Falco - 07. America (Domplatz Salzburg 1986)
オーストリア出身のミュージシャンであるファルコは1985年に「ロック・ミー・アマデウス
(Rock Me Amadeus)」の大ヒットで世界的に知られるようになったのだが、同曲が収録
されているアルバム『ロック・ミー・アマデウス(Falco 3)』にも「アメリカ」という曲があり、
10月にリリースされている。プリンスは「アメリカ」で共産主義を批判しているが、
それを受けてなのか、ファルコは「アメリカ」で資本主義を揶揄している。まだベルリンの壁が
残っている頃のロックミュージックによるこの非難の応酬は、例えばニール・ヤング(Neil Young)
の「サザンマン(Southern Man)」に対するレーナード・スキナード(Lynyrd Skynyrd)の
「スウィート・ホーム・アラバマ」(Sweet Home Alabama)のようには知られていない理由は、
英語とドイツ語という使用言語の違いが大きいと思う。以下、和訳。
「America」 Falco 日本語訳
この物語は周知の事実で
この国のバッグパイプやリズミカルな曲のように
いつも気楽なものではなかったことは明らかで
僕の好きなスパークリングワインのように
僕にとってはとても明瞭だ
僕がアメリカに来て以来
例え僕がウィスキーをガンガン飲んでも
彼らは「ファルコ、君は素晴らしい」と
誰もが僕を好きになり始めている
もしも君が費用を厭わずに僕のレコードを買うならば
僕は典型的な人間ではないけれど
僕に関する偏見は全く気にしない
高揚もするし落ち込むこともあるけれど
スパークリングワインを飲めばまたリセットされるんだ
君は僕自身から僕が何者なのか知るべきで
僕は今君に教えてあげよう
僕に新しいほっそりとした脚を見せてくれれば
たぶん僕はここで生きていけるよ
アメリカ、もしも君が僕を信じてくれるならば
どれほど君がいなくなることで寂しく思われるだろうか
アメリカ、もしも君が僕を信じてくれるならば
どれほど君がいなくなることで寂しく思われるだろうか
レーガンに訴えよう
シュピーゲル誌は書いている
ウィーンが一歩先んじていると
もしも彼らが知らないのならば
誰が知るというのか?
もしもスミス氏が禿げているならば
僕たちは彼に櫛を売ろう
その紳士は太っていて少女はセクシーだったから
彼は饒舌に尋ねた
「君の名前は何ていうの?」
「私は二千ドル欲しい」と彼女は無邪気に言った
君は僕たち自身から僕たちが何者なのか知るべきで
僕たちは今君に教えてあげよう
次期大統領を僕に示してくれれば
僕たちはここで生きるだろう
どうかな?
アメリカ、もしも君が僕を信じてくれるならば
どれほど君がいなくなることで寂しく思われるだろうか
アメリカ、もしも君が僕を信じてくれるならば
どれほど君がいなくなることで寂しく思われるだろうか
僕はあの素晴らしいウインナーシュニッツェルを食べたい
彼にはバンズにソーセージを挟んだものをあげればいい
それが最高だ
僕にはもう分かっているよ
100だよ
シリングではなくてドルでだよ
誇張して言うのは止めようよ
アメリカ、もしも君が僕を信じてくれるならば
どれほど君がいなくなることで寂しく思われるだろうか
アメリカ、もしも君が僕を信じてくれるならば
どれほど君がいなくなることで寂しく思われるだろうか