寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

広島市西区己斐東1丁目2に建立されたキリシタン殉教之碑

2021年06月20日 | 
広島県道265号伴広島線の下を通過しJRの線路に沿って鬼門の方角に歩を進める。目印は約150m先にある「太田川河川事務所己斐出張所」の鉄塔だ。

進路2

進路3

やがて大きなキリシタン殉教之碑が鉄塔の手前(太田川放水路の土手下)に現れた。建立時期は私が屑中学を卒業する直前だった。

碑A

碑B

碑C

碑D

碑E

殉教碑題記という刻銘のある四角い碑には公式に記録が残っている殉教者の名が記されていた(磔、火焙、斬首という処刑方法も)。17世紀の前半に穴吊の刑に処せられてあの世に旅立った者がいたことを初めて知った。

踏切

踏切2

町内案内図

碑はJR山陽本線の三谷踏切(西広島‐横川)のすぐそばにあり、踏切が「ノートルダム清心中・高等学校」の通学路の一部であることに気付いて驚いた。中山果奈さんはこの碑を何度見たのだろうか。

店

放水路

放水路2

ワッフルで有名な店の駐車場を通って土手道に出た。己斐橋の近くでウェイクボードに興じる男性を発見して苦笑した。私は「知らぬが仏…特に黒歴史については…」と呟き、西広島駅まで戻ったのである。

 刑場といえば、寛永十一年正月十二日(一六三四年)に己斐村の河畔で行なわれたヤソ教徒の火刑がある。この日処刑されたのは、麹屋の乳母である。
『がんす夜話 / 薄田太郎(昭和48年 たくみ出版)』

本


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