日曜日は正吉君と共に鶴里へ。
ちなみに「鶴ってきた」という表現は俺のオリジナルではなく、とある方のパクリ(笑)。バイク、自転車含めて、この言葉が一般化してくれるといいなあと。
バイク復活は概ね順調で、「まあこんなもんじゃないの」状態。
体力の問題はあるが、それより困っているのは、足が攣ること。これは以前からそうで、半端に動いた後、しばらくしてからは攣りやすい。
不思議な物で、しっかりと運動した時や、運動直後とかは大丈夫。
足が攣るのは色々と原因があるようで、よく言われる水分不足や、カリウムやらナトリウムなどのバランス悪化のほか、椎間板ヘルニア、動脈硬化、糖尿病などがあるそうだ。
動脈硬化は現時点ではあまり心配ないような気はするが、他の2つに関してはかなり思い当たる節がある。
上の写真、これがバニーホップだったら天才だが(笑)、10cmくらい土を盛り上げたジャンプ台で跳んでいる。
同い年くらいの子がジャンプして遊んでいる間は、正吉君は羨ましそうに見ているだけ。
その子達が帰った後で、何回も跳んでいた。
まあ、俺もそういった部分があるわけで、何となく分からないでもない。
雨だとやる事無ェし、色々あって。
気が付いたら、そろそろ日付が変わる時刻の303号をワクワクしながら、2年ぶりの坂内に向かっていた。
行って良かったような気はするよ。
田中麗震愚ホームページ
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ウツとかじゃなくて、出かけられないので引きこもると(商売柄、台風の時は待機するという意味もある)、色々なことを考え始めて、脳内が無限ループに陥るのだ。
良くも悪くも物事を深く考える性質で、勢いやノリで行動をする面もあるのに、やたら熟慮しすぎるのは、間違いなく人生のマイナス要因になっていると思う。
まあそりゃいいんだが。
先週末は正吉君の保育園の運動会だった。
リレーで人数あわせのため、正吉君だけ2回走った。アンカーの方がカッコいいのか、2回走る方がカッコいいのかは知らんが、チームは結局ビリ。
割と運動神経がいいのは、自転車で体を動かしているお陰か?
過去3年の運動会の中で、何故だか最も盛り上がりに欠けた様に思えたのは何故だろう。
日曜日は鶴里へ。
相変わらずとてもマイペースな正吉君。
同じ年頃の子供達と遊んだり、BMXに乗ったり、虫を捕まえたりして、とても楽しかったようだ。
俺はボチボチ感覚も戻ってきたようで、他車を追っかけたりするキモチも出てきたし、ジャンプの飛距離も伸びてきてテーブルも飛び越えれそう。
とはいってもまだ体が硬くて、ターンインとかジャンプの踏み切りでちょっと躊躇してしまう。
バイクを寝かせられなくて、クリップを過ぎてからようやくガウン!とスロットルで向きを変えるというダサい走り。まあそれでも全体的にはスロットルを開けれている方かなあ。
帰りには久しぶりにダートフリークへ寄って消耗品を購入。
あんまり入れ込みすぎない程度に楽しみたいのだが、色々とバランスが難しい。
今のところ鶴里通いはちょっとしたエクササイズのようなもので、今の俺には丁度いい。バイクを積むのがイヤにならなければの話・・・。
え~と、あと、先日のこと。
久しぶりにマトモに手紙を書いた。
パソコンを使わない、肉筆の手紙である。もちろんFAXとかも使わなかった。
「まずは書中をもって・・・」とは書くが、個人的には肉筆の手紙以上の礼儀は無いと思う。
今回のような「拝啓」に始まって「敬具」で終わるような手紙だけではなく、ちょっとしたメモを手渡されたり、置き手紙だって嬉しい物だ。
俺はPCヘビーユーザーの割に、結構頻繁に家族に置き手紙をする。生活時間帯が違うからね。俺自身も子供の頃、オフクロからの置き手紙を読んで育った。
そういう経験の無い(と思われる)ヤツがパソコンやスマホなんかを使っているので、世の中おかしくなっちまう。
まずは鉛筆だろ、鉛筆。
あ、削るのはナイフでお願いします。
サーバーのサービス終了によって長らく休止していた田中麗震愚のホームページだが、悠久の時を経てサーバーを移転し、ここのところ急速に再構築が進んでいる模様。
活動が活性化する前の画像や、秘蔵映像(おそらく俺しか持っていなかったもの)もある。
10年以上前のものは、さすがにみんな若いな~~(笑)。
内輪ネタが多いので万人が楽しめるわけではないと思うが、どうか見てやって下さいませ。
積み込みが億劫になってしまったので、練習走行は取りやめた。
テンションが上がらないのはここ最近では毎度の事だ。
何と言ったらよいのか、駆り立てるものがない。マシンをイジりたいとか、レースで勝ちたいという目標が無いので、乗るよりも圧倒的にイジりが好きな俺としては、「ただ乗るだけ」ではこうなってしまう。困った癖だよ、マジで。
これは自転車の場合もそう。乗るのが楽しいかどうか以前に、イジりどころの少ない自転車は、あまりテンションが上がらないのだ。
自転車もバイクも、走り出してしまえば楽しくなってくるのだが・・・。
そんなわけで、本来は出場するつもりだった「ダウンヒルダービー」を観に行く事にした。
9月は仕事が忙しくて製作する時間が作れず、エントリーしなかったのだ。
今年から会場を新城から岡崎の愛知産業大学構内に移しての開催となった。
新城のコースに比べてコースの勾配がきつく、練習走行時からクラッシュが多発。
エスケープゾーン確保のためにゴール位置を手前に変更するなど、急遽対策がされたりしていた。
直線ですらバランスを崩す車両が多い。蛇行してコースアウトするクルマもチラホラ。
身の危険も感じたので、俺と正吉君は最初からずっと、縁石のあるポイントで観ていた。終了近くなり、車を停めた方面へ観戦ポイントを変えつつ、そのまま帰ろうかと思ってゴール地点あたりに移動。コースサイドがカラーコーンのみで仕切られた場所で最後の3~4台の走行を観ていた。
とある車両がゴールラインを通過した後、俺の目の前5mほどまで近づいた時、甲高い破裂音とともにタイヤがバーストするのが見えた。
スピン状態で俺に向かって突っ込んできたので、咄嗟にジャンプ。
アッ、と思って俺の後ろにいた正吉君の方を向くと、正吉君が倒れていた。
正吉君は頭から流血し、場内騒然。
俺も頭の中が真っ白になった。
救急車で運ばれてCTスキャンの結果、単なる擦り傷との事で一安心。
どうやら正吉君は、驚いて転んだ程度だったようだ。
スタッフの方々には、とても手厚い対応をしていただいた。
バイクのレース、自転車のレースでも、やっぱ間近で見たいので、ついついコースサイドのギリギリまで近づいてしまう。
ライダーやドライバーは当然ヘルメットやプロテクタ類を装備しているが、観戦者は生身状態のわけで。
今回はたまたま笑い話程度で済んだ。ボランティアスタッフ達に支えられている手作りのイベントなので、安全対策などを主催者側に求めすぎるのは酷というものだ。今一度、観戦マナーについては考え直す必要があると感じたのであった。
そして、折角の楽しいイベントの雰囲気を壊してしまい、申し訳ない。ドライバーの方も、さぞ気にしてみえる事だろう。
先日、夜遅くに会社で仕事をしていたら、駐車場に車が入ってきた。
こんな時間に来る客はロクなハナシじゃないぞ・・・と身構えたら、田中麗震愚の酔いどれメカ長、T浦さんだった。
こちら方面に来る用事があり、ついでに寄ってくれたそうだ。
俺が田中麗震愚の活動から事実上離れてから、既に2年近くが経過する。
一緒に活動しなくなっただけで、メンバー個々とは、頻繁ではないが連絡を取り合っている。
T浦さんとの話の中で、「田中麗震愚」とは一体なんだったのか、と考える事となり、俺が今さらここに書くのもおかしなハナシだが、ちょっと書いてみることにした。
田中麗震愚の母体を作ったのは、俺・・・と言っても差し支えないだろう。
坂内2DAYSエンデューロに出るため、メンバーを集めたのだ。
ちなみに俺は「田中」ではない。田中さんというヒトは別でちゃんと存在する(笑)。
そしてこの頃は、別のチーム名であった。
田中さんは基本的に弄られキャラで(スンマヘン)、かなり誇張表現が多く(スンマヘン)、しかも言動が若干ハズれている事が多い(スンマヘン)。走りで負けたりすると本気で悔しがり、理由にならない言い訳をしたりする(スンマヘン…でも、事実だもんでw)。
普通はこんなキャラだと敬遠されたりすると思うんだけど、田中さんはどこか憎めないのだ。
一緒に走りに行く度に田中さんのフカシや言い訳を聞き、我々は「はいはい、分かった分かった。何せタナカレーシングのヒトだからなあ」などと、からかっていた。
そう、この頃はまだ漢字のDQNネームではなかったのだ。
ある時、N目君が田中さんのカッパの背中に「田中麗震愚」とマジックで書いたガムテープを貼った。当然ジョークとして、だ。
この写真では、左下の田中代表のヘルメットにそのガムテープが貼られている。
だが結果としてコレが瓢箪から駒となる。
打ち合わせ時に誤解があり、N川君がレースに「田中麗震愚」というチーム名でエントリーしてしまったのだ。
チーム名が「田中麗震愚」である以上、田中さんを「代表」と呼ぶようになる。当然、シャレとして、だ。
事実上は誰がリーダーという訳でもなくて、お互いの信頼関係で成り立っている。
また、俺が創設者という事で、チーム内で最も発言力がある・・・と思われていたような時期もあったのだが、当の俺は全くそういう気持ちがなく、既に自分の手を離れた存在として、リーダーの居ないチームだと思っていた。
この見解に相違があり、一度はチーム名が強制的に「中日本ポンプ会」に変更されそうになった事があった。
この一件に関しては俺も深く考える物があった。
その頃から俺は、「田中麗震愚」という存在、チーム名を深く意識するようになる。
チームそのものは実在するが、虚栄の歴史はこの頃から始まるのである。
「虚栄」というととても聞こえが悪いが、そもそも「田中麗震愚」というチーム名や、存在自体がネタだったのだ。
ただ、言葉では言い表せないが、少なくとも俺にとってはとても大事なものだ。
しばらくしてこのブログが何故か大ブレーク。
今でこそ普通のブログに成り下がったが(というか、あまりのアクセス数や不特定多数の人のコメントからくるプレッシャーに耐え切れず、敢えて更新頻度を減らしたり、関係のないカテゴリーの記事を書いている)、一頃は一日あたり1000HITを超えていた。
その影響で「田中麗震愚」の知名度が微妙に上昇し、虚空の存在ながら田中さんを代表に祀り上げるという、田中麗震愚の特徴が形成されていったのである。
田中さんの「代表」という肩書きに準じ、メンバーにはそれぞれ肩書きが付き始める。
マネージャー、隊長、鬼教官、メカ長、料理長、チープメカニック、エクセル課、ペドロサなど。
あ、ペドロサは肩書きじゃねぇか(笑)。
知名度がピークに到達したのは、坂内2DAYSエンデューロで初優勝した頃からだろう。
その後も滋賀國武舞杯どろんこレース、富士スピードウェイでのスーパーママチャリグランプリなどでもリザルトに名を残し、富士スピードウェイのボディウムにも上がった!!
近年ではME06さんのJNCCに於ける活躍が著しい。
「田中麗震愚を知らんのか!?」というのは、我々にとって「ネタ」なのだ。
もちろん知ってるわけないのだが(一部で知られている程度)、田中さんは代表、代表は最速ライダーで有名人、田中麗震愚は有名・・・という設定を楽しんでいるだけである。
例えて言えば、叶姉妹のようなものだ。
そういう設定のプロジェクトなので、周りの方々も騙されたフリをして楽しんでいただければ幸いである(笑)。
「レーシング」ではなく「麗震愚」というDQNな表記に違和感を感じる方もいるかもしれない。
しかしそれは当然、自虐的ネタとして使っているもの。そして我々の個性として、とても大事にしているものだ。
冒頭に書いたとおり、俺はすでに田中麗震愚の活動からは離れているが、今回は影ながら協力をする必要があると感じたので、敢えてこの記事を書いた。
その理由はここに書くべきことではないと思うので、伏せておく。