THE FOURTH PARTY

チョイ毒エッセイのようなもの。コメント欄でのやりとりはしません。用事がある人のみ書き込んでくだされ。

納品

2007-03-29 20:42:12 | Vmax

久しぶりにバイクネタだ。

Epsn3028

我が地元は桜の開花はまだだが、日中はかなり暖かい。
先日YouTubeで見た動画で、Vmaxのエンジン音を聞いたら耳から離れなくなってしまった。
サンプルの納品と打ち合わせがあったので、Vmaxを引っ張り出した。

走らせるのは年末のスノーアタック(爆)以来。転倒したダメージもそのまま(苦)。
曲がったチェンジペダルをメガネレンチで引っ掛けて直す。割れたフロントウインカーのステーは二液性の接着剤で補修。曲がってしまったハンドルは、そのまま・・・。
さて、エンジンは掛かるか?

気温が高いお陰か、MFバッテリーのお陰か、難なく始動。
前回乗ったとき、最後の辺りでフケが悪くなっていた。
今回も普通にアイドリングするし、パーシャルで走っている限りはそれなり。だが、やはり非常にピックアップが悪い。
薄い症状に似ているが、ちょっと違う。ニードルバルブの固着か、それともスライドバルブのダイヤフラムが痛んでしまったのか?

帰り着く間際、突然とアフターファイヤーが酷くなった。
やっぱり5年も放置したバイクはダメだね。一度しっかり診てやらねば。

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「お金持ち」の定義

2007-03-25 21:26:18 | チョイ毒エッセイのようなもの

お金持ちって、どんな人だと思う?
当然お金を持ってる人の事なんだが、実は一種の法則が存在するのだ。
と言っても「お金持ちになる法則」では無いし、身内における俗説であるので、あまり期待しないで読み進んで下さい。

俺は一応シャチョーなので、他の経営者と色々な話をする事が多い。
業界の先行きとか、成長を見込める会社や業界の情報交換、自社の経営や経理などについて・・・。
で、殆どで意見が一致するのが「お金持ちは年収1500万円以上の人」という事である。
ご存知の通り、現在の日本の法律では累進課税が採用されている。所得が増えると税率も上がる仕組みである。
一説には国民から可能な限り多くの税金を取る為の課税率が設定されており、結果的に年収700万円(500万円という人もいる)から1500万円未満の人が一番損をする様に仕組まれているという説もある。
1500万円を超えると、課税後の実収入も一般平均的な個人消費額の限度を超えるので、懐具合に影響が少ない・・・という事なのである。云わば家計の損益分岐点という所であろうか。

もしもこの仮説が正しいとすれば、残念ながら俺は金持ちではない事になる。ううう・・・。
俺は創業シャチョーなので、創業当初のまるで内職の様な状態から、仮にも法人へと立場を押し上げて来た。一言で言えば「徹夜の連続」であった。
周りの人から良く言われるのが「それだけ仕事してりゃ、儲かってしょうがないだろう」。
一頃は確かに零細企業としては常識を超える税額を収めていたが、今は全くの普通。というよりも、こんなに苦労するならばサラリーマンの方がマシだなあ。

零細企業の社長の給料は、先期の決算から帳尻の合うポイントを逆算して、ギリギリツジツマの合う額を基準に設定するのが一般的といえる。何故か?・・・それは会社にお金を残さない為である。もしも社長の給料の額面を支払う為に赤字となる場合は、社長が会社に対して貸付をした事にして会社の経理を助けるのである。※ちなみに決算後に給料を決定して、1年間の途中ではその額を変更する事ができない・・・。
俺の場合は逆で、会社の経費を有効に使う為に(設備&道具好きなので)自分の給料を低く抑えている。但し低く抑えるにも限度があり、例えば俺が入院等した場合は給料を参考に保険で支給される額が決まる為に、最低でも一般サラリーマンよりは多く設定しなければ不都合が起こる可能性が高い。

昔・・・高校生から大学生の頃、某ファーストフードチェーン店でアルバイトをしていた事があった。バブル真っ只中の事だ。時給は低かったのだが、仕事そのものやバイト仲間、お店のブランドイメージや会社の成り立ちが非常に好きで気に入っていた(ちなみに今でも崇拝している)。当初俺が働いていた店は直営店だったのだが、一般企業が買収してライセンス店(FC店の様な物)となった。その社長は当時のBMWの最高峰である「750iL」に乗っており、ヨレヨレのセロー(セル無し、当時はまだキックオンリーだった)やハチロクに乗っていた俺からすると、超ウルトラスーパーセレブであった。
ある時社長やマネージャーと呼ばれる社員を含めた数人で、食事に出かけた。モチロン社長の奢りであった。
社長が言った。「この間女と歩いている所を、カミさんと娘に見られちゃってさあ・・・。(中略・・・爆)で、カミさんがシビック(グランドシビック・・・懐かしい)が欲しいって言ってるんだよ。シビックっていくらするの?」
マネージャー:「大体200万円位ですね。」
社長:「そ、そんなにするの!?・・・うわあ・・・。」
当時の俺の収入は、そのファーストフードでのアルバイト代と掛け持ちしていた肉体労働系のバイト、及び特技(というか大学での専科)を生かした単発依頼の仕事での副収入等で、大学が休みの時期に頑張って25万円位、それ以外では10万~12万位であったので、店を買い上げ、BMW750iLにも乗る社長ならば、ともすると財布の中に200万円位は入っていると思い込んでいた(爆)。
まあ現在の俺と比べても懐具合の水準は著しく違うとは言え、そういうモンなんですよ。

特にブルーカラー(この表現は個人的には好きではない)系の業種で、社長自ら作業するような零細企業では、なかなか「金持ち側」に入るのが難しく、大体1200万円止まりかなあ・・・。
で、俺のような人間は年金なんかでも不利なのだ。「金持ち側」に入らないと、人生をトータルで眺めるとサラリーマンに比べて損なのだ。

今、せっせと仕事しております。
色々考えると、8月決算の我社としては4月が勝負月になるような気がしているのだ。一応去年の時点での年間計画ではサザンハリケーンに出る筈だったのだが、とっくに諦めました。身分的に極端な遠征は難しいので、比較的近くてコース的にも馴染みやすそうな阪下を狙っていたのだが。
バイクは今のところ全て放置中。シャチョーには色々あるんです。
・・・しかし、これだけ走ってないとなると、速くなれる筈が無いぞ。

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バイナル・その5

2007-03-18 11:58:21 | 工作

ドライでステッカーやデカールを貼る時の手順。
サンプルは1000*3000のFILMで、文字等の切抜き加工はしていない。単なるベタ貼り。施工する被着体は水平に置いた平面のパネル。
仕事の合間に撮影した物だが、これが切文字であろうが、曲面であろうが、垂直面であろうが基本は同じ。

①被着面を掃除する。油分が付いていると接着力が弱まるので、しっかりと脱脂する。パーツクリーナー等を使うのも手だが、俺は車両の場合は中性洗剤泡ブクブクで水洗いするのが好きだな。
水分の拭き取りはタオルでも良いのだが、緻密な作業をする場合、特にガラスFILM等の場合は、ゴム板とかでワイパー的に水を払うのが最もゴミの混入を防ぐ事が出来る。

Epsn2945

写真は水払いに使用できるスクイジ各種。一番上はホームセンターやカー用品店等で売っている洗車用品。二番目の白いのは「カルプ」と呼ばれるプラスチックの発泡体だが、一般入手は困難と思われる。下の二つはゴム板のスクイジで、本来はシルク印刷の作業で使用する物。
②FILMを被着面に仮置きして位置を決定する。この時FILMの裏・・・つまりセパレーター(剥離紙)が被着体に触れる事になる。この時点で既にシートの裏側にゴミ等が付いていたりすると、必然的にゴミを被着面に持っていく事となるので、FILMの裏面は清掃しておく。FILMを床や地面に置くなんてのは論外。マトモな仕事は絶対に出来ない。FILMは静電気を帯びやすいので扱いには注意する事。
位置決めしたら、ズレないように布ガムテープなどで仮止めする。俺はこんな程度だったら全くその必要は無い。

Epsn2932

③利き手側のセパレーター(剥離紙)を5~15cm程度めくり、めくったセパレーターをFILMに対して直角に、ピシッと折り曲げる。

Epsn2934

Epsn2935_2

④とりあえずセンターを指でツンとつついて、軽くくっつけておく。Epsn2937

⑤セパレーターを捲った側の角を、少し引っ張って仮止めする。Epsn2938

※施工するFILMのサイズが小さい場合はここまでする必要は無い。そうすると、アラ不思議、前記事(バイナル4)で紹介した必殺の条件を作り出す事が出来るのだ。写真では判り難いかもしれないが、皺がそういう状態になっている。

⑥左手は、FILMの左端を左に引っ張っている。すると、まだ圧着していない箇所が被着体から浮いた状態を作り出す事ができる。

Epsn2942

Epsn2941

⑦スクイジを持った右手は、FILMの上下の中心を基点として緩い弧を描く様に圧着をしていく。

Epsn2940

スクイジの向き(FILMに対しての接地角度)に注目。「箒(ほうき)」の向きではなく、「スコップ」の向きになっている事をご理解いただきたい。

⑧完成。

Epsn2943

所要時間は1分足らず。FILM施工は時間を掛ければ良い仕事が出来る訳ではない。時間が長い(作業が遅い)=糊面が宙に浮いている時間が長い…という事であり、結果的にゴミの咬み込みや不用意なFILMの伸びを引き起こしてしまう。
俺は一応?プロフェッショナルなので、この程度の大きさのFILMをドライで貼るなどは、ハナクソ。1200mm*10000mm程度までは、作業条件には因るものの、全く普通にドライで施工できる。
ちなみに使用したFILMはキャスト製品であるが、実は安物のカレンダー製品の方がコシがあるので貼りやすい。また気温が高いと、糊面がちょっと触れただけでピチョっとくっついてしまうので、寒い時期の方が緊張感は少ない。また、FILMが熱で伸びてしまう。
貼っていく途中で失敗して、一旦剥がしたい場合は、ジワーッと剥がすと伸びてしまうので、ピッと引っ張って剥がした方が良い。但し時々FILMが破れる事がある。

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WR250R

2007-03-14 19:53:54 | オフロード

本日、遂に出てしまいました。と言ってもメーカーは「参考出品」と表現しているので、少なくとも表向きは販売決定ではないのだが・・・。

Wr250rfront_2

Wr250rside

3/17更新:画像入れ替え・・・多少解像度の高い物になりました&右サイドの画像追加

この件について、全くの一個人である俺があーだこーだ書くのも如何な物かと思うので、メーカーのサイトを見てください。
YAMAHAのバイクのTOPページ(右サイドバーの『最新情報』の3月14日『モーターサイクルショー参考出品について』をご覧下さい)
(メーカー様に敬意を表し、本記事に対してのリンクは避けました)
※直リンク並びに画像使用申し訳ありません。問題あればご連絡下さい。ヤマハFANとして喜んで改訂させて戴きます。

参考出品だけに性能を判断するスペックは公開されていないが、写真を見る限りではアルミフレーム、倒立サスであり、仕様には「燃料噴射式」と明記されている。
ヤマハというメーカーは、今まで「余分な性能」を身に着けた事は無い。DTシリーズについても「人が操る事が出来る限界」と称して最後までフルサイズの250ccになる事は無かった。DT200R、DT200WR、DT230ランツァと乗った俺も内心「250がいいなぁ・・・」と呟きつつも、メーカーが言う処の「250ccは扱い切れない」との言葉を信じて(自分に思い込ませて)乗ってきた。サスストロークが異常に短いランツァを酷使しつつも表彰台に乗った事もある。
ヤマハがアルミフレーム、倒立サス、インジェクションを採用したと言う事は、それ相応の理由がある筈である。しかも名前はXTでもTTでもなく、本物にのみ与える「WR」の二文字を冠している。

モータースポーツ=ホンダとか、スポーティな車両=ホンダ・・・と思っている人も多いと思うが、表に名前を出していないだけで、ヤマハもホンダと同等かそれ以上だと俺は認識している。
有名な割りに意外と知られていないのが、トヨタ2000GT以来、トヨタのスポーツエンジンは全てヤマハが手がけている事だ。ニーナナ(TE27レビン&トレノ)、ハチロク(AE86、俺も乗っていた)、スープラ等等。そして、ヤマハの良い所にはデザインもある。デザインは全て社外(GKダイナミクス、旧GKデザイン・・・原付は別らしい)で行われ、車両開発サイドと綿密な打ち合わせが行われるそうだ。他メーカーと比べても非常にコンセプト性が高く、デザインが洗練されているのはこの辺りが産み出した結果だと思われる。反面でハズしてしまったモデルも少なくないが・・・。

まあそれはいい。
俺にとって最大の問題となるのは、コレを買うか否か、である。イヤ、購入に値するか、と表現すべきか。
正直俺は、以前より噂のあったこのモデルについては「噂だよ、ウワサ。ハハハ・・・」てな見方をしていたのである。まあ確かに他メーカーが売れるトレールとモタードをラインナップしているにも係わらず、ヤマハはセローとトリッカー、TW(最早トレールでは無いか)と実車を一度も見た事が無いモタード風の何某。※セローは人気車種かもしれないが、狙い自体がコアなので・・・。ヤマハが売れるモデルを欲しがるのは解る。
俺が今までバイクを購入する際に、結構問題にしてきたのが「トレールorレーサー」である。以前はオフロードコースオンリーの走行でもトレールをチョイスする理由が一応あった。が、今はレーサーや逆輸入車が主流なので、クローズドコースでのレースで使用する以上はトレールに乗る意味があまり無い。現在XRに乗るとすれば、最大のメリットはストリートリーガルである事だと思う。今現在の俺は、相当おかしな事をやっているのである。

そんな訳でXRが完成したら、近い内にMXerを購入しようかと思っていたのだが、俺はどうすれば良いのか?
スペックが公表されていない以上は未だ判断出来ない。暫く様子を伺う事にする。

ちなみに今一番欲しいオフ車は、アプリリアRXV450。V型ツインのエンデュランサー。カッチョエエ。

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WHITE DAY

2007-03-14 13:02:33 | チョイ毒エッセイのようなもの

Epsn2931

毎年嫁さんと、我社を退職した女の子を含めて数人からチョコを貰うので、お返しをしているのだが・・・。

小学校の頃から常に大量のチョコを貰っていた俺だが(ホント・・・小学生の頃は10~15位、中学生で20~30位、高校で10個位・・・)、当然小学生の小遣いで遣り繰りできる量ではないので、オフクロが手を貸してくれていた。というか、毎年オフクロと姉貴はバレンタインデーに俺の帰宅を待ち受けており、俺が貰ってきたチョコを勝手に食っていたので、ホワイトデーで責任を取るのは当たり前だったのだが。

俺の亡くなったオフクロはちょっと変わった人であった。小学生の頃、ホワイトデー前日に帰宅するとオフクロが大量の菓子を買い込んでいた。菓子といっても、チェルシーとかグリコとかガムとかの、普通のパッケージ品である。これらを透明のビニール袋に入れて口を縛り、一袋ずつ女の子に渡せと言う。幾らなんでも味も素っ気も無く、飾りっけもあった物ではない。俺が「もっとキレイな包装紙にリボンが付いたような物にしてよ」と言っても、オフクロは「いいじゃん、これなら中身が見えるもん」と訳のわからない理由を言いつつも楽しそうである。
ホワイトデー当日、体裁の悪いお返しを渡しつつ言い訳らしき事を並べていると・・・アラ不思議、彼女たちは意外と喜んでいる。むしろキレイなリボンの付いた箱を貰った時よりも喜んでいる様に見える。それをオフクロに伝えると、何も言わずにニヤッとしていた。

去年のホワイトデーの時にふとソレを思い出して、2リッター位入るガラスの容器数個と、キャンディー(コンビニなんかでも売っている袋詰めの物)を大量に買ってきて、シェイクして容器にギュウギュウ詰めにし、別に買ってきた包装紙でくるんでお返しとした。これが結構喜んでもらえたのだが、唯一嫁さんは全くの無反応であった。ブランド品とかを望んでいるのだろうか?

チョコを面と向かって渡してくれればそれなりに嬉しいのだが、嫁さんは、俺がバレンタインデー当日に帰宅するとテーブルの上に置いてあるだけで一言も無い。去年はサスガにムッときて、見て見ぬフリをしてやった。一週間が経過。俺も堪りかねて不満を言ったら、今年はちゃんと渡してくれた。
彼女は毎年1000円未満と思われる、バレンタインチョコ売り場で買ったようなチョコをくれる。もしかしてコレは義理チョコか? まあ別に何を貰っても文句は無いのだが、どうせなら彼女なりの工夫をしてくれると非常に嬉しい。

去年にお手製瓶詰めキャンディーをお返ししたせいか、今年のバレンタインデーには前出の退職した女の子からは手作りのアヤシイ御菓子を貰った。手紙も添えられていた。当然義理チョコであるのだが、嬉しいのです。
但し、中学生・高校生の頃は手作り物を貰うとイヤだったなあ。とにかく重く感じるのですよ。俺は口にする事も出来ずにいたら、オフクロと姉貴は勝手にバクバク食ってやがった。出来栄えに批評をタレつつ。

バレンタインやホワイトデーの存在の是非についてはともかくとして、どうせやるならば、何かその人なりの一工夫をするべきなのではと感じる。自分自身も楽しめるしね。
写真は、二つとも嫁さんに渡す物。どちらもキャラクター物だ。うーむ、余り工夫の無い物になってしまった。仕事の日程の都合で、その他は既に渡しておいた。

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スミマセン、忙しくて放置中。

2007-03-10 20:58:46 | 仕事

Epsn2920

左サイドバーにあるアクセスカウンターはFC2の物である。カウンターの上にマウスポインターを乗せると、本日を含めた過去8日間の一日当たりのHIT数が出るのだが・・・とんでもない数です。ありがとうございます。
にもかかわらず、仕事が忙しくて新しい記事を書いている時間が無い。
カウンターの数字は巨大な組織が俺を陥れようと仕掛けた罠だと思われるので、まさか新しい記事を期待して下さっている方がいらっしゃるとは思えませんが(コメントがほとんど来ないので解らない・・・コメントの少なさは、知人からも数回指摘された・・・苦)、とりあえず近況報告までに仕事っぷりを紹介します。

我が地元である名古屋地区は非常に微妙な土地柄で、昔から「偉大なる田舎」等とバカにされてきた。コンサートツアーやイベントツアー等は名古屋は飛ばされる事もしばしば。GUNS N’ ROSESは来てくれるみたいだが・・・。
もう一昨年の事になるが、この文化不毛の地にて万博が行われたのは周知の通りである。セントレアも完成した。加えてトヨタ自動車の勢いもあってか、ここ数年「日本で一番景気が良い」などとまで言われている。実際にトヨタ自動車系列に勤める人口も多い訳であると思うので、この地区での個人消費は上昇しているのかもしれない。名古屋の繁華街である栄には次々とブランドショップが立ち並び、名古屋駅周辺にも高層ビル建設が連発(といっても現在3つ、4つ目を建設中)。新しいトヨタ自動車の海外向け本拠地として完成したミッドランドスクエア(ビルは東和不動産と毎日新聞、トヨタ自動車の共有の名義になっている)がオープンしてから、近隣地区には明らかな経済効果があったそうだ。
これを狙って他の地区から参入する企業が数多い。代表的な業種としては(俺の身近な中で)ハウスメーカーである。聞けばかなりの金額の叩き合いをしているらしい。

この景気上昇とも呼べる現象の裏で、実は苦しんでいる人たちもいる。仕事にあぶれてしまう人や会社が出始めているのだ。仕事がある所にはあるが、無いところには無い状態。材料の仕入先に聞くと、年度末の割りに材料が出ていないそうだ。建材屋さんは二ヶ月くらいずっと事務所の椅子に座っている(爆)と言っていた。
万博の反動も然ることながら、飲酒運転の取締りが厳しいので、アルコール類を出す飲食店の新規出店が激減している。小ぶりな店舗は大型ショッピングモール内に出店するばかりで路面店は少ない。

そんな中でとりあえず忙しいのはありがたい事である。

Epsn2907

↑見る人が見れば判る、インチキな構造。つってもちゃんと理由があるのだが。工作物申請が必要なくなる様に、全高4m未満になる設計。この後板金を巻くのだが、他の看板屋さんは鉄骨をこんなにしっかり塗装しない。我社はマジメなのだ。

Epsn2918

↑コッチはステンレス2B板をレーザーカットした物と、ヘアライン板を曲げ加工した一次加工品。TIGで組み立てる。

Epsn2915

↑木の板は「ヒバ」という材木。俺も木材にはあまり詳しい訳ではないが、ヒバ(檜葉)はヒノキの仲間で独特の臭気がある。耐水性や防虫性等に優れており、神社仏閣等の建築で使用される。当然FILMは貼れないので、絵や文字は塗料で手で描いてある。この木板は、緑青(ろくしょう=銅が酸化した物)をイメージした突き出しポールに取り付ける。

それと・・・。
ずっと咳が止まらない。過去の記事からすると最低二週間以上は咳き込んでいる事になる。
ふと考えた。毎年この時期に、熱は無いのに咳が止まらない事がある。過去何年もそう。今まで風邪だと思い込んできたのだが、コレ、もしかして花粉症では????
ググッてみると、確かに花粉症は鼻に対してだけではなくて、咳・・・つまり咽喉に対しても影響を与える事があるようだ。咳が出るだけで、身体は全くの正常。チョットだるいかな・・・?
CONTACを買って来て飲んだ。確かにそれなりに効く。が、眠いのです。ううう。PCの前に座るとついウトウト・・・。過去の事例では確か一ヶ月位この咳が続く。困ったもんだ。

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某PAの集いの事。

2007-03-05 19:34:12 | チョイ毒エッセイのようなもの

俺の地元に、バイク乗りが毎月第三土曜日に集まるPAがある。これについて、俺の記憶する限り、知ってる限りの事を書いてみたい。
かなり前の事なので記憶違いをしているかもしれないし、最初から勘違いしている事もあるかもしれないので、ご了解を。

ここにバイク乗りが集まりだしたのは、記憶が間違っていなければ1992年の秋だ。(3/6追記:スミマセン、どうも1993年の様な気がしてきました・・・爆)バブル崩壊直後(バブルは一般論では1988~1991年の4年数ヶ月とされている)の事である。バブル景気自体は当時は大学生(バブル景気は正に俺が在学四年間の出来事)であった俺にはあまり実感が無く、バブル崩壊と言ってもそれが一般人に影響して来たのは暫く後の事であった。バブル景気はそもそも「生産した物がどんどん売れる」という好景気ではなく「元々所有している資産に高値が付く」というスタイルの好景気であったせいか、崩壊当初は感覚が無かったのだ。それどころか単なる若造であった当時の俺には、カスタムブームのお陰か、むしろ個人消費は上昇している様な錯覚があった。
バブルの頃は正にレーサーレプリカブーム。ネイキッドブームの火付け役となったゼファーは1989年発売だった。個人的にはカスタムブームはネイキッドブームによって引き金を引かれる事となった、と解釈している。
その頃首都圏では第三京浜の保土ヶ谷PAがバイク乗りの集まる場所(カスタム自慢場所)として全国的に有名になっていた。俺が中免を取得した時点で、既に「バイク乗りの集まる場所」として雑誌に紹介されていた事を覚えている。
同時期に我が地元でカスタムと言えば、良くイジった部類でもマフラー交換、リヤサス交換程度で、キャブ替えたらスーパーヒーロー。この頃からとあるバイク屋に出入りするようになり、既にVmaxに乗っていた俺はNinjaやKATANA等の同世代ビッグバイクに乗る人達とつるむようになっていた。時々この友人たちと「東京ツアー」に行く事があり、首都圏の部品流通量と、その当時の地元のバイク用品店のショボさ(スミマセン)の格差はそれなりに知っていた。近所にあったディスコなんぞ目もくれず、田舎としては最先端なカスタムを目指して一直線だったのである。

俺の直接の友人ではないのだが、俺が当時出入りしていたバイク屋に時々遊びに来るSさんという人がいた(※ちなみに客として来ていた訳ではない)。Sさんは確かT市在住で、120kmほど離れたG市に住む友人がいた。この二箇所の中間地点に、二人が月に一度顔を会わせて話しをする場所、しかも保土ヶ谷PAみたいにバイク乗りが集まる場所が欲しい・・・とSさんは考えた。で、知り合いに声をかける等して、第一回目。集まったのは10台足らずであったそうだ。
Sさんは「これではちょっと寂しいな・・・」と俺が当時出入りしていたバイク屋に話を持ちかけたのだ。バイク屋は当時の常連らに声を掛けた。その中の一人が俺。結果、第二回目は30台~40台のバイクが集まったのであった。恐らく騒音や風紀上の問題で必ずしも良い事は言われていないであろうと思われるこのPAの集まりも、最初はこんな感じでロマンを感じさせる物があったのだ。
問題はここからである。そのバイク屋はたまたまバイク雑誌の編集部数社に顔があり、その日に某紙編集者を取材に呼んでしまったのだ。しかも自分が首謀者の様なフリをして。このバイク屋はその当時、地元ではカスタムブームの先駆けとして鼻息が荒く、店の名前まで出して一枚咬んだのは売名行為であったと思われる。結果的にある意味では黒幕となった事は間違いないが…
次の第三土曜日、20代前半の若造であった俺は、マスメディアの力の大きさをこの目で見る事になった。何と250台(数えた人がいた)ものバイクが集結してしまったのである。俺を含めて当時の仲間はこの時点では「一大プロジェクトの一端を担った」という位の感覚で、どちらかといえば喜んでいた。しかもこの頃の俺や、俺の友人たちは、地元の中ではかなり激しくカスタムを施してあり、羨望の眼差しを向けられていたので尚更であった。中でもカスタムペイントまで手を掛けたフルカスタムの二台が、お立ち台宜しく他から少し離れた目立つ所にバイクを置いたら、人だかりができてしまった。かくいう俺も、当時の地元では全く見る事のなかったバトルスーツなんぞを着て、カスタム度の高いVmaxで行っていたので目立っていた部類かと思う。※当時はVmax用のボルトオンパーツが殆ど無く、普通に売られていたのはスーパートラップのスリップオンとKERKERのスリップオン&フルエキ(カタチが悪くて人気が無かった)、ステアリングダンパー位の物だった
件のバイク屋は「○○というバイク雑誌の編集部から問い合わせがあったから」と、商魂の逞しさから最初の2~3回現地に行っていたが、結局編集者がソコに来る事は無く、足を運ぶのをやめた。素晴らしく打算的ですな(爆)。

夜のPAに200~300台のバイクが集結するのは異常である。仮に全員がマナー人だったとしても、普通の人からみれば単なる暴走族でしかないかもしれない。全く別のバイク雑誌の「読者の声」的なコーナーで批判されているのも見掛けた。知人の中にはMAXターンをやろうとしてハイサイドを喰らってバイクを放り投げ(ダサ)、現地で廃車にしたヤツもいる。しまいにはかなりの台数の珍走団が来る様になってしまった。
俺も友人も、半年ほどで行かなくなった。ふと我に返ってしまったからなのか、その集まりが一人歩きを始めたからなのか、誰も口にする事は無かった。その代わりにツーリングに行くときに集合・解散場所として使っていた。言いだしっぺのSさんも、片棒を担いだ俺達取り巻きも、本当はそういう場所であって欲しかったのだ。第三土曜日に限らず、フラッと近所を一周した時に寄る場所。行けば必ず何台かのバイクがいる・・・みたいな。
今でも廃れていないみたいだが、PAの一般ユーザーへの配慮とか、どうなんですかね。

その後、当時の友人らとで結成していたチームは崩壊する事となった。そもそもそのチームは前出のバイク屋に出入りしていた人間で構成されていたのだが、一人二人とその店には行かなくなったのだ。この記事を読むだけでも理由は何となく判るだろう。今やそこに顔を出すのは俺だけ。そして勿論、俺も少なくとも客として店に行っている訳ではない。その理由は詳しくは書けないが、色々とあって当時のメンバー全員を一堂に集める事は、今や不可能になってしまった。これぞ俺達の中では、一種のバブルだったのか。

スミマセン、ちと忙しくてバイナルの記事の続きをやっている時間が無い。で、以前に準備してあったこの記事をアップしました。真実を知っている人は少ないであろう…。その後、もう少し身のある(?)集いが定期的に開催されたりした。俺の現在のバイク仲間は、ソコが起点になっていたりする。

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