精神活動に定年はない 平成25年2月17日
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ストラッツという学者が人間の体と精神の活動との
関係をグラフで示している。
それによると、身体活動は、30歳をピークに
下降するが、精神活動は80歳を過ぎるまで
上昇傾向にあるという。
その理由の一つには 人生の円熟期を迎え、
想像力や洞察力、忍耐力や理解力、観察力
や連想力などという精神作用が深まっている
からと考えられている。
それに加えて、趣味や精神集中できるものを
持っていると、相乗効果を生むだろう。
所謂、老化現象 というのは 医学的に
どういう定義がされていかというと、
内田医師によると、
”老化とは、体の細胞数が減り、体が縮んだり、
臓器に委縮が起こり、体全体の活動が緩やかになり、
環境への適応力が低下する状態”
これは、病的現象ではなく、年を重ねることで
生体が変化する ”生理的現象”である。
内田医師はこのことを 講演会などでお話し
すると、多くのお年寄りが
”老化現象で駄目になったと悲観していましたが
これは、生理現象でしたか、安心しました”
と喜ばれるという。
確かに、老化とともに、新陳代謝が低下して、
肉体機能が多少衰えるのも否めないが、
精神的張りが失われるのはそれが原因とも
思えない。
楽しい生きがいのある老年期を迎えるためには、
それまでの生活スタイルの見直しなしにはな
かなか難しいかもしれない。
壮年期まで、社会の一線で、闘ってきた、
企業戦士や、職業婦人ならなおさらだ。
外的状況は一人ひとり異なるだろうが、心構えは
共通していえることがある。生きがいのある
老年期を迎えるためには、心と精神・肉体の
調和を図りながらの心構えがあってこそ
かもしれない。
さらに、充実した壮年期は、心身ともに健全な
青春期を経て可能になるのかもしれない。
今 という状況は、おとぎ話の魔法の一振りで
作られたのではなく、昔の自分の足跡の積み重ねで、
あるからだ。
だから、老年期の問題は 老年期を迎える直前に、
夏休みの計画を練るように、対策をたてれば
解決するというのは早計だ。
とは言っても、もとには戻れない。
そこで以下の提言を内田医師がする。
どのようにしたら、心と体の若さを保ちながら、
生きがいのある老年期を過ごせるかという
質問に対しての答えだ。
1.”老・病・死”の3つの苦しみからは
逃れることができないのが老齢期である”
といった古来の考え方を捨てる。
どうせ、同じ時間を過ごすのなら、明るい
気持ちで元気で若々しくいようと常に心を開き
笑顔を心掛けること。
2・適切な休養と運動、睡眠のバランスを
とって、無理せず、自分のペースを見つけること
3・環境との調和、家族や友人たちとの
心の調和を心掛けること。
4・”はたらく”こと。
この言葉は”はた”を”楽”にしてあげるという意味。
周囲の人たちが自分のできることで喜んで
くれるとそれが生きがいともなる。
老齢で病床に就いて働けなくても、看護して
くださる人の言葉を素直に受け取り、”ありがとう”
という 感謝の言葉ですら、相手の心に
喜びを与えることができる~と気がつけば、
いくらでも、周りを喜ばす方法が浮かぶはず。
5・かわいがられる 老人になろう。
ひねくれず、人の善意を素直に受け取り、心から
の感謝ができれば、愛される。
過ちを指摘されたら、固執せずに、改めれば
愛される。
不自由な体になったとしても、こうした心持
があれば、周囲にやさしくされるし、一人暮らし
の老人であっても、近所の人たちが、放って
おかないだろう。
6・80歳以上の死は、大往生が多い。
その理由は、体の機能が衰退しているので
死に対しても安楽に逝きやすい。
内田医師が老齢の病人の方達の大往生を現場で
多く見てこられたので、寿命一杯にいきる
ことこそ、安楽死につながると言う。
簡単に要約すれば、老いて患って死ぬばかりと
いうカンガエは捨てて、今こそ自分を生かすときと
心得て、無理せず、マイペースで、ハタを
楽にさせる心がけで愛念を持って生活する。
寿命一杯生きた人ほど、長患いせず、安楽死が
迎えられやすい。死ぬまでは生きているわけだから、
生きている間、心身の取り越し苦労は あまりせず、
周囲との調和 を心掛けて かわいがられる
おじいちゃん・おばあちゃんになろう~
ということだ。
それぞれの立場から、介護される老齢者、介護する
人が、ちょっとした気持の向けかたで
こうした心の持ちようが可能になるかもしれない。
たとえば、
老齢者の立場から
若い人たちの価値観を理解して、自分の古い価値観
に固執することなく、自分の場を受け渡して、
責任もって、受け継いでもらう という
潔さ も必要だろう。
介護する側の人たち(家族)の立場から
老齢者の苦労 があってこそ、自分たちがこうして
生きているという感謝が必要かもしれない。
どんなに 肉体が老いぼれて、機能が人並み以下
になっても、それまで積み上げてきた円熟さは、
誰にもひけをとらないはずだ。
多少 つじつまの合わないことを言っても、
忘れっぽくなっても、言葉と行動がなかなか一致
しなくなっても、いずれは自分が通る道でもある。
私たちが老齢者になったとき、自分自身の築いて
きた、大なり小なりの、精神的遺産を大切に、
誇りを持って生きていきたい。
最後に、どのようにしたら、円熟さの中で、生き生き
とした精神生活を楽しめる、老後が迎えられる
のだろう?
その一つにメリハリの大切さが挙げられるような
気がする。メリハリは、何等かの形 で社会に触れて
いる中で得られる、リフレッシュメントをさす。
第三者のエネルギーが介在して、それが生まれる。
だから、デーケア―施設で過ごす時間は 私の母
にとっては、楽しいものである。多くの施設を利用
している方達も、家で一人でいるときより、悶々と
することなく、晴れやかで楽しい時間を過ごせる
と答えておられる。
自分と違う考え方や生き様に接して、様々な人
との、言葉の掛け合いの中での見出す、緊張感
と 楽しさ、介護してくださる、若者の、
エネルギーも自然と受け取め、それも、
老齢者の中に取り込むことができるだろう。
自分の存在感をそうした第三者の温かいまなざしの
中で、あらためて感じることもできるだろう。
体のどこかが不調だったり、とても悲しいこと
が起こっていても、ある意味ではそのおかげで、
平常の生活の中に、感謝と、前進する勇気も
湧いてくることだろう。
参考資料: ”生命医療を求めて” 内科医 内田久子著
平成7年11月1日18刷発行 発行所 日本教文社
内田医師について: 昭和2年大阪生まれ・
昭和25年大阪女子高等医学専門学校(現在関西医大)を卒業。
その後 大阪大学附属病院、池田市立病院、国立療養所、
私立病院内科部長を経て講演活動も行った。
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