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MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『犯人に告ぐ』

2015-02-28 19:55:58 | goo映画レビュー

原題:『犯人に告ぐ』
監督:瀧本智行
脚本:福田靖
撮影:柴主高秀
出演:豊川悦司/石橋凌/片岡礼子/小澤征悦/井川遥/笹野高史/松田美由紀/石橋蓮司
2007年/日本

 プロットが秀逸すぎて誰にも気づかれず汚名を着せられている作品について

 ラストで主人公の巻島史彦がベッドの上で「眼を大きく開くシーン」が物議を醸している本作を改めて観なおしてみると、「手紙」に関して上手く理解されていないように思う。
 「UNHAPPY NEW YEAR」や主人公の巻島史彦に対する横書きの脅迫文は6年前に少年を殺した有賀が書いたものである。<BADMAN>を名乗る者から早津名奈に届いた縦書きの脅迫文は真犯人が書いたもので、巻島がテレビ出演した後に届いた脅迫文は実は曽根要介が書いたものである。次に届いた脅迫文は6年前に息子を殺された父親の桜川夕起也が書いたもので、最後に東名高速の路上で発見された脅迫文は巻島がテレビ出演した後に真犯人が書いたものなのである。
 そうなるとエンジ色をカーキ色と誤解していた人物は桜川夕起也となり、20歳の予備校生の村西ケイイチは誤認逮捕されたことに巻島は気づいたのである。桜川が「自首」してきたというその真意を勘案しながら、犯人であることが分かっていながら証拠不十分で逮捕できずに結果的に自死させてしまった有賀と、不十分な証拠で誤認逮捕された村西の皮肉なあり方に巻島は驚愕したのであろう。
 いくらサスペンス映画とはいえDVDも発売されて何年も経っているのだからもうそろそろ本作の「トリック」を誰かが気づいて正しく指摘してあげるべきだろう。


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『娚の一生』

2015-02-27 00:42:21 | goo映画レビュー

原題:『娚の一生』
監督:廣木隆一
脚本:斉藤ひろし
撮影:鍋島淳裕
出演:榮倉奈々/豊川悦司/安藤サクラ/前野朋哉/落合モトキ/根岸季衣/濱田マリ/向井理
2015年/日本

重要なエピソードが抜けてしまった作品の見どころについて

 冒頭のシーンは自宅で染色の仕事をしている下屋敷十和と海江田醇との逢瀬を、干しているピンクに染まった反物の切れ目からまだ幼い主人公の堂薗つぐみが遠くから眺めているところで、場面は一気に入院していた十和が亡くなり成人したつぐみが十和の家を仕切っているところに変わる。
 ストーリー展開がゆっくりしているために、海江田とつぐみの関係が親密になっていくはずの原作にある重要なエピソードがだいぶ抜けてしまっている。だから例えば、後半になって元カレの中川俊夫が現れたことで海江田と中川が大喧嘩になった後、ふてくされた海江田が競艇で負けてしまった上に、鍵を排水溝に落としてしまったという伏線も活かされることなく、台風の中で坂田佳代を避難させるために背負って家に向かっていたつぐみたちを海江田がいち早く助けに来るところなども唐突で、ラストは十和の代わりにつぐみと海江田が青い反物に囲まれることになるのであるが、冒頭のシーンとダブるラストシーンに感情移入することができなかった。
 ただタイトルを勘案する時、「娚」とは必ずしも海江田醇だけではなく、子供の富岡まことや青年の中川俊夫のことも合わせて「一生」を指しているとは思うのだが、個人的には残念ながら感銘を受けることはなかった。足の指を舐めるだけでは無理。
 しかしどこかで観たことがあると考えていたら、物語の構成が『一枚のハガキ』(新藤兼人監督 2011年)にそっくりであることに気がついた。主人公の松山啓太を演じている豊川悦司が、夫と舅と姑を次々と亡くして一人で暮らしている森川友子(大竹しのぶ)の家に「一枚のハガキ」を持ってひょこり現れ一緒に暮らすようになり、友子に気がある泉屋吉五郎を松山が軒先でぶん殴るところまで似ているのであるが、偶然だろうか?


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『アメリカン・スナイパー』

2015-02-26 00:13:25 | goo映画レビュー

原題:『American Sniper』
監督:クリント・イーストウッド
脚本:ジェイソン・ホール
撮影:トム・スターン
出演:ブラッドリー・クーパー/シエナ・ミラー/マックス・チャールズ/ルーク・グライムス
2014年/アメリカ

銃弾がスローモーションで描かれる意図について

 本作を観た者ならば誰もが抱く疑問から呈しておきたい。何故衝撃のラストシーンがテロップで伝えられるだけで具体的に描かれることがなかったのであろうか。もしもそれが描かれていたならば、本作では伝説(レジェンド)と呼ばれる狙撃者が敵ではなく味方によって葬られるというアイロニーが描けるにも関わらずである。つまりクリント・イーストウッド監督はそのような既に他の作品で描かれているようなことに興味はなかったと捉えるべきであろう。
 それではイーストウッド監督はどこに興味を示していたのか考えてみる。主人公のクリス・カイルは狙撃精度の高い狙撃手として名を馳せていたのであるが、同じように1000m級の射撃を行う元射撃オリンピック選手の敵のスナイパーであるムスタファをライバルとして持つようになる。カイルは知る由もないがカイルと同じようにムスタファにも妻も幼い子供もおり、境遇はとても似ているのである。当初は愛国心から海軍特殊部隊ネイビー・シールズに入隊したものの、やがてカイルの関心は狙撃手としてムスタファに負けられないという対抗意識に変わりつつあり、仲間たちが敵の大軍に気づかれて包囲される危険も顧みず、実際には偶然の砂嵐のおかげで脱出できるのではあるが、カイルは驚くべきことに約2000m先からムスタファを銃殺することを優先してしまうのである。
 4回出てくる「tour」という言葉は軍隊の勤務期間を表すと同時にスポーツチームの遠征という意味でも使用される。平和を目的として開催されているオリンピックの代表選手たちの対抗心が形を変えて実際の戦争に反映されていることは間違いないのである。


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U2『ソングス・オブ・イノセンス』の追想

2015-02-25 00:06:59 | 洋楽歌詞和訳

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 今頃になってU2の新譜『ソングス・オブ・イノセンス(SONGS OF INNOCENCE)』を

聴いたのだが、日本盤のライナーノーツの「『ソングス・オブ・イノセンス』の追想

(FLASHBACKS 4 SONGS OF INNOCENCE)」の翻訳は余りにも酷過ぎるので、

メインとなる最後の文章だけでも正確に和訳しておきたい。

「自分自身の道を行こうとする時には僕たち(メンバー4人)の誰かが賢明であるだけの時間は

あったはずだが、僕たちは賢明ではなかったし、今でも賢くはない。曲を書く時には、賢明で

ないことが失恋した時と同じくらいに良いことであるし、満たされた心よりもかなりロマンチック

なんだ。僕たちはなんらかのつながりを求めて人生の全てを費やすことができるし、もしもつながりが

見つからなければ、僕たちは世界を絶望の様相に呈する可能性がある。というかできない。

悲しみに終わりはないけれど、それが愛に終わりがないあり方だと僕は思うんだ。」

(There've been times when it would have been sensible for either of us to go our own way but we have not and we are not (sensible)... when it comes to songwriting, not sensible is almost as good as a broken heart and far more romantic than a full one. We can spend our whole lives searching for cohesion, and in not finding it, turn the world into the shape of our disappointment. Or not. there is no end to grief... that's how I know there is no end to love.)」


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『君よ憤怒の河を渉れ』

2015-02-24 00:52:43 | goo映画レビュー

原題:『君よ憤怒の河を渉れ』
監督:佐藤純彌
脚本:佐藤純彌/田坂啓
撮影:小林節雄
出演:高倉健/中野良子/原田芳雄/倍賞美津子/池部良/田中邦衛/伊佐山ひろ子/大滝秀治
1976年/日本

違和感があるBGMを選択する映画監督の力量について

 中国で大ヒットしたという噂を聞いて本作を観たとするならば、そのストーリー展開の荒さに驚くことは間違いないのであるが、ここではBGMについて言及しておきたい。
 青山八郎が担当した音楽にはかなり違和感を感じるのであるが、それは冤罪というシリアスなテーマを扱っている割には例えば、『第三の男』(キャロル・リード監督 1949年)のアントン・カラスが奏でるテーマ曲のような音楽が流れたり、あるいは「ダ~ヤラ」と歌われる本作のテーマソング(?)はテレビドラマ『七人の刑事』のオープニング・テーマとジェームス・ラスト(James Last)のアルバム『Seduction』(1980年)に収録されている「Vibration(あるいはVibrations)」という曲をミックスしたようなもので、音楽の方向性がブレているのである。もしかしたら佐藤純彌監督は高倉健に『第三の男』のオーソン・ウェルズのようなキャラクターを期待したのかもしれないが、演出の問題か、あるいは俳優の問題なのか定かではないが上手くいっていないと思う。佐藤純彌監督が高倉健と組んで撮った本作前後の『新幹線大爆破』(1975年)も『野性の証明』(1978年)も演出はかなり危ない感じで、1997年の『北京原人 Who are you?』の「大惨事」を予感させるものではあるし、『ミスター・ベースボール』(フレッド・スケピシ監督 1992年)を観れば高倉健にオーソン・ウェルズのような洒落た演技は期待できない。もっとも佐藤純彌監督はテレビドラマ『渥美清の泣いてたまるか』の「帰れ!わが胸に」(1966年)という回において、バレエダンサーの岡本佳津子を海岸で踊らせているのだから、若い頃から既に「危うい」演出家なのであるが。


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『単騎、千里を走る』

2015-02-23 00:05:33 | goo映画レビュー

原題:『千里走単騎』
監督:張芸謀(チャン・イーモウ)/降旗康男
脚本:鄒静之
撮影:趙小丁/木村大作
出演:高倉健/寺島しのぶ/中井貴一/リー・ジャーミン/ジャン・ウェン/チュー・リン/ヤン・ジェンポー
2005年/中国・日本

 関係を崩壊させる人間関係の濃密さを薄める方法について

 「メディア」というものを考えてみたい。主人公の高田剛一は末期の肝臓癌で入院中の息子の健一に代わって中国南部の雲南省まで舞踏家の李加民(リー・ジャーミン)が演じる仮面劇『単騎、千里を走る。』を撮影しにいくのであるが、彼は罪を犯して3年の懲役を受けていた。どうしても李加民に会って撮影したい高田は何故か「ビデオ」を通して外事華僑事務所の李主任など責任者たちを説得し、監獄管理局の許可を得て李加民に会えることになる。
 ところが現われた李加民は息子に会いたいと泣き通しで、踊る気配すらない。高田は石頭村に住む彼の8歳になる息子のヤンヤンを連れてこようと試みるのであるが、実はヤンヤンは父親に会いたくなかったのである。高田はヤンヤンの気持ちを忖度し、再び李加民を訪ねると、ヤンヤンの本心は言わないまま、写してきた写真を「ビデオ」で見せることにする。
 父親がわざわざ自分のために中国に行ったことを知った息子の健一は父親に手紙を認める。健一は自分たちの関係はまるで仮面劇のようだと例え、「笑いころげる影で歯をくいしばる自分、怒って踊りながら涙を流す自分」は今の自分には意味のないことで、お互いかぶっている仮面を脱いで素顔で話がしたいと書くのであるが、それは「手紙」と「妻」の理恵と「電話」を介して高田に伝えられるのである。高田が中国に行ったきっかけも健一が撮っていた「ビデオ」を観たからであり、「直接」では失敗してしまう人間関係は様々な「メディア」の媒体を通して「理解し合える」というアイロニーが描かれている。そもそも高田が現地の人々と上手く付き合うことができたのは、お互いの国の言葉を「理解できない」おかげなのである。
 本作は『映画 深夜食堂』(松岡錠司監督 2015年)と似たようなテーマが扱われていると思うが、高倉健の存在感を残したまま、自分の作風も失わずに演出できる張芸謀監督の腕の確かさがうかがえる。


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『映画 深夜食堂』

2015-02-22 00:43:02 | goo映画レビュー

原題:『映画 深夜食堂』
監督:松岡錠司
脚本:松岡錠司/真辺克彦/小嶋健作
撮影:大塚亮
出演:小林薫/高岡早紀/柄本時生/多部未華子/余貴美子/筒井道隆/菊池亜希子/田中裕子
2015年/日本

濃密な人間関係の不可能性について

 気軽に観るつもりが考えさせられる内容だった。例えば、主人公のマスターが営むめしやで、突然愛人を亡くし意気消沈していた川島たまこは年下の西田はじめと出会い交際するようになるのであるが、遺産が手に入ることになったことからたまこは強気になり、はじめとの質素な暮らしがバカらしくなって別れてしまう。しかし金を貸している先の店の支配人とは上手く付き合っているのである。
 交際していた男から店を持たせてやると騙されて田舎から逃げてきた栗山みちるは無銭飲食をきっかけにマスターの店の手伝いをするようになるのであるが、警官の小暮のとっさの機転によって交際している振りをしてみちるは男と完全に別れ、その腕を見込まれて新潟県親不知に住む祖母とは離れたまま塙千恵子の店の料理人として採用されることになる。
 塚口街子がマスターの店に置き去っていった夫の骨壺には実際にはお骨は入っておらず、代わりに甲子園の土が入っている。本物の骨が入っていたら取りに来ていただろうか?
 被災者の大石謙三がボランティアの杉田あけみを付け回すようになってストーカーと化すように、まるで人間関係が濃くなればなるほどその関係は危殆に瀕し、適度な距離があった方が却って上手くいくとでもいうような人間模様に考えさせられてしまうのである。


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『グレート・ビューティー 追憶のローマ』

2015-02-21 00:05:06 | goo映画レビュー

原題:『La Grande Bellezza』
監督:パオロ・ソレンティーノ
脚本:パオロ・ソレンティーノ/ウンベルト・コンタレッロ
撮影:ルカ・ビガッツィ
出演:トニ・セルヴィッロ/カルロ・ヴェルドーネ/マッシモ・ポポリツィオ/ファニー・アルダン
2013年/イタリア・フランス

「はかなくも一瞬ほとばしる美」の重要性について

 ラストで聞こえてくる、日々の享楽的で空虚な狂騒の生活の中の「はかなくも一瞬ほとばしる美」というセリフに注目したい。例えば、いやいやながらも少女が描くペンキによる「アクションペインティング」は最初は壁に色ペンキをただ塗りかけているだけなのであるが、最後に一瞬だけ映る壁には完璧な作品が出来上がっており、あるいは幼少の頃から毎日「自撮り」していた男性がそれらの写真を広大な壁一面に貼っている作品に感動させられる。主人公である65歳の小説家のジェップ・ガンバルデッラは「偉大な作品(The great beauty)」を描こうとするあまり、小説そのものが書けなくなっているのであるが、もはやローマにおいてさえ新たな「コロッセオ」が作られることはなく、ジェップが最初に感動した「美」は2人が若い頃に海岸で、エリーゼが見せてくれた胸だったはずで、限られた、意外と短い人生の中で私たちは「はかなくも一瞬ほとばしる美」を慈しむべきなのである。
 ところで冒頭のローマの観光客は日本人の団体だったようだが、突然死した男はどう見ても中国人にしか見えなかった。


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『郊遊 ピクニック』

2015-02-20 00:24:43 | goo映画レビュー

原題:『郊遊』 英題:『Stray Dogs』
監督:ツァイ・ミンリャン
脚本:ドン・チェンユー/ツァイ・ミンリャン/ポン・フェイ
撮影:リャオ・ペンロン/ソン・ウェンチョン
出演:リー・カーション/ヤン・クイメイ/ルー・イーチン/チェン・シャンチー
2013年/台湾・フランス

DVDで観ても全く面白くない傑作について

 驚くべき作品である。冒頭の2カットで幼い2人の子供が母親に捨てられてしまったことが描かれる。その後は、基本的に睡眠、飲食、着替え、入浴、排泄、仕事などの日常の様子が長回しで映され、その中にある事件が挿入されているだけである(意外と男性や女性の性器が普通に映っている)。「キャベツ人形」に対して父親役のリー・カンションが演じる「無理心中」の顛末は圧巻である。
 このような作品はDVDで観るべきではない。最後の長回しなど大きなスクリーンで観るからこそ、例えば女性の涙が流れてから渇くまでの些末な描写(ポスターに写っているシーン)に耐えられるのであって、テレビ画面では何の感銘も受けないであろう。


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『神様はバリにいる』

2015-02-19 00:42:56 | goo映画レビュー

原題:『神様はバリにいる』
監督:李闘士男
脚本:森ハヤシ
撮影:神田創
出演:堤真一/尾野真千子/ナオト・インティライミ/菜々緒/玉木宏
2015年/日本

「自分探しの旅」+「サクセスストーリー」=「無難」という方程式について

 上のポスターを見る限りでは、主人公は堤真一が演じる「アニキ」のように思えるし、確かにアニキは主人公の一人ではあるのだが、どうしても既視感が拭えない理由は、借金苦から逃れるようにインドネシアのバリ島にやって来た、尾野真千子が演じる照川祥子と、そんな彼女を追ってバリ島にやってくる、ナオト・インティライミが演じる杉田というキャラクターの「構造」が、半年くらい前に観た『わたしのハワイの歩きかた』(前田弘二監督 2014年)にそっくりで、外国で経験したことを元に本を出版するという流れまで似ている。バリ島を舞台にしているところは『食べて、祈って、恋をして』(ライアン・マーフィー監督 2010年)と被っており、つまり本作は「自分探しの旅」と「サクセスストーリー」を組み合わせたパターンの典型の物語で、それはたまたま成功したから成功したと言える、結果的に運が良かった人の話であって、同じことをすれば誰にでも当てはまるというような話ではないのだから、関西系の笑いが好きな人ならばともかく、堤真一の演技の上手さ以外には特筆するべきところはないように思う。


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