テンションの上がらない日々が続いている。
理由の一つは、毎年の事なのだが、仕事が閑期なのに会社の決算月だという事。8月20日を過ぎると、年間で最もやる気の出ない11日間となるのだ(笑)。
もう一つの理由は、某疫病神のせいだが・・・これ以上書くのは止めておこう。
そんな状況なので、色々と物思いに耽ったり、自問自答をする時間が長くなる。
センチメンタルな気分になったついでに、工場で2回もヤキトリを焼いて食っちまったぞ。
今の仕事にはとても納得しているし楽しいのだが、そもそも俺は過去に、目指していたものを諦めた経歴がある。
“諦めた”といっても止めたつもりはなくて、仕事に追われるうちにフェードアウトしてしまったのだ。
ところが約1年前。ふとしたことが理由で、封印したはずの扉を叩く音が・・・。
今さらプロを目指すとか、そういったことはまるで無いのだけれど、全く満たされていない部分があるという事を再び意識し始めてしまった。
元々俺は、ビジネスがやりたかったのではなく、自分が好きなものを作りたかったのだ。
俺は小学校5~6年生の頃から、溢れ余る創作意欲を抑えきれず、様々な公募コンクールに応募し始めた。
一番最初はマンガだったと思う。
内容は全く覚えていないが、酷い作品を送ったはず。受け取った担当者もさぞ困った事だろう。
最初のうちは箸にも棒にも掛からず、学校レベルで表彰される程度(例えば夏休み工作展や読書感想文とか)だったが、高校に上がった頃に結果を出すようになってきた。
標語の公募とか、某イベントのテーマ曲、短編小説、作詞作曲など。
どれもグランプリは取れず、特に小説などは恥ずかしくて誰にも言えなかった。
そうそう、この頃は学校の同好会で、8ミリ映画を撮っていた。どれも真剣だった。
俺の2歳上の姉貴は努力家タイプで、何をやらせても俺よりも上手い。負けてばかりの俺はいつもからかわれていた。
文章が日本語になってないとか、漢字が違うとか、ピアノがヘタクソだとか。確かに文章力は無かったし、ピアノもヘタクソだった。
でも何故だか姉貴はろくすっぽ表彰を受けた事は無かった。不思議な物で、本番になると俺はタナボタで結果を出す事が多かった。
俺が賞を取るたびにいじけて、八つ当たりされることもあった。俺が芸大にまぐれで受かった時も、芸大の受験システムにケチをつけていたなあ(笑)。
俺も仕事人としては、そろそろ折り返し地点の年齢となる。
これはサラリーマンとして平穏な日々を送っていれば意識しなかったかもしれない事だ。
3年後に、とある企画コンペに応募する。
それを当面の目標に、初心に返ってナイフを研ぎ直すべく、緩めの公募コンクールから再挑戦したい。
理由の一つは、毎年の事なのだが、仕事が閑期なのに会社の決算月だという事。8月20日を過ぎると、年間で最もやる気の出ない11日間となるのだ(笑)。
もう一つの理由は、某疫病神のせいだが・・・これ以上書くのは止めておこう。
そんな状況なので、色々と物思いに耽ったり、自問自答をする時間が長くなる。
センチメンタルな気分になったついでに、工場で2回もヤキトリを焼いて食っちまったぞ。
今の仕事にはとても納得しているし楽しいのだが、そもそも俺は過去に、目指していたものを諦めた経歴がある。
“諦めた”といっても止めたつもりはなくて、仕事に追われるうちにフェードアウトしてしまったのだ。
ところが約1年前。ふとしたことが理由で、封印したはずの扉を叩く音が・・・。
今さらプロを目指すとか、そういったことはまるで無いのだけれど、全く満たされていない部分があるという事を再び意識し始めてしまった。
元々俺は、ビジネスがやりたかったのではなく、自分が好きなものを作りたかったのだ。
俺は小学校5~6年生の頃から、溢れ余る創作意欲を抑えきれず、様々な公募コンクールに応募し始めた。
一番最初はマンガだったと思う。
内容は全く覚えていないが、酷い作品を送ったはず。受け取った担当者もさぞ困った事だろう。
最初のうちは箸にも棒にも掛からず、学校レベルで表彰される程度(例えば夏休み工作展や読書感想文とか)だったが、高校に上がった頃に結果を出すようになってきた。
標語の公募とか、某イベントのテーマ曲、短編小説、作詞作曲など。
どれもグランプリは取れず、特に小説などは恥ずかしくて誰にも言えなかった。
そうそう、この頃は学校の同好会で、8ミリ映画を撮っていた。どれも真剣だった。
俺の2歳上の姉貴は努力家タイプで、何をやらせても俺よりも上手い。負けてばかりの俺はいつもからかわれていた。
文章が日本語になってないとか、漢字が違うとか、ピアノがヘタクソだとか。確かに文章力は無かったし、ピアノもヘタクソだった。
でも何故だか姉貴はろくすっぽ表彰を受けた事は無かった。不思議な物で、本番になると俺はタナボタで結果を出す事が多かった。
俺が賞を取るたびにいじけて、八つ当たりされることもあった。俺が芸大にまぐれで受かった時も、芸大の受験システムにケチをつけていたなあ(笑)。
俺も仕事人としては、そろそろ折り返し地点の年齢となる。
これはサラリーマンとして平穏な日々を送っていれば意識しなかったかもしれない事だ。
3年後に、とある企画コンペに応募する。
それを当面の目標に、初心に返ってナイフを研ぎ直すべく、緩めの公募コンクールから再挑戦したい。