MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『あの日の指輪を待つきみへ』

2013-07-31 22:35:33 | goo映画レビュー

原題:『Closing the Ring』
監督:リチャード・アッテンボロー
脚本:ピーター・ウッドワード
撮影:ロジャー・プラット
出演:シャーリー・マクレーン/クリストファー・プラマー/ミーシャ・バートン/グレゴリー・スミス
2007年/イギリス・カナダ・アメリカ

戦争と夫婦生活

 1991年、アメリカのミシガン州のブラナガンにおいて夫のチャックの葬儀が教会内で執り行われているにも関わらず、彼の妻であるエセル・アンは教会の前で暇を持て余しているような態度で、これでは確かに娘のマリーに責め立てられても仕方がないのであるが、不思議なことは以前、恋人であったテディとの関係は細かく描かれながら、結婚後のエセル・アンとチャックの様子が全く描かれず、チャックの何が不満でエセル・アンの気持ちが夫の葬儀に向かないのかがよく分からない。
 アイルランドに住むジミーという青年が、ベルファストの丘で見つけたいう指輪を届けてくれたことをきっかけに、エセル・アンは1941年当時の自分とテディとチャックとジャックの関係をマリーに打ち明けることになる。そしてエセル・アンは帰国するジミーと共にテディが亡くなった現場であるベルファストの丘に行くのであるが、エセル・アンは爆弾テロに巻き込まれてしまう。家から出てきたエセル・アンは目の前に瀕死のイギリス兵を見つけて彼の手を取り、その場を離れなくなる。その時、テディの最後の言葉を聞いたクインランがエセル・アンに伝える。それはテディを永遠に愛するという約束から自由になって欲しいというもので、その言葉を聞いたエセル・アンはようやく危険な現場から立ち去るのであるが、どうもこのエセル・アンの、第二次世界大戦も北アイルランド紛争さえも眼中に入らないほどのテディに対する異常な執着心が理解できない。エセル・アンとチャックの長い夫婦生活が全く描かれなかったことと、戦争もテロもまるで起こっていないかのように振る舞うエセル・アンの身振りは、嫌なことは徹底的に無視するという点においてリンクしていると思う。


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バカか素直か麻生太郎

2013-07-31 00:33:09 | Weblog

ナチスの手口学んだら…憲法改正で麻生氏講演(読売新聞) - goo ニュース

 麻生太郎副総理は29日、都内で開かれた講演会で憲法改正について、「狂騒、狂乱の

中で決めてほしくない。落ち着いた世論の上に成し遂げるべきものだ」と述べ、更に、ドイツ

でかつて、最も民主的と言われたワイマール憲法下でヒトラー政権が誕生したことを挙げ、

「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。

(国民が)騒がないで納得して変わっている。喧騒の中で決めないでほしい」と語っている。

なかなか真意が汲み取りにくい発言で、私の理解によるならば、当時のドイツは君主制に

よる連邦国家から共和制に移行した時期で、主権が国民に移ったのだからワイマール憲法

が民主的であることは当たり前で、麻生は自民党の参議院選挙の歴史的勝利に乗じて

調子づいて民主的な日本国憲法に全権委任法を盛り込んで“いつの間にか”“あの手口を

学ん”でナチス憲法のように変えたいと素直に告白してしまっているのだろうか さすがに

今は日本国民もそれほどバカではないのだから納得せずに騒ぐとは思うけれど。


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『扉をたたく人』

2013-07-30 21:22:09 | goo映画レビュー

原題:『The Visitor』
監督:トム・マッカーシー
脚本:トム・マッカーシー
撮影:オリヴァー・ボーケルバーグ
出演:リチャード・ジェンキンス/ヒアム・アッバス/ハーズ・スレイマン/ダナイ・グリラ
2007年/アメリカ

「メロディー」から「ビート」へ

 コネチカット州の大学教授である62歳のウォルター・ヴェイルはCDをリリースするほどのプロとして活躍していたピアニストの妻を亡くしたことから、すっかり生きがいを失っており、本の執筆を理由に授業も週に一コマしか受け持っていないのであるが、実は本を書く気力さえ無い有様である。せめて妻が奏でていた音を自ら再現してみようとピアノ教師を雇っては練習してみるのであるが、子供扱いされることを嫌い、すぐに教師を変えてしまう結果、ピアノが弾ける兆しさえ見えない。
 ウォルターがシリア出身の移民青年であるタレクと出会ったのはそんな時期だった。ウォルターはタレクからジャンベというアフリカの太鼓の叩き方を教えてもらう。ピアノと比較するならば明らかに習得しやすいジャンベに生きがいを見出したウォルターが人生に再びかつての輝きを取り戻そうとしていた矢先に、タレクが警察に捕まってしまう。ウォルターは知り合いの弁護士を通じてどうにかしてタレクを助け出そうと尽力するのであるが、「9.11」を経験したアメリカはもはや移民に対して以前のような寛大さを持ち合わせておらず、タレクは入国管理局の拘置所へ移送された後に、強制送還されてしまう。
 そこでラストの印象的なシーンを迎える。ウォルターが一人で駅の構内でジャンベを叩き続けるのであるが、それはまるでピアノを諦めて‘メロディー’を失ったウォルターが彩を表現することは出来ないまでも、せめて‘ビート’だけは途切れないようにもがいているように見える。しかし‘メロディー’と比べて変化の乏しい‘ビート’はタレクに対するウォルターの無力さを現し、せいぜい現状肯定とその維持に甘んじるしかなく、それは今のアメリカの異物に対する非寛容の象徴として虚しく響くのである。


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母国語を忘れた民族の未来

2013-07-30 00:22:29 | Weblog

韓国サポーター、安重根の大きな肖像画も レッド級横断幕 (夕刊フジ) - goo ニュース
日韓戦会場に横断幕 「歴史忘れた民族に未来はない」(産経新聞) - goo ニュース

 日本側の応援席では試合開始時に旭日旗を少しの間だけ掲げて、係員によって制止

されたらしい。旭日旗は韓国においては戦前の日本による侵略の象徴とされていることを

いわゆる“サッカーバカ”の応援団が知らなかった事を、『歴史を忘れた民族に未来はない』

と書かれた横断幕で応えたという面は無きにしも非ずではあるが、応援時の政治的主張を

禁じた国際サッカー連盟(FIFA)の規定に違反する事を知りながら、敢えて横断幕を掲げ、

さらに旭日旗を制止したように韓国人の係員が横断幕を制止しなかったとするならば、

韓国人は歴史どころではなく、ハングルという母国語を忘却してしまったことになり、歴史を

忘れた日本人よりも酷いことになっているのではないだろうか いずれにしてもとりあえず

せめてホームの試合には勝たなければ韓国サッカーに未来はないよね。


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『劇場版トリコ 美食神の超食宝』

2013-07-29 22:12:18 | goo映画レビュー

原題:『劇場版トリコ 美食神の超食宝』
監督:座古明史
脚本:村山功
作画監督:香川久
出演:置鮎龍太郎/朴璐美/櫻井孝宏/岩田光央/松田賢二/北大路欣也/真矢みき
2013年/日本

子ども用アニメーションの定義

 美食屋のトリコたちが、美食神のアカシアのフルコースの裏メニューに関する調達依頼のために向かった、絶海の孤島にある通称「アカシアのキッチン」と呼ばれる旧第1ビオトープにおける物語の展開について書いておきたい。
 ビオトープの所長であるあやめは、かつてギリムとコンビを組んで料理を作りながら仲睦まじく暮らしていたのであるが、究極のフルコースを作るために美味しい食材を求めてギリムは旅に出たまま音信不通となってしまい、その食に対するギリムの飽くなき欲望はグルメ界の猛獣、ウルフファイアードラゴンを飲み込み融合することで、トリコたちが束になっても敵わない化け物に変身する。
 ここまでのストーリーは納得出来るが、ここから不可解な展開が始まる。完全にギリムにやられたはずのトリコはコロナサンフラワーの一滴の蜜だけでよみがえり、いくら最高の食材で料理しても一人で食べる料理は美味しくないという‘道徳’を説き、それにギリムが納得してしまうのである。気持ちは分からなくはないが、それを言い出してしまうと、本作が追求しているはずの「究極のグルメ」という定義が曖昧になってしまい、多少食材は悪くても仲間と一緒に食べれば美味しくなるという‘精神論’に堕してしまう。だから本作は大人が観るものではなくて、子ども用の、いわゆる‘スポ根ドラマ’だと思うのである。


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「外圧」の弱さによる美徳

2013-07-29 00:04:15 | Weblog

「日本、また世界驚かせた」電車押し救助を絶賛(読売新聞) - goo ニュース

 7月22日午前9時15分頃に、さいたま市南区南浦和のJR南浦和駅で、停車中の京浜

東北線磯子行き普通電車から降りようとした30代の女性が足を踏み外し、電車とホームの

間に挟まれた際に、車内やホームにいた利用客約40人が車両を押し、隙間を作りだして

女性を救出した様子を撮った写真が世界各地で報道され、絶賛されている。当時の現場を

日本テレビの『真相報道バンキシャ』において4人の当事者たちの証言を元に再現して

いたのであるが、見逃してはならない驚くべき事実があった。何と乗客に車両を押そうと

最初に声をかけた人物は国籍は分からないが黒人のように見える外国人だったのである。

つまり必ずしもこの「英雄的な行為」が「日本人の美徳」とまでは言えないということであり、

寧ろ「外圧」の弱さが幸いした可能性は否定出来ないのではないだろうか


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『風立ちぬ』

2013-07-28 22:21:59 | goo映画レビュー

原題:『風立ちぬ』
監督:宮崎駿
脚本:宮崎駿
撮影:奥井敦
出演:庵野秀明/瀧本美織/西島秀俊/西村雅彦/スティーブン・アルパート/風間杜夫
2013年/日本

偏見に捕われ続けるアニメーションについて

 最初に、2013年7月21日付けの毎日新聞「日曜くらぶ」に掲載されていた「藤原帰一の映画愛」の『風立ちぬ』のレビューを全て引用してみたい。「宮崎駿監督、5年ぶりの新作。『風の谷のナウシカ』から数えても30年近く『となりのトトロ』、『もののけ姫』などの傑作を発表してきた世界的な芸術家ですね。前作の『崖の上のポニョ』は思い切って幼児向きの作品でしたが、今度は大人。堀辰雄『風立ちぬ』と『菜穂子』を下敷きにした純愛物語に、ゼロ戦として知られる戦闘機の制作秘話を重ね合わせたお話です。/飛行機の設計者になりたくて東京の大学に入った堀越二郎は、美しい少女、立見菜穂子と出会う。その時に起こった関東大震災で二郎は菜穂子を助け、そのまま離ればなれになってしまいます。それから10年たち、飛行機の設計技師となった二郎は菜穂子と再会して恋に落ちますが、菜穂子は結核を病んでいた。そこから、菜穂子の限られた命と競い合うようにゼロ戦開発を急ぐ二郎の日々が始まります。/まず言わなくいてはいけないのはこの映画の美しさ。アニメはもちろん実写も含めて、今の映画界で宮崎駿ほど森の緑を表現できる人はいない。『もののけ姫』に映し出された風にそよぐ木々の葉や木漏れ日が忘れられません。この『風立ちぬ』でも、緑、風、雲、そして光が輝いている。屋内場面でも、煤けた窓を通した光など、繊細なディテールが素晴らしい。昭和初期の街並みなど、時代考証を踏まえた作画が、この光の感覚によって活かされています。/ですから極上に美しい。しかも重病の少女を一途に想い続けるのですから、多くの皆さんも感動されるでしょう。/でも、私は、感動しなかった。なぜかといえば、子どもっぽいと思ったから。少数意見を承知で、事情を申し上げます。/心の中に子どもがいるから描くことができる夢があります。『魔女の宅急便』や『千と千尋の神隠し』は大人が子どもに合わせて裏声で歌うのではなく、大人の中の子どもをそのままかたちにしたからこそ、胸を打つのでしょう。見ている大人の方も心の中には子どもが残っていますから、映画館に連れて行った子どもばかりでなく、自分まで感動することになるわけです。/とはいえ、子どものままでは未熟な大人に過ぎない。子どものまま大人になった人は、自分で向かい合い、学び、行動を選ばなければいけない現実から目を背けているからこそ、子どものままでいることができる。その子どもらしさは美しくありません。/夢の飛行機をつくる人生もいいのですが、戦闘機の美しさは戦場の現実と裏表の関係にある。宮崎駿が戦争を賛美しているとは思いませんが、戦争の現実を切り離して飛行機の美しさだけに惑溺する姿には、還暦を迎えてもプラ模型を手放せない男のように子どもっぽい印象が残ります。/恋愛もそうです。堀辰雄の小説にも結核に冒された女性と、その女性に寄り添う男が登場しますが、ここでは病苦の女性に男が尽くし続けるから恋愛小説になるわけですね。サナトリウムで療養できる結核患者が戦前の日本にどれほどいたのかという意地悪な問いは別としても、映画の『風立ちぬ』では男が女に尽くすのではなく、結核を病んだ女性の方が男に最後まで尽くし続ける。現実の堀辰雄も闘病生活の最後まで多恵子夫人に支えられたということですが、この筋書きではゼロ戦と女性のどちらを選ぶのかを迫られることもない。思い通りに進む、都合の良すぎる恋愛です。/大人になっても子どもの心を保つのは天才の条件でしょう。その力が宮崎監督の数々の名作を支えてきました。でも、子どもの心だけでは足りないものもある。私にとっての『風立ちぬ』は美しく、やるせない作品でした。」
 この東京大学教授は少数意見としてレビューを書き記しているが、「宮崎駿監督的」なもの、あるいは「純愛物語的」なものという偏見を持って観賞した結果、自分がイメージしたものとそぐわないという理由から本作を失敗作とみなしてしまう点に関していうならば、決して少数意見ではないと思う。アニメーションという性格から可愛い絵を見くびって騙されてしまいがちなこともよくあると思うのであるが、偏見を持って観るならば、私たちには映画を観る意味がない。あくまでも映画は未知の体験でなければならず、映画が「既知の体験」であるならば、偏見を反芻していればいいだけのことなのだから。
 作品の冒頭、飛行機に憧れているまだ幼い主人公の堀越二郎が、夢の中で世界的に著名な飛行機製作者であるカプローニとの邂逅から始まるように、現実世界においてはゼロ戦の設計に携わりながら堀越は、絶えずカプローニとの出会いを夢見がちな男として描かれている。だから結核で療養していたサナトリウムから堀越に会いにやって来た菜穂子に対して、堀越は菜穂子の体を気遣ってサナトリウムに帰らせることなく、病気を患う妻を看病する夫という「理想の夫婦像」を夢見るように菜穂子と同棲するようになる。菜穂子の体を配慮する気遣いがあるならば、横で寝ている菜穂子のそばで仕事をしながらタバコを吸うわけがない。多くを語ることはなかったが、そのような堀越の不実さに菜穂子は絶望してサナトリウムに戻っていったのではなかったのか。その後、ゼロ戦の残骸で埋め尽くされた大地を目の当たりにしながら、なおも最後までカプローニの夢を見て、恐らく亡くなったであろう菜穂子が夢に現れても、号泣することなく、「良い思い出」として浸ってしまう堀越の人物像を勘案するならば、堀越の声を担当した庵野秀明の、感情が欠落したセリフの棒読みも手伝って、「現実を直視せず、夢ばかり見ている男はバカだ」というメッセージが隠されていることは間違いないであろう。そのメッセージは徹底しており、ラストのタイトルバックで、無人の背景に荒井由実(松任谷由実)の「ひこうき雲」をBGMに流すというアイロニーで示されることになる。
 NPO法人日本禁煙学会が、肺結核で伏している妻の手を握りながら夫がたばこを吸う場面があることを特に問題視し、「なぜこの場面でたばこが使われなくてはならなかったのか。他の方法でも十分表現できたはず」と要望書で批判しているようだが、この場面で堀越が喫煙している理由は上記の通りで、たばこではない、他の方法でどのように表現できたのか具体的に指摘しなければ、禁煙ファシズムという非難は免れないと思う。
 誤解のないように記しておくならば、本作はフィクションであって、実際の堀越二郎はいくらゼロ戦が優れていたとはいえ、アメリカ海軍のF6Fに勝てるとは思っていなかったであろう。

「風立ちぬ」は「条約違反」=喫煙描写に禁煙団体が要望書(時事通信) - goo ニュース
「風立ちぬ」今度は「喫煙文化研究会」が反論(スポニチ) - goo ニュース


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情報収集能力について

2013-07-28 00:44:53 | Weblog

大学生の「新聞離れ」事情 不便、かっこ悪い…スマホやSNSで十分(フジサンケイビジネスアイ) - goo ニュース

 最近の大学生が新聞を読まなくなった理由として、「新聞をとっていない」、「新聞を読む

時間がない」の他に、「字が小さい」「字が多い」「内容が難しい」とあるのだが、これは新聞

に限らず、2chなどのネットにも当てはまる事で、残念ながらその違いが私には分からない。

アンケートには、「インターネットやSNSのニュースで十分に自分の知りたい情報を収集

できる」という声があったようだが、新聞ならば自分の知りたくない情報も収集出来る。

「新聞だと自分の知りたい情報がすぐに見つからない」のであるならば、スマートフォンでも

自分が本当に知りたいと思っている情報を実際に見つけられているのかどうかは怪しい。

要するに新聞であれインターネットであれ、フォーマットが違うだけで、情報収集能力は

その人次第であるということは知っておくべきだと思う。


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『終戦のエンペラー』

2013-07-27 22:26:41 | goo映画レビュー

原題:『Emperor』
監督:ピーター・ウェーバー
脚本:ベラ・ブラシ/デヴィッド・クラス
撮影:スチュアート・ドライバーグ
出演:マシュー・フォックス/トミー・リー・ジョーンズ/初音映莉子/西田敏行/桃井かおり
2012年/アメリカ

「刻印」を巡る考察

 本作の重要なシーンは本編内ではなく、寧ろ最初と最後に現れるタイトルバックの「Emperor」がタイプライターで刻印されている点に見るべきであろう。1945年8月30日に、GHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーに命じられて、第二次世界大戦における天皇の役割を探りはじめたボナー・フェラーズ准将が困難に直面した原因は、天皇自身の‘刻印’が見つからないためである。もちろん記録が無いわけではない。実際に、宮内次官の関屋貞三郎が開戦前の御前会議で、天皇が平和を望む短歌を朗読したと証言し、その短歌を朗誦して見せるのであるが、フェラーズが求めているのは「文学」ではなく「記録」なのである。内大臣の木戸幸一も天皇が降伏を受諾し反対する陸軍を封じるために玉音放送を試み、多数の兵士から皇居を襲撃されたという話をするものの、その話を証明する記録は全て焼却され、証人もほとんど自決していた。同じ頃、フェラーズは大学生の時に知り合い交際していた日本人留学生の島田あやを運転手兼通訳の高橋に探させていた。フェラーズは自分の立場を利用して、あやが住んでいた静岡周辺の空襲を避けるように作戦を立て、「記録」していたはずなのであるが、静岡は空襲で大部分が焼けてしまっていたことを知る。しかしあやの実家は戦火を免れ、フェラーズはあやが書き残した記録としてのラブレターを受け取る。
 このように様々な記録に関する不確かさを抱えたまま、マッカーサーは天皇に面会することになる。そこで記録に匹敵するものが、大柄で軽装で自然な表情のマッカーサーと小柄で正装で緊張した面持ちの天皇の2人のツーショット写真なのであり、この「文字」に代わる「写真」という‘刻印’こそが、全ての「記録」を含め、とりあえず天皇の戦争責任を宙吊りにしてしまったはずなのであるから、その後に、フェラーズが盗み聞きした2人の会話のシーンは明らかに蛇足であり、演出意図が最後になって破綻してしまっていると思う。


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実態が伴わない大きな話

2013-07-27 00:01:49 | Weblog

YOSHIKI、「米音楽の殿堂」で初ソロ公演(サンケイスポーツ) - goo ニュース

 ロックバンド、「X JAPAN」のリーダーであるYOSHIKIが8月26日に、米国初のソロ

パフォーマンスをロサンゼルスのグラミー・ミュージアムで行なうらしい。約8年ぶりとなる

ソロアルバム『YOSHIKI CLASSICAL』を今年9月に全世界リリースし、11曲を収録した

同作には、『天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典』のための奉祝曲「Anniversary」

や2005年日本国際博覧会『愛・地球博』公式イメージソングの「I'll Be Your Love」、

ゴールデングローブ賞のテーマ曲「Golden Globe Theme」などが収められているらしい。

いつも不思議に思う事は、「X JAPAN」やYOSHIKIの活動は必ず世界的なのであるが、

例えば、彼らの曲を「ベストヒット USA」で聴くことはないし、ビルボードチャートに彼らの

曲名を見かけることもなく、話の大きさと実態が伴っていないのである。そもそも新譜は

クラシックアルバムらしいが、本物のクラシック奏者と遜色ないのであろうか


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