広島のお好み焼き(いわゆる重ね焼き)は今でこそ県内全域で食べられているが、私の幼い頃(昭和40年代後半~50年代前半)は決してポピュラーな食べ物ではなかった。
少なくとも私の生まれ育った県東部(備後地方)では当時お好み焼きと言えば「混ぜ焼き」のことだった。それも大阪のような生地の美味しさを楽しむものではなく、メリケン粉の含量の多い「固焼き」で不味さをソースで誤魔化して食べるような代物だったと記憶する。母が時々作ってくれるお好み焼きの方がまだ上等だったと思う。
広島市のやり方が普及し出す時期の特定はちょっと自信がないが、昭和50年代の末辺りではなかっただろうか。大学に進学して初めて広島の焼き方を間近で見た時はひどく驚いたものだった。
あれから22年が経ち、広島のお好み焼きはほとんど食べなくなった。家では大阪のやり方で焼く。いろいろ食べてみて自分が旨いと思えるものは大阪のお好み焼きだったからだ。
「一銭洋食」から「キャベツ焼き」そして「お好み焼き」に進化を遂げる過程は興味深い。小麦粉をだしで溶いてふんわり焼き上げる技術が確立した時が子どもの「駄菓子」から大人の「食べ物」へ昇格した分岐点だと私は考えている。
少なくとも私の生まれ育った県東部(備後地方)では当時お好み焼きと言えば「混ぜ焼き」のことだった。それも大阪のような生地の美味しさを楽しむものではなく、メリケン粉の含量の多い「固焼き」で不味さをソースで誤魔化して食べるような代物だったと記憶する。母が時々作ってくれるお好み焼きの方がまだ上等だったと思う。
広島市のやり方が普及し出す時期の特定はちょっと自信がないが、昭和50年代の末辺りではなかっただろうか。大学に進学して初めて広島の焼き方を間近で見た時はひどく驚いたものだった。
あれから22年が経ち、広島のお好み焼きはほとんど食べなくなった。家では大阪のやり方で焼く。いろいろ食べてみて自分が旨いと思えるものは大阪のお好み焼きだったからだ。
「一銭洋食」から「キャベツ焼き」そして「お好み焼き」に進化を遂げる過程は興味深い。小麦粉をだしで溶いてふんわり焼き上げる技術が確立した時が子どもの「駄菓子」から大人の「食べ物」へ昇格した分岐点だと私は考えている。
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