MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『検察側の罪人』

2018-08-31 00:49:53 | goo映画レビュー

原題:『検察側の罪人』
監督:原田眞人
脚本:原田眞人
撮影:柴主高秀
出演:木村拓哉/二宮和也/吉高由里子/平岳大/八嶋智人/大倉孝二/松重豊/山崎努
2018年/日本

「不良」から「正義」という「振り幅」の効果について

 予告編を見た限りではエリート検事の最上毅と新人検事の沖野啓一郎の法律の解釈を巡る対立かと思いきや、実際は2017年現在から23年前に北海道の大学の学生寮において家族ぐるみで付き合いがあった中学生の久住由季の殺害に対する復讐と、第二次世界大戦時に起こったインパール作戦に巻き込まれた祖父を持つ最上の「反戦思想」による確信犯としての犯行が展開され、最上の怨念の度合いは友人の丹野和樹の妻の怪しい宗教団体の存在も加わってもはや今どき珍しく横溝正史レベルである。
 主役を演じた2人の熱演もあって画面には終始緊張感がみなぎって見応えはあるのだが、長編小説を2時間で描いたためなのかわかりにくいという難点はある。
 ところで個人的に気になるのは木村拓哉と二宮和也の関係ではなく、木村拓哉と福山雅治の関係である。木村は前作『無限の住人』(三池崇史監督 2017年)で、福山は前々作『SCOOP!』(大根仁監督 2016年)で「不良」を演じており、木村は本作で検事を演じており福山は前作『三度目の殺人』(是枝裕和監督 2017年)で弁護士を演じているのである。この符合が興味深く、『SCOOP!』の原作が本作の監督の原田眞人という偶然もあるのだが、これが広告代理店のリサーチによるものならば2人が「不良」を演じて興行的に失敗した作品は一体何のために製作されたのかよく分からない。
 作中で使用されていたダイナ・ワシントンの「クライ・ミー・ア・リバー」を和訳しておきたい。

「Cry Me a River」 Dinah Washington 日本語訳

あなたは今孤独だと言う
一晩中泣いていたとも言っていた
それならば私の前で泣いてもいいのよ
流れる涙が川のようになるくらいに
あなたを巡って私は散々泣かされてきたのだから

あなたは今誠実でなかったことを申し訳ないと謝る
今更何なの?
ただ私の前で泣けばいいのよ
流れる涙が川のようになるくらいに
あなたを巡って私は散々泣かされてきたのだから

あなたは流す涙も無いくせに
私を無我夢中にさせた
憶えてるの?
私はあなたが言ったこと全てを憶えている

愛などゲスの極みだとあなたは言った
私とはもう赤の他人だとあなたは言った
今のあなたは私のことを愛していると言う
それならばそれを証明するために
頑張って私の前で泣いてみせてよ
流れる涙が川のようになるくらいにあなたが泣くところを私は見てみたい
だって私はあなたのために泣くことに飽きてしまったのだから

Dinah Washington - Cry Me a River


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「Surrender」 Cheap Trick 和訳

2018-08-30 00:54:20 | 洋楽歌詞和訳

Cheap Trick - Surrender (from Budokan!)

 8月22日に放送されたベストヒットUSAでチープ・トリックの「サレンダー」が流されて

歌詞の内容を確認しようといくつかの和訳サイトをチェックしてみたのだが、正確な和訳が

見当たらなかった。この曲は第二次世界大戦時のフィリピンのアメリカ婦人陸軍部隊を

モチーフにしていることを忘れてはならない。以下、和訳。

「Surrender」 Cheap Trick 日本語訳

母親が僕に言った
彼女が僕に言ったんだ
「私はあなたのような少女たちに会ったことがある」と
彼女は僕にこうも言った
「手を出してはいけない
あなたは自分が何を取り込んだのか絶対に分からないのだから」
別の日には僕はやせ衰えたある兵士の話を聞いた
数種類のインドネシア製の麻薬が出回っていたんだ

母親は大丈夫だし
父親も大丈夫
2人はちょっと変わっているように見えるだけ
降服はしても正体を明かしてはいけない

父親は言う
「君の母親は正しい
僕たちが結婚する前に
彼女は物事に精通していた
母親はフィリピンの陸軍婦人部隊員として尽くしていた」
今僕はその戦争時に陸軍婦人部隊が
オールドミスと呼ばれていた女性たちを雇っていたことを聞いたけれど
母親はオールドミスとして雇われていたのではなかった
僕はその当時の母親のことを教えられた

母親は大丈夫だし
父親も大丈夫
2人はちょっと変わっているように見えるだけ
降服はしても正体を明かしてはいけない

この季節に一体何が起こったのか?
僕がたびたび思い出すことは
あの年の「負け犬たち」はどこへ消えてしまったのかということ
でも僕が目覚めた時
両親は精神鑑定を受けていて(=on the couch)
マリファナタバコを用意して(=roll a number)
僕のキッスのレコードをかけて
イカれていた

母親は大丈夫だし
父親も大丈夫
2人はちょっと変わっているように見えるだけ
降服はしても正体を明かしてはいけない

 つまりこの曲は戦争で外傷を負ったことは認めても、世間体を保つために心に深刻な

トラウマを負ったことを明かしてはいけないという意外とシリアスな内容の歌なのである。

Cheap Trick - Surrender (Audio)


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「Aretha」 Rumer 和訳

2018-08-29 01:19:36 | 洋楽歌詞和訳

Rumer - Aretha

ソウルの女王アレサ・フランクリンさん、76歳で死去

 アレサ・フランクリンに関して検索していたらルーマーの「アレサ」という曲を見つけた。

以下、和訳。

「Aretha」 Rumer 日本語訳

私は朝はアレサを聴いていた
ヘッドフォンで大音量で学校に通っていた
私は春にはブルースを聴いていた
だって私は自分にとって正しい「靴」は絶対に見つけられないと分かっていたから

彼女は気がついていたけれどいつも泣いていた
私には信頼できる人は一人もいない
アレサ、あなたを除いては
彼女は気がついていたけれど
いつも心の中で何かと格闘していて
ガラスが壊れるような音がする

私は朝はアレサを聴いていた
ヘッドフォンで大音量で学校に通っていた
私は春にはブルースを聴いていた
だって私は自分にとって正しい「靴」は絶対に見つけられないと分かっていたから

「あなたには分かる
はっきり言いなさい
あなはには分かる
はっきり言いなさい」

アレサ
私は学校に行きたくない
だって誰も私を理解してくれないから
学校は地獄でしかない

「娘よ
歌いなさい
声を上げるのよ
自分で立ち上がって
そこから飛び出して新しい道を歩むのよ」

私は朝はアレサを聴いていた
ヘッドフォンで大音量で学校に通っていた
私は春にはブルースを聴いていた
だって私は自分にとって正しい「靴」は絶対に見つけられないと分かっていたから
でも私は理解できた


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「Goodbye Girl」 David Gates 和訳

2018-08-28 18:47:53 | 洋楽歌詞和訳

David Gates - Goodbye Girl (1978)

米劇作家ニール・サイモン氏死去 「おかしな二人」などでトニー賞

 ニール・サイモンという人はてっきり「過去の偉人」だと思っていた。ここではデヴィッド・

ゲイツが歌った「グッバイ・ガール」を和訳しておきたい。

「Goodbye Girl」 David Gates 日本語訳

君は人生を賭けて普遍の愛を待っている
今僕が君を見つけたのだから
君は黙って去っていってはいけないんだ

君が以前にも聞いたことがある言葉を信じることが
難しいことは分かっているけれど
もう一度だけその言葉を信じなければならないんだ

だって「さよなら」は「永遠の別れ」を意味するわけではないのだから
僕が君に伝えるさよならは
「僕たちが再び一緒になることはあり得ない」という意味ではないんだ
もしも君が目覚めた時
僕が隣にいなくても
僕はすぐに戻ってくるつもりなんだ
だって別れを心配しすぎる君の仕種が
僕を君の元に戻してくれるのだから

君がまた傷つくことを恐れていることは分かっている
君は降参する代わりに
僕に感じる愛と格闘している

でも僕が君にとって、君が僕にとってお似合いであると
君が理解することを手伝うために僕は永遠に待つことができるんだ

だから「さよなら」は「永遠の別れ」を意味するわけではないことは忘れないで欲しい
僕が君に伝えるさよならは
「僕たちが再び一緒になることはあり得ない」という意味ではないんだ
僕たちが遠く離ればなれになるとしても
君はずっと僕の心を掴んでいるのだから
だから君の過去は忘れて欲しい
だって君はついに「我が家」にたどり着いたのだから


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グラフィックデザイナーと化す藤田嗣治

2018-08-27 00:52:21 | 美術

 現在、東京都美術館で催されている「藤田嗣治展」はとても興味深いものだった。藤田といえば「乳白色(blancheur de lait/blanc Foujita)の肌」、あるいは「素晴らしき乳白色の地(grand fond blanc)」の裸婦像で有名で、1913年の渡仏後、そこに至るまでは他の画家と同様に紆余曲折はしている。

 

 上の作品「花を持つ少女(Young Woman with Flowers)」(1918年)の少女の顔はパブロ・ピカソ(Pablo Picasso)のキュビスムを想起させるものだが、実際は「親友」と呼んでいたアメデオ・クレメンテ・モディリアーニ(Amedeo Clemente Modigliani)からの影響らしい(もはやどちらでもいいのだが)。

 上の作品「フルール河岸 ノートル=ダム大聖堂(Quai aux Fleurs, Notre-Dame)」(1950年)などはモーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo)の作風を思わせるものである。


「モンマルトルのノルヴァン通り(La Rue Norvins à Montmartre)」1910年

 藤田嗣治の「乳白色」は水墨画をヒントにタルカム・パウダーを使った彼の発明ではあるのだが、藤田本人はあくまでも他の画家との違いを示す「キャラ」としての画法という認識で、それほどこだわりがないように見える。

 上の作品「優美神(The Three Graces)」(1946-1948年)でも見られるように藤田は「乳白色」と同様に意外とけばけばしい色彩も好きだったようである。
 そこで気になってくるのが晩年の藤田の作風である。


「すぐ戻ります 蚤の市(I'll Be Back Soon)」(1956年)


「礼拝(Adoration)」(1962-1963)

 上の作品のように藤田の晩年の作風は限りなくグラフィカルに近づいている(「礼拝」では自身と君代夫人を描いておりふざけている)のだが、そこで重要な作品として「争闘 猫(Combat Cats)」(1940年)を挙げてみたい。

 実物を観るとよくわかるのだが、この作品は「下地」となる猫の身体を描いた後に、ペンで猫の顔の表情を細い輪郭線で描いているのである。さすがの藤田嗣治であってもモダンアートの流れには逆らえなかったのではないだろうか。


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『現代日本 子供篇』

2018-08-26 15:09:51 | goo映画レビュー

英題:『Sons and Daughters of the Rising Sun』
監督:藤田嗣治
撮影:三浦光雄
1937年/日本

国辱とされた日本の子供たちについて

 国際映画協会の要請により日本の風俗を紹介する目的で、「子供」「婦人」「娯楽」「都会」「田園」の5作品が制作されたようなのだが、現在残っているのは「子供篇」だけである。現在、東京都美術館で催されている「藤田嗣治展」で観ることができる。
 四国の松山でロケされた作品は1935年の9月に完成し、12月に完成試写会が催されたのであるが、描かれている地方風俗が外国に誤解を与え、国辱的だとして翌年1月の海外公開は見送りとなったらしい。
 しかしこの8分38秒の短編映画のストーリーは友人を迎えにきた男の子や、弟に散髪させるために床屋まで送って来た姉などが「桃太郎」の紙芝居を見たことで感化されてチャンバラごっこを始めて差し違いや切腹などを演じた後に、「おもしろかったわね」という姉の言葉を合図のようにして子供たちがそれぞれ家に帰っていくというもので、日本的要素を満遍なく取り入れてはいるのである。一体、国際映画協会が藤田に何を撮らせようと目論んでいたのかは今となっては謎である。


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『銀魂2 掟は破るためにこそある』

2018-08-25 21:46:32 | goo映画レビュー

原題:『銀魂2 掟は破るためにこそある』
監督:福田雄一
脚本:福田雄一
撮影:工藤哲也/鈴木靖之
出演:小栗旬/菅田将暉/橋本環奈/佐藤二朗/長澤まさみ/岡田将生/吉沢亮/中村勘九郎
2018年/日本

破られた場合の「掟」の高い代償について

 ところで昨今の日本の「ヒーロー」の現状はどうなのかというと、『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』(三池崇史監督 2017年)、『鋼の錬金術師』(曽利文彦監督 2017年)、『BLEACH』(佐藤信介監督 2018年)と興行的には厳しい状況が続いている中、本作が上手くいっている理由は、最初からハリウッド映画に対抗しようという意識がなく、さらに主演の小栗旬が日本アカデミー賞関連の受賞を完全に諦め、逆に活き活きと演技ができたからであろう。
 だから日本における「ヒーロー」は仮面ライダーやゴレンジャーのように端から子供向けの作品として制作されたほうが日本人の身の丈に合った活躍ができるのである。


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『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』

2018-08-24 00:33:06 | goo映画レビュー

原題:『Solo: A Star Wars Story』
監督:ロン・ハワード
脚本:ジョナサン・カスダン/ローレンス・カスダン
撮影:ブラッドフォード・ヤング
出演:オールデン・エアエンライク/ウッディ・ハレルソン/エミリア・クラーク/ヨーナス・スオタモ
2018年/アメリカ

御座なりのスピンオフ作品について

 マーベルコミックスのキャラクターや『ミッションインポッシブル』のイーサン・ハントと並び称されるほどに『スター・ウォーズ』のハン・ソロは魅力的なキャラクターであるはずなのだが、そのハン・ソロを主人公にした本作のつまらなさは一体何なのだろうか。確かに撮影途中で監督が代わってしまったというようなアクシデントがあったものの、それくらいでこれほど面白くなくなるということがあるのだろうか。
 さすがにベテランのロン・ハワードが監督を務めただけはあってストーリーに破綻はない。例えば、ハン・ソロとチューバッカの初対面が閉じ込められた檻の中の決闘の場面だったり、作品前半でハン・ソロがポーカーでランド・カルリジアンに引っかけられたことのお返しを最後にすることで2人の友情が芽生えるなど「青春映画」としてのセオリーは踏襲しているものの、逆にそれが既視感を増幅させたためなのかハン・ソロがアウトローと化した動機が伝わってくることなく、その上、全体的に画面も暗く、制作意図が最後まで全く理解できなかった。


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『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』

2018-08-23 00:47:20 | goo映画レビュー

原題:『Mission: Impossible – Fallout』
監督:クリストファー・マッカリー
脚本:クリストファー・マッカリー
撮影:ロブ・ハーディ
出演:トム・クルーズ/ヘンリー・カヴィル/ヴィング・レイムス/サイモン・ペッグ
2018年/アメリカ

本物の「肉体派俳優」について

 クライマックスを爆弾の導線の切断というお決まりの展開が却ってかつて「スパイ大作戦」と呼ばれていた時代を思い出させる。
 ところで「肉体派」として知られている俳優としてかつてはアーノルド・シュワルツェネッガーやシルベスター・スタローンの名前が挙げられていたものだが、本作の主人公のイーサン・ハントを演じたトム・クルーズは前半のヘイロジャンプやカーチェイスを経て、オーガスト・ウォーカーを追跡するためにパリ市内の屋上を走り回り、カシミール地方でもウォーカーを捕らえるために彼らが乗る2台のヘリコプターの片方から垂れているロープにしがみ付き(上の写真)、ロープをよじ登って乗っていた2人を突き落としてハント自身が操縦してウォーカーが乗っているヘリコプターを追跡し、2つのヘリコプターが山頂に激突した後に、崖っぷちでウォーカーと戦い、2人ともに谷底へ転落しそうになったのだが、ハントが辛うじてロープにしがみついて助かってから崖の上にある起爆装置を停止させるためにボルダリングで登ってスイッチを押すのである。
 マーベルのキャラクターでさえ何らかの超能力を持っており、あるいはジェームズ・ボンドならば秘密兵器を持たされているのだから、いまやトム・クルーズは見た目ではない本物の「肉体派俳優」と言っても過言ではないだろう。
 ちなみに「フォールアウト(Fallout)」とは核爆発後の放射性降下物、いわゆる「死の灰」の意味である。


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『インクレディブル・ファミリー』

2018-08-22 00:55:04 | goo映画レビュー

原題:『Incredibles 2』
監督:ブラッド・バード
脚本:ブラッド・バード
撮影:マイヤー・アブサエディー/エリック・スミット
出演:クレイグ・T・ネルソン/ホリー・ハンター/サラ・ヴァウエル/ハック・ミルナー
2018年/アメリカ

「信じられない」というタイトルの真意について

 バットマンにしてもスーパーマンにして正義として振る舞う自身の行動に疑問を持ちながら戦っており、絶えずその「実存」を自問しながら暗く孤独なバックグラウンドを持ったキャラクターであったことを思うと、いまや家族を持ち、そのうえ戦闘は妻のヘレンに任せて主人公(のはず?)のボブ自身は子供たちの面倒を見ているという光景は、すっかりかつてのヒーロー像が変わってしまっているのだが、それが「甘い」のかアイロニーなのか微妙なところではあるものの、おそらくアニメーションだからストーリーに説得力を持たせられるシチュエーションではあるのだろう。
 クライマックスの、船がベイエリアの街に突っ込んでいくシーンなど実写に負けない迫力には感心してしまった。


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