僕が何を見ていると君は思っているの?
見知らぬネコが肩越しから僕を見つめている
奇妙な奴だ
とても気味が悪い

君は色々とかなりおかしなものを拾い上げるに違いない
君は色々とかなりおかしな人と遭遇するに違いない
ビート族の若者たちがそれを豪華に飾り立てるために現れる
魔女の活動期に入ったに違いないんだ
魔女の活動期に入ったに違いない
魔女の活動期に入ったに違いないんだ

君は色々とかなりおかしなものを拾い上げるに違いない
2匹のウサギが排水溝を走っている
ビート族の若者たちがそれを豪華に飾り立てるために現れる
魔女の活動期に入ったに違いないんだ
魔女の活動期に入ったに違いない
魔女の活動期に入ったに違いないんだ
僕が出かける時に

自分の部屋から外を見ると
色々な景色がある
自分の部屋から眺めると
数え切れないほど様々な人々がいる
奇妙なことだ
とても奇妙なことだ

君は色々とかなりおかしなものを拾い上げるに違いない
君は色々とかなりおかしな人と遭遇するに違いない
2匹のウサギが排水溝を走っている
魔女の活動期に入ったに違いないんだ
魔女の活動期に入ったに違いない
魔女の活動期に入ったに違いないんだ
僕が出かける時に
僕が出かける時に

 どこかで聴いたことがあると思っていたら、バッファロー・スプリングフィールド(Buffalo Springfield)の「For What It's Worth」にそっくりだったのだが、「魔女の季節」が1966年8月のリリースであるのに対して、「For What It's Worth」のリリース日は1967年1月だから、そういうことなのである。

Donovan - Season of the Witch (Audio)

Buffalo Springfield - For What It's Worth (Official Audio)


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『グレイテスト・ショーマン』

2018-02-19 00:05:28 | goo映画レビュー

原題:『The Greatest Showman』
監督:マイケル・グレイシー
脚本:ジェニー・ビックス/ビル・コンドン
撮影:シェイマス・マクガーヴェイ
出演:ヒュー・ジャックマン/ミシェル・ウィリアムズ/ザック・エフロン/レベッカ・ファーガソン
2017年/アメリカ

興行師と香具師の狭間の「和訳」について

 実在するアメリカの興行師であるフィニアス・テイラー・バーナムを主人公とした作品なのだが、決してバーナムの人生を忠実に再現したものではないため、ストーリーそのものはありきたりなサクセスストーリーではある。興行師と香具師の狭間の男の人生を正確に再現すると観客がドン引きするためなのだが、ヒュー・ジャックマンを初めとする巧者たちと楽曲のクオリティーの高さで素晴らしいミュージカルになっていると思う。
 ところで名曲の誉れ高い主題歌であるカーラ・セトル(Keala Settle)の「ディス・イズ・ミー(This Is Me)」なのだが、多く和訳されているにも関わらず、正確な和訳が見つからない。「正確」な和訳はあるのだが、どれも「大まか」な和訳で、精確に訳していないのである。ここで改めて和訳を試みておきたい。

「This Is Me」 Keala Settle 日本語訳

私は暗闇になじみ深い
「隠れていろ」と言われる
「俺たちにはおまえの欠点などいらないのだから」と
私は自分の全ての傷を恥じることを学んだのだ
「出ていけ」と言われる
「おまえのような奴を愛する者などいない」と

でも私は私を屑のように扱う彼らをそのままにしておく訳にはいかない
私たちに相応しい場所があるはず
私たちが栄光を掴むために

とても鋭利な言葉が私を切りつけようとうずうずしている
私は洪水を起こしてそれらの言葉を溺死させるつもり
私は勇敢で傷つけられたのだから
私は本来の自分になるの
これが私なのよ
見てよ!
ここにいるのが私なのよ
私は自分が叩くドラムのビートに合わせて行進している
私は見られることを恐れない
私は弁解などしない
これが私なのだから

また新たな勝負が始まり銃弾が私の皮膚にヒットする
今日は遠慮はしない
だって恥辱を心に沈めさせる訳にはいかないのだから
私たちはバリケードを突き破って
太陽に手を伸ばしている
私たちは戦士になったのだ

私は私を屑のように扱う彼らをそのままにしておく訳にはいかない
私たちに相応しい場所があるはず
私たちが栄光を掴むために

とても鋭利な言葉が私を切りつけようとうずうずしている
私は洪水を起こしてそれらの言葉を溺死させるつもり
私は勇敢で傷つけられたのだから
私は本来の自分になるの
これが私なのよ
見てよ!
ここにいるのが私なのよ
私は自分が叩くドラムのビートに合わせて行進している
私は見られることを恐れない
私は弁解などしない
これが私なのだから

これが私なのよ

私はあなたたちに愛される価値があるはずなの
私が相応しくないことなどない
とても鋭利な言葉が私を切りつけようとうずうずしている
私は洪水を起こしてそれらの言葉を溺死させるつもり
私は勇敢で傷つけられたのだから
私は本来の自分になるの
これが私なのよ
見てよ!
ここにいるのが私なのよ
私は自分が叩くドラムのビートに合わせて行進している
私は見られることを恐れない
私は弁解などしない
これが私なのだから

This Is Me (from The Greatest Showman Soundtrack) [Official Audio]


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