


泥土で水切りされたものではおっつけ流亡間違いないから斜面の上方の崖下まで這い上がり砂層の崩落部で土嚢を設える。一輪車など無いし作業場所の直上まで抱えて移動し転がせて落した。土嚢たかだか4袋でしかないものの抱えて移動は楽ではない。木陰で直射日光は届かずとも気温は真夏日のこの日、泥水の分水路で作業していても涼しくは無いのだった。
列杭打ちし土嚢を積み、落水侵食緩和の丸太材を並べてようやく一件落着だ。欲を言えば丸太材の下流側にも杭列を備えれば腐食物や砂泥が溜まり易く余計なトンネル生成動物を入らない様にしたいのだが理想形は優先順位は低いのが姥捨て山の自転車操業・水商売なのである。
フイールドを維持するために自転車操業・水商売が存在するなんて小生以外は「知らぬ存ぜぬ」であろうが、大昔に「人知れず微笑まん」なんて本があったけれど小生的には「人知れず汗かかん」である。まあ、果敢に土嚢運びや杭打ちに挑んだものの知る人も無し低年金高齢孤爺であればとどのつまりは「腰が痛い、肩が痛い」に決まっておるお約束なのだ。
「あなたの友達は?」と問われれば間髪を入れず「湿布!貼り膏薬!」とピンクハートの目ん玉で自信をもって断言できる今日この日だったわい・・・。
