自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

レイモンド・A・ムーディ博士(医学博士で死後体験の研究者)

2013年02月23日 | 健全生活のために”死”の常識を反転

死とはなんだろう?  平成25年2月23日

********************

 

まだ 小学生だった頃か?眠りにつく前、

父とよもやま話をしていた。

何故か、死について、父に聞いた。 

父は、” 死? 永遠の眠りだよ。寝ているのと

変わらないよ。”と答えた。 

 

その父も 7年前 他界した。 

父に、死 とはなんでしたか? と聞きたいが、

その応えはかえってこない。

 

 について、大きくわけて、二通りの答えが

考えられる。

父 のように、死 とは意識の消滅であり、

深い眠りのようだという答えと、死 は、肉体を

脱いで、本来の魂意識に帰る とする、答えだ。

 

実際は、死 を眠りに喩えてみても、明らかに

違うことは、眠りには、覚める という暗黙の

了解があるが、死 には、永遠に自己意識が消滅する 

ということだから、覚めるという期待はない。 

 

そういう考え方を 徹底させると、人 は

唯物主義的 になるのだろう。

たった、一度の人生、感じたように、欲したように、

悔いが残らないように 思ったまま生きなければ、

損だ という感覚が 命を唯物学的にとらえた

場合、自然に湧いてくる。

 

その ”思うまま、感じるまま” の人生の歯止め

として、社会的モラルや宗教が生まれたと思って

いる方も多いかもしれない。

 

死 を考えるとき、ムーディー博士の研究資料を

題材に選んだ理由は 二つある。

それは、博士が哲学の博士課程を終了している

だけでなく、メディカルドクター(医学博士)で

あることに起因する。

 

医学博士として、死 に対して、オカルト的な

アプローチではなくあくまでも医学的臨床現場

の実例をもとに、死後の世界 の研究に

打ち込まれたこと、さらに、博士が哲学を深く

学ばれたことは、死や、真理へのアプローチは 

一つの宗教に固執することなく、さまざまな

精神的分野の角度でなされたこと。この二つだ。

 

博士は、キリスト教の家庭で教育を受けたが、

”私は、すべての宗教には偉大な真理が含まれて

いると思う” という博士の言葉にそれが示されて

いると思う。

 

博士が何故 死後の世界に興味をもたれたかは、

その著書に記されている。

1965年、ヴァージニア大学で博士が精神医学

を学んでいたときの恩師が 2度の臨死体験を

していて、”死んだ” 時の体験を、語ってくれた

ことに端を発する。

 

医学的にみれば、肉体の死=意識の消滅 

を意味するだ。それにもかかわらず、死 を

体験して、その後の世界を垣間見たという

体験話を自身の精神医学の師から聞かされた

ときの、博士の驚きは想像できる。

 

次の ”きっかけ” は、博士がノースカロライナ

近くの大学で、哲学の教鞭をとっていたときだった。

プラトンの’ファイドン’をテキストに、霊魂の不滅

をテーマ に授業していた。

 

何人かの学生たちが、臨死体験の発表をする。 

その発表の内容が、以前、聞いた恩師の ”臨死体験”

とあまりにも類似していたという。

其の後も何人もの学生たちが、死の体験をして

いたことを、クラス後に 博士のもとへ、報告に来た。

博士は、当時、数クラス受け持っていたが、一クラス

30人の学生の中で、どのクラスにも、最低一人は、

自分の死後の世界の体験を語ったという。

 

死後の世界を体験した人たちの 宗教や宗派、

社会的地位、学歴 など、それぞれ異なっていても

それらの体験に、類似点があることを、その後も 

博士は興味深く とらえていた。

 

こうして、医学界に、博士はそれらの研究を少しづつ、

発表することになる。そのうちに、知り合いの医師

たちが、自分の持っているデータを、博士に提供する

ようになる。こうして、博士は体験例を150 

ほど、集めたのだ。

 

それは、

1.担当医が臨床的に死亡判断(宣告)をした後

蘇生した実例 

 

2・大事故などで瀕死の状態にはいり、物理的に

肉体が死に行く過程の体験 の二つに分かれる。 

続く~

参考:

”かいま見た死後の世界” レイモンド・A・ムーディ・Jr. 

中山 善之訳 評論社 昭和58年

 

レイモンド博士について: バージニア大学、

大学院で哲学専攻

1969年 哲学博士号取得、 

3年間 ノースキャロライナ東部の大学で教鞭をとる。

1972年 バージニア医学大学に入学。医学博士号を取得。 

1965年 死後の世界の体験談を聞き、その後、

死後の世界体験者に面接。 特異な分野研究を行い

今日に至る。

 

 Copyright : NPO Spontaneous Healing Therapy Japan: All Rights Reserved.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ターミナルケアのための死後の知識

2013年02月22日 | 健全生活のために”死”の常識を反転

キュプラー博士とムーディ博士の研究  平成25年2月22日                     

******************

 

 

 

キュプラー博士(1926年7月8日 - 2004年8月24日)の名前を

聞いたことがあるだろうか?

パソコンを開けると、 精神科医エリザベス・

キュブラー・ロス(Elisabeth Kubler‐Ross)博士が、

米国時間の8月24日午後8時15分(日本時間8月25日)

アリゾナ州の自宅で死んだ-とある。

 

享年78歳。彼女は、1999年タイム誌が選んだ20世紀

大の哲学者・思索者100人のうちの一人でもあった”

 

極東ブログ と称する記事はこういう書き出しで始まる。

さらに、”エリザベス・キュブラー・ロス博士は、

世界的なベストセラー「死ぬ瞬間」(On Death and Dying)

の著者。

1969年に出版。この労作がきっかけとなってターミナル・

ケア(終末期医療)の分野が確立したといってもいい。”

と続く。

 

たとえば、死に対して患者が見せる反応の段階を、

キュプラー博士は以下のように定義したことは有名だ。 

否認の段階、 

怒りの段階、

取引の段階(何かにすがりたい、死なないように取引しい)、

鬱の段階(絶望)、

最期に受容の段階(死ぬことを受け入れる)

である。

 

 

           

ターミナル・ケア(終末期医療)という言葉は、まだ

日本では使われて 歴史も古くないが、セラピー協会で 

死 をとりあげるのは、ターミナル・ケアの意義に

賛同するからだ。

 

人は死ぬとき、どのような思いで死を迎えるのか

その想いがどのようなものであるかは死後に魂が

存在するのなら、其の後の魂いの行先にも 多少なり

とも影響を与えるだろう。

死 を恐れるか、自暴自棄になるか、避けたいか、

準備があるか、など、少しでも、死 を感じることは、

とりもなおさず、生 を感じること。

 

ターミナルケアーを必要としない人は、生き手いる

実感をもっと深く認識するだろうし、ケアーする人も

される人の立場で寄り添えるだろう。

さらに、死は、終わりではないことを感じてもらえれば

安らかな心持で肉体の衣を捨てることもできよう。

 

そして、今日からとりあげる、死後の世界 を 臨床的に、

探究した一人の医師がいた。

 

彼の著に、この キュプラー博士が前書きを送っている。

抜粋したい。

 

”私は、ムーディー博士の著書、’垣間見た死後の世界’

(*1)を その刊行に先だって、む機会に恵まれた。 

この新進気鋭の学者がその所見をまとめ、新しいこの種の

研究を広く社会に提示した勇気に対し、賞賛を惜しまない。 

・・・略・・・

死後にも生命が存在することを立証してくれるのは、本書

を通じて、ムーディー博士が提示したような研究である。

・・略・・私の研究成果ともぴったり一致する。 

私の研究も、私たちの想像を絶するばかりでなく、経験豊か

で名医として、知られている医師にとってさえ、意外な

ことに、いったん死んでから蘇生した経験を持つ患者

の話を手がかりに行ったものである。”

 

生まれ変わりの科学は、日本でもなされている。 

例えば、元福島大学教授の 飯田史彦氏は有名である。

 

ムーディー博士は、医学的臨床的立場からこれらの研究

をなし、さらに、自身の背景社会、つまり、輪廻を認めない、

キリスト教の世界でこれを発表したということに、博士の

勇気を感じる。

なぜなら、キリスト教では、生まれ変わりを否定し、死後、

最期の審判の日 まで こんこんと眠り続けるという教義

が一般的だからである。

 

こうした、生まれ変わりの世界を認める 博士に対し、

当然、聖職関係者からの反対を受けたことだろう。

また、医療業界からは、非科学的だと、一笑に付される

可能性を考えたに違いない。

 

それでも、ムーディ博士は、この本を世に出して、

死後の世界の存在に対する、否定できない領域という

認識を読者に与えることに成功した。

 

キュプラー博士は、同著の序文で こう結論づけている。

”この本は、自由な精神をもつことができる人々に向けて、

新しい扉を開くはずだし、ひいては、希望と新しい

研究分野を評価する勇気を与えてくれるはずだ。

 

本書に提示されていることは、私自身の研究ばかりで

なく、この種の研究に非常に真摯にり組んでいる

科学者 学者 聖職者たちが発見したことによっても、

立証されている。”

 

一人の20世紀偉大なキュ―プラ博士が、20世紀最後

に書かれた ムーディ医学博士の研内容を支持し、

この本は、発表された。

明日から、この内容をふまえて、死 について、取り上げて

いきたいと思う。

 

 

 

参考:

”かいま見た死後の世界” 

レイモンド・A・ムーディ・Jr. 

中山 善之訳 評論社 昭和58年

 

レイモンド博士について: 

バージニア大学、大学院で哲学専攻

1969年 哲学博士号取得、 

3年間 ノースキャロライナ東部の大学で教鞭をとる。

 1972年 バージニア医学大学に入学。医学博士号を取得。 

1965年 死後の世界の体験談を

 聞き、その後、死後の世界体験者に面接。 

特異な分野研究を行い今日に至る。

 

 Copyright : NPO Spontaneous Healing Therapy Japan: All Rights Reserved. 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感謝・愛情の効用

2013年02月20日 | 健康のための心の波動

感謝は癒し  平成25年2月20日

******************************************************

昨日は 感謝と生きる意欲について、今日は、

感謝と癒しについてです。今まで、何度か、

感謝の心が、健康に与える影響をテーマにしました。

内田医師の現場からも、同様のレポートが

発信されています。まず、レポートの内容を、そのまま

引用させていただきます:

 

 ”①意識混沌状態で入院した脳溢血の80歳の男性の例:

 

昼夜かまわず、病院全体に響き渡る大声でわめき散らす。

’他の患者さんにご迷惑かけますから、麻酔薬で眠らせて 

静かにさせてください’

と、老奥様が頼みに来られた。

 

’夜は安定剤の注射をしますが、昼間は、思う存分大声を

出させてあげてください。

このご主人は、優しくて、おとなしい、真面目な方だった

のでしょう?

 

今、息子さんたちが立派にお店の跡継ぎをしているのは、

ご主人のよき性格を受け継いでいられるからです。

男の人は自分のやりたいことを思い切りやってみたい

本能があるんですが、優しい性格の反面、辛抱して

こられたのではないでしょうか?

 

私が責任を持ちますから、一生に一度、大声を出して

発散させてあげてください’

と丁寧にお願いすると、奥様はご主人の生い立ちを

話し出した。

 

’小さいころ、親に死別し、厳格な他人の家で育てられ、

わがままも言わずに成長してきました。 

それに、結婚後も、私が 養子娘で、気が強いので、

夫の発言をいつも抑えてきました。 

 

ほんとに悪かったですわ。ごめんなさい。’と 

主治医の私に頭を下げられた。

そこで、’意識モウロウ状態でも、夫婦の気持ちは直通

ですから、ご主人に謝ってください。あなたは、率直な

良い奥様ですね’と言って、私は、患者さんと この

妻の手を握り合わせて、私の両手でしっかりと包んで

あげました

 

早速、妻が夫に謝り、感謝すると、閉じていたおじいさん

の両眼から 涙がぽろぽろ流れている。

この日から、おじいさんの大声は ピタリと止まった。

 

’私は74歳のこの年になって、初めて、本当の夫婦

なった気持ちがします。

ほんとうに有難うございました。’ 

そのあとで、そう、奥様からお礼を言われた。”

 

この実例が感謝が癒しにつながるということを教えて

くれます。感謝と調和の家族が 96歳の高齢なリハビリ

患者に与える、効用も次のケースでわかります。

 

②例 ”脳膜下血腫の96歳の男性の例です。

 

左半身、運動麻痺のために、リハビリ目的の入院で

こられた。生来、健康で皮膚は若若しく、頭髪は黒くて、

20歳は 若く見える。

 

胸部レントゲン写真を見ると、肺や血管の陰影は

若若しく、脊椎骨の老化が少なく、背柱も真っ直ぐだ。

 ご家族もおだやかで、謙虚で、素晴らしい方達だった。

 

’立派に生きてこられた方でしょうね。良く働き、良く

勉強されて、行いが正しく、優しくて、おおらかな方

でしょう?’ と お尋ねすると、

’本当にそのとおりです。娘の口から言うのも変ですが、

実に立派な良い父親です。 良く お分かりですね’

’でもね、私たち夫婦は よく言い合いをするのですけどね

・・’と、傍らの奥様も口を挟まれます。”

 

このご家族の愛情の通い合った会話を聞きながら、

内田医師は、ご家族の日常生活も円満で落ち着いている

ことが察せられたと言います。

 

96歳でリハビリ目的で入院され、意欲も盛んで、

入院生活でも趣味を生かし、俳句をたしなみ、新聞や

英語の書物を丹念に読むなど、していたそうです。

 

そして、脳CT検査に 広範囲の硬膜下血腫の影が

みられたものの、次第に吸収して、半身不随が癒え、

数か月後、自力で歩いて退院したのでした。

こうして、今までの数例の実例から、病気で入院

しても、家族や本人の心持、や 気持ちの持ち方で、

症状が早く改善したり、かえって、重くなったりすると、

内田医師は述べています。

 

さらに、家族の間の調和、優しさの交換、信頼 

などが、患者に無意識の 良くろうとする意欲

を喚起することも、内田医師は見てきています。

喜びと安心、それが、患者の一番のくすりでもあるのです。

 

次は、心拍が3つに一つだけ、心室に伝わるという、脈拍が

一分間に30しかない患者の例です。

 

内田医師はこの患者を国立循環器病センターへ移送する手筈を 

整えながら、精神身体医学的立場から、考察しました。

子どもがない。ご主人も他界している。

娘のように、頼りにしていた、姪御さんがいる。

 

そこで、内田医師は この姪御さんを呼び出して、

付き添ってもらうことにしました。

 

すると、姪御さんが側で付き添って介護していると、

心電図のモニターの波形に変化がでてきました。

とても、良くなってきたのです。

今まで、完全にブロックされていた心房の刺激が 

姪御さんが来ると、3つに2つは心室に伝わっている

状態になったのでした

 

ところが、姪御さんが病人の世話をして、帰って

いくと、モニターの波形が再び、変形する。

悪くなるのでした。 

時間がたつにつれ、完全に、ブロックされ、患者に、

めまいが始まってしまった。

 

その因果関係がはっきりしたのは、翌日のことでした。

内田先生が、詰所の心電図のモニターを見ていると、

再び、波形が正常になってきました。 

思い当たる予感で、病室を急いで覗いてみると、やはり、

姪御さんが来られていた。

其の後、循環器病センターへ転送されたものの、

状態が良いので、ペースメーカーの手術をしないで

退院になったということです。

 

姪御さんの愛情が、まさしく、心臓房室 ブロックの

ペースメーカーそのものの働きをしたと内田医師は

書いています。

 

内田医師は、こうした 肉親の信頼ある愛情交流が 

心臓の働きに良い影響を与えることを波形で現れた、

心電図のモニターとともに、目撃・認証したのでした。

 

まさに、 感謝と愛情 は、心を明るくするだけでなく、

体に、大いなる力を与える源でもあると痛感させられる

実例です。     

                  

 

 

参考資料: ”生命医療を求めて” 内科医 内田久子著 

平成7年11月1日18刷発行 発行所 日本教文社

内田医師について: 

昭和2年大阪生まれ・昭和25年大阪女子高等医学専門学校

(現在関西医大)を卒業。その後 大阪大学附属病院、池田市立病院、

国立療養所、私立病院内科部長を経て講演活動も行った。

 

 Copyright : NPO Spontaneous Healing Therapy Japan: All Rights Reserved.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きる意欲の効用

2013年02月19日 | 介護と自然治癒力

生と死のはざまで  平成25年2月21日

*****************************

 

生命と自然治癒力の効用を十分に生かす治療を

されてきた、内科医内田医師はご自身が

ご両親を15年介護されてきたので、老齢の

患者さんに対しても深い理解を示されている。

 

脳出血こん睡状態で入院した82歳の老女は、

脳検査で順室の横に、かなり大きな出血が

みられた。 家族は高齢であるからという

ことで、あきらめて、平静に看病されていた

ところ、脳出血はあとかたなく、吸収されて、

意識も回復。麻痺などの後遺症も残らず、

2か月後には歩いて退院された。

 

この患者の家族構成は、母一人、娘一人。

50歳の娘さんは教職についているので、

家事の手助けなど、82歳といえども、

それまでこなしていた。

 

生きる意欲というのは、何か自分がする

仕事がある、人のために役立っている

という心持とつながるようだ。 

この場合、”もう一度、元気になって、

家のことをしてやらなければ。”という

親心が、老婆の回復に役立ったようだと 

内田医師は感想を述べている。

 

これとは反対に、子供たちが独立して

巣立ち、孫たちの世話も見る必要がない

という経済的に安定している家庭の場合、

祖父母の役割を当てにされることも 

あまりない。

そのためか、再起の意欲 が起きない

こともあり、”寝たきり老人”に、

移行する実例もあるという。

 

内田医師はさらに、最期を迎えようと

している患者の枕元で、家族兄弟が

話すことは患者は寝ているようでも、

心は起きていて、しっかりと話しの

内容も理解していると述べる。

 

だから、軋轢(あつれき)を病室

に持ちこまないこと、遺産相続に

絡まる話なども謹むべきだと

以下の例を挙げて説明している。

 

”脳出血昏睡、心不全の90歳の患者さん。 

家族一同で見舞いに来られる様子もない。

たまに、長男が顔を出されるが、付添婦の

支払いの時と決まっている。

 

’まだ、死にませんか?’と病状をきく

どころが、以外な質問をした。

あるとき、病状悪化が迫っている老母の

枕元で、兄弟夫婦た病室に集まり、

遺産相続で争いあっているところに、

遭遇した。

 

たとえ、意識不明できこえないようでも、

心は通じるものだから、天寿を全うされるため

に、多勢のご親族の前であえて話を切り出した。

’現在、豊かに暮らせるのは、ご両親の御蔭

ではありませんか?

 

厳格に育てられて、ずいぶん辛い思いも

されたかもしれませんが、明治の方は、

現代のように、日本が経済大国でなかった

ので、私どもが想像つかないような 

ご苦労をなさっていたと思います。

 

私は、世間一般の医者とちょっと違って、

まごころ医者 です。とにかく、90歳の

年齢に免じて、お母様を許してさしあげ、

感謝の思いになってください。

 

みんな仲直りして、お母様に、

’ありがとうございました。

みんな仲良くしますからご安心下さい’と、

手を握ってあげてください。 

 

きっと、あなた方のことが、長い間

気がかりだったに違いありません。’ 

 すると、翌日になって、’あの、おばあさん、

昨日まで鬼のように、怖い顔だったのに、

今朝 巡回すると、仏様のような

優しい顔になっているのですよ。 

不思議ですね。’と、看護婦さんたちが

驚いて、報告してくれました。

 

その後、そのご家族は 付添婦さんを

断って、兄弟夫婦交替で、献身的に看護を

されました。そして、数日後、安らかに 

息をひきとられました。”

 

核家族 になると、老家族は孤立して

生活しているために、家族との温かい団欒や

接触で得られる、精神的安定や満足が薄く

なっていく。

 

医療の改善や福祉の充実で、平均寿命が

延びている昨今、介護施設とそれに携わる

方達の献身的努力で、楽しく、余生を

過ごすお年寄りも 増えていることだろう。

 

しかし、内田医師のお話しにあったように、

究極的に、最期を迎える瞬間、愛する家族

に見守られながら、感謝の言葉を述べて、

安らかに逝きたいと誰もが願っている

と思う。

 

家族の中にわだかまりや不調和、軋轢や

争いごとがあれば、表面は穏やかにみえても

患者の魂には、それがはっきりと映し

出されていることだろう

最期の最後には、自分の命の枝葉である、

息子夫婦や孫たちが 親類縁者が

元気で幸せで、優しい心持の調和の

中で旅立ちたいと願うだろう。

 

老齢の病を持った家族や、介護を必要と

する親と、生活していくうえには、

何かと、傷つくことも多いのは事実だ。

言った、言われた、やった、やられた、

と、私的な小さなことから、社会的

規模の事まで、落ち込まない人は

まずいないだろう。

 

それをどう、自分の中で昇華させて

いけるのか?忘れるのではなく、感謝へと、

気持ちを鷹揚に高めていくことが

できるのか?

 

やはり、親の中に流れる 連綿とした命と、

その命をこうしていただけて、生きている

という事実、それを 深く噛みしめること

だと思う。生かされている、という、

その感謝につながっていくのかもしれない。

 

喧嘩しても、いがみ合っても、生きている

からできることだから~と ある方に

言われたことがある。

それが後になってみれば、懐かしい、

あの時は、親は生きていた~と感慨

持てるときが必ず来るとも、言われた。

 

なにはともあれ、感謝 という心持は、

死と生の狭間で、介護される側もする

側も、大きな力を持つ想念であること

間違いないだろう。

その心持を与えたり与えられたり、

そうして、生きる意欲に繋がれば、

これに越したことはないだろう。

  

 

 

参考資料: ”生命医療を求めて” 

内科医 内田久子著 平成7年11月1日18刷発行 

発行所 日本教文社

内田医師について: 

昭和2年大阪生まれ・

昭和25年大阪女子高等医学専門学校(現在関西医大)

を卒業。その後 大阪大学附属病院、池田市立病院、

国立療養所、私立病院内科部長を経て講演活動

も行った。

 

 

  Copyright : NPO Spontaneous Healing Therapy Japan: All Rights Reserved.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内田医師の父君への壮絶な介護体験

2013年02月18日 | 介護と自然治癒力

 

老人介護のこつ 平成25年2月18日

***************************************************

以下、内田医師の言葉で、著書から引用:

 父(内田医師の)は昭和39年、パーキンソン病

闘病生活が始まっていた。

手足のふるえ、筋肉の硬直が強くなり、数年後、

柱によりかかったまま、昼夜ぶっ通しで立っている

ようになっていた。


 鎮痛剤も麻薬も効かず、激痛を耐えている姿は、

痛ましく、胸が詰まる思いだった。


アーテンや、L(エル)ドバという 特効薬は、副作用

で足がゴムまりのように腫れて、全身浮腫、呼吸困難まで

起こるほど激しく、服用を中止した。


 看護に徹する日々が続いた。

昼間は 家事とともに、尿便失禁の洗濯、汚物の洗濯、

看護全般を受け持った。 

夜間は、母が夜通し、激痛の足をさすっていた。


おしめや寝具の交換、体の清拭、汚物の洗濯を終えて

ホッとしたのもつかの間、もう、掛布団までぐっしょり

濡らし、大便を顔や手につけてプンプン匂わせている

には、泣きだしたい思いだった。


そのうえ、いくら食べさせても、空腹を訴えるので、

食事の支度に追われた。

私は異常な食欲を注意することをやめて、阪急三番街に

行って、銘菓を一つずつ買って、父にこれは00の

御饅頭、これはxx屋の羊羹・・”

と言いながら、手にもたせ、パジャマのポケットにも

入れて、枕元にも置いた。

 

すると、父は、”ありがとう”と眼をうるませて、別に

食べようとせず、満足していた。

私自身、当時、慢性肝炎、胆のう炎、子宮筋腫の多量

出血が続いていたときで 知人がみるに見かねて

父の入院を勧めてくれた。


 こうして、父を、老人専門病院に入院させるつもり

連れて行った。

そのおり、総婦長さんから、院内の案内と、老人看護

のコツ を伺った。


まず、老人の繰り言を いやがらず、素直にきくこと。

 次に、老人の行動異常を 素直に見守ってあげる事。


そして 下(しも)はいつも清潔にしてあげる事。”(以上引用)


 内田医師は、父上を紹介された病院に入院させる準備を

整えられたのだが・・・・

結局、以下のように、決心を変えた;


 ”しかし、病院の大部屋に、沢山の寝たきり老人が並び、

おやつを手にもったまま、じーっとあらぬ方向を見つめ

ている 空しい眼差しを観たとき、私は何ともいえず、

痛ましく感じた。


父をどうしても入院させる気持ちになれなくなった。

病院のように、行き届いた看護はできなくても、

どんなに苦しくても、私の父は、私の手で看護して

いこうと この時、一大決心を固めたのだった。

 

私は、父の看護を リクリエーションのよう

楽しもうと思った。

それは歌うことだった。


’嬉しいね、うれしいね、水兵さん、遠メガネ、朝日に

キラキラ揺れてます’

と口ずさむと、隣の家から、

 ’内田さん、何が、そんなに、うれしいんですか? 

私にも聞かせてくださいと、声がかかった。

 

尿失禁のとき、おむつ交換のたびに、困った顔をして

いたのを反省して、父におしっこがたくさん出て

良かったですね。


心臓や腎臓機能が上等な証拠ですよ。

 おしめもよいものがたくさん出ているし、石鹸も

十分にあるし、洗濯機で楽に洗えるから安心して

くださいね’ と言うと、父は黙ってうなずいた。

 

母から ’お前がいないとき、お父さんが、久子は。

やさしい言葉をかけてくれて、礼をいってくれと涙を

こぼしていられたよ’ と聞いて、私の疲れは

一度に吹き飛んだことだった。

 

父は次第に食欲が減退して、衰弱してくると、幻覚症状

が現れた。

’楽隊が50人来て、きれいな音楽を演奏してくれているから、

みんなにお茶をだしてくれ”

という父の言葉に、”はい”と、素直に、お茶接待の

ジェスチャーをすると、とても喜び、満足していた。 


 死ぬ3日前、実母の名前を3回 呼んだ父はこん睡

状態になった。


3日後、意識が回復して、流動食を一口飲み、家族に

お礼を述べて、父は81歳の最期を閉じた。


 父の死の翌年、96歳で他界した伯父は、80歳を過ぎた

ころから、リウマチ性関節炎や心臓病・高血圧が治り

始め、腰の大きなこぶも、自爆して、消えてしまった。

 

老齢になると、病気が治りにくいとか、老化が

進んで病気になりやすい と一般に考えられて

いるが既成概念を超越した実話もあるので

ある。

 

私の父は、歯がないから、消化が悪くなる という

概念が無かったので、ゴボウでも おかきでも、歯ぐきで

モグモグして丸のみして体内にいれても、消化されて、

良い便通であった。

 

ただ、寝たきり老人が飲食物にむせる、嚥下(えんげ)

障害が始まると、次第にこの世の寿命が終わりに近づいて

いる兆候だ。 


無理に与えず、自然にしておいた方が本人には楽である。” 

(以上引用)

と内田医師は、締めくくっている。

 

老人介護についての心得として以下のようなことを 

内田医師は、補足している。

 

1)トイレの 大便をもて遊ぶ老人に対して子供のころ、

泥んこ遊びをしていないのだろうと察し、叱ったり、

やめさせたりしないで、しばらく そのままにさせてあげると、

自然にその行動も2~3日で止まった。


 家人によく聞いてみると、はやり、躾の厳しい 良家の

育ちであったという。

 

(2)部屋中にヌード写真を貼る90歳の老人

大学の名誉教授だった方。 90歳になられて、部屋中に

ヌード写真を貼って困っていると、お嫁さんが相談に

来られた。


 若いころから学問研究一筋で 男性の本能を抑えていた

ので、今こそそれが表れていると話した。 

いやがらずに、”プレイボーイ”などの雑誌を 数回買って、

あげているうちに、自然にその行為をしなくなった。

 

(3)ボケ症状

意識が鮮明明瞭な日と、幻覚症状や、繰り返し同じこと

を尋ねられて困る日が相互にきたら、ボケ症状だ。 


つじつまが合わないことを言う時も、話を合わせて

対応して、決して、嘲笑したりしないこと。 

放任しないこと。 

 

その対応次第で、ボケ症状 を増強させないことが可能だ。

ある日、ふっと気が付いて、変な事を言っていた自分を

反省することもある。

心の奥底では、決してぼけているわけではない。

 

寝たきり老人の 清拭(せいしき)~体を清浄にする

ことに関して、

 

小さいガーゼに石鹸をつけて片腕、肩胸を拭き、あとは

お湯で絞ったタオルでふき取る。 


全身を一度には無理なので、毎日少しずつ場所を変えて

行い 手足は特に垢がたまるので、入念にする。

 

床ずれのできやすい仙骨部(腰の下)に温湿布をすると、

床ずれ予防になる。


配偶者に先立たれた老人は男性の場合、”ボケ症状”として、

昼夜が逆転して夜中に大声を上げたり、性的異常行動

するときがある。

 

そんな時にも、尿をとったあと、外陰部に温湿布をすると、

おとなしくなる。

温かい というのは、愛情に通じるからだろう。

 

参考: ”生命医療を求めて” 

内科医 内田久子著 平成7年11月1日18刷発行 

発行所 日本教文社

内田医師について: 

昭和2年大阪生まれ・

昭和25年大阪女子高等医学専門学校(現在関西医大)

を卒業

その後 大阪大学附属病院、池田市立病院、

講演活動も行う

 Copyright : NPO Spontaneous Healing Therapy Japan: All Rights Reserved.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする