下記、5人の作家による5人の兵法者の短編集だ。
1.上泉伊勢守(池波正太郎)
2.塚原卜伝(津本陽)
3.宮本武蔵(直木三十五)
4.佐々木小次郎(五味康祐)
5.柳生石舟斉(綱淵謙錠)
寄せ集めなので、長さはまちまちだ。一番目は120ページ
くらいの中編だが、他は、30-50ページの小編になる。
くらいの中編だが、他は、30-50ページの小編になる。
1.の上泉伊勢守が一番、面白かった。また、5人の
なかで、唯一、どういう生涯を送ったか知らないという好奇心も
なかで、唯一、どういう生涯を送ったか知らないという好奇心も
手伝ったのかも知れない。
上泉伊勢守は、戦後時代の武将であったが、後年、兵法者に
なり、新陰流の創始者でもある。
なり、新陰流の創始者でもある。
2.の塚原卜伝も面白かった。津本陽は、剣道3段、抜刀術5段
ということで剣戟シーンには定評があるらしい。
ということで剣戟シーンには定評があるらしい。
3.は、むしろ、作家に興味があった。何しろ、その業績を記念して
直木賞が生まれたが、作品など読んだことがないからだ。
直木賞が生まれたが、作品など読んだことがないからだ。
43歳で亡くなったこの作家の遺稿になるのだが、中々、味わい
のある書き方だった。
のある書き方だった。
二刀を使うのは重たくて疲れるので、武蔵は、片手でも使えるように
鍛錬のために使っていただけで、実際の試合で使っていたわけではないという。
鍛錬のために使っていただけで、実際の試合で使っていたわけではないという。
4.この佐々木小次郎も中々、面白かった。特に、巌流島で
武蔵と対決した時、佐々木小次郎は、69歳くらいのおじいさん
だったというのだ。衝撃を受けた。武蔵は、30代の元気盛りである。
また、有名な「ツバメ返し」も、本当は、「虎切り」という技だという。
武蔵と対決した時、佐々木小次郎は、69歳くらいのおじいさん
だったというのだ。衝撃を受けた。武蔵は、30代の元気盛りである。
また、有名な「ツバメ返し」も、本当は、「虎切り」という技だという。
何故、物干し竿の剣を使っていたかというと、師である富田勢源が
小太刀の使い手だが、長い剣でないと相手にならないので、だんだん、
長くしていったらしい。
小太刀の使い手だが、長い剣でないと相手にならないので、だんだん、
長くしていったらしい。
5.残念ながら、1.の上泉伊勢守から、柳生に新陰流は
伝わっているので、同じ内容も含んでおり、ちょっと、残念だった。
伝わっているので、同じ内容も含んでおり、ちょっと、残念だった。
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