毎年12月30日に行う餅つき。
決まってオフクロの在所でやっているのだが、「在所」とはいえ、実は「実家」ではない。
俺と血縁のある人は、既にそこにはいない。
オフクロの実家は結構な資産家で、伝統のある家柄。
俺も一度だけ行ったことがあるのだが、入口が橋になっていて、その先に寺のような門がある。
そこを中に入れば庭園があって、建物は寂れているものの、時代劇に出てくるような廊下もあった。
まあ、俺は事前にオフクロから聞かされていた情報がかなり誇張されていたので、それほどまでは驚かなかったのだが、そこは普通の家では無い事だけは確かであった。
太平洋戦争が始まった年に生まれたオフクロがこの世に出て暫くして、父親(要するに俺の祖父)が戦争に行った。身分の高い兵士として戦地に向かったそうだ。
戦争が終わって、父親は異国の地で捕虜になったまま他界。
ほどなくして母親も病死。祖母も他界。
実家に本家の人間がいなくなってしまい、それを不憫に思った昔から付き合いのあった家の人が、オフクロを大八車に乗せて引き取ったのだそうだ。
この12月30日の餅つきは、俺が物心付いた頃には既にやっていた。
あまり社交的な方ではなかった俺の親父も何故かこの家が好きだったようで、餅つきの時はもちろん、時折俺と二人、場合によっては自分一人で訪れては酒を飲んでいた。
親父は根っからの不精者だったので餅つきにはほとんど手は出さなかったが、30日には毎年現場に一番乗り。
癌で死んだオフクロも、末期状態だった時も自力で車を運転して、餅つきに来ていた。
この餅つきは、そういう餅つきなのである。
年々世代交代して、子供たちも増えた。
成人の平均年齢はどんどん上がり、十臼近く搗く内、ほとんどは俺が搗くのであった。
※子供たちはやりたがるが、ほぼ完成状態まで搗いてからでなければ、とんでもなくマズい餅が出来上がってしまう