19日(土)は初氷日となった。日陰に居ると身を切られるような風の冷たさが耐え難い。轍の水溜りは氷結して車で乗り入れると「バリバリ」と音が聞こえてくるほどだった。
防火用水など止水面は5mmくらいの厚さにまでなっていた。拳で「コンコン」とやっても割れない程度の強度だ。
午後は風が強くなって首をすくめて退散となってしまった。義務もノルマもない活動だから気楽なものだ。
郷里に電話で聞いたところ、既に積雪1メートルを越えたとのこと。年内に1メートルを越えるなんて大雪の様相だ。雪の無い正月が近年は通例だったから。
小生の子ども時代は「雪の正月」だったし、積雪3メートルなんて普通の冬だったのにと感慨深い 物がある。あの三八豪雪では4メートルを越えて、上越線など1週間も不通だった。
蒸気機関車に押されて除雪のロータリー車が雪の原野遠くに現れ、汽笛と煙が見えた時は胸が躍ったのを思い出す。
そういえば、除雪・保線のため九州地区の保線区の作業員が特別列車で到着した時、竹箒やちりとりを持って下りてきたのが可笑しかった。半世紀も昔はそんな時代だった。
『オリオンは夜寒小寒に星を撒く』
『月星夜流星群の砂鉄華』
『立つ風に落ち葉すがりて実は留む』
『打ち返し吹かれて踊る紅葉かな』
『背戸無きも落つる音聴く暮れの秋』
ようやく初霜の到来となった。今期は平年より気温が高めに推移していたから寒さが見にしみる。昨夜は布団の中が温まらなくて「寒いなあ」と感じてはいたが思ったとおりだ。
フイールドの谷あいは、夏は駐車する日陰を確保するのに苦労するが、この時期は終日陽射しが届かない。霜が降りるとお昼くらいまで白さが残っている。
みどりのシロツメ草も葉を閉じて霜にまみれ、いかにも寒そうだ。この低温でオオスズメバチの出現確率はゼロに近くなったから「緊急キット」を腰から外しても安心である。
このキットは12月で使用期限が切れるので、再度携行し始める3月ごろに新しい緊急キットと交換せねばなるまい。
ともかくもこれから3ヶ月、オオスズメバチに注意を払わなくても良くなったから藪や放置林に進入するにも気が楽になった。寒いけれどある意味ではホッとする季節になった。
『竹性は永田や関によう似たり』
『散る怒連元祖消えても種尽きぬ』
『大挙して越前くらげ里帰り』
放置竹林の竹征伐が盛んだ。流行のように行政、外郭団体、NPOなどが取り組んでいる。
確かに猛威を振るっているが管理された竹林は特別の風情がある。自分達の守備範囲においては緊急課題では無いので侵入分や越境分を処理するだけである。
竹林の整備をして筍掘りなどを楽しめるような手入れは、侵入竹ならぬ侵入者?に攪乱されて成り立たないのが活動して理解できた現実だった。「あさる」という言葉を思い出す。
それはともかく竹林の勢力拡大はグローバル化と似ている。席捲は悪だと思うけれども、とは言え、見えないところで勢力拡大・地下茎を張り巡らす手合いには閉口する。憎まれ役にしないためには疲弊するくらいの覚悟が必要のようだ。
『孟宗を伐る身玉汗消えもせず』
今日はこの冬一番の冷え込みだったとか…。日中も曇りで気温もようやく二桁だ。こんな日は夏の暑さが恋しくなる。
夏場は日陰の多い作業場所を選びたいが夏草は伸び放題だし必然的に炎天下の作業が増えてしまう。林内の作業となると風が通りにくいため別の暑さが周りに充満する。
混み入った放置竹は根元を伐っただけでは倒れてくれない。倒す空間を確保するまではロープを掛けて引きずり落とすのが通例だ。
不整地の斜面でこれを繰り返しているとズボンまで汗でビッショリになる。膝が痛み出す契機はこんな時が多い。水分補給も午前で1リットルは容易に消費する。
今日この頃は、こんな夏の日が恋しい。ハイビスカスを飾りムームーで歌っていた歌手がいたが日野なんとか。まっ、「ひ」が付くのを思い出しても暖かくはならないが連想と妄想の境界はあいまいのようだ。
「六十にして耳従う」と言われるが耳は従わないし身体はもっと従わなくなってきた。とは言え、しばし孟宗で山塊に遊び、時に妄想で奇怪に遊ぶのも一興だろう。
深夜の門で 捧げし笛は
教え受けてた 課題曲 ハア コリャコリャ 弥生姐さん
児だけの苫屋 案じてみても
遠く防人 もう逢えぬ ハア コリャコリャ 或 潰打
浪士辞世の 四十七句
忠恕の誉れ きらきらと ハア コリャコリャ 公爵氏
能舞う殿御 視線の遙か
謀反承知の 黄泉の道 ハア コリャコリャ 乱丸
もみじ子はその時のため夏を生く錦散らして秋は涼やか 夏々様
歳神は待つことも無しせかし無し トロル