携帯電話を持つようになって15年位になる。
初めて携帯電話なる物に触れたのはもっと前、学生の頃にバイトしていた中古車屋のオーナーが使っていた。かなりの大型で肩に下げて持ち運び、使う時は固定電話みたいにガチャッと受話器を外して使う物だった。本当に緊急の時以外は使う物では無く、今の携帯みたいにしょっちゅう掛かって来る事も無かったので、俺が店の用事で外に出掛ける時などは持たされたりしていた。但し性能は非常に低くて電池も長持ちしないし、サービス区域も限られていた為に通話が途絶える事がかなり多かった。
実際に自分の物として手にしたのはそれから4~5年後。世間にもそろそろ普及し始めた頃の事だが、平均よりは結構早く使い始めた方だったと記憶している。この頃、携帯電話=ステータス性の証し・・・みたいな図式が各メディアによって構築されており、女の子にモテる為の必須アイテムでもあった。俺にそんなスケベ心があったかどうかは兎も角として、未だサラリーマンであった俺は、緊急時の連絡等に使用していた。また、友人とフリーマーケット(バイクの)に行った時のトランシーバー代わりと、どちらかと言えば「便利だ」と思って得意げに使っていたと思う。実際には仕事でも携帯に掛けるのは特別な時・・・といった様な認識があり、殆どの連絡は固定電話。不在の場合は帰社時間を聞き、時間を見計らって掛け直したりしていたのだ。
しばらくして世の中がおかしくなりだした。仕事でも直接携帯に電話を掛けるのが普通になってきた。ボチボチ若頭的存在になりつつあった俺の携帯は、トイレでウ○コをしてる時にも鳴るようになってしまった。確かに電話というのは「不特定な誰か」や「未知の誰か」に掛けるケースは少ない。固定電話に掛けるにしても「特定の誰か」に掛けるのが圧倒的に多い筈。そういった意味では、一人一人が持つ携帯電話というのは理に適っている。普及台数の増加や各キャリア同士の価格競争により、通話価格もどんどん下がっていた事も理由だろう。
この後色々あって職場を変わる事になった。この時、携帯電話ならではのメリットがあった。それまで仕事でも使っていた電話は会社の物では無く(手当ては付けてもらっていた)、個人の物であった為、転職後も旧顧客から電話が掛かってきたのだ。
だが今の世の中は完全におかしい。携帯に出ない(出れない)だけで怒られる。営業職の人は、電話してても直接仕事が進んで行くのでいいだろうが、俺の場合は完全ストップ。当然忙しい時程電話が掛かってくる回数が多いので気が狂いそうだ。それでも気を遣って掛けてくれるならまだマシだ。FAXで絵を描いて送ってくれればいいものを、電話で物の形状を説明しようとしたり、細かい数字の話をしたり。俺は忙しい時はいつもギリギリの行動をしているので、長話や微妙な判断を要求されても困る…というよりムリだ。
誰かと直接会って話をしている時、二人の電話がしょっちゅう鳴って、二人ともずっと他の人と電話をしてて二人の会話が成り立たないなんて事もある。おかしくないか?
朝7時とか、夜中12時、日曜祝日関係無しに掛けてくる人もいる。あくまで俺の個人的な意見だが、仕事関連で普通に掛けて良いのは平日の朝9時から晩7時までだと思っている。そこそこ気心知れてるなら朝8時から晩8時。それ以外で掛けてはいけないとまでは思わないが、あくまでどうしようも無い時の話。俺の場合はヒマな時でも最低夜中の12時までは仕事してるので、それまでならば出る。が、あまり遅い時間だと「何かあったか?」と出る前に心配してしまう。朝7時なんてのは論外、確実に寝てるよ。
時間以外でも人によって感覚は違う。俺は自分が携帯に掛けられるのがキライなので、人に対しても極力メールやFAXを使う。伝達だけで済むならばその方が確実で効率的だと思っているから。だが判らない物で、「細かい注文でも携帯に電話を貰った方がいい」と言い切る人も身近にいる。
さて、世の中には摩訶不思議な事がある。必ず最悪なタイミングで電話を掛けてくる人。両手ベトベトになってる時とか、ウ○コしてる時、極端に忙しい時など…。お陰でタイミング悪く電話が鳴ると、その人の顔が思い浮かぶ様になった。縁が無いのかねえ? いや、それよりも社会問題として携帯電話の存在を考え直すべきなのでは?