MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『花様年華 In the Mood for Love』

2016-03-31 00:08:03 | goo映画レビュー

原題:『花様年華』 英題:『In the Mood for Love』
監督:ウォン・カーウァイ
脚本:ウォン・カーウァイ
撮影:クリストファー・ドイル/リー・ピンビン
出演:トニー・レオン/マギー・チャン/レベッカ・パン/ライ・チン/スー・ピンラン
2000年/香港・フランス

醸し出される「ムード」の由来について

 1962年の香港を舞台とした本作は同じ日に同じアパートに引っ越してきた新聞記者のチャウ・モーワン夫妻と、夫を伴って商社の秘書として働くチャン夫人との微妙な関係が描かれることになるのであるが、本当に不倫関係に陥ったと想像されるチャウの妻とチャン夫人の夫は決して姿を現すことはなく、置いてけぼりにされたチャウとチャン夫人が一緒に食事をしたり、チャウが小説を書くために借りた部屋にチャン夫人が訪れたりするだけで、ついでに夫の浮気を問い詰める練習をしたり、不倫をしているわけではない2人が別れる練習をしたりするくらいである。
 つまり不倫をしている2人よりも、不倫することをためらっている2人の方がタイトルに相応しく「愛する雰囲気になっている(In the Mood for Love)」のであるが、この「ムード(mood)」は2人の本心なのか浮気された腹いせなのか生活環境によるものなのか「美男美女」によるものなのか正直よく分からない。


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オリビア・ニュートン=ジョンと尾崎亜美

2016-03-30 00:06:36 | 邦楽

南沙織さん『春の予感』の歌詞

 2016年3月28日に放送されたフジテレビ「FNSうたの春まつり」を見ていて南沙織が

1978年1月にリリースした「春の予感」を歌っているVTRが流れていたのであるが、

その歌の副題に「I've been mellow」と書かれており、これはオリビア・ニュートン=ジョン

(Olivia Newton-John)が1975年1月にリリースした「その風の誘惑」の原題である

「Have You Never Been Mellow?」という質問に対するアンサーソングであることに気がついた。

「春の予感」は尾崎亜美によって書かれたもので、尾崎亜美には『オリビアを聴きながら』という

杏里が1978年11月にリリースした曲もあり、尾崎亜美がオリビア・ニュートン=ジョンに

多大なる影響を受けていることが分かる。

 杏里さん『オリビアを聴きながら』の歌詞


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「ナイトホークス」と「夜のカフェ」

2016-03-29 00:03:30 | 美術

 3月26日にテレビ東京で放映された「美の巨人たち」は「ホッパーの最高傑作ミステリー

ナイトホークスに新説」とラテ欄に書かれてあったので、どれほどのものなのか楽しみにして

見ていたのであるが、何とエドワード・ホッパー(Edward Hopper)の『ナイトホークス(Nighthawks)』

(1942年)はフィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)の『夜のカフェ(The Night Café)』

(1888年)に影響を受けているという説だった。

 しかしこのように見比べてみると、主題以外は全く似ていない。もっともこの説を唱えている

エドワード・ホッパーの伝記作者ゲール・レヴィン(Gail Levin)は、この作品に加えて

アーネスト・ヘミングウェー(Ernest Hemingway)の短編小説「殺し屋」(The Killers)や

1930年代のギャング映画にも影響を受けていると書いているのだから、そこの説明も

なければ訳が分からない。その詰めの甘さがNHKの「日曜美術館」に追いつかない原因なので

あるが、「美の巨人たち」には「日曜美術館」にはないポップさはある。だから両方兼ね備えた

番組が一刻も早くできないものなのかと待ち続けているのである。


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『アリゾナ・ドリーム』

2016-03-28 00:02:52 | goo映画レビュー

原題:『Arizona Dream』
監督:エミール・クストリッツァ
脚本:エミール・クストリッツァ/デヴィッド・アトキンス
撮影:ヴィルコ・フィラチ
出演:ジョニー・デップ/ジェリー・ルイス/ヴィンセント・ガロ/フェイ・ダナウェイ/リリ・テイラー
1994年/アメリカ

過酷な「アリゾナ・ドリーム」について

 両親の死後、ニューヨークに出てきて水産局に勤める23歳のアクセルは、叔父のレオの結婚式の付添人として6年振りに故郷アリゾナに戻って来た。彼の両親の死はレオの運転していた自動車の事故によるものだったため、彼はアクセルに報いようと自分の経営する中古車販売所の手伝いを頼んだ。アクセルはそこに客として来ていた未亡人のエレインと亡き夫の連れ子であるグレースと出会い、やがて彼女たちの家に住み着くようになる。エレインとアクセルは空を飛ぶ夢を実現するために小型飛行機を制作し始める。2人は年の差を超えて愛し合うようになるが、それを快く思わないグレースは出来上がる度にその飛行機をぶち壊す。
 「アリゾナ・ドリーム」というタイトルの作品ではあるが、ここにおいて夢などは存在しない。夢は実現した時点で既に夢ではなくなっているからで、それでも人がありもしない夢を追っているとするならば、夢を実現するまでのプロセスを楽しむためであろう。だからアクセルにとってエレインと同様に、夢をぶち壊すグレースも大切な存在なのであり、やがて彼がグレースを愛するようになるのもごく自然なのである。また男性に対して抱く夢が結婚として実現してしまうことを防ぐためにエレインが自分の夫を射殺してしまい、全てを手に入れたレオが自殺してしまう理由も同じで、ラストシーンで元々自殺願望があったグレースが自殺してしまう理由は、人はいつまでも夢に浸っていることができず、いやでも現実に生きる大人にならざるを得ないからである。
 もはやコロンブスの頃のような、あるいはエスキモーのような絶えず新しい発見があるようなアメリカン・ドリームは存在せず、残っているのは斯くも過酷な「アリゾナ・ドリーム」だけなのであろう。


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「In the Deathcar」 Iggy Pop 和訳

2016-03-27 00:18:10 | 洋楽歌詞和訳

 2016年3月25日のBS朝日の「ベストヒットUSA」にシャーベッツの浅井健一が

出演してタコ(TACO)「踊るリッツの夜(Puttin' On the Ritz)」をリクエストしており当時と

今聴くのとでは印象が違っていたらしくがっかりしていた。確かに今改めてこの曲を聴くと

意外と単調な感じがした。同じ雰囲気の曲ならば映画『アリゾナ・ドリーム(Arizona Dream)』

(エミール・クストリッツァ監督 1993年)で音楽を担当したゴラン・ブレゴヴィッチ

(Goran Bregovic)が作曲し、イギー・ポップ(Iggy Pop)が歌った「In the Deathcar」を

勧める。以下、和訳。

「In the Deathcar」Iggy Pop 日本語訳

夜に強風がヒューヒューと唸って吹いている
僕の犬は暗闇に向かって吠えている
何かが僕を外に連れ出して
堂々巡りをさせようとする
君に時間があることは分かっている
僕がしたいことを君は何でもするから
君はどのように感じるのかも分からない見知らぬ者たちの中を突っ切れる
僕たちは死の車の中で生きている
僕たちは死の車の中で生きている

僕は窓から新鮮な空気を取り入れて
ようやく目覚める
ラジオをつけることはない
流れてくる音楽がク...みたいなもんだから、分かるだろう?
君の手が僕のあそこに触れる時には
本当に驚いた
今全ては終わった
僕たちは静寂に囲まれている
僕たちは死の車の中で生きている
僕たちは死の車の中で生きている
だからマンドリンでも弾いてくれ

僕が君に触れた時
君にはまだ太った赤ん坊がいるように感じた
赤ん坊の息が少しでもかかるだけで
僕は死に関して忘れられるんだ
いい年をして君はまだ冗談を言っている
息詰まっている時間はないのだから
今僕たちは映画を観て
正確にお互いを確認しあえることができる
僕たちは死の車の中で生きている
僕たちは死の車の中で生きている
僕はマンドリンを聴きたいよ

Goran Bregovic & Iggy Pop - In the Death Car - (Official Video)


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「非情の町」 ジーン・ピットニ― 和訳

2016-03-26 00:30:03 | 洋楽歌詞和訳

 NHK-BSプレミアムで2月28日に放送された「笑う洋楽展」において「リーゼント」

くくりで、ジーン・ピットニ―(Gene Pitney)の「非情の町(Town Without Pity)」という

懐かしい曲がかかっており、歌詞の内容を知らなかったので和訳してみた。

「Town Without Pity」 Gene Pitney 日本語訳

君たちが若くて
僕たちのように愛し合っていて
僕たちのいる世界に翻弄される時
何故みんな僕たちをそんなに傷つけるのだろう
恋をしている者たちだけが
町が冷淡だからこそできることを知ることになる

もしも僕たちが星を見つめることを止めるならば
僕たちがどれほど酷い奴らかと噂が広がる
僕たちの世代は激しく
檻の中のトラみたいなものだ
それは町が冷淡だからこそできるのだ

若者は多くの問題を抱えている
僕たちには寛大な心が必要なのだ
この土と花崗岩で覆われた惑星が割れる前に
何故誰もが僕たちを助けようともしないのだろうか?
この欲望に溢れた唇を奪って
すぐに僕を抱きしめて欲しい
僕はこんな至福の時が続けられないことを心配している

どうすれば僕たちは愛を死なせずにすむだろうか?
卑劣な心情を持った者たちが君たちを別れさせる時
愛以外の何が生き残れるというのだろうか?
それは町が冷淡だからこそできるのだ

どうすれば僕たちは愛を死なせずにすむだろうか?
卑劣な心情を持った者たちが君たちを別れさせる時
愛以外の何が生き残れるというのだろうか?
それは町が冷淡だからこそできるのだ

冷淡な町がすることはとんでもなく酷いことだ

SUSAN ACTESON - Town Without Pity (Live on Weekend Wogan) Dec 2010


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『グッドナイト・ムーン』

2016-03-25 00:03:42 | goo映画レビュー

原題:『Stepmom』
監督:クリス・コロンバス
脚本:ジジ・レヴァンジー/ジェシー・ネルソン/スティーヴン・ロジャース
    カレン・リー・ホプキンス/ロン・バス
撮影:ドナルド・M・マカルパイン
出演:ジュリア・ロバーツ/スーザン・サランドン/エド・ハリス/ジェナ・マローン
1998年/アメリカ

年齢差と病気が気になる母親バトルの物語について

 「継母」という原題を持つ本作が必ずしも継母と実母の葛藤に結びついていない原因は、12歳の娘のアンナ・ハリソンの実母のジャッキー・ハリソンを演じたスーザン・サランドンが当時52歳で、継母となるイザベル・ケリーを演じたジュリア・ロバーツが当時31歳であるためで、二人の年の差が20歳となり、アンナとイザベルの年の差も20歳くらいだから、継母と実母の葛藤というよりもジェネレーションギャップの問題になってしまっているからである。その上、ジャッキーはガンを患ってしまっているので、なかなか対等な立場でやり合うことも難しく、例えば、アンナが好きなロックバンド「パール・ジャム(Pearl Jam)」のコンサートを巡るお互いの駆け引きなど面白いのであるが、後半は「病気もの」になってしまっているのである。
 ところで同級生のブラッド・コヴィッツキーにからかわれたアンナを慰めて、仕返しの仕方を伝授するイザベルが教えた言葉に「スノーブロー(snow blowing)」がある。「スノーブローという言葉の意味も知らない子供と付き合うつもりはないわ」というセリフをいわせるのであるが、イザベルはアンナに「スノーブロー」の本当の意味までは教えない。このような「難解な」言葉をイザベルがアンナに教えた理由は、本作でネタにもされているように1998年のビル・クリントン元大統領とモニカ・ルインスキーの「不適切な関係」事件も影響していると思うが、同級生たちの目の前でアンナがブラッドに「雪だるまのクソ女(Frosty the Snow Bitch)」と罵られたからで、「雪(snow)」という言葉をかけたのである。因みに「スノーブロー」の意味は女性が男性の精液を口に含んだ後にそのまま男性の口にキスをしながら吐き出す光景を表現したものである。


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『顔』

2016-03-24 00:32:50 | goo映画レビュー

原題:『顔』
監督:阪本順治
脚本:阪本順治/宇野イサム
撮影:笠松則通
出演:藤山直美/佐藤浩市/豊川悦司/大楠道代/國村隼/牧瀬里穂/渡辺美佐子/岸部一徳
2000年/日本

タイトルになっている「顔」の所有者について

 当初はタイトルになっている「顔」が誰の顔なのか分からなかった。ストーリーの流れで勘案するならばこの場合の「顔」は藤山直美が演じる主人公の吉村正子の顔であろうし、実際に正子は妹の吉村由香里を殺した容疑で全国に指名手配のビラが配られており、さらには藤山直美の顔の渡辺直美ばりのインパクトも手伝って正子の顔と認識されるであろう。
 しかしながらそれにしては正子の顔には変化が乏しい。確かに逃走途中で自転車から落ちて地面に打ちつけて顔を腫らしたり、ホステスとして働くようになると化粧を施すなど顔に多少の変化はあるものの、ストーリーに影響をもたらすほどのものではないのである。
 母親の吉村常子が亡くなるまで正子は家に引きこもった状態の生活で、母親が営むクリーニング店の二階で洋服のかけはぎの仕事をしていた。正子の密かな楽しみは、例えば、洋服の柄の動物を見ながら外で動物たちとピクニックしている自分を想像したり、テレビを見たり『カトリーヌの涙』という少女マンガを読んだりすることで、正子はいわゆる「腐女子」なのである。
 家を飛び出した正子は男に強姦されたり、勤め先のラブホテルの花田英一社長が自殺したりスナック「律子」の女将の弟の中上洋行が殺されたりとロクなことがないのであるが、それでも見つけた唯一の希望は生まれ変わったら会いたいと思わせた池田彰の存在である。つまりタイトルの「顔」とは正子の妄想をかき立てた池田彰の「イケメン」なのである。


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「PERFECT HUMAN」と「江南スタイル」

2016-03-23 00:02:53 | 邦楽

オリラジ率いるRADIO FISH「PERFECT HUMAN」でTGC出演後を直撃!大反響で「こんなこと今までなかった」

 お笑いコンビ「オリエンタルラジオ」を中心とした6人組ダンス&ボーカルユニット「RADIO FISH」

の「PERFECT HUMAN」がPSY(サイ)の「江南スタイル」のパクリだという指摘があるのだが、

正確を期すならばパクリではなくパロディーであろう。何故ならば聴き比べればすぐに分かるが、

「PERFECT HUMAN」と「江南スタイル」のメロディーラインはほぼ同じで、中田敦彦はPSYと

同じようにサングラスをかけているからで、要するに「江南スタイル」でPSYが巨体を揺らして

踊っているよりもスリムな中田たちのダンスの方が「完璧」だというパロディーが面白いはずなので

あるが、どうやら「PERFECT HUMAN」はオリエンタルラジオの代表作である「武勇伝」の

延長線上の作品として理解されているように見える。日本においてはPSYの「江南スタイル」は

アメリカほど大ヒットしなかったからであろう。当初本人たちがどのような意図でもって

作ったのか寡聞にして知らないのではあるが、お笑いのネタとして披露するならともかく、

独立した楽曲としてリリースするとなると著作権の問題があるような気がする。


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『ベニスに死す』

2016-03-22 00:41:28 | goo映画レビュー

原題:『Morte a Venezia』 英題:『Death in Venice』
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
脚本:ルキノ・ヴィスコンティ/ニコラ・バダルッコ
撮影:パスカリーノ・デ・サンティス
出演:ダーク・ボガード/シルヴァーナ・マンガーノ/ビヨルン・アンデルセン
1971年/イタリア・フランス

届きそうで手の届かない「美」の残酷性について

 ミュンヘンに住む初老の作曲家であるグスタフ・アシェンバッハは病気療養のためにヴェネチアのリト島へ赴く。グスタフは幼い娘と死別し、新曲は観客の酷評を受けたりして精神的にも疲れ切っていた。彼は現実が堕落をもたらし、自分の音楽で英知や真理や人間的尊厳を創造しようと考えていたが、彼の友人のアルフレッドは天才は天から与えられた狂気であり、自然が贈った罪深いひらめきで、邪悪も必要だと説く。気を紛らせるために売春宿に行ったが、邪悪さに嫌悪を感じているグスタフは結局何もできなかった。同じ頃バカンスでヴェネチアに家族と一緒に来ていた美少年のフランス人であるタジオ・モールズを見たグスタフは、その余りの美しさに魅せられてしまう。
 グスタフはヴェネチアにアジアコレラが流行っていることを知り、ミュンヘンに帰ろうとしたがタジオを忘れることができずリト島に戻ってしまう。恋愛に目覚めたグスタフは髪を黒く染めて、口紅やファンデーション、アイシャドーを塗り、タジオの後を追いかけるのであるが、結局一言も声をかけられないでいた。タジオと関係を持つことは美を汚すことになるからである。
 ラストシーンでタジオの姿を海岸で眺めながらグスタフは心臓発作を起こし、髪に塗った黒い染色剤を化粧した顔に垂らしながら死んでいく。グスタフにとってタジオはまさに彼が創造したかった心理や美だったが、追いかけても声をかけられなかったということは結局人間には真理や美は届きそうで手の届かないものということであり、グスタフは美しく化粧を施した顔を黒い染料で汚しながら、コレラに犯されたベニス(=ヴィーナス、美と愛の女神)で死ななければならないのである。


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