御用金
1969年/日本
‘トリッキー’な演出の違いについて
総合 20点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
13歳の時に年季奉行に行かされ5年の間懸命に働き貯めたお金で花嫁衣裳を買ったおりはは先に花嫁衣裳を村に送っていたのであるが、黒崎村へ帰ってみると許婚者も父親もなく、村ごと‘神隠し’に遭っていた。それではあの時斬られた花嫁衣裳を着た女性は誰だったのかというあたりから疑問が湧き出してからは、主人公の脇坂孫兵衛が敵に囲まれて家に立てこもる際に、超人的な跳躍を披露して家の屋根に登ったり、ロープで両手首や両腕を縛られて木の枝に吊るされた後に雪の中へ落下してしまうのであるが、六郷帯刀が放った手裏剣だけでロープを切って脱出するという曲芸まで披露してしまうなど疑問の渦に巻き込まれる。クライマックスの脇坂孫兵衛と六郷帯刀の一騎打ちは最終的には脇坂が勝つものの、どのようにして六郷を斬ったのかはっきりしない、その余りのトリッキーな演出に、五社英雄監督の殺陣の演出の放棄を感じざるを得ない。例えば、『仇討』(今井正監督 1964年)における中村錦之助と丹波哲郎との‘トリッキー’な殺陣の演出と比較してみれば監督の力量の差は一目瞭然である。六造が崖から落ちた後を目で追いかけるおりはの顔のズームアップでさえ明らかに失敗していることが誰にでも分かり、題材が良いだけに非常に残念な結果になってしまっている。
生後2か月男児、川に転落?流され死亡…長野(読売新聞) - goo ニュース
考えれば考えるほど分からなくなってくる事故である。例えば2歳の男の子が河川敷を
うろうろ歩いていた時に誤って川に転落したというのならば話は分かるのであるが、生後
2ヵ月の男児がどのような経緯でもって川に転落するような事態に至るのであろうか
生後2ヵ月ならば必ず母親が抱いているはずだし、幼児を抱いたまま川岸に近づくことも
ましてや川に入って遊ぶというようなことは当然危険だと分かるだろうから避けるであろうし、
母親と、駆け付けた父親が川の中に入って捜していたらしいが、何か怪しさが拭えない。
転々
2007年/日本
「アクアフレッシュ」から「チャツネ」へ
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
主人公の大学生である竹村文哉のチューブ入りのペースト状の歯磨き粉であるアクアフレッシュから物語が展開する理由は、その直後に借金取りの福原愛一郎の黒い靴下を口に噛まされた後の口直しというよりも、その後福原に付き合わされて焼き鳥や愛玉子のレモン味の寒天を食するための準備としてだろう。赤と青と白が印象的なアクアフレッシュという歯磨き粉は、その性格上口には入れるものの決して食するものではなく、それは作品の後半になってようやく現れ、本当の両親に捨てられた文哉と妻を殺してしまった福原に加わる麻紀子とふふみによって形成される‘擬似家族’の暗示となる。カラフルな歯磨き粉は決して食べ物にはならないのであるが、その‘フェイク’さこそがジェットコースター上で‘本物’の家族を文哉に夢見させるのであるのだが、福原がカレーを食べる決心をして、文哉が買いに行かされるチューブ入りの「チャツネ」の色は赤と青が入り混じったような茶褐色であり、文哉に‘カラフル’ではない、あるいは‘カラフル’ではいられない‘家族の現実’を突きつけるのである。全体的に色の使い方が秀逸だと思う。
亀岡暴走被害者情報の流出問題 安易な対応「傷」深く(産経新聞) - goo ニュース
京都府亀岡市で集団登校中の小学生の列に軽乗用車が突っ込み、10人が死傷した事故
の、いわゆる“被害者情報の無断提供問題”では、警部補は部下に命じて連絡先の一覧を
わざわざ作成し、教頭は被害者の娘に関する内部書類を探してまで、緊急連絡先の携帯
番号を調べており、産経新聞では「いずれも、被害者と加害者の間を取り持とうという“善意”
だった可能性が高い」と結論付けているのであるが、教頭はともかく、このような事故に関して
取り扱いを熟知しているはずの警察までが、何故被害者の情報を事故を起こした少年の父親
と親族に教えてしまったのか今ひとつ理解できない。10人の子供や女性を死傷させた事故
を起こしておきながら、事故直後は同乗していた友人たちと救助活動もせずに、ただ立って
ぼっと見ていたという“ツワモノ”の父親が“堅気”だったのかどうか気になるところである。
UFO少年アブドラジャン
1992年/ウズベキスタン
‘モンスター’と‘美少年’、その実態
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
冒頭で示されているように本作は『E.T.』(1982年)を撮ったスティーヴン・スピルバーグ監督に捧げられており、『E.T.』と比較しながら観ることで面白みが増すと思うが、それは決して『ストーカー』(アンドレイ・タルコフスキー監督 1979年)のような難解なことではない。
ウズベキスタンの田舎町に住む主人公のバザルバイが、いなくなった雄牛を探しているさなかに、裸で倒れている金髪の少年を見て宇宙人と思わなかった理由は、ロシアの将軍イワンからの情報では、宇宙人は耳が赤くハゲているというものだったからである。『E.T.』では当初はモンスター扱いだった宇宙人は本作では人間そっくりに造形されている。惑星アルファ・ベータ・ツェントゥリオンからやってきたと話すその宇宙人はアブドラジャンと名付けられ、バザルバイの隠し子として村で暮らし始めることになる。『E.T.』においては宇宙人と子供たちがテレパシーで交流するが、アブドラジャンは惜しみなく超能力を発揮し、鶏に大量の卵を産ませ、スイカを巨大化させ、産まれたばかりの子牛も1日で成長させてしまう。このまま上手く一緒に暮らせるはずだったのであるが、クワで村人たちを空に飛ばす時に、蜂を叩き殺したという理由で村の議長が乗ったクワだけは飛ばすことができなかったために、バザルバイが、議長の機嫌を損ねたアブドラジャンを叱責してしまい、バザルバイの妻のホリーダに見送られながらアブドラジャンはUFOに乗って帰還してしまうのである。しかし結果的にはロシアの軍隊に捕まる前にアブドラジャンは帰還でき、『E.T.』において宇宙人を追いかけていた人たちが科学者であったこととは対照的で、コルホーズ内でのバザルバイと村の議長の関係も皮肉を込めて描かれている。そもそも『E.T.』と比べて、宇宙人の‘美しさ’とは裏腹の特撮のチープさが露骨で、ウズベスキタンの窮状を訴えているようにも見えるところが面白い。
「ハンド・パワーあるように誤信させた」と提訴(読売新聞) - goo ニュース
常識で考えるならば、手かざしで難病が治る「ハンド・パワー」など存在するはずはない
のであるが、やはり自分自身や自分の子供が病気になって医者からも見離されてしまうと、
そのような怪しいものにでも頼りたくなる気持ちは分からなくはない。最近ではテレビで
スプーンやフォークをグニャグニャに曲げてしまうような人も現れているが、もちろん彼らの
“ハンドパワー”は手品であり、そのように断っている。いまやインターネットで検索すれば
その団体がどのようなものと見做されているのか簡単に分かるはずなのだが、これは自分
が難病にでもなってみないと分からない心理なのであろう。
ウラジミールとローザ
1970年/フランス=ドイツ
テニスというブルジョア趣味
総合 50点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
『たのしい知識』『ありきたりの映画』という流れの中で、本作『ウラジミールとローザ』について語ってみたい。
本作は、冒頭でジャッキーという名の湾岸労働者の、誠実ではあるが報われない状況を紹介しながら、メインは1968年のシカゴ民主党大会で暴動を企てたとされる7人(シカゴ・セブン)の被告人の裁判の再現を試み、理論と実践の可能性を追求したものである。当初、8人だった被告人はボビーが黒人であるという‘差別’によって外されてしまう。彼らの弁護士であるジョン・クンスラーは彼らの無罪を勝ち得たが、自身も含めて法廷侮辱罪で有罪となってしまい、システムを変化させるという‘実践’の困難さを証明し、それを克服するであろう共産主義に期待する。それはまるでダブルスのテニスの試合中に、コートの真ん中で録音機材を持ちながらジャン=ピエール・ゴランとジャン=リュック・ゴダールが議論しているにも関わらず、4人の選手たちが彼らにかまわずに試合を続け、陪審員たちも‘彼ら’に気がつかないかのように検察側と被告側の言い合いをテニスボールを目で追うように左右に首を振りながら聞いている様子に象徴される。
例え面白くないと分かっていてもとりあえず観ておきたいと思わせる映画監督としてジャン=リュック・ゴダールは個人的には貴重な存在である。
船越英一郎家出 妻松居一代が殴る蹴る(日刊スポーツ) - goo ニュース
この痴話喧嘩が20代のカップルで起きたのであるならば、その若さが微笑ましくもあり、
年上の彼女の年下の夫に対する激しい嫉妬心と書けば、まだ理解の範囲内に留まると
しても、その女性が54歳で、その夫が51歳となるならば、妻の怒りにまかせたパンチや
キックを受け止めるだけの体力は持ち合わせていないであろうから、玄関に転落してしまった
という夫の老いに同情してしまい、若い女優とのラブシーンなど俳優としての仕事なのだから
妻の、「あのお尻を触った…(略)54歳の私だって、要望があれば尻のひとつやふたつ見せて
あげる キャー ラブシーン 嫌だ嫌だ」と言われても、欲望で触っているわけではなく、
ましてや家に帰ってまで54歳の妻の尻を義務として見なければならないとなると家に帰り
たくなくなる船越英一郎の気持ちは理解できる。船越英二も草葉の陰で泣いているだろう。
ありきたりの映画
1972年/フランス=イタリア
‘パレーシア’の確立
総合 0点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
『たのしい知識』と同じ1968年5月頃に撮られたと思われる作品が、本作『ありきたりの映画』である。主にナンテールの3人の学生とルノー社フラン工場の2人の労働者の議論を中心に、学生運動などのシーンが間に挿入されている。
『たのしい知識』において映画の可能性を突き詰めたジャン=リュック・ゴダール監督の‘答え’は、議論を繰り広げている登場人物たちが草に覆われてよく見えずカット割も使わないままただだらだらと撮られているというものだった。それは皮肉めいたタイトル「その他多数と同じような映画作品」に相応しく、時々挟まれる白黒フィルムで撮影されたアーカイヴ映像以外は、ラストで‘青’という文字で埋められた左側と‘赤’という文字で埋められた右側の‘攻防’くらいが唯一演出らしい演出である。5人の議論のテーマは虐げられている学生と労働者が協力してブルジョワジーと戦えるのかどうかなのであり、いわゆるミシェル・フーコーが唱える「力弱き者がその弱さにもかかわらず強き者の犯す不正義を批判する言説」である‘パレーシア’の確立なのであるが、多くの学生は卒業すればブルジョワジーに組み込まれるため、労働者と協調しにくい。要するに最後で言われるように美学と経済学次第なのである。
『たのしい知識』からの悪意のこもった極端な‘振幅’は素晴らしいのであるが、この作品そのものは全く面白くない。
時速50キロで走行か 無免許運転繰り返す? 亀岡・暴走事故(産経新聞) - goo ニュース
「心からおわび」無免許18歳容疑者の父親(朝日新聞) - goo ニュース
京都府亀岡市の府道で集団登校中の小学生らの列に軽乗用車で突っ込み、10人を死傷
させた事故を起こしておきながら、この亀岡市の無職少年は自動車運転過失致死傷と
道路交通法違反(無免許運転)だけが問われて、危険運転致死傷罪にはあたらないため、
どのように見積もっても懲役10年にも満たずに出所できるらしい。無免許ということで
故意の危険運転行為になるのかと思いきや、途中で亀岡市内のファストフード店に立ち
寄った以外は休憩をほとんどとらず、あてもなく一晩中ドライブをしていた事が“幸い”して
高度な運転技術を持っていることが証明されてしまうために、刑が軽くなるという倒錯が
生じてしまう理由は、クルマそのものが凶器になりうるから取り締まろうという根本的な
発想を日本経済を支えているクルマの利便性を理由に避けているからである。
ところで最初にインタビューを受けていた時に容疑者の父親が着ていたTシャツには
「FRUSTRATED」と書かれていたのであるが、まさか狙ったということはないと思うけれど。