原題:『A Star Is Born』
監督:ブラッドリー・クーパー
脚本:エリック・ロス/ブラッドリー・クーパー/ウィル・フェッターズ
撮影:マシュー・リバティーク
出演:ブラッドリー・クーパー/レディー・ガガ/サム・エリオット/アンドリュー・ダイス・クレイ
2018年/アメリカ
「浅瀬」に対する葛藤について
レディー・ガガがブラッドリー・クーパーと組んでリリースした新曲「シャロウ ~『アリー/ スター誕生』 愛のうた(Shallow)」は意味として理解できるものの、ニュアンスがいまいち汲み取れなかったのであるが、本作を観てようやく言いたいことがわかったような気がする。まずは和訳してみたい。
「Shallow」 Lady Gaga & Bradley Cooper 日本語訳
僕に何か言ってくれよ
現代のこの世界で君は幸せなのか?
それとも幸せになるにはまだ足りないのか?
君はいまだに追い求めている他の何かがあるのだろうか?
良い時に傾くならばいつでも
自分を変えたいと思う自分を僕は見つけるし
悪い時に傾くならばいつでも
僕は自分自身を恐れてしまうんだ
私に何か言って欲しい
この空虚感を埋めようとすることにあなたは疲れていないの?
それともこの埋め合わせにはまだ足りないの?
その頑ななまでの姿勢を保つことは大変ではないの?
良い時に傾くならばいつでも
自分を変えたいと思う自分を私は見つけるし
悪い時に傾くならばいつでも
私は自分自身を恐れてしまう
前後の見境をなくしていて
急に熱に浮かされて飛び込んで
底を見失ってしまう私をあなたは見つけるはず
水面(みなも)を壊して突き進めば
誰も私たちを傷つけることはできない
今の私たちは浅瀬から遥か彼方にいる
浅瀬の中にいながら
今の私たちは浅瀬から遥か彼方にいる
前後の見境をなくしていて
急に熱に浮かされて飛び込んで
底を見失ってしまう私をあなたは見つけるはず
水面を壊して突き進めば
誰も私たちを傷つけることはできない
今の私たちは浅瀬から遥か彼方にいる
浅瀬の中にいながら
今の私たちは浅瀬から遥か彼方にいる
この歌詞はなかなか深みのあるもので、例えば、バーのウェイトレスだったアリーがドラァグ・クイーンたちに囲まれてフランス語で「バラ色の人生(La Vie en Rose)」を歌ったり、ジャクソン・メインに誘われたアリーが彼と共にステージに立ち「シャロウ」を歌っている頃は、2人はまるで「浅瀬(Shallow)」で水遊びを楽しむような感じであっただろうが、アリーがプロとしてデビューして「深み」にはまる時、確かにプロとしてのやりがいはあるものの、その「水圧」ならぬ重圧は2人を楽しませるだけではなく、確実に疲労させるものだからである。
だから本当はジャクソンとアリーが水辺で戯れるシーンがあってもよかったのであるが、より問題なのはアリーの父親たちが見ている日本の競馬番組である。日本のファンのためにわざわざシーンを設けたのであろうが、日本の馬の名前にひらがなや漢字が混じっており、日本の馬の名前がカタカナで構成されていることを知らないのである。ハリウッドの日本に関するリサーチの甘さが相変わらずなのが残念でならない。
Lady Gaga, Bradley Cooper - Shallow (A Star Is Born)