MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『アリー/ スター誕生』

2018-12-31 00:32:18 | goo映画レビュー

原題:『A Star Is Born』
監督:ブラッドリー・クーパー
脚本:エリック・ロス/ブラッドリー・クーパー/ウィル・フェッターズ
撮影:マシュー・リバティーク
出演:ブラッドリー・クーパー/レディー・ガガ/サム・エリオット/アンドリュー・ダイス・クレイ
2018年/アメリカ

「浅瀬」に対する葛藤について

 レディー・ガガがブラッドリー・クーパーと組んでリリースした新曲「シャロウ ~『アリー/ スター誕生』 愛のうた(Shallow)」は意味として理解できるものの、ニュアンスがいまいち汲み取れなかったのであるが、本作を観てようやく言いたいことがわかったような気がする。まずは和訳してみたい。

「Shallow」 Lady Gaga & Bradley Cooper 日本語訳

僕に何か言ってくれよ
現代のこの世界で君は幸せなのか?
それとも幸せになるにはまだ足りないのか?
君はいまだに追い求めている他の何かがあるのだろうか?

良い時に傾くならばいつでも
自分を変えたいと思う自分を僕は見つけるし
悪い時に傾くならばいつでも
僕は自分自身を恐れてしまうんだ

私に何か言って欲しい
この空虚感を埋めようとすることにあなたは疲れていないの?
それともこの埋め合わせにはまだ足りないの?
その頑ななまでの姿勢を保つことは大変ではないの?

良い時に傾くならばいつでも
自分を変えたいと思う自分を私は見つけるし
悪い時に傾くならばいつでも
私は自分自身を恐れてしまう

前後の見境をなくしていて
急に熱に浮かされて飛び込んで
底を見失ってしまう私をあなたは見つけるはず
水面(みなも)を壊して突き進めば
誰も私たちを傷つけることはできない
今の私たちは浅瀬から遥か彼方にいる

浅瀬の中にいながら
今の私たちは浅瀬から遥か彼方にいる

前後の見境をなくしていて
急に熱に浮かされて飛び込んで
底を見失ってしまう私をあなたは見つけるはず
水面を壊して突き進めば
誰も私たちを傷つけることはできない
今の私たちは浅瀬から遥か彼方にいる

浅瀬の中にいながら
今の私たちは浅瀬から遥か彼方にいる

 この歌詞はなかなか深みのあるもので、例えば、バーのウェイトレスだったアリーがドラァグ・クイーンたちに囲まれてフランス語で「バラ色の人生(La Vie en Rose)」を歌ったり、ジャクソン・メインに誘われたアリーが彼と共にステージに立ち「シャロウ」を歌っている頃は、2人はまるで「浅瀬(Shallow)」で水遊びを楽しむような感じであっただろうが、アリーがプロとしてデビューして「深み」にはまる時、確かにプロとしてのやりがいはあるものの、その「水圧」ならぬ重圧は2人を楽しませるだけではなく、確実に疲労させるものだからである。
 だから本当はジャクソンとアリーが水辺で戯れるシーンがあってもよかったのであるが、より問題なのはアリーの父親たちが見ている日本の競馬番組である。日本のファンのためにわざわざシーンを設けたのであろうが、日本の馬の名前にひらがなや漢字が混じっており、日本の馬の名前がカタカナで構成されていることを知らないのである。ハリウッドの日本に関するリサーチの甘さが相変わらずなのが残念でならない。

Lady Gaga, Bradley Cooper - Shallow (A Star Is Born)


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『ボヘミアン・ラプソディ』

2018-12-30 00:43:22 | goo映画レビュー

原題:『Bohemian Rhapsody』
監督:ブライアン・シンガー(デクスター・フレッチャー)
脚本:アンソニー・マクカーテン
撮影:ニュートン・トーマス・サイジェル
出演:ラミ・マレック/ルーシー・ボイントン/グウィリム・リー/ベン・ハーディ/ジョゼフ・マゼロ
2018年/イギリス・アメリカ

「ボヘミアン・ラプソディ」の「真実」について

 個人的にはフレディ・マーキュリーの死に際の混乱した有様を知りたかったのではあるが、「ライブ・エイド」をクライマックスにもってきた点は「ボヘミアン・ラプソディ(=自由奔放な狂想曲)」というタイトル通りの破天荒なフレディの人生をわかりやすくまとめる上においては良かったのだと思う。
 何よりもクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」という謎めいた曲の真意が明らかにされたことが本作の収穫だと思うのだが、まずは和訳してみたいと思う。

「Bohemian Rhapsody」 Queen 日本語訳

これは実人生なのか?
それともただの空想なのか?
地滑りに巻き込まれたようで
現実から逃げ出せない
君は目を見開いて
空を見上げてみればいいんだ
僕はただの憐れな少年で
共感など必要とはしていない
だって僕は夢中になったとたんに冷めてしまうし
感情の起伏も適当な感じで
どっちにしたところで風は吹くのだから
それは僕にとっては重要なことではないんだ
(他の人はともかく)僕にとってはね

ママ、僕は「男性」というものを殺してしまった
彼の頭に銃口を突き付けて
僕が引き金を引いてしまったら
彼は死んでしまったんだ
ママ、人生が始まったばかりだというのに
「僕」は死んでしまい全てをなげうってしまったんだ
ママ、僕はあなたを泣かせるつもりはなかったけれど
もしも明日の今頃、僕がもう戻ってこなくても
まるで何事も起こらなかったかのように
人生を送って欲しい

「僕の時代」が来るのが遅すぎたようだ
僕は体の芯からぞくぞくさせられ
ずっと体がむずむずするんだ
みんな、さようなら
僕は行かなくてはならないんだ
全員を置き去りにしてでも真実と対峙しなければならないんだ
ママ、僕は死にたくはない
時々、僕は生まれてこなければよかったと思うんだ

僕には男の小さな影が見える
スカラムーシュ(からいばりする臆病者)よ
ファンダンゴを踊ってくれないか?
落雷と稲妻が僕を恐れさせる
ガリレオ
ガリレオ
ガリレオ
フィガロ(機知にあふれたうそつき)
マグ二フィコ(貴族)

でも僕は憐れな少年で誰にも愛されない
(彼は貧困層出身の憐れな少年)
(彼の命をこの極悪非道な状況から救ってやれよ)
夢中になったとたんに冷めてしまうのだから
僕を解放してくれないか?
(神にかけてでも俺たちはおまえを離さない)彼を解放してやれ
(神にかけてでも俺たちはおまえを離さない)彼を解放してやれ
(神にかけてでも俺たちはおまえを離さない)彼を解放してやれ
(俺たちはおまえを離さない)彼を解放してやれ
(俺たちはおまえを離さない)彼を解放してやれ
ダメだ
ママ、僕を解放してほしい
ベルゼブルという悪魔の首領が僕のために
一匹の悪魔を確保した
僕のために

だからおまえは僕に石をぶつけて
僕の目に唾を吐きかけられると思っているんだな
だからおまえは僕を愛せると思っているし
僕には見込みがないものとして見捨てることもできると思っているんだな
そんなことは僕に対してできないだろう?
ただ出て行けばいいんだ
こんな場所からすぐに出て行くべきなんだ

重要なことなど存在しないんだ
誰だって理解できるはずさ
それは僕にとっては重要なことではないんだ
どっちにしたところで風は吹くのだから

 「ボヘミアン・ラプソディ」とはフレディ・マーキュリーが自分の「男性性」を「殺した」ことにより自分にとってはどうでもよかったのだが周囲が騒ぎ出し、ガリレオ・ガリレイのように異端審問にかけられ、イエス・キリストのように虐げられ、母親の期待には添えられなかったとしても、こんなつまらない世界から新たな世界へと抜け出して生きていくという宣言のような曲なのである。

Queen - Bohemian Rhapsody (Official Video)


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『顔たち、ところどころ』

2018-12-29 00:39:45 | goo映画レビュー

原題:『Visages Villages』 英題:『Faces Places』
監督:アニエス・ヴァルダ/JR
脚本:アニエス・ヴァルダ/JR
撮影:ロマン・ル・ボニエ/クレア・ドゥグエ/二コラ・グシェテオ/ヴァレンティン・ヴィネ
    ラファエル・ミネソタ
出演:アニエス・ヴァルダ/JR
2017年/フランス

盟友による解釈について

 まずはタイトルに関して。原題は「それぞれの顔、それぞれの村」、英題は「それぞれの顔、それぞれの場所」でどちらとも韻を踏んで秀逸なタイトルである。一方、日本語のタイトルはジャン=リュック・ゴダールを含む6人のヌーヴェルヴァーグ世代の映画監督によるオムニバス映画『パリところどころ(Paris vu par...)』(1965年)から来ている。
 巨大な倉庫や石やコンテナなどに現地の人々やヴァルダ自身のそれに見合った巨大なポートレート写真を印刷して回りながらヴァルダとJRはヴァルダの友人だったアンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)と彼の妻が眠るモンジュスタンの墓地を訪れた後、JRはカルティエ=ブレッソンの「Behind the Gare Saint-Lazare」に写るジャンプする男の真似をする。その後ヴァルダはかつて自身が撮った映画『5時から7時までのクレオ(Cléo de 5 à 7)』(1962年)に出演してもらったゴダールと連絡を取り、会う約束をする。
 ゴダールの映画『はなればなれに(Bande à part)』(1964年)内のシーンのようにヴァルダが乗った車椅子をJRが押してルーブル美術館を走り抜けた後、2人はゴダールの家を訪れるのだが、ゴダールは不在だった。
 お土産として買っていたパンをドアノブに引っかけてメッセージを書き残してから、失意のうちの湖畔の椅子に腰かけるヴァルダをJRが慰めて、JRはヴァルダが望むようにサングラスを取って目を見せるのだが、画面ではぼかされている。
 本作でヴァルダが何を言いたいのか勘案するならば、そもそも相方のJRが若きゴダールのように見えるし、彼らが作ったアート作品は「異化効果」を、アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真は「即興」を表すのだが、その「核心」となるゴダール本人は謎に包まれたままいうストーリーの流れはヴァルダ流のゴダール解釈のように見えるのである。


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『search/サーチ』

2018-12-28 00:58:09 | goo映画レビュー

原題:『Searching』
監督:アニーシュ・チャガンティ
脚本:アニーシュ・チャガンティ/セヴ・オハニアン
撮影:フアン・セバスチャン・バロン
出演:ジョン・チョー/ミシェル・ラー/デブラ・メッシング/サラ・ソーン
2018年/アメリカ

映像の新たな可能性を求めて

 主人公のデヴィッド・キムは妻のパメラと一人娘のマーゴットと幸せに暮らしていたのだが、パメラが癌を患い、2015年、パメラは44歳の時に亡くなり、キムとマーゴットの2人暮らしが2年ほど過ぎた頃に事件は起きる。
 冒頭から最後までパソコンの画面上で展開されるストーリーは、例えば、誰が見ているのか分からないテレビ放送や、顔がバレている人物が何故雇われたのかなど細部に問題がないことはないとしても、それが気にならないほど上質なサスペンスが堪能できるはずだし、パソコン画面で展開されるからこそ大きなスクリーンで観賞するべき作品なのである。日本では『カメラを止めるな!』(上田慎一郎監督 2017年)が話題になっているが、アメリカでは本作が映像の新たな可能性を提示したと思う。


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『判決、ふたつの希望』

2018-12-27 00:49:05 | goo映画レビュー

原題:『L'insult』
監督:ジアド・ドゥエイリ
脚本:ジアド・ドゥエイリ/ジョエル・トゥーマ
撮影:トマソ・フィオリッリ
出演:カメル・エル=バシャ/アデル・カラム/リタ・ハーエク/クリスティーン・シュウェイリー
2017年/レバノン・フランス

歴史を知らないと理解しにくい作品について

 レバノンの首都であるベイルートを舞台としたストーリーの発端はレバノン人の46歳のトニー・ハンナが住んでいるアパートのバルコニーからの水漏れを、パレスチナ難民で建設会社のチームリーダーを勤める62歳のヤセル・アブドラ・サラメが修理したにも関わらず、トニーが取り付けたばかりの配管を叩き壊したことでヤセルがトニーを侮辱(insult)したことから始まる。
 ヤセルの上司がトニーに謝罪する機会を設けたのであるが、ヤセルに「シャロンに殺されればよかったのに」と侮辱されたヤセルは謝罪どころか、トニーの腹部を殴ってあばら骨を2本折ってしまい、裁判沙汰へと発展する。因みに「シャロンに殺されればよかったのに」という言葉の元はアリエル・シャノンが国防相だった1982年の「レバノン軍団」によるパレスチナ難民の大量虐殺事件「サブラー・シャティーラ事件」であろう。
 2人の「民族対立」は2人の意思に反して周囲の人間の憎悪を増幅させてしまい、ベテラン弁護士のワジディ・ワハビがトニーの側に就くのであるが、彼の娘のナディ―ヌがヤセルを弁護することになり、さらにトニーがシオニズムを持ち出すことでまさに「内戦」と化すのである。
 裁判が進む中で、ワジディはトニーの秘密を知ることになる。それは1976年、トニーがまだ幼い頃に地元のダムールで遭遇した「ダムールの大虐殺(The Damour massacre)」で、パレスチナ解放機構(PLO)が関与したとされる内戦によりトニーは故郷を追われた過去があったのである。
 結局、裁判中にトニーはヤセルの車を修理したり、ヤセルがトニーの修理工場へ赴き、故意にトニーを罵倒することで自分の腹部を殴らせることで「喧嘩両成敗」として諍いを終わらせるのであるが、これは個人的なレベルだからなせることで、このようなことが日々あちらこちらで起こっている国家間では相変わらず無理な話である。


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『パッドマン 5億人の女性を救った男』

2018-12-26 00:56:41 | goo映画レビュー

原題:『Pad Man』
監督:R.バールキ
脚本:R.バールキ/スワナンド・キルキレ
撮影:P・C・スリーラム
出演:アクシャイ・クマール/ソーナム・カプール/ラーディカー・アープテー
2018年/インド

「バッドマン」を凌駕する「パッドマン」について

 主人公の「パッドマン」ことラクシュミカント・チャウハンが女性用の生理用ナプキンの開発を始めたのは2001年で、当時のレートは1ルピーが2.5円らしいのであるが、もちろんこの通りに換算しても日本とインドの物価を勘案しなければよくわからない。
 いろいろとブログを見てみると、だいたい実感としては1ルピーが100円と捉えればいいように思うのだが、そうなると当時インドで売られていた生理用ナプキン(おそらく5枚で一か月分)は55ルピーだから5500円となりこれは確かに高額で気軽に使える代物ではない。これをラクシュミは2ルピーで売るというのだから200円ならば、それまでと比べるならば気軽に使えるであろうが、ラクシュミは低価格の生理用ナプキンの開発に9万ルピー費やしたというのだから、ざっと一千万円かかったということであろう。
 それにしても便利だからといってすぐに大衆に受け入れられず、ラクシュミは製品開発と同時にインドの慣習、女性のために作っているにも関わらず激怒するその女性たちの「偏見」とも戦わなければならなかったところがとても興味深い。
 エンドクレジットで流れた「ザ・パッドマン・ソング」が「バッドマンのテーマ」に似ている、というよりも似せているところが笑える。やはりヒーローの名前は連呼したくなるのだろう。

The Pad Man Song | Padman | Akshay Kumar & Sonam Kapoor | Mika | Amit Trivedi | Kausar | Superhero

The Batman Theme Song


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『野菊の墓』

2018-12-25 00:37:48 | goo映画レビュー

原題:『野菊の墓』
監督:澤井信一郎
脚本:宮内婦貴子
撮影:森田富士郎
出演:松田聖子/桑原正/村井国夫/赤座美代子/樹木希林/加藤治子/愛川欽也/白川和子
1981年/日本

松田聖子と山口百恵の「因縁」の起源について

 ここでは何故松田聖子の映画初主演作品が「時代劇」なのかを考えてみたいのだが、それには松田聖子が所属していたサンミュージックの創業者の相澤秀禎と山口百恵が所属していたホリプロダクションの創業者である堀威夫の「因縁」にまでさかのぼる必要があるだろう。
 それまで芸能プロダクションといえば渡辺プロダクションだったのであるが、堀は全ての資金を工面して銀座でジャズ喫茶を経営していた谷富次郎と「東洋企画」という芸能プロダクションを設立し、そこに相澤もスタッフの一人として参加していたのである。しかし感情の行き違いなどから堀と谷が衝突し堀が追放されてしまうのであるが、この時相澤は谷の方についたのである。
 やがてホリプロダクションは山口百恵という大スターを生み出すのであるが、山口が引退するのと入れ替わるように、サンミュージック所属の松田聖子が「ポスト山口百恵」の地位に就こうとしていた。
 山口百恵の映画主演のデビュー作は『伊豆の踊子』(西河克己監督 1974年)で当然ながら相澤はこのことを意識していたはずで、山口が『伊豆の踊子』ならば松田は、山口がテレビドラマで演じたものの映画化できなかった『野菊の墓』と踏んだのであろうが、時代は既に1980年代の「トレンディードラマ」の時代で松田のファンを「何で?」と困惑させた感は否めない。以上は『山口百恵』(中川右介著 朝日文庫 2012.5.30)に拠る。


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『刑事コロンボ 意識の下の映像』

2018-12-24 00:56:58 | goo映画レビュー

原題:『Columbo : Double Exposure』
監督:リチャード・クワイン
脚本:スティーヴン・J・キャネル
撮影:ウィリアム・クロンジャガー
出演:ピーター・フォーク/ロバート・カルプ/ロバート・ミドルトン/チャック・マッキャン
1973年/アメリカ

「二重露出」というタイトルの意味について

 ストーリーはバート・ケプルという映像研究所のCMプランナーでありながら映像に関する心理学者で著書もある主人公が「サブリミナル効果」を使ってお得意先の社長のヴィク・ノリスが自分の研究所の契約を打ち切ると正式に決定する前に殺害するというものである。事前にノリスに塩辛いキャビアを食べさせておいて、さらに試写のフィルムに飲み物の写真を気づかれないように挟み込んでおき、潜在意識を刺激されたノリスが咽喉の渇きを潤すために廊下に出てきて水を飲んでいたところを狙っていたケプルが銃殺し、その後、代わりにナレーションをさせていたテープの代わりに知られずに元に戻って試写会でのアリバイを作ったのであるが、そうなると原題の「Double Exposure(二重露出)」という意味がよく分からない。
 穿った見方をするならば、ここでいう二重露出とはオリジナルフィルムと、そこに挟まれた「飲み物の写真」がフィルムを回すことで重なって見えるという意味であろうが、それは正確には「サブリミナル効果」とは言えない。サブリミナルとはあくまでも「飲み物の写真」が潜在意識の中ではっきり認識されなければ効果がないからである。

 何が言いたいのかというならば、本作の脚本家がサブリミナル効果というものを正確に理解していないように感じるからである。例えば、クライマックスにおいてコロンボがカメラマンを連れてケプルの部屋の侵入し、コロンボがケプルの部屋で捜索している様子を写させ、その写真をケプルが見ることになっているフィルムに挟み込むことによってケプルにボロを出させることに成功するのであるが、コロンボのやり方はサブリミナル効果という観点から見れば間違っていると思う。サブリミナル効果で使用される写真は「飲み物」や「食べ物」の同じ写真を何度も見せることによる強烈なイメージで潜在意識を刺激できるのであり、今回の事件ならばケプルが隠している証拠物件か隠し場所であるランプシェードの写真を使わなければ効果が得られないはずなのだが、コロンボのように色々な場所で様々なポーズを取ってしまっては固定したイメージが潜在意識に根付かないからである。
 確かに脚本はよく出来ているのだが、残念ながらサブリミナル効果に関する知識は明らかに間違っていると思う。もっともサブリミナル効果という効果自体が極めて怪しいものではあるのだが。


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『暁に祈れ』

2018-12-23 00:56:03 | goo映画レビュー

原題:『A Prayer Before Dawn』
監督:ジャン=ステファーヌ・ソヴェール
脚本:ニック・ソルトリーズ/ジョナサン・ハーシュベイン
撮影:ダヴィッド・ウンガロ
出演:ジョー・コール/ヴィタヤ・パンスリンガム/パンヤ・イムアンパイ/ソムラック・カムシン
2017年/アメリカ・イギリス・フランス・中国

劣悪な監獄に閉じ込められる気分を味わえる作品について

 イギリス人のボクサーである主人公のビリー・ムーアはタイに滞在中に麻薬に手を出したために逮捕されて、タイの牢獄に送り込まれてしまう。環境は酷く、狭い牢獄に密集させられている囚人たちはやりたい放題の上に、タイ語が理解できないビリーは状況が把握できずに途方に暮れているのであるが、それは観ている観客も同様で、英語は字幕が出るのだが、タイ語は訳されないままで具体的にタイ人たちが何を言っているのか全く分からないのである。ビリー同様に監獄に入れられた気分は味わえるとしても、その映像体験が心地良いかどうかは微妙なところである。
 ボクサーの経験を活かしてビリーはムエタイの試合に活路を見いだすのであるが、長年の不摂生やドラッグが祟って血を吐きながらの練習を強いられ、試合には勝利したものの、大量の血を吐いて入院してしまう。
  誰もいない病室で目覚めたビリーは隙を見て病院から抜け出すのであるが、タイの街中をさまよった末に、廃止された線路の両脇に建てられた家が並ぶそのレールの果てしなさを見たビリーは怖気づいたのか気づかれずに病院に戻る。
 ラストでビリーに面会を求めた人物がビリーの父親を演じたビリー・ムーア本人なのであるが、これが演出として洒落ているとしても上手くいっているかどうかは何とも言えないとしても、原題の「A Prayer Before Dawn」が「夜明け前の祈り」と訳せると同時に「A Prayer Before Down」として「ダウン寸前の願い」とも解せると捉えるならば、この「類似」を仄めかす演出は悪くはないと思う。


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『マイ・サンシャイン』

2018-12-22 00:51:56 | goo映画レビュー

原題:『Kings』
監督:デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン
脚本:デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン
撮影:デヴィ・シザレ
出演:ハル・ベリー/ダニエル・クレイグ/ラマー・ジョンソン/レイチェル・ヒルソン
2017年/フランス・ベルギー・アメリカ

原題が複数形になっている意味について

 邦題ののどかさとは裏腹に、本作は1992年に起こったロサンゼルス暴動がモチーフになっている。きっかけの事件となった前年の黒人男性のロドニー・キングが白人警官たちにボコボコにされているヴィデオは見た憶えがあったものの、さらに13日後にラターシャ・ハーリンズという15歳の黒人の少女が韓国系アメリカ人のトウ・スンジャに射殺されていたという事実は知らなかった。
 ところで原題である「キングス」とは何を指すのか勘案するならば、もちろんロドニー・キング(Rodney King)であるのだが、原題は複数形なのだからロドニー・キングだけではないのである。本作の中で「キング」といえば残りはバーガーキング(Burger King)しかない。つまり本作はあれだけ無法地帯と化したロサンゼルスで「ロドニー」のような黒人だけでなく白人や韓国人もボコボコにされている中においても、「バーガー」のように美味しい食事を提供してくれるところは無傷でいられるという、2つの「キング」の対照性が描かれているのである。


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