THE FOURTH PARTY

チョイ毒エッセイのようなもの。コメント欄でのやりとりはしません。用事がある人のみ書き込んでくだされ。

I'm sorry

2012-09-17 18:18:16 | チョイ毒エッセイのようなもの
時事ネタや社会ネタには触れないようにしてきた。2年ほど掛かりながらも思惑通りアクセス数も下がってきた事だし、たまには書いてみよう。

他に言うまでも無い、あの事である。
弱腰外交を非難する声が多いようだ。言いたい事は分からないでもないのだが、ちょっと違和感を感じてしまう。

例えば、自宅の隣の家の木の枝が、塀を越えて伸びてきて、枯れた葉っぱを落としたとしよう。
日本人はそこでイキナリ強い態度で、隣人に文句をつけるだろうか?

否、である。
最近の若い世代ならばいざしらず、普通であれば「あの~、申し訳ないんですが、お宅の木の枝がウチに伸びてきて枯れ葉を落とすので、枝を切ってもらえませんか?」である。
隣人が常識人であれば、「ええっ、それは気付きませんでした。本当に申し訳ありません、すぐに枝を切ります。」となる。
あるいは、「しょうがないねぇ」と何も言わずに片付ける。いずれ隣人は何かをキッカケにそれに気付き、本当に申し訳ない事をした・・・と、心から謝罪するのだ。

隣人が少しだけ厄介な人の場合はどうなるか?
やはり「すいません」を繰り返し、先方に納得してもらう事になるだろう。こちらが悪くなくても、だ。

では、隣人がかなり厄介な人の場合はどうだ?
上記のパターンを繰り返し・・・いや、場合によっては何もいう事が出来ず、お巡りさんに相談するとか、自分が言いだしっぺとは分からないように町内会で仲間を見つけ、結託し、多数決で隣人を納得させるとか。或いは追い出すとか。場合によっては、自分が何も言わず出て行くとか。

違うんだろうか。

まあ、フツーには枯れ葉ごときでそこまでの問題にはならないのだが、物の喩えだ。

ガイジンに言わせると「日本人は謝りすぎ」となるのだが、そもそも「申し訳ございません」とか「すみません」とかいう言葉は、外国には無いのだ。日本人はお人好し・・・というワケではない。
便宜上、英語では「I'm sorry」と訳されてても、実際には違うのだよ、たぶん。
外国の事なんぞ良く知らないので、ハッキリとは言えねー。

俺は元々は芸術家になりたかったのだが、自身で創作する際は、英語のタイトルや外国の文化を真似たような表現は、出来る限り避けてきた。これは、ガイジンから見たときにこちらが意図した物とは全く違うニュアンスになってしまう事を嫌ったためだ。
J-POPの歌詞にはやたらと英語が使われる。日本語の言いまわしがベタになってしまうのを避けたいのだろうけど、ものすごく薄っぺらに感じちゃう。
英語のタイトルを付けるならば、作品には、それらを吹っ飛ばすようなエネルギーが必要になる。
ちなみにこの記事のタイトルが「I'm sorry」と英語なのは、ワザとだ。念の為。しかし、ごく最近の記事でもエイゴを使ってますな、大いに反省である。

子供のいる人は分かると思うが、幼稚園・保育園で最初に教えられるのは、「ごめんね」「いいよ」である。
人間は、放っておけば自分の都合でしか行動しない。例えば、最近のイジメ問題も全く同じ。
イジメは無くならない。
何故か? 人間がそういうように出来ているからだ。
カエルの口に爆竹を入れて火ィつけてみたり、バッタの足を捥いでみたり。
ちょっと弱そうなヤツの容姿の欠点をからかってみたり。
それらはどんどんエスカレートする。ストッパーになれるのは「ごめんね」「いいよ」の言葉か、それを知っている周りの人間だけだ。

過去から現在までの政権は、これら日本国内での常識や慣例が、外交でも通用すると思って行動した。その対応を「過ちだ」という意見も、必ずしも間違いではないと思う。しかし、日本の治安の良さというのは、間違いなく「すみません」のキモチから成り立っている物であり、日本人である以上は最も誇りにすべき点である。

正直なところ、俺はそもそも領土問題とかはよく知らないので、今回それなりに色々調べてみた。
なるほど、概ね理解したつもりだが、敢えてこれをこの場で論じるのはやめよう。
問題は、お互いに自分を正当であると主張しているところにある。

相手国の中枢の人間が、一連の騒動を確信犯的に行っているのかどうかは分からないが、少なくとも各国民は、自国が正しいと思って疑っていない。
デモ隊が暴徒化し、日本企業の現地営業所などを襲撃。これは、どう考えても相手国の政府が責任を持つべきだろう。
ウマの合わない隣人とは、必要以上に仲良くする必要はない。しかし、わざわざ喧嘩をする事もないだろ?
お隣さんはお隣さんであり、日本人は日本人らしく行動するまで。
残念だし、失うものも大きいが、被害を受けた各企業は現地から撤退をするべきではないのか?

俺自身は民族問題とか全く気にならないというか、実際に日本人ではない知人・友人もいるし、彼らの悲劇を目の当たりにしてしまった事もある。
朝鮮人だからといって、何で自分より格下になるんだ?
日本のメディアが、韓流ブームやらなんやらで自家発電してしまったのは今となっては虚しいが、それでも俺は「少女時代」が好きだし(別にファンというほどではない)、キムチも好きだ。麻婆豆腐も青椒肉絲も好んで食べる。
弱腰ではない。日本人的なのだ。ワケの分からん対応が積もり積もって、挙句にトドメを刺して、こんな事になっちまった。
この問題は、あくまで日本人としての対応で解決して欲しい。

もう一つ付け加えるならば、俺が「田中麗震愚」を事実上脱退した形になっているのは、全く同じ経緯である。
今年もまた時期が近付いてきた。問題が解決しない限りは、手は出さないし現場にも行かないつもりだが、心の中では応援する。

コメント
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