プリンス・オブ・ペルシャ/時間の砂
2010年/アメリカ
恐るべきディズニー作品
総合
80点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
これほど政治色の濃いディズニー作品も珍しいのではないだろうか? ‘大量破壊兵器をめぐるデマ’という主軸になるストーリーはポール・グリーングラス監督の『グリーン・ゾーン』と同じではあるが、『プリンス・オブ・ペルシャ/時間の砂』にはそれ以上のメッセージが込められている。
ペルシャ帝国第3王子のダスタンがペルシャ王と血の繋がりのない養子であるという設定は、それまで白人が君臨していたアメリカ大統領の職に初めてオバマ大統領が黒人として就任したことを暗示させる。ラストで時間が遡って過ちを正すストーリー展開は、今のイランであるペルシャを舞台設定に選んだということと合わせてイラクで犯したような過ちを繰り返すなというメッセージであり、そのようなメッセージを子供向けの作品に託すところがディズニー作品の侮れない部分である。
そのような深読みをしなくても十分に楽しめる仕上がりになっているところもディズニー作品の凄さなのであるが、不思議なことに吹替え版であったにもかかわらず私が観た時には子どもが一人もいなかった。
教えて!ウォッチャー…電車内の化粧はなぜいけない?(教えて!ウォッチャー) - goo ニュース
私もこのことに関しては以前から疑問を持っていたのであるが、そもそも電車内で
化粧をしている女性はどのような思いで化粧をしているのか考えてみるべきである。
仮に彼女たちが毎日のように電車を“公衆トイレ”のように使用しているのならば
問題となるのであろうが、私の想像では電車内で化粧をしている女性はたまたま
家で化粧をする時間が取れなくて、それでも行く先でどうしても身だしなみを整え
なければならないためにやむを得なく電車内で化粧をしているはずである。社会が
女性に化粧をすることを求める限り、基本的に電車内での化粧は避けるべきでは
あっても“いけない”とは言えないと思う次第である。もちろん車内に本人以外に
乗客がいなければ不快に思う人もいないわけだが。
1日3食取らず、20代男性の23%(読売新聞) - goo ニュース
実感から推察すると一日3食は食べ過ぎだと思うが、私はもはや20代ではないので
20代の男性ならば一日3食取る事は必要なのかもしれない。食事に関する一番の
問題は量よりも質にあるのであって、例えばアメリカの貧困層ほど太っている理由は
ジャンクフードなどカロリー重視の食事で、栄養素などを考えずに食事をしている
ためである。若い男性などは友人や仕事の関係で外食が増えるだろうからますます
栄養が偏った食事になりがちなのであり、むしろ一日3食という回数よりも普段何を
食べているのかという食事内容など栄養のバランスに関して調査をして若者たちを
啓蒙するべきだと思う。
発掘計画巡り詐取?吉村教授に賠償求め提訴(読売新聞) - goo ニュース
この吉村作治という人は本当に胡散臭い人で、エジプト古代船発掘計画を巡り、
「プロジェクト事務局長」を名乗る男性に出資金名目で金をだまし取られたとして、
大阪市内の会社社長が約7000万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴した
ことに対しても、男性への資金集め依頼は認めてもその後連絡が取れなくなったと
して「私に責任はない」と言ってしまっている。エジプト考古学の第一人者である以上
責任がないわけがない。そもそも先日、学生募集を停止した世界遺産学部のある
サイバー大学の学長に就任していることもおかしな話なのである。世界遺産学部
というのならば実地経験が大切なはずであり、本人もそのことを身に沁みて理解
しているはずなのだが、それをインターネットを中心にして行なうというのだから
どこからどう見ても教育よりも金目当てにしか見えないのである。
村上春樹『1Q84 BOOK3』の精神分析: 斎藤 環(精神科医)(Voice) - goo ニュース
私は村上春樹の作品を全く評価していないが、それ以上に評価していないものは
村上春樹の作品を持ち上げる評論の類のものである。ここに書かれている斎藤環
の文章も村上文学のファンが好んでするような、いかにも自分の事が書かれている
ような体の読解の仕方でうんざりしてしまう。それに本当に村上の作品を分かって
読んでいるのかどうかも疑わしい。例えば、「さきがけ」のリーダーの“筋の通った
見事にまっすぐな鼻”を村上が“カレンダーの写真に出てくるアルプスの山”に例えた
ことに対して斎藤は「かつての村上ではありえなかったような凡庸きわまりない比喩
である」と断じてしまっている。別に私は村上の肩を持つつもりもないし、持ちたくも
ないのだが、これは本当に凡庸きわまりない比喩であろうか? 男の鼻をただの
アルプスの写真ではなく、“カレンダーの写真”に出てくるアルプスの山とすることで
男の鼻の大きさとカレンダーの写真サイズのアルプスの大きさがリンクするのである
から比喩としては分かりやすく正確である。男の鼻とアルプスは十分に「異なった
二つのイメージ間」をジャンプしていると思う。おそらく斎藤は“カレンダーの写真
に出てくるアルプスの山”という文章自体を凡庸と決めつけてしまっているのである。
それほどの才能がないにもかかわらず、あるいは自分には才能があると誤解して
いるためなのかラカンの真似をして大失敗している典型的なおっちょこちょいである
斎藤環のような精神科医にはお世話になりたくないと心から願う今日この頃。
ボーダー
2007年/アメリカ
‘名コンビ’という遺産
総合
70点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
ロバート・デ・ニーロやアル・パチーノの全盛期を知る人たちにとっては物足りなさを感じることはやむを得ないのであるが、それでも新しいテーマに挑んだ点を見逃すわけにはいかない。
この作品のテーマは‘コンビとしての優秀さ’を受け継ぐことの困難さである。ニューヨーク市警に勤めるターク刑事とルースター刑事は名コンビとして、そのノウハウをサイモン・ペレスとテッド・ライリーの若いコンビに受け継がせることが役割となるはずなのだが、作品内で名前が挙がる‘ジョン・レノン&ポール・マッカートニー’や‘刑事スタスキー&ハッチ’のようにコンビとしての彼らの衣鉢は‘マンツーマン’のようにはなかなか継がれることはない。それはおそらく例え名コンビと謳われようとも絶えず二人の間には葛藤があり、関係のバランスが微妙に崩れるだけですぐに悪化してしまう余裕の無さが他者にノウハウを教えるような暇を与えないからなのであろう。
長い間コンビの関係を良好に保っていられたターク刑事とルースター刑事は、ターク刑事が裁判で無実になった容疑者を逮捕するために仕掛けた瑣末な罠をきっかけに‘正義’が暴走しはじめることになった。それは2人が刑事だからであり、‘レノン&マッカートニー’ならば良質の作品の追求の仕方に齟齬をきたしたということになるのであろう(そしてそれは何故か大抵‘女性’が絡んでくるのである)。
このようにテーマは悪くないのであるが、演出上の分かり難さは否めない。
あきれた岡ちゃん進退伺い「冗談」だった(日刊スポーツ) - goo ニュース
日本代表の岡田武史監督の進退伺発言は冗談ではなかったと思う。もしも進退伺
発言が冗談になるとするならば、24日の韓国戦に勝ったにもかかわらず試合内容
が監督自身の納得いくものではなく、こんな勝ち方でワールドカップで優勝なんか
したくはないという意味での進退伺で初めて冗談になるのである。岡田武史は試合
も面白くなければ冗談でさえ面白くない。何故日本はいつもサッカー日本代表の
監督選びの際にこれほどまで人材が不足しているのだろうか? いまさらオシムは
無理だとしても岡田は“傀儡”としてもっと優秀であるはずのコーチの誰かが指揮を
執ったら多少なりとも期待が持てる。
10分5億円PR映像、JOC会長「必要経費」(読売新聞) - goo ニュース
電通が制作したPR映像に関して都議会で「制作費が高すぎる」と指摘された事に
竹田恒和会長は「勝ち抜くために必要な経費だった」と妥当性を強調した。竹田の
言い分は理解できるが、それはもちろん2016年夏季五輪を東京に招致する事に
成功した場合にできる言い訳であり、本来であるならば自分たちが非力だった事を
認めて自主的に5億円を返納するべきであろう。「映像の長さだけでなく、品質も
評価してほしい」と言われても結果がすべてなのであり、招致に失敗した以上品質
がいくら良くてもダメなのである。品質が良かったかどうかなど、今さらどのように
確認すればいいのだろうか? 約10分間で約5億円という制作費をかけた作品で
あるならば来月催される第12回ショートショートフィルムフェスティバル&アジア
2010に出品すれば絶対に何らかの賞を獲れるはずである。
日本、0―2で韓国に敗れる…W杯壮行試合(読売新聞) - goo ニュース
しかし本当にこんな状態でワールドカップに参加するつもりなのだろうか? 試合を
見ていても全く得点できるような体制に持ち込むこともできず、見せ場もないままに
終わってしまった。試合が終わった後のいろいろな人の敗因を聞いてみたが、以前
聞いたような話ばかりだった。進歩がないということは選手ではなくて監督に問題が
あるのではないだろうか? テレビであからさまな岡田監督批判が起きない理由は
視聴率に影響するからだろうが、私は今日の試合を見て岡田監督では1勝すら
出来ないと確信してしまった。日本がワールドカップで勝てる最後の秘策は岡田監督
を更迭することだと本気で思う。
パリより愛をこめて
2010年/フランス
何が‘愛’だったのか?
総合
80点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
リュック・ベッソンの脚本の酷さは『トランスポーター3 アンリミテッド』のレビューで既に述べた通りで、この作品においても例えばラストシーンで主人公のジェームズ・リースがフィアンセだったキャロリンを撃ち殺した後に、彼女がスパイであったとしても何も心にしこりが残っていないかのように相棒のチャーリー・ワックスと優雅にチェスなどしている有様を見てしまうと、そのホモソーシャルぶりに辟易してしまう。
しかしそれにもかかわらずこの作品が高評価である理由はタイトルと主人公の名前がジェームズ・ボンドが主役の007映画シリーズのパロディーだからである。全く役に立たない‘ジェームズ’が唯一果した仕事が‘ヒロイン’を撃ち殺すことで、明らかに悪役にしか見えないジョン・トラボルタが主人公の代わりに巨体を酷使して活躍するという‘ギャグ映画’として観るならば結構面白く観れたからである。