クロッシング
2008年/アメリカ
冴えない男の本性
総合 100点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
原題の‘Brooklyn's Finest’の意味は‘ブルックリンの警察’となるらしいが、本来ならば‘finest’は‘fine (素晴らしい)’の最上級を示す言葉なのだから、観客はこの作品内で誰が最も素晴らしい人物なのか見分ける楽しみを味わうべきであろう。
候補として挙げられる人物は、退職目前のベテラン刑事のエディ、信仰深く家族想いの麻薬捜査官のサル、そしてギャングの中に潜入捜査をしているタンゴの3人である。
この作品で3人が最初に‘クロッシング’するシーンにおいて、サルとタンゴはギリギリではあるが自分たちの任務をこなしていたが、エディは一緒に事件現場にいた新人警官がミスを犯したために、上司のアドバイスを受け入れずその責任を自分で引き受けてしまう。エディという人物は区域外の揉め事は無視したりして新人警官にバカにされたりしており、観客もただ無難に仕事をこなすだけで売春婦と付き合う無能な警官のように見倣してしまうが、エディがただ者ではないことは後に分かることになる。
麻薬捜査官としてのサルの活躍振りはサルが有能ということよりも、大家族と病弱な妻のために金銭的に追い詰められていた故の‘成果’であるし、タンゴはギャング仲間のキャズと余りにも関係が密になりすぎてしまったが故に、結果的に上層部の思惑通りキャズを仕留めることができたにも関わらず、タンゴはキャズの仇をとるためにレッドを殺しに向かう。サルもタンゴもそれぞれ家族や仕事に深入りし過ぎた結果、悲劇を迎えることになる。
ところでエディなのであるが、まずエディには家族が存在しないのか、家族と離れて暮らしているのか不明なのであるが、拘わらなければならない家族が現れない。エディの仕事の仕方はなるべく事を大きくしないという方針であるために、事が小さいうちに全てを収めてしまい、結果的に大きな仕事に関わらなくなるのである。実際、エディの眼識の正確さは警察署に貼り出されていた行方不明の女性の顔を思い出すことができたことで証明される。その上、定年退職してしまったエディが昇進も昇給も見込めないにも関わらずあれほど危険な仕事を敢えて一人で引き受けるということは警官としての矜持と、それに伴う、普段は隠していた才能があったからである。
つまり全く冴えないように見えるエディこそが『ラスト・ソルジャー』のジャッキー・チェンが演じた名も無き兵士同様に‘ヒーロー’としてのたしなみを備えた‘最高に素晴らしい’人物なのであるが、この作品の国内外の意外な低い評価を見るにつけて、やっぱり本物のヒーローは孤独のままで誰にも理解されないのかと痛感してがっかりしてしまった。もうそろそろこのような‘冴えない男たち’を理解してあげてもいい頃合だと個人的には思うのであるが、確かに見分けることは難しい。
ピカソ未公開作、大量発見 仏、総額66億円超(共同通信) - goo ニュース
これは間違いなく“事件”だと思う。見つかった作品は1900年から1932年に
かけて制作された作品ということなのだが、これはピカソの“青の時代”から
“シュルレアリスムの時代”までをカヴァーしているということだから、ピカソの全盛
時代の作品が大量に発見されたということになる。晩年の作品であるならばピカソ
といえでも筆力が落ちていたからそれほど期待もしないが、全盛時代の作品と
なれば新たな傑作も存在する可能性は大いにある。かなり研究されているはずの
巨匠ピカソの作品でさえも存在すら知られていなかったものがあるということに
驚かされる。フランス南東部で発見されたという事しか今現在分かっていないが、
一体どのような場所でどのような状態で保管されていたのか興味は尽きない。
ラスト・ソルジャー
2010年/中国=香港
正真正銘のハードボイルド
総合 90点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
ついにジャッキー・チェンもこのような作品を制作するようになったのかと思うと感慨深いものがあるが、もちろんそれはジャッキー・チェンの‘老化’というものではなくて‘成熟’と見倣すべきものである。
紀元前227年の中国の戦国時代の最中、弱小国であった梁の国の名も無き兵士が、敵国の衛の将軍を捕らえることに成功することから物語は始まる。敵国の将軍を捕らえて母国に連れ帰ればかなりの報酬を得られる。兵士の夢は祖国で広大な土地を手に入れて自分の菜の花畑を作ることだった。
しかしここからラストシーンまで評判の悪いグダグダのシーンが続く。梁の国の名も無き兵士と衛の将軍がお互いを騙し合いながら、正体不明の女性や衛の将軍の弟も関与し始めて混乱を招き、兵士の気分次第の場当たり的な行動は観客をウンザリさせてしまうことは間違いないのであるが、それこそ原案者のジャッキー・チェンの魂胆なのである。
ラストシーンで梁の国の名も無き兵士は衛の将軍を自ら漕ぐ舟に乗せて、故郷の梁に到着する。命からがら故郷に戻って来ることができた嬉しさで兵士は自分だけが上陸すると、衛の将軍を舟に乗せたまま10年間戦争を仕掛けてこないということを条件に衛に帰してしまう。実は、またもや気まぐれなのではあるが、兵士は故郷に戻って来られた嬉しさを将軍にも味わって欲しかったのである。
しかし梁は秦に征服されていた。兵士は降服するように促されるのであるが、祖国に菜の花畑を所有することが夢だった兵士にとって、敵に降服して領地を奪われるという選択肢はありえず、誰もがどうでもいいと思うような夢のこだわりだけは気を紛らわせることがないまま固執し続けて、あっさりと殺されてしまう。
この呆けない結末に観客は唖然とさせられてしまうが、よくよく考えてみるならば、この名も無き兵士の気まぐれさと、のらりくらりとした行動が、結果的に衛の将軍に約束を守らせることになり、中国に平和をもたらすことになるのであり、この兵士こそ‘ヒーロー’と讃えられてしかるべきなのであるが、誰も彼のことを知らないのだから讃えようがない。バットマンやスパイダーマンが覆面を被って匿名に徹している理由は、本来‘ヒーロー’という存在が、このように気分や偶然に左右されやすい‘匿名’であるべき存在だからなのであろう。それはジャッキー・チェンが長年自ら危険なスタントをこなしている間に獲得した知恵なのかもしれない。
改めて確認しておきたい。『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』(ジョニー・トー監督 2009年)は一見シリアスに見えるパロディのハードボイルドであったが、『ラスト・ソルジャー』は終始ふざけているように見えるが、ラストシーンで男性の涙腺を刺激する正真正銘のハードボイルド作品である。
首相の1%発言で波紋…原口氏疑問・鳩山氏容認(読売新聞) - goo ニュース
鳩山由紀夫前首相は28日、前日に行われた鳩山氏と菅直人首相との会談で、
首相が「(内閣支持率が)1%になっても辞めない」と語ったと報じられた事について
「首相が言ったのではなく(首相の)友達が1%になっても辞めないでと激励した。
間違って報道されている」と述べたらしい。如何してこうも首相周辺から出てくる話は
セコイのだろうか? 今さら首相が言おうと彼の友達が言おうとどっちでもいいような
発言の出処などどこでもいいわけであるし、どうせ言うのならば「「(内閣支持率が)
0%になっても辞めない」という志が表沙汰になればいいのに、結局、この気弱さが
支持率の降下に歯止めがかからない主因なのだと思う。
「会いたい」とかいいすぎなJ-POPの歌詞が話題(R25) - goo ニュース
この記事とは直接は関係ないけれど、深夜のテレビ番組でやたらと音楽番組が
増えているような気がする。それもプロの歌手が出演する番組ではなくて、素人の
ミュージシャンが出演する番組が増えていると思うのだが、その理由はやっぱり
各テレビ曲が“原石”を見つけて一攫千金を狙っているからだと想像する。時々
気が向いた時にそれらの音楽番組を見たりするのであるが、この記事に書かれて
いるようなことが原因なのかどうかは分からないが、非常に残念なことにいままで
感動するような曲を聴いたことが一度たりともない。そもそも良い曲というものは
ちょっと聴いただけで良いと思えるようなものなのだから、あのように曲が出来る
までの様子をいくら丹念に追いかけたところで曲が良くなるようなことはないと思う。
それよりも私が今一番気になっていることは宇多田ヒカルの「Goodbye Happiness」
が、加藤ミリヤの「Bye Bye」に似ている事である。両曲とも“別れ”だから
テレ東番組「飲料で減量」体験者、実は販売元の社長(朝日新聞) - goo ニュース
このようなことが起こる理由は分かるような気がする。テレビ東京に限らず最近の
テレビ番組は番組なのかCMなのか境界線が曖昧になってきている。例えば月曜日
19時からテレビ朝日で『もしものシミュレーションバラエティー お試しかっ!』と
いう番組内で「帰れま10」という人気コーナーがある。毎回選ばれて飲食店の
売り上げトップ10を全メニューの中から当てるというものであるが、これはゲーム
でありながら、その店とタイアップしているはずだから番組製作費も安く済ませる
ことができる。特にヴァラエティ番組でやたらと飲食を紹介することが多くなった
ような気がする。いくらなんでも一般の使用者の一人と考えて出演を依頼した相手が
その飲料を売る会社の社長だったということは“取材時の確認作業に不手際”という
レベルの話ではないと思うが、いずれこのようなことが問題にならないくらいに
ヴァラエティ番組と通販番組は区別がつかなくなってくると思う。
「尖閣映像、CNNに郵送 放送されず投稿」保安官説明(朝日新聞) - goo ニュース
この件に関して識者たちがテレビで「何故報道にヴィデオを提供しなかったのか?」
と疑問を呈していたのであるが、実際、海上保安官はアメリカCNN東京支局に
映像を郵送していた。CNNに送った理由は日本の報道局を信じられなかったから
であろうが、結局、アメリカの報道局にも相手にされなかった結果、ネットに流出
させたことになる。CNNは「送付されてきたSDカードには差出人名や内容の明記等
もなく、安全性も明確ではなかったため廃棄した」とする声明を発表した。私は詳しく
ないためによく分からないのであるが、そのようなイタズラがよくあるために廃棄
してしまったのだろうか? 余っているノートパソコンなどいくらでもあるだろうから、
どのようなネタが記録されているか確認すればよかったのに、これはみすみす
特ダネを棄ててしまったという事である。マスコミが好奇心を失ったら終わりである。
冷たい雨に撃て、約束の銃弾を
2009年/フランス=香港
‘記憶喪失’という快楽
総合 90点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
まずは主人公のフランシス・コステロを演じた、ジョニー・アリディに関する文章を引用してみたい。
「その人影があのジョニー・アリディのものだといっても、二十一世紀に生きる人々がどれだけ心を動かされるのか微妙なところだ。歌手のシルヴィー・ヴァルタンや女優のナタリー・バイとの結婚歴や深い交際歴を持ち、有望な女優のローラ・スメットの父親でもある彼は、フランス語圏でレコードとCDの最大の売り上げを記録した有名な歌手なのだといっても、その最盛期は前世紀の六十年代から七十年代にかけてのことだから、知らない人の方が遥かに多いだろう。『ゴダールの探偵』(一九八五)に出演したとき、頬のこけたその陰鬱な存在感で社会の疲弊ぶりを監督の意図さえ超えてきわだたせてみせたのが彼だといえば、わかる人はわかってくれるかと思う。そのジョニー・アリディが、何故、香港の監督に出演を依頼されたフランスとの合作映画で、雨にけむるマカオの歓楽街を方向もわからぬままに徘徊することになったのかといえば、彼の役名コステロがジャン=ピエール・メルヴィルの『サムライ』(一九六七)でアラン・ドロンが演じた人物から来ていると気づけばそれで十分である。」(『群像』2010年6月号 映画時評18 蓮実重彦 「よくできたごく普通の映画の二十一世紀には稀な貴重さについて」P.237)
『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』はハードボイルド作品として高く評価されているようであるが、正確を期するならば、それは例えばジャン=ピエール・メルヴィル監督の『サムライ』的なシリアスなものではなく、アキ・カウリスマキ監督の『過去のない男』(2002年)的なパロディとしてのハードボイルドである。実際に、‘復讐(Vengeance)’という原題でありながら、コステロは当初、銃撃された娘と銃殺された彼女の夫と二人の息子の復讐を三人の暗殺者に頼んでおきながら、頭に残っている銃弾の影響で記憶が薄れていくようになり、復讐を依頼した3人が殺されても、周囲にいる子供たちを通して理解する有様で、結局、相手のボスを銃殺して復讐を果たすことができたのではあるが、その相手がターゲットなのかどうかはボスが着ていたコートに頼る始末であり、最後のコステロの笑顔さえ復讐を果たした満足感ではなく、周囲の笑いに誘発されたものであり、復讐の達成感のようなハードボイルドとしてのカタルシスは全くもって感じられないのである。
だからこの作品を観終わった後、観客が思い出せることは物語の内容ではなく、誰も乗っていない無人のまま長々と画面を横切る自転車や、緊迫した瞬間に宙を大きく舞うブーメランであり、まるで自分たち自身がコステロのような記憶喪失状態に陥るのであるが、映画を楽しむということはまさに突発的な音や映像を楽しむということだけは忘れないように頭に刻んでくれる。
手続き停止「私が指示」=朝鮮学校の無償化―首相(時事通信) - goo ニュース
朝鮮学校の高校授業料無償化に向けた手続きのプロセスの停止に関して、
2010年11月24日の毎日新聞夕刊に朝鮮学校関係者のコメントが載っていた。
「同じ民族同士で戦うことは非常に悲しい。ただ、この問題と高校無償化とは関係が
ない。ずっと結論を先延ばしにしてきて、ようやくという段階になってこのような発言
があることは非常に残念」と話している。確かに、このタイミングで朝鮮学校の
無償化を停止することは日本にとって危険だと思う。今回の北朝鮮の砲撃は
延坪島の市街地に向けて放たれており、一般市民も2名死亡している。もしも
朝鮮学校の無償化を破棄することがバレたならば、“今後も躊躇せず無慈悲な
軍事的対応打撃を引き続き加える”北朝鮮は日本を砲撃してくるだろう。
官邸でドタバタ辞表、「何で俺が…」と柳田氏(読売新聞) - goo ニュース
大臣の下手な冗談とその顛末、日本固有の欠点のせい?(gooニュース・JAPANなニュース) - goo ニュース
それにしても菅直人はヴィデオを見ることが嫌いなようで尖閣諸島沖の中国船衝突
ヴィデオも見なければ、地元の会合で、笑みを浮かべながら華麗に冗談を滑らせた
柳田稔のヴィデオも見ていなかったらしい。私はてっきり菅直人首相の“人”間違え
によって柳田稔は法務大臣に選ばれたものと誤解していたのであるが、柳田稔を
法相に推薦した人物は輿石東参院議員会長らしい。よりにもよって何故柳田稔を
法務大臣に推したのか訊いてみたいが、最終的に選んだのは菅直人なのだから
言い訳のしようがない。今回の件で一番面白かったのは、本人の知らないうちに
法務大臣に選んでおきながら、無理やり辞表を書かされた柳田稔のコントであった。