MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『死霊館のシスター』

2018-09-30 00:52:51 | goo映画レビュー

原題:『The Nun』
監督:コリン・ハーディ
脚本:ゲイリー・ドーベルマン
撮影:マキシム・アレクサンドル
出演:タイッサ・ファーミガ/デミアン・ビチル/ジョナ・ブロケ/ボニー・アーロンズ
2018年/アメリカ

智者と愚者の「類似性」について

 『アナベル 死霊人形の誕生』(デヴィッド・F・サンドバーグ監督 2017年)のラストで映った場所が、本作の舞台となる1952年のルーマニアのカルタ修道院である。
 修道女のヴィクトリアが自殺した原因を探るためにバーク神父と修道女のアイリーンがバチカンから派遣されてきて、地元住民で亡くなったヴィクトリアの第一発見者のモーリス・フレンチ―と共に修道院内に入っていく。
 『バルタザールどこへ行く』(ロベール・ブレッソン監督 1966年)を踏まえて言うならば、「知性」を司るバーク神父の冷静さと「愚者」としてのフレンチ―の行動力の融合こそが悪魔に対抗できる唯一の手段なのであろう。
 冒頭のトラックと見せかけて馬車で修道院に行くというシーンと、クライマックスにおける「キリストの血」の使い方が秀逸だった。
 ジョー・スタッフォード(Jo Stafford)の「ユー・ビロング・トゥ・ミー(You Belong to Me)」が本作で使われている理由は、この曲が1952年にリリースされてヒットしているからである。以下、和訳。

「You Belong To Me」 Jo Stafford 日本語訳

ナイル川沿いのピラミッドに目を向ければ
熱帯地方の島から日の出を見られる
その間はあなたは私のものだということだけは
忘れないで欲しい

昔のアルジェの市場から
私に写真とお土産を送って欲しい
夢を見る時あなたは私のものだということだけは
忘れないで欲しい

あなたがいなければ私はとても孤独になるだろうし
たぶんあなたも心細くて憂鬱になる
銀色に光る飛行機で大海原を飛び越えてきて
雨に濡れたジャングルも見える
あなたがまた家に戻って来るまで
あなたは私のものだということだけは忘れないで欲しい

あなたがいなければ私はとても孤独になるだろうし
たぶんあなたも心細くて憂鬱になる
銀色に光る飛行機で大海原を飛び越えてきて
雨に濡れたジャングルも見えるけれど
あなたがまた家に戻って来るまで
あなたは私のものだということだけは忘れないで欲しい

1952 HITS ARCHIVE: You Belong To Me - Jo Stafford (her original #1 version)


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『バルタザールどこへ行く』

2018-09-29 00:58:25 | goo映画レビュー

原題:『Au hasard Balthazar』
監督:ロベール・ブレッソン
脚本:ロベール・ブレッソン
撮影:ギスラン・クロケ
出演:アンヌ・ヴィアゼムスキー/フランソワ・ラファルジュ/ヴァルテル・グレェン
1966年/フランス・スウェーデン

「言葉遊び」で撮られる映画について

 一度観ただけではストーリーを理解できない。もしも本作の原作がドストエフスキーの『白痴』であるならば、本作の主人公でバルタザールと呼ばれるロバ(âne)そのものが「バカ者」という意味も持つ。これはビートルズの「フール・オン・ザ・ヒル(The Fool on the Hill)」の「フール(愚か者)」と同じような使い方であろう。
 さらに「バルタザールどこへ行く」と訳されている原題を正確に訳すならば「行き当たりばったりのバルタザール」となるのだが、そもそもこれは「アウ・アザ―(Au hasard)」と「バルタザー(Balthazar)」と最後に韻を踏んだ言葉遊びなのである。
 つまりブレッソンは(おそらく)冒頭とラストシーンだけは決めて、真剣に辿ろうとすると数々の齟齬を見出してしまう、「行き当たりばったりのバカ者」の物語を本気で紡ぐつもりはなかったように見える。四肢だけにはやたら拘りながらもアドリブと言ってもいい演出でギリギリまでそぎ落としたストーリーを楽しむにはかなりの忍耐が強いられるかもしれない。


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『緑の光線』

2018-09-28 00:48:21 | goo映画レビュー

原題:『Le Rayon Vert
監督:エリック・ロメール
脚本:エリック・ロメール
撮影:ソフィー・マンティニュー
出演:マリー・リヴィエール/リサ・エレディア/ヴァンサン・ゴーティエ/ベアトリス・ロマン
1986年/フランス

 「喜劇と格言劇」シリーズの鑑賞の仕方について

 今で言う「こじらせ女子」を1986年に既に描いているエリック・ロメールの感性に驚かされる。作品の冒頭に引用されている詩はアルチュール・ランボー(Arthur Rimbaud)の『地獄の季節』に収録された「一番高い塔の歌(Chanson de la plus haute Tour)」の一節「Ah,que le temps vienne...Où les cœurs s'éprennent」である。それを含む最初のパラグラフを訳してみる。

「無為無策な青春が慎重であるが故に全てにおいて言いなりになってしまい、僕は人生を台無しにしてしまった。あらゆる人々の気持ちが惹かれ合う時がやって来ないものだろうか!
(Oisive jeunesse
A tout asservie
Par délicatesse
J'ai perdu ma vie.
Ah! que le temps vienne
Où les cœurs s'éprennent.)」

 ランボーは自分の意気地の無さに絶望しているのだが、本作の主人公のデルフィーヌは逆に彼女の気の強さが仇になって恋人どころか友人たちとも上手く付き合っていけないのである。
 もう一つの要素がジュール・ヴェルヌ(Jules Verne)の小説『緑の光線』なのだが、この小説においては主人公のヘレナ・キャンベルが「緑の光線」の伝説を知ってサムとシブという2人の伯父を連れて探しに行くのであり、デルフィーヌが家具職人のジャックと共に偶然遭遇する「緑の光線」と対照をなす(上のポスターのシーン)。おそらくフランス人にとっては当然のように備わっているそのような教養がロメール監督が撮った「喜劇と格言劇」シリーズの一作として撮られた本作には必要なのだと思う。
 ところでAKB48が2015年にリリースした『Green Flash』は本作をモチーフに作詞されたものなのだが、残念ながらただの失恋ソングになってしまっている。
AKB48さん『Green Flash』の歌詞
グリーンフラッシュ
words by アキモトヤスシ
music by カルロスケー
Performed by エーケービーフォーティーエイト

 【MV full】 Green Flash / AKB48[公式]


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『愛と誠』(1974年)

2018-09-27 00:12:18 | goo映画レビュー

原題:『愛と誠』
監督:山根成之
脚本:山根成之/石森史郎
撮影:竹村博
出演:西城秀樹/早乙女愛/仲雅美/高岡健二/織田あきら/鈴木瑞穂/有沢正子
1974年/日本

「特撮」ギリギリの青春映画について

 想像以上に斬新な演出だった。作品冒頭で幼い頃に早乙女愛を助けた太賀誠が眉間に傷を負って流れる血だけが真っ赤なのであるが、モノクロのシーンに浮かび上がるその特撮の血糊はテレビドラマ「ウルトラマン」シリーズで見るようなもので、その露骨さに違和感が残る。
 その後も誠と愛が帰宅途中で会話している同じシーンが何度も繰り返されたり、誠が愛に自分の半生を語るシーンにおいて急に空が赤くなったりと梶原一騎の原作の映画化のために「劇画チック」にしているのでなければ(梶原一騎が演出に口を出したのか?)、これは主演の二人の拙い演技力を誤魔化す奇抜さなのではないだろうか。
 その後、『愛と誠』は早乙女愛をメインに続編が製作されることになるのだが、数ある西城秀樹の功績の一つとして早乙女愛、河合奈保子、石川秀美というスターを発掘したことも大きいと思う。


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「飯の恨み」の恐ろしさについて

2018-09-26 00:50:34 | Weblog

投票前のカツカレー「4人が食い逃げ」 安倍陣営嘆く
安倍首相、悲願改憲へ“激辛締め付け” 決起カレー“食い逃げ犯”探す

 自民党総裁選が結局「冷や飯」や「カツカレー」という「めし」の話で火花が散っているのは日本はまだ平和だということなのかもしれない。
 「カツカレー食い逃げ事件」とは安倍晋三首相陣営が開いた出陣式で験担ぎの「カツカレー」を食べながら、首相に票を投じなかった議員がいたとみられる事件で、スポニチと朝日新聞においては333人分のカツカレーを提供したにも関わらず、国会議員票は329票で、4票足りなかったのであるが、毎日新聞では代理出席含む国会議員計332人にカツカレーを振る舞ったにも関わらず、首相が獲得したのは329票で、3票足りないことになっている。
 しかしここで重要なことは3票の無効票の存在で、朝日新聞に拠るならば自民党の国会議員ではない関係者が2人いたらしいから、途中で気が変わったけれど高級なカツカレーを食べてしまった手前石破に票を入れる訳にもいかないから白票を投じたのかもしれないし、毎日新聞に拠るならば足りない3票と無効票3票で数字がピッタリと合うのである。
 それならばその3人は何故土壇場で気が変わったのか察するならば、小泉進次郎が投票15分前に石破を支持すると表明したからであろうから、これで辻褄も合うことになる。


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麻生太郎の晩節の汚し方について

2018-09-25 00:57:03 | Weblog


(川田雅浩撮影)

【自民党総裁選】「冷や飯食う覚悟ない人にかじ取り任せられない」 麻生太郎副総理兼財務相が石破茂元幹事長陣営にチクリ
麻生氏当てこすり「冷や飯覚悟でついてくる人だけ」
麻生副総理、石破氏陣営は「冷飯食う覚悟がない」
麻生氏、農相への辞任圧力を擁護 自民総裁選で石破氏支援に
【自民党総裁選】麻生太郎副総理「どこが善戦なんだ」 敗れた石破茂氏に見解
麻生氏「限られた障害者取り合うと弊害起きる」 障害者雇用水増しに関する問題発言
「ゴルフがダメで、テニスはいいのか」 3選・安倍首相の総裁選珍言まとめ

 ことの発端は石破茂が8月8日の夜の静岡県袋井市の講演で「『終わったあとは干してやる』とか、『冷や飯を覚悟しろ』などというのはパワハラだ。自民党はそんな政党ではなかったはずだ。みんな同志なのだから、終わったら『冷や飯』もなにもあったものではない。」と発言したことで、それを受けて8月19日の夜の秋葉原の街頭演説会において麻生太郎は以下のように語っている。

「今から12年前、初めてこの秋葉原で安倍晋三候補、谷垣禎一候補、麻生太郎、3人で総裁選挙をやらせていただいて以来、今日まで驚くなかれ、ここで8回総裁選、衆院選、参院選の応援をやらせていただきましたが、雨が降ったことは1回もない。そして、2人そろってここに出てきて、その選挙で負けたことは1回もありません。1回だけ、安倍晋三候補1人で来た東京都議選だけ負けた。2人そろって負けたことなどないのです。2人そろって雨が降ったこともない。秋葉原はこの安倍晋三候補にとっては極めて縁起のいい、大事な大事な場所です」

「いよいよ、この総裁選も明日が投票日となりました。今、いろんなことが言われてますけど、皆さん思い出してください。安倍晋三候補の後を受けて、麻生太郎と福田康夫候補と2人で総裁選挙を争ったことがあります。麻生派は、たったの15人。15人よ。あとは全派閥福田候補だった。その時に、私どもは何と言ったか、今でも覚えてますよ。間違いなく、俺についてくる人は必ず冷や飯を食いますと。冷や飯食うことを覚悟でついてくる人だけ、一緒にお願いします。そう申し上げて付いてきたもらった人が安倍晋三、中川昭一、菅義偉、甘利明。そういった人たちに付いてきてもらって、われわれは間違いなく、その1年間、残り1年間全く無役で終わりました。いいじゃないですか」

「冷や飯は冷や飯なりにうまい食い方があります。焼き飯にしたってうまい、お茶漬けにしたってうまい。冷や飯は冷や飯なりの食い方があるのだとそう申し上げて、明るく選挙をやらせてもらったと思っています。今、何となく冷やしておいて、いろいろな冷や飯を食わせるなとか何とかかんとか言っている人たちがいるみたいですけど、覚悟が足りないんだ覚悟が。冷や飯食うぐらいの覚悟を持って戦って当たり前でしょうが。そういう覚悟のない人に、われわれは間違いなくこの日本という国のかじ取りを任せるわけにはいかない。そう確信しています」

 麻生の発言を検証してみたい。最初の発言は2006年の自由民主党総裁選挙のことである。候補者は安倍晋三、谷垣禎一、麻生太郎の3人で、安倍の圧勝だったのだが、麻生は第一次安倍内閣で外務大臣になってしまっている。
 二番目の発言は2007年の自由民主党総裁選挙のことである。候補者は福田康夫と麻生太郎の一騎打ちで福田が勝ったのであるが、麻生は福田康夫内閣の自民党幹事長に就任してしまっている。「われわれは間違いなく、その1年間、残り1年間全く無役で終わりました。」という発言に関して、事実を忘れているならば78歳の男の認知症を疑うべきだし、確信犯として嘘をついているならば、どうせ誰も確認しないだろうという麻生の有権者に対する侮蔑が感じられるので、ここに本当のことを書いておく。
 ということで三番目の発言なのだが、総裁選で敗れたとしても麻生は「冷や飯」を食ってはおらず、冷や飯を食ったことがない人間が偉そうに冷や飯の食い方をレクチャーしているところが笑えるのであるが、結局、「自民党はそんな政党ではなかったはずだ」という石破の認識の方が正しいのである。そもそも「冷や飯食うぐらいの覚悟を持って戦おう」というのは負け戦が分かっている候補者が支持者に対して言うことで(二番目の発言で麻生本人もそう言っている)、勝ち組の麻生が言うと逆に負け惜しみのように響いてくるから面白い。

 決して賢くはないのにレクチャーは好きなようで、9月21日の記者会見で麻生は自分の頭の良さを示したい一心で無理をして事前に一生懸命数字を覚えてきて、石破が平成24年の総裁選の決選投票で獲得した89票よりも、今回の石破の議員票が73票と少なかったことを指摘して、議員総数が24年より増えていることにも触れ「常識的に89が178ぐらいにならないとおかしい。(議員総数が)倍に増えているんだから」と強調しているのだが、国会議員が「常識的」に増えたり減ったりすることがないことくらい麻生のキャリアからすれば理解できそうなのだが、バカな振りをしているというよりも正真正銘のバカなんだろうけれど、そんな人が石破に関して「善戦」と報じたメディアについては「いろんな新聞が書いているけど、よく選挙を知らない人が書いているのか、よく分かっていない人が書いているのか」と発言しており、自分が飛ばした「ブーメラン」が全て自分に刃を向けて戻ってきているのに、そのことに本人が全く気がついていないところが大いに笑えるから個人的には晩節というものがどれくらい汚れるものなのかとても興味があるから留任させて引き続き笑わせてもらいたいと思う


(2018年10月24日付毎日新聞)


(2018年11月11日付毎日新聞)


(2018年11月18日付毎日新聞)


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ゲルハルト・リヒターの「揺らめき」

2018-09-24 00:21:36 | 美術

 現在、横浜美術館で催されている『モネ それからの100年(Monet's Legacy)』は既に

書いている通りに、現代アートのアーティストたちに対してモネの一人勝ちなのであるが、

一人だけ異彩を放つ作品を描いており、それはゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter)で

金沢21世紀美術館所蔵の「アブストラクト・ペインティング(Abstract Painting)」(1997年)の

2作品である。

 リヒターはまだ現役の作家で評価は今後に委ねられると思うが、最初に見た時に光を発して

いるように見えたし、さらに画面が揺れているように見えるのであるが、「3D」までは

モネは作品に取り入れているのだが、画面そのものを「動かす」という発想はモネには

なかったもので、リヒターがモダンアートを新たなステージに押し上げているように

見えるのである。


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「モネ以降」の難しさについて

2018-09-23 00:51:15 | 美術

 現在、横浜美術館で催されている『モネ それからの100年(Monet's Legacy)』は

フランスの画家であるアンドレ・マッソン(André Masson)の「つまり、モネは印象派ではなく、

あらゆる現代美術の生みの親ではないのか?」という言葉から始まっている通りに、モネの

作品と同時にモネに影響を受けた国内外の現代アートのアーティストたちの作品も展示されている。

 しかしここで作家は作品を観ながら厳しい現実にも直面することになるだろう。現代アートの

ヴィデオ作品ならまだ人だかりができてもいるのだが、モネの作品には大勢の観客が集まって

いるにもかかわらず、モダンアートの作品にはなかなか観客の足が止まらないのである。

しかしそれは決して現代アーティストが劣っている訳ではなく、モネがあらゆる方法論を

やり尽してしまったことによるからであろう。何と言っても『ヴィレの風景(Landscape, Villez)』

という「抽象絵画」を1883年、43歳の時にモネは描いているのである。


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『累-かさね-』

2018-09-22 00:41:23 | goo映画レビュー

原題:『累-かさね-』
監督:佐藤祐市
脚本:黒岩勉
撮影:谷川創平
出演:土屋太鳳/芳根京子/横山裕/筒井真理子/生田智子/村井国夫/檀れい/浅野忠信
2018年/日本

演技巧者に頼り過ぎる作品について

 口紅を使って自分の顔を変えるというこの「SF映画」は、さすがに土屋太鳳と芳根京子の2人の演技巧者によって描かれるだけあって最後まで緊張感がみなぎった素晴らしいものではあるが、長編の原作漫画をだいぶ端折ったためにただの「顔」の取り合いになってしまっている。例えば、舞台と私生活とまるで別人のように感じる淵累に関して疑問を抱いた、丹沢ニナが女優を志すきっかけとなった若手演出家の烏合零太が「彼女」の正体を探るという展開があってもよかっただろうし、その流れでラストにサロメが殺されるというもうひと展開があってもよかったように思う。そのような恋愛の要素を奪ってしまうと、『累ヶ淵』から『サロメ』へと流れるストーリーに組み込まれている悲恋の要素が活きてこないように思うのである。
 印象的なシーンをひとつ挙げるなら、淵累の顔に変わっている丹沢ニナがその傷ついた顔を隠すことなく外出している場面で、自分の顔ではないと吹っ切れていれば顔の傷は気にならない可能性が示されている。もちろん吹っ切ることが大変なのではあるのだが。


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『響 -HIBIKI-』

2018-09-21 00:58:21 | goo映画レビュー

原題:『響 -HIBIKI-』
監督:月川翔
脚本:西田征史
撮影:鍋島淳裕
出演:平手友梨奈/北川景子/アヤカ・ウィルソン/高嶋政伸/柳楽優弥/吉田栄作/小栗旬
2018年/日本

「アンドロイド」としての平手友梨奈について

 本作をどのように評価すればいいのかよく分からない。そもそも純文学好きにとっては荒唐無稽な物語設定に我慢できない可能性もあるだろうし、主人公の鮎喰響を演じた平手友梨奈の演技に疑問を持つ人もいるだろうが、例えば、平手友梨奈が演じた鮎喰響が「ターミネーター」のような「心を持ちつつあるアンドロイド」と捉えてみるならば、なかなか面白い「SF映画」なのではないだろうか。
 つまり芥川賞と直木賞を同時に取れるほどの「完璧」な小説を書けるのだが、まだ感情をコントロールできない響は暴力を厭わず、徹底的に相手を負かしてしまい、学校の屋上から落ちても怪我も痛がりもせずに何事もなかったかのようにそのまま歩いて去っていき、だから走って来る列車の線路上に立っていても怖がらずにいられるのであろう。
 そのような設定であるならば、逆に響の家庭環境はベールに包まれていた方がいいはずで、母親に頼まれてお使いに行ってしまうシーンは余計だったのではないだろうか。
 さらに付け加えることがあるならば、響が受賞した「木蓮新人賞」は「第49回目」なのであるが、ここは「46」でしょうが!、と思わずツッコミを内心入れた次第である。


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