トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

引導レス

2010-06-04 | 温故痴新

 野に嬉し虫待つ宵の小行灯        重頼

   田で過ごす虫見ず小鳩昼行灯

 にょっぽりと秋の空なる富士の山     鬼貫

   しょんぼりと飽きて空なる鳩の山

 さればここに談林の木あり梅花      宋因

   されどまた悋談の危あり擬似の堂


元の木阿弥

2010-06-04 | 今日は真面目に

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 一昨年に侵入竹を除伐した斜面に細い竹の「ひこ生え」が茂ってきて、見通しも風通しも悪くなってきた。何より林床への日射を妨げるのが一番の弊害なので、二日を掛けて刈り払った。

 刈り払うのが進むと、突然に風が渡り始める時が来る。この一瞬は何回体験しても清々しいし「やった!」と感じる瞬間でもある。

 ただ、竹だけでなくヒサカキなどの常緑樹も背丈を越える高さにまで伸びているから、これらを含めてもう一度林内を整備しなければならなくなった。

 手入れをしても一回で完結することはなく、何年にも渡って植生誘導や遷移が安定するまで継続しなければならないのが里山の手入れだ。「次」をしないと数年を経ずして「元の木阿弥」になってしまう。

 その意味では「自転車操業」でもあるし、範囲が広がれば二次・三次の手入れに追われるのは宿命みたいなものである。つまりは「不断の手入れ」は欠かせない。

 「貧乏暇なし」全く持ってその通りだが、寝る場所があるだけでも「良し」とせねばなるまい…と言いつつも「方丈記」のような胸中にいたるのは無理である。