007/慰めの報酬
2008年/イギリス=アメリカ
‘慰めの量’
総合 90点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
明らかに007は娯楽の要素を失いつつある。それが時代の趨勢なのか監督の力量不足なのかは分からないが、‘バットマン’が‘ダークナイト’に変化したようにクールのままではいられないのかもしれない。
邦題‘慰めの報酬’とされている原題‘Quantum of Solace’の正確な訳は‘慰めの量’となるだろう。ボンドはカミーユに、復讐する相手に向かって銃を撃つ時は一呼吸するように教える。その結果カミーユは復讐を果たし、心を‘慰める’ことができた。しかしこれは本来ボンド自身が守るべきものである。愛する女性ヴェスパーを失ったボンドは真相究明のために世界中を飛び回る。そして敵と対峙するたびにボンドの心の‘慰めの量’が計られることになる。
しかし‘慰めの量’を計ることができるのは冷静に物事が判断できる時だけであって、実際ボンドはミスター・ホワイトを逃がしたミッチェルも、マティスを殺した兵士も殺してしまい、ドミニク・グリーンも砂漠の真ん中に置き去りにして死なせてしまう。そしてラストで皮肉にも一番殺したかったはずであるユセフ・カビラを冷静になってしまったばかりにボンドは生きたまま捕らえてしまうのであり、この彼の冷静さが娯楽作品としてのラストシーンをすっきりとしないものにしてしまっているのである。
『レボリューショナリー・ロード』にしてもこの作品にしても愛情でもって心を交流させてしまうと却ってその愛情の激しさが主人公をダメにしてしまうというのは不思議な話ではないだろうか? その答えは007次回作で描かれるのだろうか?
チャゲアス活動休止「ソロ活動に力を入れるため」(読売新聞) - goo ニュース
私はCHAGE and ASKAの曲など全く聴かないのであるが、彼らのヒット曲である
「SAY YES」や「YAH YAH YAH」を聴いて思うことは、彼らの歌は“マッチョ”だという
ことである。「SAY YES」とは要するに返事を強要しているわけであるし、「YAH YAH
YAH」の「これから一緒に殴りに行こうか」という歌詞の歌が大ヒットした事が未だに
信じられない。CHAGE and ASKAの音楽というのは“小室サウンド”同様にバブルの
ようなものだったのであり、活動を休止したとしてもサザンオールスターズのように
惜しまれることもないから活動休止コンサートも開かないのであろう。もしかすると
2人はもう仲が良くないのかもしれない。
レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで
2008年/アメリカ=イギリス
‘革命’の挫折
総合 100点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
『タイタニック』以来のレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットの共演ということで甘いラブストーリーだと思って観に行ったらとんでもない代物だった。監督が『アメリカン・ビューティー』のサム・メンデスだということを見逃していた。
『アメリカン・ビューティー』はアメリカ的な美しさを暴露した作品であったが、この作品も負けず劣らず悪意のこもったものである。
事の発端はエイプリルが地元の劇団の舞台に立ったことから既に始まっている。他の役者の演技がひどかったのに対してエイプリルだけが生き生きとしていたということはその舞台のみならず、普段の生活においても当てはまることだったのであろう。同じことは夫のフランクにも当てはまる。毎日の単調な仕事にうんざりしていたフランクが出任せで言ったことが高い評価を得てしまうということは、逆に考えるならば彼の仕事というのはどれほど所得が増えるとしてもその程度のレベルだということである。
2人の思いは一致してパリへ移住することにする。傍目には幸せそうに見える2人なのだから、何故2人がわざわざパリに移住することにするのか誰にも理解できない。唯一2人を理解した人物は心を病んでいるジョン・ギヴィングスだけである。‘革命’を起こすということは心が病んでいる行為に見えるのであるが、刺激を求めて生きるのならば常軌を逸しなければならないし、生きる意味を極めるならば‘ママゴト’を放棄して必然的に本心の赴くまま‘生き生き’となるのである。
パリ行きを断念したフランクを非難したジョンに対して、フランクは「他人の気持ちも理解できない人間に文句を言われたくはない」とジョンに言う。しかし実は心が病んでいても健全であっても他人の心など完全には理解できないし、うかつにもフランクのように本心を曝け出してしまったらエイプリルのように心が追い詰められてしまう。だから一番良い夫婦のあり方というのは皮肉にもラストシーンで描かれているように、妻ヘレンに言いたいことを言わせておいて、自分の補聴器のヴォリュームをゼロにして聞いている振りをしているハワードのようなあえて心を通わせない対処の仕方なのである。傑作といってもいいとは思うが気分が滅入る。
この作品は1955年という設定であるが、この後に‘DINK(Double Income, No Kids)’というライフスタイルが流行るようになる。
ソフトバンクお笑い「S-1」で1億円!(日刊スポーツ) - goo ニュース
ようやくまともなお笑いバトルが始まるのかと期待してしまう。とにかく最近のお笑い
バトルは酷すぎた。例えば「キング・オブ・コント2008」では初代王者にバッファロー
吾郎が選ばれていたが、誰が見てもバナナマンの方が面白かったわけだし、昨年
のM-1にしてもNON STYLEが優勝していたが、これも誰が見てもオードリーの
方が面白かった。要するに今のお笑いバトルは吉本興業のプロモーションに利用
されているにすぎないのだ。このS-1は視聴者が審査員であるのだから公平な
審査がなされるであろう。月のチャンピオンでさえ1000万円もらえるのだから、
既成のお笑いバトルの質の低下は避けられないであろう。
米TV完全デジタル化延期 米上院が可決(共同通信) - goo ニュース
間違いなく日本も同様の法案が可決されることになるだろう。私がこの件で今一番
の問題だと思うことは、デジタルで見ている人は知らないことなのだろうが、画面の
右隅に“アナログ”と嫌味のように表示してあることである。ニュースやバラエティー
番組ならまだしも、テレビドラマにも表示するということはどういう神経をしているのか
疑ってしまう。ドラマ制作者は自分たちが作る画面に余計な文字が表示されることに
対して何故異議申し立てをしないのだろうか? 作品を“汚されている”という意識が
湧かないのであろうか?少なくともそのドラマを見ている立場から言わせてもらえば
“アナログ”という文字が気になってドラマに集中できない。
フグ中毒か7人搬送 山形、免許制度なし(朝日新聞) - goo ニュース
「山形県にはフグ調理に関する免許制度がなく、無届けで調理、提供しても罰則は
ない。」という事実に驚いた。フグ調理に関する免許制度などは全国にあると思って
いたが、各県任せである上に罰則がないというのは今の時代には考えられない。
山形県の人たちはこのことを知っているのだろうか? もし山形県ではこのことは
常識でその上で食したのだとしたならば病院に運ばれた7人にも“自己責任”が
あるのではないのだろうか? 私は牡蠣で中ったことがあるのでフグなど危険な
食べ物は食べたことがないのだが、命を賭けるほど美味しいものなのだろうか
山形県では「フグ取扱い者」の資格は必要らしい。それでも私は食べないけど
政権への批判 首相「感じぬ」 山形知事選敗北(産経新聞) - goo ニュース
いくらなんでもこの麻生の発言は酷過ぎる。山形県知事選挙で自民党が支援した
現職の候補者が落選したことに関して、政権与党の批判と受け止めるかという質問
に対して「まったく感じない」という答えはありえないだろう。おそらく麻生はもし当選
していれば細田幹事長と同様に「信任を得られた」と答えるのだろう。ようするに
麻生に支援するということに対する責任感は全くない。もしかすると支援するという
意味が分かっていないのかもしれない。支援していても自分に都合の悪い奴は
それまでの功績は無視されて、“派遣切り”と同じように切り捨てていくのであり、
党首として責任を背負うという気概は全くないのである。
朝青Vにやくみつる氏「脱帽」/初場所(日刊スポーツ) - goo ニュース
不思議な初場所であった。朝青龍は本当に強かったのだろうか? それとも他の
力士が弱いのか? 私が気になっていることは相撲の八百長問題である。例えば
朝青龍が今場所優勝したことで一番得をしたのは誰なのだろうか? 私は番組の
視聴率も観客数も上がったのだから優勝した朝青龍以上に力士を含む相撲関係者
全員が何らかの利益を得たことになったと思う。つまり今場所は朝青龍優勝が前提
となっていた場所なのであろう。観客もそのような“物語”を期待していたのだから
八百長が力士全員の“総意”であったとしても問題はない。因って今回の朝青龍の
優勝でもって横綱の品格の問題はともかく相撲の八百長問題は消滅した思う。
ゴヤ「巨人」実は弟子作品?プラド美術館は「調査中」(読売新聞) - goo ニュース
このニュースには本当に驚いた。確か日本でも展示されたことがあり、私も見に
行ったことがあるのだが、その時の印象は意外と小さな作品だということぐらいしか
憶えていない。ただ不思議だったのは「巨人」は上部に描かれている巨人と下部に
描かれている民衆たちの間をぼやかして描いているところである。ゴヤがこの様な
描き方をするのか疑問にも思ったが、ピカソに典型的なように画家の描き方は
変わるものだから、ゴヤがこの様に描いたのだと言われれば素人の私は納得する
しかない。しかしこの「巨人」に関しては堀田善衛が大著を物にしているのだが、
どうなるのであろうか
「チーム・ナカタ」設立!全国で慈善試合(サンケイスポーツ) - goo ニュース
この中田英寿の設立した一般財団法人は胡散臭い。最初からビジネスとして活動
して気づかれないように慈善活動をするべきではないのだろうか? ビジネスと慈善
活動を結びつけるとビジネスに“傲慢さ”が宿るような気がするのである。例えば
中田は「世界を旅して1本のペン、1つのキャンディーより、1つのボールがどれだけ
大きな意味を持つか感じた」と言う。ペンは勉強を、キャンディーは食料を、ボールは
運動を象徴するわけだが、ボールの方が大きな意味を持つだろうか? 正確に言う
ならば「1本のペン、1つのキャンディーと同様に1つのボールがどれだけ大きな意味
を持つか感じた」であろう。このような発言に中田の傲慢さを感じてしまうのである。