多聞院を出てすぐに頼山陽文徳殿の標柱を見つけた。江戸時代の文人・頼山陽(らいさんよう)にゆかりのある建物だとは予想できた。
鉄筋コンクリート構造の平屋造は昭和9年(1934)竣工だから私の父と同い年だ。説明板に「…爆風で変形した屋根飾り(九輪)は当時のままです。」という記述があった。
屋根の上に目を向けると九輪は微妙に傾いていた。爆心地から1,820m離れていても莫大な圧力がかかったのである。建物は閉鎖されており中に入ることはできない。広島市がお金をかけて内部を修復し年に2回くらい(春・秋)一般に公開してもらいたいものだ。
玄関前の被爆樹木ソメイヨシノが満開だった。令和になっても花をつけるのは樹木医が手当しているからだろうが、生命力の強さに感動を覚えた。
鉄筋コンクリート構造の平屋造は昭和9年(1934)竣工だから私の父と同い年だ。説明板に「…爆風で変形した屋根飾り(九輪)は当時のままです。」という記述があった。
屋根の上に目を向けると九輪は微妙に傾いていた。爆心地から1,820m離れていても莫大な圧力がかかったのである。建物は閉鎖されており中に入ることはできない。広島市がお金をかけて内部を修復し年に2回くらい(春・秋)一般に公開してもらいたいものだ。
玄関前の被爆樹木ソメイヨシノが満開だった。令和になっても花をつけるのは樹木医が手当しているからだろうが、生命力の強さに感動を覚えた。